青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。


「寿長生の郷」と書いて、「すないのさと」

当て字なので、恐らく京阪バスの行き先としては唯一、朱墨のような色でルビが振られていて、「外畑」「石山団地」とか、あっさりした地名だけの行き先に対しては、「お前らなんかとは別格なんやぞ!」とでも言っているかのような、一種凛とした雰囲気が漂っていて、大好きでした。ある意味おとぎ話のように現実感がなく見えて、でも、「郵便局前」だの「ゴルフ場前」だのに比べると、ものすごい具体的でリアルな停留所名。1日2回しかないのが残念である半面、その少なさにまた「カリスマ性」を感じてしまう―――。 

同社作成の寿長生の郷公式HPによると、

「すない」とは井戸のつるべ(桶)を引き上げる縄を意味する豊国の言葉(古代の言葉)。
郷を訪れることにより、活力を汲み上げて欲しいという思いから名付けたもの。水引きと同じ意味です。



なるほど、そんな由来があるとは近くに住んでいても知りませんでした。

この「寿長生の郷」とは何なのか?「千寿の郷」のような特別養護老人ホームなどの福祉施設なのかという質問を、ずいぶん前に頂きましたが、大津に本店がある「叶匠寿庵(かのうしょうじゅあん)」という和菓子店の本社工場で、1985(昭和60)年3月にできました。
(「叶匠寿庵」てやっぱりすごいんですね。一発で変換された(汗)。)
同時に、京阪バスの9号経路が開通しました。朝夕2往復なので、観光客が乗るというよりは、従業員用だったのだろうと思います。

1993(平成5)年6月20日、大津営業所の移転に伴う大規模なダイヤ改正で、経路番号をそれまでの9から4Aに改めましたが、その幕位置に、今は53号経路(石山駅-千寿の郷-南郷二丁目東)が入っているので、冒頭の写真の幕も貴重です。


9号経路時代の写真は、リンクさせて頂いている「撮影劇場」様以外、見たことがありませんでしたが、今回、たびたび写真をご提供くださっている読者のまんたろう様から、貴重な写真を提供して頂きました。

新浜-蛙岩

1990(平成2)年5月9日 新浜-蛙岩間で撮影、車両はA-1680です。

1989(平成元)年8月2日の運賃改定時のものと思われる路線図↓


ss平成元年8月現在路線図

大津市内特殊区間制1区170円の時代です(山科は160円、大阪180円でした)。この当時の路線図はカラフルで、見ていて飽きませんw

大石小学校から寿長生の郷方面については、京阪宇治交通が昭和36年と、京阪バスよりはるか以前から走っている関係で対キロ区間制でした。山科管内の「町並特区」などと違い、これに跨る区間も全て対キロ区間制で計算することになっていたため、他の路線と違い三角運賃表で、特別に細かくなっています。寿長生の郷行きは整理券9まで、石山駅行きは6までだったことが分かります。

この路線図は面白いことが盛りだくさんなんですが、またおいおい取り上げます。

唐橋前滋賀大前など、他の路線では運賃区界とならないところでも整理券番号が変わるため、昨年8月30日付拙稿整理券番号が変わる時のチャイムで書かせて頂いた、「チャイム」が鳴りっぱなしでした。石山駅行きの場合は、奥出、竜門、大石中、大石小学校前、と連続して次々番号が変わったんですね。どこかにテープ残っていないかな~(^_^;)
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コメント
この記事へのコメント
こんばんは
そういえばこの路線って地元に居てもなかなか見ることができない、ある意味7号系統よりもレアな路線だったかもしれませんね

そうですか、開業当時から現在も本数が変わっていなかったんですねぇ~、そりゃお目にかかれない訳です

しかし開通当時から謎だったのですが、従業員送迎用に開通したのは間違いないのですが、一企業のためにバス会社がわざわざ路線を引いたりできるもんなのでしょうかねぇ~?しかも地元の人を無視した様な時間帯のみの運行・・・。

かなり不思議な路線です
2011/03/04(金) 23:27:13 | 7号系統 | #74M0PgTc[ 編集]
No title
7号系統様、いつもありがとうございます。
確かに本数で見れば、9号経路の方が明らかに少ないですね。「現在も」といいますか、99年の廃止当時まで、変わりませんでしたね。14年ほどですから、それほど長命ではなかったことになりますが、でもある意味鮮烈な印象があります。残念ながら、正確な廃止年月日が分かりません。
本文中にも書きましたが、しばらく幕だけは残っていたのですが、2002(平成14)年3月9日の新53号経路(千寿の郷経由)が開通した時、寿長生の郷の位置にその幕が入ってしまいました。

一企業のためにバス、というのは特に珍しくないと思います。
京阪バスでかつてあった、石山寺山門前始発のノンストップの石山駅行き(今の経路番号のない「石山駅」幕がもともとそれ用だった)も、特定輸送ではないものの、一企業のためのようなバスでした。
帝産も東レ循環線をはじめ、湖南工業団地方面の路線をたくさん持っていました。それどころか、JRでも和田岬線や鶴見線の海芝浦支線など、事実上ほとんど一企業のために走っている路線もあります。一企業のためなので、確かに地元住民がどうこうはあまり関係ないのでしょうね。申請して、需給バランスに問題がないと認められれば通るだろうと思われます。
2011/03/05(土) 10:55:34 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
寿長生の郷
「寿長生の郷」行が開通してもう25年になるのですか。
なんだか月日の流れるのは本当に早いです。

 叶匠寿庵さんの本店、現在は大石なんですね?
叶匠寿庵さん、今は全国レベルになったようですがまだまだ駆け出しの時代から知っているので不思議な感じがしています。
 市役所の観光課にいらした父の同級生だか。。先輩だかが退職して職人さんをつかってお菓子屋さんを始めた--それが創業の昭和33年。。 10年程経過した頃には順調に商売が進んでいたのでしょうね。三井寺の近くの小さな和菓子屋さんに並べられた和菓子は上品で子供心に斬新なイメージを受けました。
両親は何かというと「叶さんのお菓子」を使っていました。。

 時は流れ。。寿長生の郷ができたかと思うと、京都に茶房ができたり、東京のデパートにお店が出ていたり。。
 「たねや」さん「クラブハリエ」とともに、滋賀のお店も随分と有名になったものです。

2011/03/05(土) 15:42:02 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 寿長生の郷
>  叶匠寿庵さんの本店、現在は大石なんですね?

私たちが普通イメージする、営業の中心となる店、という意味の「本店」なら、今も長等だと思います。公式HPでも「長等総本店」と書かれています。

商業登記など法律上の「本店」、一般的に言う「本社」は、「会社所在地」が竜門の住所になっているので、寿長生の郷なのだと思います。

> 叶匠寿庵さん、今は全国レベルになったようですがまだまだ駆け出しの時代から知っているので不思議な感じがしています。
>  市役所の観光課にいらした父の同級生だか。。先輩だかが退職して職人さんをつかってお菓子屋さんを始めた--それが創業の昭和33年。。10年程経過した頃には順調に商売が進んでいたのでしょうね。

す、すごいスケールの話ですね。確かに公式サイトでも開店は昭和33年9月となっていますね。で、おっしゃる通り10年ほどで、経営が軌道に乗ってきたのか、株式会社になっています。

>  時は流れ。。寿長生の郷ができたかと思うと、京都に茶房ができたり、東京のデパートにお店が出ていたり。。
>  「たねや」さん「クラブハリエ」とともに、滋賀のお店も随分と有名になったものです。

びわ湖のアユは外で大きくなるんですね。やっぱり。
みんな知らないだけで、実は密かに滋賀県ゆかりの企業というのは、たくさんありますね。

確かに「クラブハリエ」もすごいですね。もう何年も前、東京に住む先輩の家で、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「芸能人御用達のお土産ベスト20」を見た時、近江八幡が映って、クラブハリエのバウムクーヘンが紹介されたので、当時クラブハリエを知らなかった私はびっくりしました。とんねるずの2人が「いままで食べたバウムクーヘンの中で一番おいしい」と絶賛していました。でも、旅先で、全国ネットの番組で、突然滋賀県が映ると、不思議な感じがします(笑)。

因みに私は、滋賀県民としては申し訳ないですが、クラブハリエより、神戸か、阿倍野橋まで行かないと買えない、アンテノールのバウムクーヘンの方が好きです。でも、昔食べた少し硬めのバウムクーヘンの味が忘れられなくて、でも最近柔らかいのがはやっていて、すごく残念です。

…いつの間にかバウムクーヘンの話になってしまったので、そろそろ終わります。
2011/03/05(土) 22:30:40 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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