大津市の特に、石山や膳所にお住まいの方なら、国道1号線の、東レ専用線(引き込み線)の踏切をご存知でしょう。しかし、あの踏切の遮断機が下がって、列車が通る様子を見た、という方は少ないと思います。私も見たことがなく、いつあの専用線を使っているのだろう、とずっと疑問に思っていましたが、とうとう見ることなく、廃止されてしまいました。
昭和45年の地図(奈良県・滋賀県市街地図集 大阪人文社)には既に載っています。こういう地図は結構間違いも多いのですが、ここ最近より、複雑な配線になっていたことが分かります。

↓は現在の地図です。
ネットで検索すると、リンクさせて頂いているたけひろさんのページや、- yume_cafe -(京都ひとり歩き)など多くのサイトさんで取り上げられていたので、私も触発されて、1月29日に実地調査に行きました。
大津・京都方面を望んでいます。いつの間にか線路は撤去されてしまいました。また「踏切信号機」もあったはずですが、これもなくなっていました。

国道側から、専用線が本線につながる方向を望んでいます。背景に民家やマンションがたくさんあるのに、ここだけ取り残されたような寂寥感があります。

上の写真の左端に写っている遮断機を、大津寄りから。遮断棒は健在です。
実は、この付近で、路線バス関係で思いがけない発見をしたのですが、それはまた今度書かせて頂きます。

最近、こういう機械ものはいつも製造年を気にしています。見にくいのですが、なんと「05年01月」と書かれています。そう言われてみれば、右に写っている黒い部品も、新しく見えます。まだまだ使うつもりで、更新されたとしか思えず、大変驚きました。「AC105V」とあるので、家庭用の電源とほとんど変わらない電圧で動くらしいことも発見でした。(こういう機械ものはものすごい苦手なので、そういう意味ではないです、という方、お知らせ下さい)

昭和45年の地図(奈良県・滋賀県市街地図集 大阪人文社)には既に載っています。こういう地図は結構間違いも多いのですが、ここ最近より、複雑な配線になっていたことが分かります。

↓は現在の地図です。
ネットで検索すると、リンクさせて頂いているたけひろさんのページや、- yume_cafe -(京都ひとり歩き)など多くのサイトさんで取り上げられていたので、私も触発されて、1月29日に実地調査に行きました。
大津・京都方面を望んでいます。いつの間にか線路は撤去されてしまいました。また「踏切信号機」もあったはずですが、これもなくなっていました。

国道側から、専用線が本線につながる方向を望んでいます。背景に民家やマンションがたくさんあるのに、ここだけ取り残されたような寂寥感があります。

上の写真の左端に写っている遮断機を、大津寄りから。遮断棒は健在です。
実は、この付近で、路線バス関係で思いがけない発見をしたのですが、それはまた今度書かせて頂きます。

最近、こういう機械ものはいつも製造年を気にしています。見にくいのですが、なんと「05年01月」と書かれています。そう言われてみれば、右に写っている黒い部品も、新しく見えます。まだまだ使うつもりで、更新されたとしか思えず、大変驚きました。「AC105V」とあるので、家庭用の電源とほとんど変わらない電圧で動くらしいことも発見でした。(こういう機械ものはものすごい苦手なので、そういう意味ではないです、という方、お知らせ下さい)


先ほどと逆に、専用線が本線につながる辺りから、東レ方面を眺めています。

錆びついた「止まれ」の標識は、専用線を渡って駐車場につながる踏切のものでした。警報器も遮断機もないので「第4種」ですね。

専用線が本線につながる方向を眺めていると、ELがやってきました。貨物のような感じではないな、と思っていると…

客車回送列車でした。北びわこ号の車両の回送のようでしたが、よく分かりません。心の準備ができていなくて、ちゃんと撮れませんでしたorz

意味ありげな標識。何なのでしょう?

本線の踏切は09年5月製でした。たけひろさんが、09年5月30日付で、いろいろと細かい話題~滋賀・石山の東レ専用線/大津京駅に書かれている内容と、かみ合います。線路が1組撤去されて、より内側に移されたようです。

国道を挟んで反対、東レ敷地側の遮断機。これは2カ所ありますがそのうちの西寄りの方です。
昔は東レに続く線路が2本あったのを覚えています。より東側に延びていた方の線路は、先に撤去されたような記憶があります。
左端の方に、もう1つの遮断機が写っています。

91年8月?と書いてあるようです。こちらの方が、予想通りというか、あり得る年代です。何ならもっと古くても不思議ではないな、と思っていました。

柵の隙間から覗くと、ちょうど構内の線路の撤去作業の真っ最中でした。

外されたレールや枕木が積み重ねられています。

踏切そばの小屋。中に制御盤のようなものがあるので、ポイントレールか、遮断機、或いは踏切信号機の制御にでも使われたのでしょうか。

その小屋の近くにあった機械。

これまた意外に新しく、平成13年とありますから、2001年式、つまり10年前の製品ですね。

東寄りの遮断機。スピーカーのようなものが取り付けられています。

今回見た限り、一番古いのがこの遮断機で、90年9月製でした。

これらの遮断機が下がって、列車が通る様子を撮影した動画や写真がないかネットで調べたおしたら、何とあったのです!そのサイトの管理人さんの許可を頂戴しましたので、次回はその写真をご紹介いたします。

錆びついた「止まれ」の標識は、専用線を渡って駐車場につながる踏切のものでした。警報器も遮断機もないので「第4種」ですね。

専用線が本線につながる方向を眺めていると、ELがやってきました。貨物のような感じではないな、と思っていると…

客車回送列車でした。北びわこ号の車両の回送のようでしたが、よく分かりません。心の準備ができていなくて、ちゃんと撮れませんでしたorz

意味ありげな標識。何なのでしょう?

本線の踏切は09年5月製でした。たけひろさんが、09年5月30日付で、いろいろと細かい話題~滋賀・石山の東レ専用線/大津京駅に書かれている内容と、かみ合います。線路が1組撤去されて、より内側に移されたようです。

国道を挟んで反対、東レ敷地側の遮断機。これは2カ所ありますがそのうちの西寄りの方です。
昔は東レに続く線路が2本あったのを覚えています。より東側に延びていた方の線路は、先に撤去されたような記憶があります。
左端の方に、もう1つの遮断機が写っています。

91年8月?と書いてあるようです。こちらの方が、予想通りというか、あり得る年代です。何ならもっと古くても不思議ではないな、と思っていました。

柵の隙間から覗くと、ちょうど構内の線路の撤去作業の真っ最中でした。

外されたレールや枕木が積み重ねられています。

踏切そばの小屋。中に制御盤のようなものがあるので、ポイントレールか、遮断機、或いは踏切信号機の制御にでも使われたのでしょうか。

その小屋の近くにあった機械。

これまた意外に新しく、平成13年とありますから、2001年式、つまり10年前の製品ですね。

東寄りの遮断機。スピーカーのようなものが取り付けられています。

今回見た限り、一番古いのがこの遮断機で、90年9月製でした。

これらの遮断機が下がって、列車が通る様子を撮影した動画や写真がないかネットで調べたおしたら、何とあったのです!そのサイトの管理人さんの許可を頂戴しましたので、次回はその写真をご紹介いたします。
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