青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
4月15日付拙稿の続きです。

53年前の今日、1958(昭和33)年4月19日付京都新聞掲載の広告↓

S33.4.19K10 比叡山DW開通広告 バス運賃b

貸切バスの料金1,300円は、この当時としては結構な金額でしょう。バス運賃は、今の5分の1程度です。
京都比叡山線については、四条大宮始発があって、これが約1時間間隔、ご存知の方も多いと思いますが、阪急京都線が河原町まで延伸したのは1963(昭和38)年のことで、それまでは大宮が京都側のターミナルだったため、その便を図ったのでしょう。
この他、現在もある京都駅発と京阪三条発が30分間隔となっています。京都駅発は、烏丸通、今出川通を経由しているので、今の京都バスのルートであることが分かります。
川端通は恐らくなかったはずで、今の京都比叡平線同様、東山通を経由していることも分かります。

大津比叡山線も1時間間隔と表記されていて、15日の拙稿で1日8本と書きましたが、この5年後の1963(昭和38)年の国鉄時刻表を見ると、春から秋にかけてのダイヤで既に4本に減便されていますブームは簡単に去ってしまうものなのでしょうか。

一方で京都比叡山線のダイヤはあまり変わっておらず、比叡山延暦寺のほとんどの堂宇が大津市側にあるにもかかわらず、一般に京都の観光地として認識され、京都観光の延長で訪れるひとが多かったのであろうことが窺えます。

1958(昭和33)年4月18日付読売新聞滋賀版、比叡山ドライブウェイ開通を伝える記事の下の方に、京阪電車関係の記事も↓

S33.4.18Y 比叡山DW開通b2

スピードアップ、輸送力増強を図る他、浜大津に、ドライブウェー用のバス発車場を開設するとのことです。2月12日付拙稿1966(昭和41)年2月12日付朝日新聞 バス停「浜大津」でも書いたように、浜大津でバスが停まれるスペースは3台だけだったようですが、比叡山線用にそんな場所が確保できていたのか、不思議です。



4月19日付の京都新聞の比叡山ドライブウェイ開通を伝える記事の隣には、フィリピンで戦死した日本兵の遺品が、アメリカ人牧師の手を経て、16年ぶりに京都の遺族の手に戻ったという記事。終戦から、まだ13年しか経っていない時代です。
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