青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
34年前の今日、1977(昭和52)年3月21日 石山駅-京阪宇治間に、京阪バスの10号経路 宇治川ライン線が、春分の日から勤労感謝の日までの土日祝日限定で走り始めました。

1977(昭和52)年10月1日付京都新聞山城版によると、その年の春に、宇治川汽船が30年の歴史に幕を閉じて運行を中止した、とあります。もともと冬期のオフシーズンは運休していたようなので、実際の運行はその前年、昭和51年の11月いっぱいだったということになります。

このほぼ13年前の1964(昭和39)年3月23日に天ケ瀬ダムの貯水が始まり、それまでより景観がやや単調になったこと、マイカーのレジャー客が増えたことで、利用者が減ったことが大きな原因のようです。

バス開通前日3月20日付滋賀日日新聞によると、京阪バスの宇治川ライン線の運行は、その宇治川汽船の休業に伴う措置で、1970(昭和45)年8月2日に先に運行を開始している京阪宇治交通と合わせると、4、5、10、11月の休日が1日6往復(京阪バスが3)、その他の月が5往復(京阪バスが2)、運賃は大人460円ということです。

リンクさせて頂いている撮影劇場様にUPされている写真が、恐らくインターネット上で最初に公開された、10号経路の写真と思われますが、私の手元にも数枚の写真がありますので、紹介させて頂きます。

T.F様撮影、開通から間もないころと思われる写真、京阪宇治交通の宇治車庫です。この路線の乗務員は、宇治車庫で休憩してターンしていたようです。滋22か628 B-1380、昭和52年式三菱MR470です。

滋22か628

それにしても……
デカッ

MR470なんてまたずっしりとしたバスらしいバスである上、宇治川ライン線は、中型車のイメージしかないので、余計に大きく見えます。不思議な感じがしますが、中型車が京阪バスに導入されたのは1984(昭和59)年なので、大型車で運転するしかなかったということなのでしょう。現在は中型車しか入らない国分団地なども、大型車で運行されていました。

↓こちらはまんたろう様が1989(平成元)年11月23日、その年の最終運行日に、南郷洗堰付近で撮影された写真です。滋22か1101 A-1011です。

ssH1.11.23南郷洗堰‐南郷

行き先表示に赤字で書かれているように、快速運転で、石山駅を出ると、京阪石山寺石山寺山門前南郷洗堰立木観音前内畑口から先の各停留所に停まりました。

3月4日付拙稿1985(昭和60)年3月4日 石山駅-寿長生の郷開通に路線図がありますので、よかったらご覧下さい。

石山駅行きに乗って、京阪石山寺にさしかかる時「連絡乗車券をお持ちのお客様は、運転手にお申し出下さい」というアナウンスがあったのですが、どういう意味なのか分からずじまいです。

宇治川ライン観光開発の歴史は古く、京阪バスのみならず、京阪グループ全体の歴史とも大きく関わる、非常に重要なテーマの1つで、今回だけではとても取り上げきれませんので、今後も追究し続けます。

末筆になりましたが、T.F様、まんたろう様、いつもご協力ありがとうございます。
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コメント
この記事へのコメント
No title
こんにちわ、ご無沙汰です。

上のB-1380の写真に目を引きました。後側の京阪宇治交通の旧カラーも懐かしいですね。右側の観光用車両が新カラーなので、1983~84年ぐらいだと思われます。

宇治川ライン線は、晩年は確かに中型車が多かったようです。しかし、開通当初は観光路線という性格上、Bタイプが使われたのでしょうね。しかし、実際に全区間乗り通す利用客はどれぐらいいたのでしょうか?
2011/03/21(月) 12:04:21 | N-3899 | #CZ2g33i2[ 編集]
No title
N-3899様、コメントありがとうございます。

宇治交の旧カラーは、私はうっすらとしか記憶にないのですが、今の抹茶カラーが近い雰囲気のような気がします。

大きな車体で、宇治川ラインを走るのは、結構大変だったでしょうね。私の年代だと、もう大型は記憶にありません。

全線乗り通す客…石山寺山門前で、かなり高額の運賃を確認しながら払っている親子はいた記憶があるので、全くないことはなかったのでしょうね。今も、せめて春秋の行楽シーズンだけでも走れば…と思ってしまいます。
2011/03/21(月) 12:11:09 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
No title
①連絡乗車券は京阪電車への乗り換えを考慮したものでは?
②⑩系統乗ったことはありませんが、走っているのは何度もみたことがあります。かわいそうなほどお客様は乗っていなかったです。
中型車に変わったのを見たときは、京阪バス、やる気なくなったか!と思いました・
③写真のBタイプ、懐かしいです。同じふそうでもライトが違うタイプもありました。そっくりですが非冷房のAタイプもありました。①系統石山団地⇔石山駅にはめったに来ませんでしたが、土曜の昼間、間合いなのか時々石山団地に上がってくるのをみました。 石山団地→南郷洗堰(後年平津)にも充当されていました。
2011/03/21(月) 23:58:10 | K2 | #-[ 編集]
Re: No title
こんばんは、コメントありがとうございます。

> ①連絡乗車券は京阪電車への乗り換えを考慮したものでは?

そうですね。京津線方面だと昔、三条-浜大津間に、京阪電車と京阪バス、或いは更にこれに江若交通も加わった、プール制の乗車券があって、これと江若や、京阪本線と連絡、という形の券があったので、似たような何かがあったのかもしれませんね。

> ③写真のBタイプ、懐かしいです。同じふそうでもライトが違うタイプもありました。そっくりですが非冷房のAタイプもありました。①系統石山団地⇔石山駅にはめったに来ませんでしたが、土曜の昼間、間合いなのか時々石山団地に上がってくるのをみました。 石山団地→南郷洗堰(後年平津)にも充当されていました。

平津行きはうっすら記憶にあるのですが、南郷洗堰行きはさすがに知りません。誰か写真持っていらっしゃらないかな?
石山団地始発の南郷中学校行きは、今もB-3969や1939など、B車がよく充当されますが、当時の名残なのでしょうか?全く動かさないでいるとよくないから、岩間寺や競艇・競輪がない日でも、日中に運用が続かないところで走らされているのかな?と思っているのですが。
2011/03/23(水) 00:32:22 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
Bタイプで思い出しました
山科地区の旅客流動調査のとき、Bタイプがアルバイトの休憩所として開放されていました。私はアルバイト募集終了間際に申し込んだので「予備」シフトでした。そしてBタイプで夕方ちかくまで過ごしました。やがて呼び出され、山科~小栗栖団地線に乗りこみました。京都駅~奈良駅線に乗りたかったのですが。
2011/03/24(木) 00:34:25 | K2 | #-[ 編集]
Re: Bタイプで思い出しました
お返事が遅くなりました。
> 山科地区の旅客流動調査のとき、Bタイプがアルバイトの休憩所として開放されていました。私はアルバイト募集終了間際に申し込んだので「予備」シフトでした。そしてBタイプで夕方ちかくまで過ごしました。

へぇ!品がないことを言うようですが、それでももちろん、お給料ていうのは拘束時間分出るんですね。

>やがて呼び出され、山科~小栗栖団地線に乗りこみました。京都駅~奈良駅線に乗りたかったのですが。

他の路線に当たったひともですが、京都奈良線や京都比叡山線など、長距離路線に当たったひとは、きっと今も大切な思い出なんでしょうね。
2011/03/26(土) 21:18:14 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
No title
本業の運転手さんも予備シフトで待機の人がいました。ダイヤが乱れたり、運転手さんの急病などが発生すると出動するそうです。
Bタイプでくつろいだり、車庫の中を見学したり手お金がもらえたのである意味ラッキーでしたが、山科⇔小栗栖団地間を数往復しただけで物足りなく?その後大津地区の調査のバイトに応募したんだったと思います。
大津地区は、①系統石山団地線(地元です)、②系統新浜線、⑦系統曽束(石山駅から曽束直通ですよ。)線などに乗りました。
大津地区では一日中バスに乗っていて、可愛い女子大生とペアをくんだんでラッキーでした。女の子は、曽束のような自然豊かな場所が大津にあることに驚いてました。
また、BGM付きのバスがあることに驚いてました。
「このタイプはBGMが装備されてるんやで、運転手さんお願いします。」
「わあ、ほんまやすごーい!」
「兄ちゃん、やっぱりうるさいから消すわ。」
石山駅で客扱いする寸前のできごとでした。
運転手さん交代用の軽自動車にものり、大浜で交代したこともあります。
今となってはいい思い出です。すでに就職していたのですが、平日の休みを利用し、乗務員気分を味わいました。
女子大生の電話番号を聞いておけばよかったと数年ほど後悔し続けました。
長文失礼しました。
2011/03/27(日) 00:52:05 | K2 | #-[ 編集]
Re: No title
K2様 ありがとうございます。

> 本業の運転手さんも予備シフトで待機の人がいました。ダイヤが乱れたり、運転手さんの急病などが発生すると出動するそうです。

それは聞いたことがあります。鉄道もそうですね。だから逆に、実際に運転した場合は「乗務手当」がつくんですね。

> また、BGM付きのバスがあることに驚いてました。

1987(昭和62)年の3月に導入されましたが、それほど評判がよくなかったのか、すぐに使われなくなってしまったようですね。

> 女子大生の電話番号を聞いておけばよかったと数年ほど後悔し続けました。

数年!(爆) そこは聞いておかないと! まあ、声を掛け損なうとか、どうしようかと思っているうちにタイミングを逃すとか、ありがちですね。
2011/03/28(月) 00:04:46 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
そういえば
このタイプの車両がメインで入っていましたね、10号系統

この車両、観光用と一般路線の中間仕様の様な車両だったので
たしか背もたれが高めの二人がけのシートがズラリと並んでいたので
たまに通学時にこのバスが入ってくると、ちょっとうれしかったのを
よく覚えています、ごく稀に7号系統曽束路線にも入っていました

ただし通路が狭かったので、通学ラッシュにあたると
非常に大変でしたけどね・・・w

画像の背後にある、京阪宇治交通の旧カラー(旧〃カラー?)も
非常に懐かしいです

貴重な画像の公開、ありがとうございました
2011/04/03(日) 23:02:54 | 7号系統 | #74M0PgTc[ 編集]
No title
7号系統様、久しぶりのコメントありがとうございます。

ええ、他の方もコメントで書かれている通り、いわゆる「Bタイプ」ですね。普通の車両は、この当時なら「A」(現在は、更にワンステはW、ノンステはNなどと細分化されている)という符号がつくところ、観光の「C」との文字通り中間で、「B」の符号が振られていて、仰る通り、観光との中間的存在でした。驚くことに、大型幕になってからのB車でも、京都定期観光バスとして使用されるケースがありました。今では考えられませんね。

私が知っているのは、ブルドッグ以降のB車ですが、確かに独特な雰囲気がありました。ラッシュで車両が足らない時などに石山駅以南にも現れることがありましたが、つり革がなくて通路が狭く、幼心にも、ちょっとどうなのか?と思った記憶があります。
2011/04/03(日) 23:27:27 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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