青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
大津市の特に、石山や膳所にお住まいの方なら、国道1号線の、東レ専用線(引き込み線)の踏切をご存知でしょう。しかし、あの踏切の遮断機が下がって、列車が通る様子を見た、という方は少ないと思います。私も見たことがなく、いつあの専用線を使っているのだろう、とずっと疑問に思っていましたが、とうとう見ることなく、廃止されてしまいました。

昭和45年の地図(奈良県・滋賀県市街地図集 大阪人文社)には既に載っています。こういう地図は結構間違いも多いのですが、ここ最近より、複雑な配線になっていたことが分かります。

S45.6.10 奈良県・滋賀県市街地図集 石山(東レ付近)

↓は現在の地図です。




ネットで検索すると、リンクさせて頂いているたけひろさんのページや、- yume_cafe -(京都ひとり歩き)など多くのサイトさんで取り上げられていたので、私も触発されて、1月29日に実地調査に行きました。

大津・京都方面を望んでいます。いつの間にか線路は撤去されてしまいました。また「踏切信号機」もあったはずですが、これもなくなっていました。

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国道側から、専用線が本線につながる方向を望んでいます。背景に民家やマンションがたくさんあるのに、ここだけ取り残されたような寂寥感があります。

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上の写真の左端に写っている遮断機を、大津寄りから。遮断棒は健在です。
実は、この付近で、路線バス関係で思いがけない発見をしたのですが、それはまた今度書かせて頂きます。

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最近、こういう機械ものはいつも製造年を気にしています。見にくいのですが、なんと「05年01月」と書かれています。そう言われてみれば、右に写っている黒い部品も、新しく見えます。まだまだ使うつもりで、更新されたとしか思えず、大変驚きました。「AC105V」とあるので、家庭用の電源とほとんど変わらない電圧で動くらしいことも発見でした。(こういう機械ものはものすごい苦手なので、そういう意味ではないです、という方、お知らせ下さい)

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先ほどと逆に、専用線が本線につながる辺りから、東レ方面を眺めています。

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錆びついた「止まれ」の標識は、専用線を渡って駐車場につながる踏切のものでした。警報器も遮断機もないので「第4種」ですね。

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専用線が本線につながる方向を眺めていると、ELがやってきました。貨物のような感じではないな、と思っていると…

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客車回送列車でした。北びわこ号の車両の回送のようでしたが、よく分かりません。心の準備ができていなくて、ちゃんと撮れませんでしたorz

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意味ありげな標識。何なのでしょう?

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本線の踏切は09年5月製でした。たけひろさんが、09年5月30日付で、いろいろと細かい話題~滋賀・石山の東レ専用線/大津京駅に書かれている内容と、かみ合います。線路が1組撤去されて、より内側に移されたようです。

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国道を挟んで反対、東レ敷地側の遮断機。これは2カ所ありますがそのうちの西寄りの方です。
昔は東レに続く線路が2本あったのを覚えています。より東側に延びていた方の線路は、先に撤去されたような記憶があります。
左端の方に、もう1つの遮断機が写っています。

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91年8月?と書いてあるようです。こちらの方が、予想通りというか、あり得る年代です。何ならもっと古くても不思議ではないな、と思っていました。

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柵の隙間から覗くと、ちょうど構内の線路の撤去作業の真っ最中でした。

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外されたレールや枕木が積み重ねられています。

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踏切そばの小屋。中に制御盤のようなものがあるので、ポイントレールか、遮断機、或いは踏切信号機の制御にでも使われたのでしょうか。

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その小屋の近くにあった機械。

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これまた意外に新しく、平成13年とありますから、2001年式、つまり10年前の製品ですね。

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東寄りの遮断機。スピーカーのようなものが取り付けられています。

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今回見た限り、一番古いのがこの遮断機で、90年9月製でした。

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これらの遮断機が下がって、列車が通る様子を撮影した動画や写真がないかネットで調べたおしたら、何とあったのです!そのサイトの管理人さんの許可を頂戴しましたので、次回はその写真をご紹介いたします。
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コメント
この記事へのコメント
意外に
昭和45年の地図、とても興味深いです。
貨物線、廃線跡が大好きなんで食い入るように見てしまいました。
古い地図、私も図書館へ見に行こうと思います。

丁寧に、日付をみていらっしゃったんですね。
意外に「最近」であることに驚きました。
少し前だったら、見られていたはず。。というものが多いですね。

鉄道の様子が変わったのは、車社会になってから。車社会になったのもここ30年40年の事だと考えると納得できます。

それにしても、線路の撤去作業が始まっているのは残念です。
2011/02/07(月) 23:09:48 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
No title
yume様、コメントありがとうございます。
もともと丁寧な性格でも律儀なタイプでもないのですが、日付は重視しています。ひとの記憶の中で最も早く失われるのが、時間に関する部分だとも言いますので。

昭和45年の地図は、確か東山の京都府立図書館か、北山の京都府立総合資料館に所蔵されていると思います。年度の違う類似した地図も数種類あります。すごい大きくて、持ち運びも大変なんですが、府立図書館所蔵の方は確か借りることもできたと思います。誤植も多いのですが、例えば大津市立図書館の前の通りなど、今となっては考えられないようなところにバス路線があったりして、大変面白いです。

貨物線がたくさん残っている一方で、江若鉄道と湖西線の端境期で、坂本以北に鉄道が全くないため、湖西の方は何だか芯がないような印象を受けます。
2011/02/07(月) 23:29:23 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
No title
交通科学博物館に展示されている1800型蒸気機関車が東レ専用線で晩年活躍していたと聞いています。石山に来る前は高知にいたとか。違ったたらごめんなさい。
私もあの踏切を列車が通ったのを見た記憶はありません。貨車が
工場にいるのはよく見ましたけど。
2011/02/09(水) 23:02:00 | K2 | #-[ 編集]
No title
K2様、いつもお世話になります。
確かに1800型は有名ですね。高知にいたというのは私も知りませんでした。また調べてみます。

8日の記事に引用しております、声高秀史様のサイトには、参考文献も詳しく載っているので、そうした本を見ると、何か分かることがあるかもしれませんね。
2011/02/11(金) 10:07:51 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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