青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

 部屋に角とか隅とかいうものがない、そこには何やら彼やら雑然と物が置かれ積まれ、植木鉢鳥かご、雑誌新聞、おもちゃ着るもの食べるもの、電話機ステレオ大工道具、部屋はだらりと円になっている。柱を中心に、壁と襖の二つの直線が追いこんで構成する、きびしい隅という場所がない。それに私の時の父の部屋には、床に一輪の花、北に書物机と机上に最小限度の文具、座ぶとんと煙草盆、それきりの寂しい装置です。うかとは踏み込めないような雰囲気がただよっています。
 この舞台あればこそ、喧嘩した子らの騒々しさもぴたりと静まって、幼いながらに無言沈黙の威力のようなものを感じとるし、孤独と退屈の別世界もあるのだと知り、神妙な気持も味わうのです。親も小言などいわず、子もただ坐るだけ――

(幸田文「ございません」『季節のかたみ』 講談社 P105-106 1996 初出は1978)



季節のかたみ (講談社文庫)季節のかたみ (講談社文庫)
(1996/06/13)
幸田 文

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「四角い部屋を丸く掃く」とか言いますが、だらりと丸くなっていれば、丸く掃かざるを得ません。最初から丸くならないように、整えなければならないのが本当なのでしょう。

「壁と襖の二つの直線が追いこんで構成する、きびしい隅」なんて私の部屋にはなく、「雑然と物が置かれ積まれ」の典型例で恥ずかしい限り。書類が積まれている下から姿をのぞかせている端っこから、ああ、クレジットの利用明細があそこにある、だの、この隙間では、爪切りは入り込まないだろうから、あっちかな?とかつまらない「空間認識能力」は高まるばかり。でも、襟を正さざるを得なくなるような、音楽でいえばJ.S.バッハの「2声のインベンション第1番」みたいな、ある種空間ベクトル的な美しささえ感じさせる、キリっとしたこの一節が、初めて読んだ学生の頃から好きです。

文中に出る「父」は、言うまでもなく、『五重塔』などで知られる文豪・幸田露伴、あの目に睨まれながら正座するなんて、考えただけで足が痺れて、肩が凝りそうですが、人生、「孤独と退屈の別世界」もたまには味わって、ピシッとしないといけないというのも分かります。けじめがつかないと、いつもスイッチが「オフ」でどんどん心も体もなまってしまいますから。

昨年11月18日放送のNHK『ブラタモリ』第7回「日本の住宅をブラタモリ」を見ていたら、千駄木の旧安田邸訪問時に、内田青蔵(うちだせいぞう)・神奈川大学建築学科教授が、

戦後の日本の住宅は家族の為の住宅づくりを目指した。それはいいことだったが、一方それに合わせて接客の空間をどんどん排除した。本当は住まいというのは、接客の行為を通して、社会とつながっていて、時に社会に開いていたようなところが、家族だけになると、完全にクローズしてしまって、どんな生活をしてもいいや、と家が全部逃げ場になってしまった


と言っていました。もちろん、安田邸のような戦前の中産階級以上のひとの住まいと、私たち庶民の住まいと同列に論じられると、正直辛いですし、戦後の住宅事情は、おそらく内田氏は百も承知だろうと思うのですが、でも、「家が逃げ場」「どんな生活をしてもいいや」ということばがグサッときました。そういうだらしないのが本当は大好きなので。

ビシッとした厳しい境地、いつでもお客様を招くことができる部屋を目指して?、資料整理を兼ねて大掃除中。自分でも、忘れていたような交通関係の資料、ないないと思っていた記事が見つかったりして、興奮状態!思わず読み耽って時間が経ってしまう…。

見つかったものは順次取り上げて行きますので、乞うご期待。

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