青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
6月3日付拙稿1982(昭和57)年6月3日 「歓びの街 パル」オープンの続きです。
パルの開店時間は恐らく朝10時だったはず。29年前の今日はきっと、オープンから約1週間、ちょっと落ち着いたところ、でも、さあこれから!という活気に満ちていたのだろうと思います。

1982(昭和57)年6月4日付毎日新聞によると、

国、県から特定小売商業店舗共同化事業資金の融資を受け、総事業費約十五億円で工事を進めてきた。



とのことです。
前回も書いたように、1999年から2000年にかけての間でなくなっているので、オープンから17年の寿命だったことになります。意外なほど短いです。建物自体は、明らかにまだまだもったはずです。年換算8,800万円強、安いのか高いのか…。

結局、バブル景気を間に挟んでその前後を駆け抜けたわけですが、バブルの崩壊でどうこうした、というよりは、1995(平成7)年瀬田にオープンしたパワーセンター大津など、郊外型店舗の台頭の影響が大きいのではなかろうかと思われます。

そのパワーセンター大津も、数年前まであれほど賑わっていたのに、今はすっかりイオンモール草津に負けて、静まり返っています。本当に、小売業界の動向は毎日といっていいくらい変わりますね。

今の現地はマンションや駐車場になって、すっかり様子が変わってしまったことは、前回も書きました。現地に行くより、家で目をつぶる方が、当時の建物の様子が思い出しやすいくらいです。内部を思い出して、どこに何の店があったか図にすると面白そうだと思っていたら、1986(昭和61)年の『ゼンリンの住宅地図 大津市』に、簡単な図面がありました。店名そのままが出るのはいろいろ問題がありそうなので、一部加工しております。「?」は店名を見ても、何の店か分からない、思い出せない、確証がないところです↓

パル3

だいたい私も覚えている通りの位置関係でした。
海の魚を扱う店と、琵琶湖の魚を主に扱う店が別なのが、さすが滋賀県です!
どの店も、天井から下がる電照看板(確か茶色い地に白抜き文字・絵だったと思う)にサブタイトルみたいなものが書かれてあって、魚屋さんのそれは「都会の中の小さな漁港」…。これだけはっきり覚えてます。それを見ていたのなんて、小学校上がるかどうかの頃ですが、当時から「都会…どこが?」と冷めた目で見ていました。性格は変わりません(?)。

また、単に肉屋という時は、普通は鶏肉(かしわ)は扱っておらず、鶏肉の店が別にある、というのも、関西らしい特徴です。

核になるスーパーが南側にある割には、北玄関の方がひとが多く賑やかだった気がします。八百屋のおっちゃんの声がいつもよく響いていたので、実際以上に賑やかに感じたのかもしれませんし、駐車場に続くエレベーターが北寄りだったこと、ひとがたまりやすい休憩所があったこと、石山駅や松原のバス停により近い(京阪バスは90年頃まで栄町に停まらなかった)といった背景もあるかもしれません。

小さい時はよく、休憩所でソフトクリームなんか食べたなあ…。

あそこにもここにも、想い出があって、昨日、とは言わずとも、つい1カ月くらい前に行ったような気がしてきます。
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コメント
この記事へのコメント
No title
初めてコメントさせていただきます。

パルの記事、拝見いたしました。
非常に懐かしい思い出でいっぱいです。

私の親はパルのなかで働いておりまして、
店舗図では場所は判然としませんが、
2Fのどこかに「はしもと屋」というおもちゃ屋もあり、
そこで遊んだのは懐かしい思い出です。

パルのいいときは、松原も栄町もパルの
お客さんがたくさんいて、石山団地や国分はもちろん
南郷や田上などからもたくさんのお客さんが
来ていたのを記憶しています。

そのころはバスも多彩で、特に帝産バスは
上桐生や石山商店街経由の焼野行きなど
今では見られない系統が多数あったように思います。

最後となりますが、今後も大津の懐かしい記事等
期待して拝読させていただきます。

乱文、失礼いたしました。
2011/06/17(金) 00:00:27 | ひえい | #Z2qY.Yhk[ 編集]
No title
ひえい様、コメントありがとうございます。

パルの商圏は確かに、石山駅から南を中心に、大きく広がっていたでしょうね。おもちゃ屋さんのことは、私は残念ながら記憶にありません。多少店舗の入れ替わりもあるのかもしれませんね。違う年度の住宅地図などを見比べると、何か分かるかもしれません。

石山商店街を経由する焼野行き、割と最近までありましたね。わざわざいったん宮ノ内に南下して、国道に出る…。南門の前を通っていた時代はさすがに知りませんが。

上桐生は、80年代は単なる「桐生」でしたね。1日1回朝8時台にしかしかなかった「田代」も印象的です。京阪、近江、帝産の3社の中で一番資料がなく、謎が多いのは帝産です。

今後も、路線バス関係だけでなく、その周辺の歴史を含めて、いろいろ書かせて頂きたいと思いますので、また宜しくお願いします。

2011/06/17(金) 01:16:18 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
帝産バス小ネタ集
桐生行きとか懐かしいですね。
①「田上車庫前」行きになるまえは「新免」行きでしたね。確か。
「田上車庫」ってどんなところだろう、と子供の頃色々想像してました。父の車で偶然通りかかると、車庫内が舗装されていなかったので唖然とした思い出があります。
②「湖南高校」行きは字の色が赤字でした。同じパターンで「湖南アルプス」という幕がありましたが、実際に使われたシーンはみたことがありません。どういう場面で使ったのでしょうね。
③「太子線」「東レ線」といった幕があったように思います。
④石山駅で乗車口が開くと「○○行きです。ありがとうございます。」とエンドレスで音声が流れていましたが、あれはどういう仕組みだったのでしょう?
⑤学校の図書館でみた古い年鑑には帝産バスの記事には「湖南交通」と書いてあったはずです。湖南交通が帝産グループ?に吸収されたのでしょうか。
以上記憶違いもあるかもしれませんが書いてみました。(かき乱しただけだったらごめんなさい。)
2011/06/20(月) 01:16:31 | K2 | #-[ 編集]
帝産バス続き
アルプス登山口行きってありましたよね。
昔、子供会の飯ごう炊飯のイベントで一度、石山団地から石山駅まで行き、帝産バスの新免行きに乗り換えて、湖南アルプスへ行ったことがあります。田上小学校(中学校?)で降り、歩いて山を上がり、砂防ダムのところで飯ごう炊飯を楽しみました。
そこで郵便貯金通帳を拾い、交番に届けました。お礼の手紙か、お金が届くかとワクワクしましたがなにもなく、子供心に傷ついた気折があります。(額面は千円でした。)
そのころ、帝産の料金表示器はすでにデジタル式で、幕式だった京阪に比べ、進んでいると思いました。どうした京阪!でも、帝産バスは路線の距離が長いので当然だったのでしょうか。
2011/06/21(火) 01:35:28 | K2 | #-[ 編集]
No title
喜撰猿丸様 

初めまして。
帝産湖南交通・よろこびの街パルの記事が懐かしくてコメントさせていただきました。

『帝産湖南交通信楽線について』
昭和39年~40年頃、叔父の一家が信楽に住んでいたことがあり、
当時小学生だった私は、祖母に連れられて『河原町御池』から石山駅前経由の帝産バスに乗って信楽まで泊りがけで遊びに行っていました。
道路は、石山駅前を出て唐橋を過ぎるころから未舗装だったような気がします。
大戸川沿いの県道は、赤土のでこぼこ道で、あちこちに大きな水溜りができていました。
バスはすごくすごく揺れました。例えて言うなら、テレビで見る中国の山奥の悪路みたいな感じです。

昔、祖母から聞いた話ですが、大戸川沿いで土砂崩れがあり、京都から乗ってきたバスを降りて、雨のなか土砂崩れ現場を歩いて、信楽側から迎えに来たバスに乗り換えて終点まで行ったそうです。
子供だった私は、京都から長時間バスに乗って信楽に行くのが楽しみでした。信楽、いいところでした。


『帝産湖南交通太子線について』
「太子町から大津市会議員に当選された方がおられて(1期だけだったそうですが)その方のお力?で太子線のバスが走っていた時代がある。」と田上出身の方から聞いたことがあります。年代は不明です。

『よろこびの街パル』
当時は、石山団地に住んでいたのでとても懐かしく拝見しました。華やかなりし頃の『パル』で買い物をしました。
京阪バス『石山団地行き』のバスも、昼間15分間隔くらいで運行していたように思います。

京滋バイパスを使って文化ゾーンの図書館にもよく行きました。
パワーセンター、アヤハディオなど駐車場に入るのが大変なくらい賑わっていましたね。

私は、滋賀を離れてずいぶん経ちます。大きなイオンモールができたとか、テレビのニュースで知ったくらいです。
これからも懐かしい記事を載せてください。楽しみにしています。
ありがとうございました。(S32年生)

※長文失礼しました。

2011/06/21(火) 17:08:18 | 滋賀は第二の故郷 | #-[ 編集]
懐かしいです♪
 「歓びの街」というキャッチフレーズにまた時代を感じたりしますが、つい10年位前まで健在だったわけですよねぇ。
丸栄百貨店が火事の時、粟津駅近くの職場に居ました。
「石山商店街が火事やにゃて~」と先輩か叫んでいました。
その後、当時としてはお洒落なショッピングセンターが開店し、子供たちを連れてよく出かけていました。二階の本屋さんはなかなか品揃えがよく明るくて好きでした。食料品も新鮮で安かったと記憶しています。 娘は生活科の学習で南郷小学校からパルに出かけてそれぞれがお店でお買物をしてきました。娘は食パンだったなぁ。
それにしても 記憶が鮮明でいらっしゃるのが素晴らしい。パルの周りがどんな配置だったか、本当に今となれば面影も感じられなかったりします。
パルは「閉店」と大々的には公表されず「改装するらしい」。。との噂だったのにいつしか「マンションになるらしい」という消え方だったのでお見送りできなかったのがちょっと残念です。

百貨店と言えば、粟津の駅前にも「粟津百貨店」があり仕事帰りにちょっとした買物をしていたのですが、いつの間にか住宅になっていて残念です。いい味の百貨店でした。
ここ10年20年前までは、昭和の味を残した、小さな小売店飲食店が集まった場所があったのに だんだんと消えていきました。
滋賀県庁の地下商店街も昔は賑やかでしたよ。
今も 丸屋町商店街に大津マートが残っているのが嬉しいです。
2011/08/10(水) 10:05:18 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 懐かしいです♪
>  「歓びの街」というキャッチフレーズにまた時代を感じたりしますが

今だったら何でしょうね、いいコピーが思い浮かびません。私みたいな英語ができないひとだったら、私みたいに英語もどきの横文字を使うのでしょうかw

> 丸栄百貨店が火事の時、粟津駅近くの職場に居ました。
> 「石山商店街が火事やにゃて~」と先輩か叫んでいました。

白昼の身近なところでの火事、大ニュースでしょうね。
私は年齢的なこともあり、全く記憶がありません。

> その後、当時としてはお洒落なショッピングセンターが開店し、

確かに、スーパーマーケットとも百貨店とも違う、小さな店がたくさん集まっている、昔のいわゆる「市場」に近いけど、でもそれともちょっと違う、独特な店でしたね。

> それにしても 記憶が鮮明でいらっしゃるのが素晴らしい。パルの周りがどんな配置だったか、本当に今となれば面影も感じられなかったりします。

そうですか?私は記憶力も観察力もさっぱりです。一般には、男性より女性の方が、想い出を大事にするということもあるのか、昔のことをよく覚えている傾向が強いといいます。
建物の配置は、古い住宅地図を見ると、思いだせるところもあるかもしれませんね。

> パルは「閉店」と大々的には公表されず「改装するらしい」。。との噂だったのにいつしか「マンションになるらしい」という消え方だったのでお見送りできなかったのがちょっと残念です。

そうだったんですね。あまり意識していませんでした。
「改装」が全くの表向きで、全然そういう予定がない場合と、本当に「改装」するつもりで、資金調達できなくてそのまま閉店となる場合と……いつも「閉店」を唱えながら開け続けている店とがありますね。

> 百貨店と言えば、粟津の駅前にも「粟津百貨店」があり仕事帰りにちょっとした買物をしていたのですが、いつの間にか住宅になっていて残念です。いい味の百貨店でした。

粟津の駅前なんてどんな感じのところなのか、情けないことに全くイメージがわきません。
そんな店があったんですね。「百貨店」といっても、個人商店が集まった、「市場」のような形でしょうね。

> ここ10年20年前までは、昭和の味を残した、小さな小売店飲食店が集まった場所があったのに だんだんと消えていきました。
> 滋賀県庁の地下商店街も昔は賑やかでしたよ。

そんなのがあるんですか?知らなかった…。

> 今も 丸屋町商店街に大津マートが残っているのが嬉しいです。

貴ブログで書いていらっしゃいましたね。

石山駅より北のことは自分でも驚くほど知らなくて(京都に通勤・通学している新興住宅地の人間は結構そういうものかもしれません)まだまだ勉強しなアカンなと思います。
2011/08/10(水) 23:32:36 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
申し訳ありません。
申し訳ありません。
「滋賀県庁」ではなく「滋賀会館」です 滋賀会館ならご存知かと思います。
今読み返して気づきました。ごめんなさい。。

滋賀会館の地下には飲食店もあり、八百屋さん魚屋さんなどが入っていました。 少し前に訪れた時は シャッター商店街のようになりながらもそれぞれの名残があり懐かしかったです。
今はどうなっているのでしょうね。


粟津駅は職場の最寄駅でした。
勿論 大丸や高島屋のような百貨店ではなく(笑) 市場のようなもので建物は二階建でしたが二階にはお店がなかったように思います。
粟津駅の前の道を国道方向に歩くと、途中 古い煉瓦塀をみかけるのですが、あそこも気になっています。
あらためて訪れないといけない 大津市内の場所がどんどん浮かんできます。
2011/08/11(木) 13:52:22 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 申し訳ありません。
たくさんコメント頂いてありがとうございます。

> 「滋賀県庁」ではなく「滋賀会館」です 滋賀会館ならご存知かと思います。
> 今読み返して気づきました。ごめんなさい。。

いや、私もしょっちゅう誤字脱字、誤記をしていることに気づくので、そんなふうに仰らないで下さい。
滋賀会館は分かるのですが、地下に店があるのは知りませんでした。というか、入ったこと自体がほとんどなくて…。味のある古い映画とか結構やっていたので、今思えばもっと見に行っておけばよかったです。私は会館最晩年の去年か一昨年に、映画『別れの曲』(ショパンの伝記映画、有名な「別れの曲」のタイトルの由来となった映画)を見に行きました。

> 粟津駅は職場の最寄駅でした。
> 勿論 大丸や高島屋のような百貨店ではなく(笑) 市場のようなもので建物は二階建でしたが二階にはお店がなかったように思います。

そうですね。百貨店の定義は、はっきりしているようでいて、あいまいなところがあって、別に名称が独占されているわけではないから、「市場」のような感じでも「百貨店」としているところが、特に地方都市には多いみたいですね。

> 粟津駅の前の道を国道方向に歩くと、途中 古い煉瓦塀をみかけるのですが、あそこも気になっています。
> あらためて訪れないといけない 大津市内の場所がどんどん浮かんできます。

煉瓦塀?あの辺だと工場跡とかかもしれないですね。
2011/08/11(木) 21:43:18 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
初心者泣かせの駐車場にツンデレ精算機
喜撰猿丸様

こんにちは!ご無沙汰しております。
当家(滋賀大前BS付近)の買い出しは石山商店街がメインでした。
その当時、親父が海外主張でほぼ不在、母親は車の運転ができず、
近くに南郷プラザ・・・という選択肢もはありましたが、
バスで出かけるのでどうせなら、というところだったのでしょうね。
私はちょうどいい荷物持ちとして、いつも買い物に連れていかされていました。

あの火災のあと、プレハブでの仮営業を経て「歓の街パル」が出来た・・・
火事の焼け跡は記憶に殆どありませんが、
プレハブの頃から以降は鮮明に覚えています。
この記事を読んで、色々と記憶が蘇ってきました。

屋上の駐車場!入口から出口まで、ずっと初心者泣かせの急勾配に急カーブ。
私はなんとか壁には擦らずにすみましたが、
壁面の傷が非常に多かったことを記憶しています。

すごく印象に残っているは、屋上駐車場の自動精算機(笑)です。
始めの頃は有人精算だったと思うのですが、途中から機械化されたと記憶しています。

「駐車券を入れてください」から始まって、
精算業務を終えると説明途中でもいきなり説明を中断し、
”間髪入れずに”「ありがとうございました!」と口早に言われてバーが開く。
例:「駐車券を入れてください。サービス券をお持ちのかたありがとうございました!」バーOPEN

なんか、精算機から「あーめんどくせ、さっさと消え去れ」って感じが
ひしひしと伝わってきて、大変よかった(?)ので、
ここの精算機はいかに早く駐車券とサービス券を入れるかにこだわっていました。

そんなある日、その「ありがとうございました!」から5秒後ぐらいに
もう一度「ありがとうございました!」って言っているのに気づきました。
おお、ツンデレかい!(当時はこんな言葉はありませんでした。)なんと愛い奴!
以降、2度めの「ありがとうございました!」が聞けるよう、ゆっくり発進していました。

なんか、とりとめのない話ですみません。
2017/04/28(金) 11:34:18 | 「滋賀大前」元住民☆哀愁 | #mQop/nM.[ 編集]
Re: 初心者泣かせの駐車場にツンデレ精算機
「滋賀大前」元住民☆哀愁様、コメントありがとうございました。お返事が遅くなりました。

> 当家(滋賀大前BS付近)の買い出しは石山商店街がメインでした。
> バスで出かけるのでどうせなら、というところだったのでしょうね。

「バスで出かけるのでどうせなら」というところ、違う意味で分かる気がします。
近所のひとの話を聞いたり、行動の変化を見たりした印象でしかありませんが、南郷でも、南郷中学校経由の系統が日中も走り出すようになると、グリーンハイツの山手の方のブロックや赤尾町の西側の標高が高いところでは、直接石山に出るひとが増えたようです。今の南中系統の沿線から赤川や南郷一丁目までは徒歩10分から15分以上はかかり、標高差も大きくて自転車で登るのが面倒なので、あたかも直角三角形の斜辺を進むような形で、直接石山に出る方が楽だし、品ぞろえも豊富だし、ということのようです。

> 屋上の駐車場!入口から出口まで、ずっと初心者泣かせの急勾配に急カーブ。
> 私はなんとか壁には擦らずにすみましたが、
> 壁面の傷が非常に多かったことを記憶しています。

屋上の駐車場にご自身で車を入れるようなご年齢になっていたんですね。私は子ども時分なので自分で運転しないから、その感覚は分かりませんでした。そんなに大変だったんですね。
自動精算機があったのは覚えていますが、有人の時代は記憶がありません。また自分で運転や精算をするわけではないので、そのアナウンスの内容は覚えていませんでした。精算が済んだら途中でも切れて次の内容に進むのは今も同じではないでしょうか。それに使っている人間自体が待っていられませんからw つい、不必要だと頭では分かっていてもボタンを連打してしまったりしまうでしょう。

2017/04/30(日) 10:16:22 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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