青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
大津市立南郷小学校の校歌には、「立木 岩間の山なみや 朝日に輝く袴腰」と3つの山が登場します。前二者は立木観音岩間寺という古刹を抱え、袴腰山はこれといった名所こそないものの、形が特徴的で、栗東辺りからでもすぐにそれと分かる山を望むことができ、瀬田川洗堰(南郷洗堰)とともに南郷のシンボルともいえる山です。

しかし、もう1つ、石山学区や、京都市伏見区との境付近に、特徴的な山があることを、多くの方は忘れていると思います。大平山、別名「手形山」です。

2003(平成15)年、この麓に「特別養護老人ホーム 千寿の郷」ができ、京阪バスの路線も延びました。
正面の淡いブラウンベースの寄棟型の屋根の建物が「千寿の郷」、その背景に聳える山が大平山こと手形山です。社番は分かりませんが、W-379×と思われるブルーリボンがちょうど走ってくるところです。

s-IMG_2990.jpg

京滋バイパスより手前に下がった位置から…

00000358.jpg

この「手形山」について、61年前の今日の、京都新聞滋賀版に、下のようなコラムが掲載されていました。

S25.2.14京都新聞滋賀版

「嘉永三年」と言われても私はよく分からなかったので調べましたら、幕末1850年でペリー来航の直前のようです。

「はげの形」とありますが、今は植林なのか、自然に回復したのか、緑が少ない冬でも、はっきりとはげたようには見えません。しかし、山肌に微妙に筋があるのがお分かり頂けますでしょうか?これが「天狗が手で山を押さえて山津波を防いだ跡」のようです。

私が知っている伝説とはちょっと違います。石山寺や三井寺などで売られている、子ども向けの「滋賀の昔ばなし」「滋賀の伝説」(だったかな?)に載っているのは「石山寺の観音様が左手で押さえた」という説です。

図書館で『大津の伝説』(大津市編 1988)を確かめたら、「石山寺の観音様の左手」説を優先し、「天狗説」も紹介している、という形でした。ただ、日付は同じ6月5日なのに、年号は「嘉永元年」となっています。

いずれにしろ、5本の筋があるので、5回は山津波が起きているのだろう、という話です。千町の住民たちは、昔から水害や山崩れと戦いながら生き抜いてきたのです。

この記事が載った3年後の1953(昭和28)年9月25日にも、「淀川水系改修基本計画」ができるきっかけともなった、台風13号Tessにより、千町は再び甚大な被害に見舞われ、下の写真の「水害想出之塔」にも、その旨が記されています。

水害想出之塔と岩間寺行きB-1904

嘉永の山崩れの供養塔も山腹にあると記事に書かれていますが、私も見たことがありません。時候のいい時に行ってみたいと思います。

それにしても、千寿の郷経由のバスが通る道沿いの林を、私たちは子どもの頃「へいたいばやし(兵隊林?)」と呼んでいましたが、別に軍の施設があったわけでもないのに、なぜなのか、これも謎です。
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