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青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
昭和33年と言うと、今は多くの方が、映画『Always 三丁目の夕日』を思い浮かべることでしょう。日本人の4人に1人が栄養不足、という今思えば信じられないような時代ですが、岩戸景気が始まった年であり、後にノーベル文学賞を受賞する大江健三郎が、『飼育』で芥川賞を受賞したり、長嶋茂雄が巨人軍に入団したり、最近の社会の第一線で活躍してきたひとが、華々しいスタートを切った時代でもあります。東京タワーができたのもこの年です。

「テントウムシ」の愛称で知られる、スバル360が登場したのもこの年で、大衆車時代の到来を予感させますが、庶民にはまだまだ高嶺の花で、路線バスの役割は、今では想像がつかないほどだったのではないかと思われます。

1958(昭和33)年4月18日、田ノ谷峠から四明嶽(しめいがたけ)まで比叡山ドライブウェイが開通、翌日から、京阪バス大津比叡山線、京都比叡山線が運行を開始します。



3月17日付拙稿「昭和33年 比叡山DW開通直前バス路線獲得競争!」で、比叡山ドライブウェイへのバス路線申請が盛んに行われたことは既に書かせて頂きましたが、結局その後どうなったのかも含めて、53年目の開通記念日を前に見てみたいと思います。

下は、同日付の読売新聞滋賀版。

S33.4.18Y 比叡山DW開通b

田ノ谷峠では、延暦寺の座主や京阪電鉄社長も兼ねている当時の比叡山自動車会社の社長による開通式が執り行われるとのことです。記事によれば、一般への開放は翌19日のようです。
バスについては、大津駅からは京阪バス、京都市内からは京都市営と京都、と書かれています。実際は、京都市内からはもちろん、京阪バスもあります。

続いて、翌日付の京都新聞滋賀版↓

S33.4.19KS 比叡山DW開通b

明らかに京阪バスであることが分かる、大きな車体の写真が目を引きます。

記者も興奮状態なのか、
「つめかける高級自動車や大型バスがつめかけ」
なんて書いています。校正も気づかなかったのでしょうか。どんだけつめかけるねん!?

明治の女人解放以来の歴史的な日として、座主以下全住職も、開通法要を営み、開祖伝教大師(最澄)にも報告したとのこと。どういう風に報告するんでしょう。

大津駅から発車する一般乗合バス、つまり「大津比叡山線」は何と1日8本!つい最近なくなった、大津駅前案内所も、「『これから忙しくなるでしょう』と大張切り」と書かれており、50年の時の流れを感じます。

なお、結局江若交通が出していた申請は通らなかったようで、大津からは京阪バスだけとなっています。

但し、知人に見せてもらった昭和48年現在の江若交通の路線図には、大津側から比叡山に登る路線が書かれている他、昭和47年前後の国鉄時刻表でも、その路線があったことがはっきりとしているので、恐らく、奥比叡ドライブウェイ(昭和41)年が開通してから後に、堅田側からの延長ということで申請が通ったのではなかろうかと思われます。この辺りは引き続き調査します。

近江鉄道は、3月17日付拙稿「昭和33年 比叡山DW開通直前バス路線獲得競争!」に引用した同年4月6日付の新聞記事にもあるように、社内事情で申請を取り下げているため、その後ずっと、比叡山に登ることはありません。

右手の看板が切れてしまっていて、あんまりいい写真ではないんですが、現在の田ノ谷峠ゲート。広くはなりましたが、基本的な位置や構造は変わっていないと思います。

ssIMG_1318.jpg

京都新聞にはこのほか、当時のバス運賃や、ドライブウェイの通行料が分かる広告も載っていますが、長くなりましたので、別途書かせて頂きます。ご興味がおありの方は、また今度お会いしましょう。
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コメント
この記事へのコメント
50年たっても
50年たっても京阪バスのカラーはほぼ変わっていない。
これはすごいですね。新聞の京阪バスの写真、歴史の本
で見たことがあります。
前に紹介されたツーマンでしょうか。少し古い車両でしょうか。
方向幕の上のライトが時代を感じさせます。
2011/04/16(土) 01:22:51 | K2 | #-[ 編集]
Re: 50年たっても
> 50年たっても京阪バスのカラーはほぼ変わっていない。
> これはすごいですね。新聞の京阪バスの写真、歴史の本
> で見たことがあります。

コメントありがとうございます。京阪バスのカラーが現在のものになったのは、1950(昭和25)年4月で、もう60年以上です。当時としては大変斬新で、派手なカラーだったことでしょう。
因みに、戦前の京津国道線は、乗合バスは青か黒が普通だったところ、シボレーに銀色の塗装をした「銀バス」として有名だったそうです(1975(昭和50)年3月15日付朝日新聞)。

私は正直なところ、この赤白が特別に好きで仕方ないということではないんですが(汗)、でもやっぱりこの伝統を守り抜いているというその姿勢が好きですね。京阪宇治交通を始め多くの社局は、同じ期間に何回も色を変えていると思います。このカラーのお蔭で、モノクロの新聞の写真でも、記事を読まないうちから、譬え直接バス関係の記事でなかったとしても、「あ、京阪バスだ!」と分かるありがたさと圧倒的な存在感。路線バスのカラーリングに影響を与えたとも聞いており、やはりすごいデザインなんだなあ、と思います。

2011/04/17(日) 16:57:19 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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