青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
2月20日付拙稿見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!で取り上げた上千町(岩間口)発市民病院行きについて、その歴史を物語る貴重な写真を昨年11月26日付拙稿朝日ヶ丘②の写真などでもお世話になったT.F.様からご提供頂きました。

浜大津にたたずむ「回送」のボンネットバス 滋2い887(社番1133) 1974(昭和49)年12月15日撮影。フロントは「回送」ですが、側面はそうでもなさそうです↓

1974.12.15



拡大すると… 

1974.12.15 (2)

左から順に
「市民病院○○(判読できず)-石山駅-石山寺-赤川-上千町(岩間口)」
と書かれているのが何とか読めます。

更に、ツーマン用のリアエンジン車 滋2い858(社番2308)(上の写真と同日撮影)も…

1974.12.15(3)

拡大すると、同じように書かれているのが何とか分かります。

1974.12.15(4)

少なくとも1974年時点で、市民病院-上千町間の路線が存在したこと、そして、この当時既に「(岩間口)」と付記されていたことが分かります。
電動巻取式の幕が導入されたのは、この年の3月9日、香里団地支所が最初であったことが、「京阪バス50年史」などの記載で明らかですが、大津はワンテンポ遅かっただろうと思われますし、そもそもツーマンの車両の場合、恐らく側面は車掌が手動で巻き取るのが普通で、フロントと側面で幕位置がずれていても(乗客には迷惑な場合もあったでしょうが)、おかしくはありません。

私は、車両写真を専門にする人間ではないので、「回送」はよほど特別な事情がない限り、「情報が含まれていない」と感じてしまい、全く撮影する気にならないのですが、この当時なら、フロントも側面も確認しなければならず、忙しかったことでしょう(笑)。

なお、同志社大学鉄道同好会OB会HP「デジタル青信号」内の、【11741】京阪バスのトレーラーバスという記事に、山科駅や、京阪大和田などのボンネットバス写真が多数UPされています。「八の坪」行きなど、今は影も形もない行き先も見られて、大変興味深いので、是非ご覧下さい。

末筆になりましたが、T.F.様、ご協力ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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コメント
この記事へのコメント
補足
画像について補足させていただきますと、方向幕が「回送」になっているのは、浜大津での運転士交替時の「乗継車」として使用しているためです。つまり交替する乗務員が営業所からこのバスを運転して浜大津まで来て、交替した乗務員が営業所まで運転して帰ります。別にバスでなくても普通の乗用車でもよく、京都営業所での蚊ケ瀬の交替は、乗用車でした。
バスを使用していた理由と正面の方向幕が「回送」で扉上の方向幕が経路を表示している理由として考えられるのは、千町バスの運用の中に浜大津での乗務員乗継車の運用が組み込まれていたからではないかと思っています。時期は多少ズレますが、昭和55年の時刻表では、石山駅発上千町行は、平日ダイヤで7時42分、9時14分、12時37分、18時10分、19時で、折り返してきた市民病院行は8時28分、9時57分、13時35分ですので、乗継車の運用は十分可能であり、営業車としての間合い運用のため、前後の方向幕のみ「回送」表示とし、扉上はそのままにしておいたのではないかと思います。
尚、この時代の千町バスの車両は、画像の「滋2い858」と同形の「滋2い860」で「岩間寺行」運行時等で車両が不足した時にボンネット車が運用されました。
ちなみに自宅の近く、金町駅~三郷駅間を運行している京成タウンバスでも、金町駅と営業所が離れているため、乗務員交替は金町駅で行われており、「アッシー○号」と書かれた軽乗用車を使用しています。
2011/02/27(日) 20:27:31 | T.F. | #-[ 編集]
乗継車・固定運用
T.F様 いつもお世話になり、ありがとうございます。生まれるよりずっと前のことなので、フォローして頂けて助かります。
「乗継車」として使用していることはボンネットバス廃車直前の滋賀日日新聞や、朝日新聞滋賀版にも載っていました。その時点では、ほとんど「乗継車」としての使用だったようですね。
一般運用の延長というそれなりの理由があったとはいえ、軽自動車を使っている現在からすると、とても贅沢に見えますね。
蚊ヶ瀬での乗務員交代は現在も行われています。蚊ヶ瀬止まりで入庫する便も僅かですが存在します。
余談ですが、現在の大津管内で蚊ヶ瀬のような場所というと、南行きは大浜、北行きは石山小学校前ですね。大津車庫から比較的近く、あの沿線としては数少ないまともなバスポケットがある停留所だからだろうと思います。

それにしても昭和55年の時刻表をお持ちというのがすごいですね。お差支えなければ見せて頂けると今後の調査に大いに弾みがつきます。

> 尚、この時代の千町バスの車両は、画像の「滋2い858」と同形の「滋2い860」で「岩間寺行」運行時等で車両が不足した時にボンネット車が運用されました。

やはりもともと固定運用だったので、固定運用が外れてしまってからもその名残で市民病院直通が存在したというのが、路線設定の理由として一番可能性が濃厚なようですね。
2011/02/28(月) 10:29:58 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
No title
写真のツーマンバス、石山駅で見た覚えがあります。窓から顔を出す(開いたドアのステップに立っていたかも)女性の車掌さんが子供心に格好よく見えました。
写真のツーマン仕様とほぼ同じデザインでワンマンにも使えるタイプは、ボンネット引退後もしばらく走っていました。
車掌さんはお客さんにどこで降りるかを聞き、降車予定のバス停が近付くと運転手に合図を送っていました。
ある日の国分経由石山団地発石山駅行き、乗客は身重(今や二児の母である妹は生まれていませんでしたから昭和46年の冬?)の母と私だけ。車掌さんと運転手さんと母が世間話をしながら、バスが国分町~石山高校前を走る風景が記憶に残ってます。
2011/03/19(土) 00:03:25 | K2 | #-[ 編集]
Re: No title
K2様、コメントありがとうございます。

>> 写真のツーマン仕様とほぼ同じデザインでワンマンにも使えるタイプは、ボンネット引退後もしばらく走っていました。

2308号車ですか?これは前扉がないので、ワンマンに使うことはできないと思うのですが…。前扉があって、車掌窓がついているバスなら、どちらにも使えますね。

> 車掌さんはお客さんにどこで降りるかを聞き、降車予定のバス停が近付くと運転手に合図を送っていました。

私の歳になると、バスはワンマンで当たり前なので、逆にツーマンのバスにどう乗っていいのか分かりません。客がどこで降りるのか、車掌が覚えていないといけないんですか?途中から乗るひとがいたらまたそれも記憶し直さないといけないし、大変なことですね。
何か、百人一首で、出てしまった札を覚えておいて、頭の中で例えば二字決まりを一字決まりに記憶し直すのと同じような感じに思われてきます。ちょっと違うかな…。

> ある日の国分経由石山団地発石山駅行き、乗客は身重(今や二児の母である妹は生まれていませんでしたから昭和46年の冬?)の母と私だけ。車掌さんと運転手さんと母が世間話をしながら、バスが国分町~石山高校前を走る風景が記憶に残ってます。

のんびりした時代ですね。泉福寺付近は昔からの集落なので、家が建て変わったりしている以外、雰囲気はあまり変わっていないでしょうね。
2011/03/19(土) 12:06:25 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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