青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
涙をこえてゆこう
なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう
輝くあした見つめて


「涙をこえて」かぜ耕士作詞 中村八大作曲 1969





数年前のある日、何年かぶりで「涙をこえて」の合唱用ピアノ伴奏を弾こうとして楽譜をひろげたら、もう全くダメでした。大嫌いなシャープが4つもついてる!!!しかも転調を繰り返すのに、こんなのどうやって譜読みして、どうやって弾いていたんだろう???

涙をこえられない……

と言いながら、自分で書き込んだ指番号を頼りに何とかヨロヨロ復活。ちょこちょこ音を外したり、あらぬところに指が当たったりしていますが、お許しを…。

前半、ペダルを使うとギャンギャンした感じになるので、わざとペダル踏まずにパラパラっとさせてみましたが、踏まなさすぎかな…。



久しぶりに聴くと、下手だな…。音が硬い。左手、オクターブ広げる必要がないところでも構えて手を広げて待っていて、重心が指先にしっかり乗っていない、やっぱり左手は指を変える癖をつけた方がよかったのかもしれないな、と後になれば分かることもあるのですが。

「涙をこえて」は、言わずと知れた中学、高校の合唱曲の定番ですが、そもそもは「怪獣のバラード」などとともに、NHKの「ステージ101」という番組から生まれ、1969(昭和44)年11月5日にリリースされた、シング・アウトというグループのメジャーデビュー曲で、いきなり大ヒットとなり、その後も多くの歌手がカバーした曲です。同番組の象徴のような曲で、1974(昭和49)年3月31日の最終回では、この曲が最後に流れたのだそうです↓



1969年の11月5日というと、江若鉄道の廃止の直後であり、また、番組の最終回は湖西線開通の年なのです。

全くの偶然に過ぎないのですが、「鉄道がない湖西」の時代とほぼ一致するのが何とも私には因果に思えて仕方ありません。その当時、湖西方面でも必ず聞かれていたであろうこの曲―――江若鉄道が廃止された時に流された、その涙をこえて、新しい時代に向かっていったように思われるのです。いや、日本全体が、この間にあった70年安保やオイルショックなどの大きな波を乗り越えてきたのでしょう。

今日は、京都今津線が開通してちょうど53年目に当たります。

2012(平成24)年11月7日付拙稿大津比叡平線・京都比叡平線30周年にて、
「今まで続けておりました、京都今津線については一旦休止して、暫くの間時間が許す限り、大津・京都比叡平線を中心とした紙面とさせて頂きます」
と書かせて頂き、「暫くの間」のはずが、南郷、大石、宇治方面や旧大津市内線などの長大企画記事が続いてしまった結果、同年11月4日付拙稿近江木戸(木戸) 【京都今津線35-2】以来、実に2年半も京都今津線の記事を休止してしまいました。申し訳ないです。

現在取り上げている国分系統が終わり次第、来月から本格的に京都今津線に戻りますので、再開のプロローグとして、「江若鉄道廃止申請書類」記載の近江今津駅の折り返し図面と、開通を伝える新聞記事をUPしたいと思います。

↓まず図面から。

IMG_3896.jpg

…正直、どこがどうなっているのか全く分かりません。旧駅舎だろうと思うのですが、どういう向きなのか皆目見当がつきません。
もっと解説らしい解説を書かないといけないのに不甲斐ないです。お読みの方で何かご存知の方、是非メールやコメントでお知らせ下さい。

↓続いて、1962(昭和37)年4月9日付読売新聞滋賀版

S37.4.9Y 京都今津線開通b

開通約1か月前の先触れのような記事です。やはり白鬚神社までの路線はこの時点で既にあったのですね。

開通3日前になるともう少し具体的なことが出てきます。同年5月16日付朝日新聞滋賀版↓

S37.5.16A 京都今津線開通b

今津-京都間4往復、270円。この当時、江若バスの京阪三条行きは1往復だけなんですね。


湖西は鯖街道を通じて京都との結びつきが強く、安曇川の扇骨(せんこつ)など、京都との関わりで成立している産業も多い割に、交通が貧弱だったことが分かります。

余談ですが、近江今津が「湖西の北端」なら、マキノはもう湖北という扱いなのでしょうか?
また、新聞には「三条京阪」と書かれていましたが、この当時の江若バスや京阪バスの正式な停留所名は「京阪三条」だったはずです。

↓こちらは同日の滋賀日日新聞 9:40から開通記念式典とのことです。

S37.5.16S 京都今津線開通b

↓開通前日の京都新聞府下版。この記事は京都側からの視点で書かれているので、少し書き方が違っていて面白いです。

S37.5.18K府下 京都今津線開通b

京阪三条から浜大津、雄琴、石山寺に向けてバスが出ていたとあります。私は諸資料から把握はしていましたが、こういう記事を改めて読むと感心します。

↓そして、開通翌日5月20日付京都新聞第1滋賀版

S37.5.20K1S 京都今津線開通b

「ミス今津」!いいですね、どんなきれいなひとだったんでしょう。車掌さんも若い女性でいいですね…て何の話だか。
停留所は28か所、私は江若交通浜大津線に準じて全部取り上げましたが、米井など、後の路線図には掲載がないところにも止まっていたことがはっきり分かる新聞記事があるので、無理に絞らないで、それはそれでよかったと思っています。

↓同日付の滋賀日日新聞 

S37.5.20S 京都今津線開通b

京都新聞と滋賀日日新聞は系列会社のようなものということもあってか、記事の内容は同じです。滋賀日日新聞は結局京都新聞の滋賀本社に引き継がれていきます。
ただ、滋賀日日の方が、写真が見やすいです。行き先に「京都駅」と書かれているのがよく分かります。
2時間23分―――現在はJRで普通電車でも1時間ちょっとです。

↓同日付読売新聞滋賀版

S37.5.20Y 京都今津線開通b

内容は特別変わったことがありませんが、これだけたくさん取り上げられて、やはり注目度が高かったのだろうと思います。

国分系統が済み次第、京都今津線の中でも、再取材、再調査の必要があってずっと取り上げずに保留していた、今津駅-木津(こうづ)間の3か所のバス停を先に取り上げ、その後、「びわ湖バレイ口」以南を、以前続けていた時と同様に、原則として北から南にひとまず浜大津を目指して、「鉄道のない湖西」を切り取って行きます。
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