4月8日付拙稿「南郷中学校系統開通24周年」に、現在の地図(Yahoo!地図)を引用した時、「南郷上山町」という見慣れない町名があることに気付きました。
都市地図というのは、地元の人間が見ていると、「は?」と思うような間違いがちょこちょこあって、「石山外畑町」「石山内畑町」と書くべきところ、「大石外畑町」「大石内畑町」なんて書いてあったり、といったミスは珍しくないので、今回も「なに間違うてんにゃろうな」と思って、深く気に留めもしなかったのですが、どこの地図にも載っているんです。おかしいなと思って、「”南郷上山町”」をキーワードに入れて検索したら、3万件以上ヒットしました。
その結果、住宅開発が進んで、一昨年2009(平成21)年9月に住居表示を施行する都合で、「石山南郷町」「南郷三丁目」「南郷四丁目」のそれぞれ一部から分離してできた新町名だということが分かりました。「南郷上山町」と書いて「なんごうかみやまちょう」と読みます。
それぞれ1989年版と2011年版の昭文社の地図です↓違いがはっきりしています。


郵便番号は520-0871。外畑が0868、内畑が0869、0870は欠番で、他に0870番台はないので、石山方面では一番大きい番号なのでしょう。
隣り合っている「南郷四丁目」や「三丁目」を拡大して含めなかったのが不思議です。
現在の南郷学区で新しい行政上の町名ができたのは初めて、石山学区からの分離(1979年)以前を含めると、1976(昭和51)年7月1日の住居表示制施行で、「石山南郷町」や「石山千町」などのうち、住宅密集地がそれぞれ「南郷」「千町」に分離するなどして、現在の町名・町域になって以来、33年ぶりの新町名ということになります。
因みに、家がなくても町名があれば、普通は郵便番号は必ず存在するのですが、「石山南郷町」には郵便番号が存在しないことも分かりました。(石山寺辺町、石山千町はある)
開発が始まった頃、いったい何をするつもりだろう?と思って写真を撮影した記憶があるのですが、見つからず、困っていたところ、みながわのフォトギャラリー様に、開発直前の2005(平成17)年12月10日に関西電力宇治導水路上の橋の上から撮影された写真がありました。転載を認めて頂きましたので、以下にUPします。
![IMGP1703[1]](http://blog-imgs-37.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20110502001738412.jpg)
↓は私が今月撮った写真です。晴嵐台の向かって右手に見えていた雑木林がごっそりなくなっているのが分かります。

近づくと何もなかったただの雑木林だった場所に、驚きの風景!
都市地図というのは、地元の人間が見ていると、「は?」と思うような間違いがちょこちょこあって、「石山外畑町」「石山内畑町」と書くべきところ、「大石外畑町」「大石内畑町」なんて書いてあったり、といったミスは珍しくないので、今回も「なに間違うてんにゃろうな」と思って、深く気に留めもしなかったのですが、どこの地図にも載っているんです。おかしいなと思って、「”南郷上山町”」をキーワードに入れて検索したら、3万件以上ヒットしました。
その結果、住宅開発が進んで、一昨年2009(平成21)年9月に住居表示を施行する都合で、「石山南郷町」「南郷三丁目」「南郷四丁目」のそれぞれ一部から分離してできた新町名だということが分かりました。「南郷上山町」と書いて「なんごうかみやまちょう」と読みます。
それぞれ1989年版と2011年版の昭文社の地図です↓違いがはっきりしています。


郵便番号は520-0871。外畑が0868、内畑が0869、0870は欠番で、他に0870番台はないので、石山方面では一番大きい番号なのでしょう。
隣り合っている「南郷四丁目」や「三丁目」を拡大して含めなかったのが不思議です。
現在の南郷学区で新しい行政上の町名ができたのは初めて、石山学区からの分離(1979年)以前を含めると、1976(昭和51)年7月1日の住居表示制施行で、「石山南郷町」や「石山千町」などのうち、住宅密集地がそれぞれ「南郷」「千町」に分離するなどして、現在の町名・町域になって以来、33年ぶりの新町名ということになります。
因みに、家がなくても町名があれば、普通は郵便番号は必ず存在するのですが、「石山南郷町」には郵便番号が存在しないことも分かりました。(石山寺辺町、石山千町はある)
開発が始まった頃、いったい何をするつもりだろう?と思って写真を撮影した記憶があるのですが、見つからず、困っていたところ、みながわのフォトギャラリー様に、開発直前の2005(平成17)年12月10日に関西電力宇治導水路上の橋の上から撮影された写真がありました。転載を認めて頂きましたので、以下にUPします。
![IMGP1703[1]](http://blog-imgs-37.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/20110502001738412.jpg)
↓は私が今月撮った写真です。晴嵐台の向かって右手に見えていた雑木林がごっそりなくなっているのが分かります。

近づくと何もなかったただの雑木林だった場所に、驚きの風景!


袴腰山に続くまっすぐな急坂!まだまだ分譲途中で空き地も多い住宅地!


途中の町名の札はもちろん、「南郷○丁目」でなく、「南郷上山町」。

途中の貯水池付近から見たグリーンハイツ(南郷二丁目)。思っていたより家がびっしり建てこんでいました。手前の屋根は大津市立南郷幼稚園。

坂を登りつめたところから見た麓↓
写真で伝わるか分かりませんが、怖いくらい急に見えます。南郷二丁目(グリーンハイツ)のバス通りの坂道も実際に見ると、意外なほど急ですが、こちらの方が一気に転がって行きそうな感じがします。よく気をつけておかないと、絶対子どもが自転車でけがをすると思います。

真東で30年以上前に開発された晴嵐台(南郷四丁目)とは道でつながっています。

一番上のブロックからは、遠く瀬田川の向こう、田上(たなかみ)学区の太神山(たいしんさん・たなかみやま)を望むことができます。

この辺りから袴腰山を見ると、異様に近くて、遠くに眺めるものだと思っている私は変な感じがしました。

ところで、肝心の「上山(かみやま)」の由来ですが、この辺りの小字「上ノ山(かみのやま)」に由来するのだろうと思われます。
晴嵐台に昔からあると思われる児童公園の名前が「上ノ山第一」でした。

南郷上山町との境付近なので、上山町側からも入れるようになっていました。(写真奥)

一見すると、「石山南郷町」「大石曽束町」と町名の構成は似ていますが、「上ノ山」は小字なので、「南郷」や「曽束」より更に小さい単位の地名を上に持ちあげているという点で、全く違っています。
「上山」という小字(「ノ」がないのでそのままではありませんが)を町名として使うというのは、安易に開発名を使ったりするよりはいいと思います。
幸い、と言っていいのか分かりませんが、「上山」が、特別におしゃれでもない代わり、難読・難字だったり、あまりに古めかしかったりせず、普通に受け入れられやすそうな地名だったこともよかったのでしょう。
南郷学区は、人口1万人を切って減少傾向、大津市内37小学校区で14位、こんなことを言ったら悪いんですが、田上(たなかみ)より少ないことに衝撃!高齢化率は平均以上、乳幼児人口率は平均以下、開発から時間が経った新興住宅地らしい様相を呈しています。
慣れ親しんだ景色が変わる寂しさ、本当にこれ以上開発が進んで大丈夫なのか、という不安と、この南郷上山町が、南郷に何かプラスの変化をもたらしてくれることを願う気持ちと、綯い交ぜになりながら、町を後にしました。
末筆になりましたが、みながわ様、ご協力ありがとうございました。また何かありましたら宜しくお願い致します。
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