世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし[在原業平]

私は特に桜が好きというわけでもないのですが、やっぱり桜が咲いていると、心が寒さの緊張から解きほぐされ、浮き立つような気がしてきます。
60年前の今日、1952(昭和27)年4月6日付滋賀新聞↓

私は特に桜が好きというわけでもないのですが、やっぱり桜が咲いていると、心が寒さの緊張から解きほぐされ、浮き立つような気がしてきます。
60年前の今日、1952(昭和27)年4月6日付滋賀新聞↓


戦後7年、まだまだ貧しい時代です。
京阪バスでは三条-石山寺間の直通バスを運転すると書いていますが、京阪電車と並走するのに、それでも運転する必要があるほど利用者がいたんですね。『京阪バス50年史』の年表では、既にこの年の2月15日から定期路線として三条-石山寺間の路線が開通したということになっており、矛盾していますが、引き続き調査を進めます。
また、醍醐の花見のサービスとして、三六線を京都駅まで延長するという計らいまで。この当時は、東山バイパスなんてもちろんありませんし、三六線の延長なので、わざわざ京都駅から三条まで一旦北上してから、南下していたのだろうと思われます。
奇しくも60年目の今年3月20日から、京都駅-醍醐寺間を新十条・阪神高速京都線経由で山科急行が運行しておりますが、偶然ではないような気がしてなりません。
3月17日付拙稿近江鉄道バス 石山駅-浜大津延長60周年で触れた、近江鉄道バスの浜大津延伸についても触れられており、実に興味深い記事です。
桜がなければ、こんなバスは走らなかったでしょうし、桜の力はすごいです。
§ §
同じ新聞には、彦根で約半分の幼稚園児が蟯虫(ぎょうちゅう)を持っており、これを退治するために塗布した「水銀軟膏」がよく効くとの研究結果の記事。水銀(Hg)は、金属であるにもかかわらず、常温常圧の状態で、液体である変わった物質であることはよく知られていますが、毒もいいところで、体に塗るなんて、今では恐ろしくてとても考えられません。まだまだこんなことが普通だった時代なんですね。
日本がGHQの占領から主権を回復して、正式に独立するのはこの約20日後、4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効してからのことです。

- 関連記事
-
- 80年代の上千町行き、大石小学校前行きのアナウンス (2012/06/20)
- 相次ぐ新聞読者投稿記事 (2012/05/08)
- 花見バス合戦~~世の中にたえて桜のなかりせば… (2012/04/06)
- 国産初のATバス 京阪バス大津営業所に (2011/12/14)
- 1985(昭和60)年10月1日 大津観光一日乗車券発売開始 (2011/10/07)
スポンサーサイト