青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
以前、ROMの同級生が、家で思いがけないものを見つけた、と言って私のところにこんなものを持ってきてくれました。
1988(昭和63)年3月13日現在の、石山駅の時刻表↓

ssS63 時刻表1


たまりませんね!
気がつくことを挙げて行けばもうキリがないですが、この時のダイヤ改正は、その前年4月8日に運行を開始した、52・53号経路(南郷中学校経由の系統)が、日中も1本/hのペースで運行を開始したのが、大きな動きだったのだろうと思われます。

南郷方面は、基本的に、大石、外畑、大石、新浜の順の15分サイクルですが、7号経路・曽束行きはそうしたサイクルに関係なく、不規則に入り込んでいます。所要時間、車両のやりくりの関係で、大石行きの代わりにうまく挟み込むようなことができなかったのでしょう。また、2月20日付拙稿見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!などに皆様からお寄せ頂いたコメントでも分かりますように、車両が固定運用だった時代の名残、というのもあるのかもしれません。
こうしたことも、フィーダー路線化されてしまった大きな要因の1つかと思われます。思っていた以上に本数が少ないですね。

もちろん、10号経路・宇治川ライン線も健在です♪

石山駅以北は、私がなじんでいる、国道経由が偶数湖岸道路経由が奇数という規則で統一されています。

裏が白いのかと思いきや、ちゃんとまた別の情報が隠されておりました。

山科駅・六地蔵駅の時刻表です↓

ssS63 時刻表2

大津管内で配るなら、山科にするより、浜大津や大津駅、或いは利用者が特に多い赤川石山団地の方がいいような気もしますし、もちろん、山科で配るなら、四条河原町三条京阪などの方が利用者には便利な気がするのですが、反面、よく知らない土地の方が、思いをはせられていい面もありますね。

醍醐三宝院止まり健在です。今は2月23日の五大力輸送の時にしか使われない駐車場が、当時は日常的に使われるバス回転場だったと聞いております。

小栗栖団地行きという行き先を見るといつも思うのですが、いったいどこで折り返していたのでしょう?今通りかかっても、想像がつきません。西野山団地も、とてもそのまま折り返せそうには見えません。回送していたのでしょうか。

山科は、大阪方面よりは分かるつもりでも、少し古い時代になると、もう雲をつかむような感覚です。

因みに、この日は青函トンネルが開通した日でもあり、「北斗星」が運転を開始するなど、JR各社発足後最初の大規模なダイヤ改正が実施されました。うちに残っていた当時のポケット時刻表を見ると、まだ彦根止まりや京都止まりの新快速があったんですね。あれから20年以上、彦根はもう折り返しのできない駅になりました


【追記】
予約投稿設定の関係で、何も言及できませんでしたが、東北地方太平洋沖地震において、大きな被害が出ていることに心を痛めております。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。このブログをお読みの方の中にも、東北方面に、ご親戚やご友人のいる方がいらっしゃるかもしれませんが、無事でいらっしゃることをお祈り申し上げます。

関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
No title
東日本大震災で大変なことになっていますね。阪神大震災当時、淡路島で勤務していた私は、当時を思い出し、心を痛めています。
ここに書きこませていただくことも気が引けました。また、他によく書き込みをしていた某サイトで断筆宣言?したこともあり、迷いましたが書きこむことにしました。
さて、小栗栖団地行きはどこで折り返していたのか、という管理人様の書き込みですが、中学校と「○○○桃山」というマンションの間の三角形の駐車場ではないでしょうか。
土地勘はないのですが、20年近く前、京阪バス山科地流動調査のバイトをしていたとき、山科駅発小栗栖団地行きに乗りこみました。たしか、三角形のアスファルト舗装をした「回転場」らしきところでバスが向きを変え、折り返すまで、バスのなかで休憩した覚えがあります。近くに学校、集会場、団地があったような気がします。
小栗栖団地で検索したら、地図とストリートビューがヒットし、見覚えのある風景、施設が出てきました。
調査のアルバイト以来、そこには訪れていないので、確証はありません。参考程度にしてください。
石山駅の時刻表は懐かしいです。同じものが絶対実家には当時払えていたと思います。が、これまた絶対残っていないと思います。
2011/03/15(火) 01:07:08 | K2 | #-[ 編集]
Re: No title
こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

> 東日本大震災で大変なことになっていますね。阪神大震災当時、淡路島で勤務していた私は、当時を思い出し、心を痛めています。

そうですね、気仙沼の火事は、長田を彷彿とさせましたが、一方で、津波が中心の今回の地震は、また全く様相が違いますね。
記事にも書きましたが、最近、何をしていても落ち着きません。
避難生活を送るお年寄りが亡くなるとか、一番聞きたくなかった類のニュースも報じられるようになり、募金くらいしかできることがない私はやきもきさせられます。
ただ、それでも多くの方が必死に頑張っていらっしゃるので、仕事上のトラブルなど、いつもならへこむことも、そんな瑣末なことに負けてはいられない、と思われてきます。

> さて、小栗栖団地行きはどこで折り返していたのか、という管理人様の書き込みですが、中学校と「○○○桃山」というマンションの間の三角形の駐車場ではないでしょうか。

なるほど、一度古い住宅地図を調べてみます。有力な情報をありがとうございます。

2011/03/17(木) 21:17:01 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
お久しぶりです。
この時刻表の頃は石山駅を跨いで浜大津と外畑を直通するバスがあった頃ですね。
今となってはかなり本数が減っていますが、それ以上に大津市内のバス網の衰退っぷりは驚きです。
当時は20分間隔だったなんて…。

山科駅の時刻表に藤尾小金塚方面の時刻表がありませんが、この当時はまだ山科駅に乗り入れてなかったのでしょうか?

小栗栖団地は市バス東1系統が1997年の再編まで走っており、これが折返すのに使われてたと聞いています。
1998年生まれな人ですので、実際はどうだったのか知る由もないですが、当時の醍醐営業所の写真を撮りためてた方のサイトを見ると、K2さんがおっしゃってるような感じの回転所だったように思います。
記憶が曖昧なのですが…。
2013/04/19(金) 15:50:12 | 快速205号 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
こんばんは、コメントありがとうございます。

> この時刻表の頃は石山駅を跨いで浜大津と外畑を直通するバスがあった頃ですね。

この直前にはありませんでした。南郷、大石方面は国道経由しかなく、逆に石山団地は湖岸経由しかなかったんです。このダイヤ改正で登場しました。
ただ、もっと昔、昭和30年代には、浜大津と外畑を通す便もありましたし、それどころか昭和50年頃までは四条大宮と外畑の間を通す便もありました。

> 今となってはかなり本数が減っていますが、それ以上に大津市内のバス網の衰退っぷりは驚きです。
> 当時は20分間隔だったなんて…。

どこでも路線バスは苦戦していますが、人口の規模や県庁所在地という性格を考えた時、特に

> 山科駅の時刻表に藤尾小金塚方面の時刻表がありませんが、この当時はまだ山科駅に乗り入れてなかったのでしょうか?

そうだと思います。http://blog-imgs-45.fc2.com/c/o/n/contrapunctus/201008221231529f5.jpgをご覧下さい。

小栗栖団地の回転場は、古い住宅地図で分かって、現地を確認したところ、今は駐車場になっていました。形や面積は変わっていないと思います。また何かの機会に取り上げたいと思います。
2013/04/19(金) 23:53:31 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
回答します。
当方、通りがかりの者です。

小栗栖団地在住ですが、元バス転回場は、現在市営ガレージです。
地下鉄開通時に路線が全滅するという有り得ない事態になり、かなりもめたようです。
かつては阪急東向日行きと言う変わった行き先のバスも出ていました。


また、西野山団地行きは折り返し運用ではなく、25系統〜27系統で2周する山科循環系統でした。なお、清水焼団地経由の29系統はそのまま大宅の車庫に帰ってました。

以上です。
2013/09/17(火) 00:11:12 | 地元民です。 | #-[ 編集]
Re: 回答します。
小栗栖団地、西野山団地の件でのコメント、ありがとうございます。
小栗栖団地のことは、もしかしたらその後の記事で何か書いたかもしれませんが、確かにおっしゃるとおりであることを後に古い住宅地図で把握しました。

> 地下鉄開通時に路線が全滅するという有り得ない事態になり、かなりもめたようです。

今はちゃんと路線がありますが、一旦廃止された、或いは廃止される話になっていた、ということでしょうか?

> かつては阪急東向日行きと言う変わった行き先のバスも出ていました。

ええ、それはよく存じています。恐らく1963(昭和38)年開通の浜大津向日町線のなれの果てだったのだろうと思います。

西野山団地ですが、29号経路は「西野山団地行き」と書かれているために、本文で「とてもそのまま折り返せそうには見えません」と書いたのだろうと思います。おっしゃる通り25・27は「循環」と書かれていますね。
現在の29号経路は大宅行きですが、おっしゃる通りならもともと回送していたものを営業運転化したということなのでしょうか。

山科のことは知っているようでいて知らないので興味深いです。また何かありましたら宜しくお願い致します。

2013/09/18(水) 22:44:55 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://contrapunctus.blog103.fc2.com/tb.php/171-7af20ecb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック