青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
瀬田 せた
所在地:大津市神領三丁目
開設年月日:?
廃止年月日:
付近:名神高速道路瀬田西インターチェンジ 滋賀県立瀬田工業高等学校 滋賀県立瀬田高等学校(定時制工業科) 建部大社 新緑苑団地 瀬田南市民センター(大津市役所瀬田南支所・大津市立瀬田南公民館)




名神瀬田西インターチェンジに併設されているような形のバス停ですが、実際には、瀬田西インターチェンジの方がバス停よりずっと後(1980(昭和55)年1月8日)開設です。

『名神高速道路建設誌(各論)』(名神高速道路建設誌編さん委員会編 1967)に、

瀬田バスストップは、ドルシュ勧告によって、将来インターチェンジにできるよう、(中略)計画がなされ、その一部としてバスストップが作られたが、全体の用地も同時に取得されている。(P278)



という実に興味深い記述があります。

「ドルシュ勧告」というのが「シャウプ勧告」(GHQの要請で1949(昭和24)年とその翌年の2回に渡って発表されたカール・シャウプらによる日本の税制に関する報告書で、戦後の日本の税制に大きな影響を与えた)みたいなものかと思って調べましたが、特に有名な用語ということではないようでした。ただ、ドイツのアウトバーン建設に大きな役割を果たしたらしい、ヘクサル・ドルシュ博士という人物が日本道路公団の世界銀行からの借款に関係して来日しているので、このドルシュ博士の意見があったのだろうと思われます。

関西で車を運転するひとはよくご存知の通り、瀬田東インターチェンジとワンセットのハーフインターチェンジで、京都・大阪方面しか出入りできません。因みに、瀬田東は更に新しい(1988(昭和63)年8月29日)のが意外でした。

インターチェンジの事務所と、新幹線の間に細い通路がありますが、下の写真のように、閉じられております。

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左手の道路を撮ってみましたが、公団の事業用の道路のようで、これも閉鎖されていました。

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入口にはこんな看板も…↓

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少し南に歩くと、近江鉄道バスの一般路線用のバス停があり、これは今も。名神瀬田に因んで…

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「瀬田バスストップ」↓

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上の写真が新緑苑団地方面であるのに対し、こちらは石山駅方面↓高速バス用の停留所が廃止されても、改名される様子はありません。また、南隣の「新緑苑団地」とも大変近いのですが、統合されるという気配もありません。

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↓京都方面の進入路が、バスの出口と合流しているので、このような標識があります。冒頭で述べた通り、バス停の方が先にできているはずなので、インターチェンジを作る時、苦肉の策でこんな形になったのでしょう。

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↓そのすぐ右に首を振ると、ご覧の有様。なんということでしょう。

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↓高速バスのバス停は、どこも重たそうな扉で閉じられています。

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↓こちらは、京都方面のバス停から少し東に行って、名神のガードをくぐったところにある八日市、名古屋方面のバス停入口。こちらは、京都方面と違い、道路のすぐ北に事務所の建物があることもあって、これ以上は近づけず、どういう状況かは分かりませんでした。鉄条網なんて仰々しい気もしますが、万一ひとが侵入して事故でも起きたら大変なことなので、公団も神経質になっているのでしょう。

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因みに、『ひらけいく瀬田』(大津市立瀬田小学校他編 1973 大阪書籍)のP76に、「名神高速道路 瀬田バスストップ」と題された写真が掲載されており、嘗てのいわゆる「食パン型」のバス停に「京阪バス 瀬田バスストップ」と書かれているのが読めます。ご興味がおありの方は、滋賀県立図書館の郷土資料コーナーでご覧下さい。

次は 名神大津です。
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コメント
この記事へのコメント
木津川でございます。
懐かしいですねえ瀬田バスストップ。
神領団地の従兄の家に遊びにいくのに、わざわざ名神高速バスを大阪駅から使っていったことが思い出されます。痕跡ははっきり残っていますね。
当時国鉄で神戸から石山まで行かず、大阪から名神高速バスで来たと叔父叔母に申告しても、全然驚かれず、物好きやねーと言われるのを期待していた少年の私にとって、肩すかしでした。
80年代の初め頃までは、意外と近所で瀬田バス停を利用してる人が多かったそうです。確かに建部大社周辺住民だと湖東エリアは、国鉄の駅に行かずに便利に移動できたと思います。
 記憶があいまいで申し訳ないのですが、昭和52年頃は、昼間の保守時間確保のため、9時から10時にかけての1時間、草津・米原間、西明石・姫路間の電車運行をわざと取りやめたダイヤを国鉄が設定してたはずです。まるまる1時間電車がないので、名神高速バスを利用してた方もいるかもしれませんね。
2012/06/08(金) 01:28:23 | 木津川 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
木津川様、久しぶりのコメントありがとうございます。

>  記憶があいまいで申し訳ないのですが、昭和52年頃は、昼間の保守時間確保のため、9時から10時にかけての1時間、草津・米原間、西明石・姫路間の電車運行をわざと取りやめたダイヤを国鉄が設定してたはずです。まるまる1時間電車がないので、名神高速バスを利用してた方もいるかもしれませんね。

広島近辺は今も「水曜運休」があるのかよく分かりませんが、それに近いですね。昭和52年くらいなら、京都府立、大阪市立などある程度の規模の図書館に行けば普通に時刻表のバックナンバーが置いてあるので、一度確認してみます。

JRが国鉄時代に比べて圧倒的に便利になったことが、高速バスのバス停廃止の一番大きな要因でしょう。
2012/06/09(土) 00:18:13 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
高速バス
南郷に住んでいた頃、親が運転する車で出かける時に瀬田西のインターをよく使っていました。確かに京都方面への入口しかなくて、名古屋方面に行くにはどうしていたのか思い出せません…。
小学生の頃、瀬田から高速バスに乗って父が単身赴任していた名古屋へ行ったことが数回あります。バス停まではタクシー使用でした。名神の高速バスのバス停は、瀬田もそうですし前回までの草津などかなり削減されてしまったようで驚きましたが、あまり需要はなかったのでしょうね…。
2012/06/09(土) 20:52:20 | れお | #pamUQ3n2[ 編集]
Re: 高速バス
れお樣、いつもありがとうございます。

> 小学生の頃、瀬田から高速バスに乗って父が単身赴任していた名古屋へ行ったことが数回あります。バス停まではタクシー使用でした。名神の高速バスのバス停は、瀬田もそうですし前回までの草津などかなり削減されてしまったようで驚きましたが、あまり需要はなかったのでしょうね…。

私も廃止を知ったのはごく最近なので、驚きました。同じバスでも私は徹底した一般路線専門で、高速バスや観光バスには関心がないので、JRの時刻表を買っても、高速バスのページなんて滅多に見ないものですから、ふと気がついた時にはかなりのバス停が削減されていて、瀬田とか、大津とか、草津とか、あったはずなのにどうなったの?と戸惑いました。
2002(平成14)年6月1日付で、「急行便」が廃止になり、その急行便しか停まらなかったバス停が全て廃止となったようです。奇しくもちょうど10年なんですね。本当に全然気付きませんでした。
2012/06/09(土) 21:13:57 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
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