青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
もう10年以上前だったと思いますが、何かのバラエティ番組で「あの世行きのバス停」があるという話題が取り上げられ、現地を調べたら、古いバス停が、廃棄を待ってずらっと並んでいた、という光景が写ったのを覚えているのですが、40年以上前の大津市内でも、似たような光景がみられたようです。

43年前の今日、1968(昭和43)年1月27日付朝日新聞滋賀版。
琵琶湖文化館の前、東側の広場に、ずらっと並ぶバス停約30本。近江鉄道バスは、今とデザインが変わらないので、すぐに分かるのですが、他はよく分かりません。

時間表をぶら下げて標柱が三本も四本も背比べ-どこのバス停でも見かける風景。「これではお客さんも不便。細い路地では交通の邪魔」と、このほど県バス協会が、共同標柱を採用した。このため国道の石山駅-浜大津間で、三角柱のスカッとした新標柱に追われた使い古しが、この群れ。同協会が置き場所に困って埋め立て地へ。


なるほど。この当時は石山駅-浜大津間だと、京阪、近江、帝産、滋賀の4社がひっきりなしに走っていたのでしょうね。
今も国道経由は共同標柱ですが、ここに書かれている「三角柱」ではありませんね。このバス停がどんなものなのか、私にも分かりません。今は、瀬田や草津方面などとも同じ、四角い、平面的な標柱です。1977(昭和52)年6月15日付滋賀日日新聞に、「上別保」のバス停の写真があるのですが、34年前の時点で、既に現在の標柱と同じものです。

(写真↓は、「雲雀ヶ丘」の石山方面です)
ssIMG_3336.jpg

ssIMG_3337.jpg

あと湖岸道路の方は、基本的に京阪バスの標柱をベースにした共同標柱で、国道の方とは別になっている、というのも、よく考えれば不思議だ、と最近知人と話したのを思い出しました。

(写真↓は、「木下町」の浜大津方面です)

ssIMG_3347.jpg

ssIMG_3345.jpg

それにしても「狭い路地では交通の邪魔」とありますが、国道は別に狭くないし、むしろ、石山商店街や、瀬田の橋本周辺の方が狭いのに、そちらは未だに共同でない標柱があります。

そればかりか「松原」なんて、バス停名も不統一で、この3年後の1971(昭和46)年12月9日の京都新聞では、京阪・京阪宇治は「松原」、帝産は「東レ前」、近江は「松原東レ前」だと書かれています。写真に写っている標柱も各社別3本です。

バス停は、駅と並ぶ街の顔。分かりやすく、便利であって欲しいですね。
因みに、43年の記事の方の標柱は、使えるものは別の場所で使う予定だと書かれていたので「あの世行き」ではありませんね。
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コメント
この記事へのコメント
京阪バスのバス停標柱をベースに共同使用している例は、他に高槻管内の辻子と唐崎で見る事ができます。共に高槻市バスと共同使用しているのですが、他のバス停では京阪バス・高槻市バスのバス停標柱が建っている事から、辻子と唐崎だけ共同使用なのか気になっています。
2011/01/27(木) 22:03:59 | 薬師谷/長尾西口 | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
掲示板の方ではいつもお世話になり、ありがとうございます。

> 京阪バスのバス停標柱をベースに共同使用している例は、他に高槻管内の辻子と唐崎で見る事ができます。共に高槻市バスと共同使用しているのですが、他のバス停では京阪バス・高槻市バスのバス停標柱が建っている事から、辻子と唐崎だけ共同使用なのか気になっています。

何か歴史的経緯がありそうですね。

よく考えたら京阪バス(大津)の松原以南大石小学校までは、宇治交通と、鹿跳(ししとび)橋まではいろいろ因縁のあるJRバスと共同使用でしたね。大石小学校から南は宇治交通の運賃率が適用されるだけあって、京阪バスの寿長生の郷行きがあっても、ちゃんとあの黄色いバス停だったことを思い出します。
2011/01/30(日) 00:41:58 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
近江鉄道
「琵琶湖文化館前にバス停がズラリ」と並んだ風景を思い描いていたら、25年位前までは、西武の南側あたりに近江鉄道バスの車庫があったのを思い出しました。見晴らしのいい場所に近江バスがズラリと並んでいました。そして「膳所自動車教習所」もあのあたりでした。 「何年かしたら、なんで膳所にないのに、膳所自動車教習所なん?って言うようになるんやろうなぁ」と話してましたが、もうすでにそういう疑問を持っている人達が多い時代になりましたね。

子供時代は三保ヶ崎、大津駅、大門通、二本松、下千町、赤川バス停を使っていましたが三角柱のバス停に記憶はないです。残念です。
2011/01/30(日) 09:26:51 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
膳所自動車教習所
yumeさま、おはようございます。

ええ、私もそうです。子どもの頃はあまり深く気にしたことがありませんでしたが、中高くらいでふと、「あんなところ膳所じゃないのに」と思いました。でも「まあ、昔は膳所にあったのかな」程度で、またまた深く気に留めずに流してしまっていました。多分、バスの車庫の方が後まで残っていたので、そちらははっきり記憶にあります。本来京阪バスが先に走っているエリアなのに、よくも車庫まで作って殴り込みを掛けたものだな、と思います。

余談ですが、日赤、滋賀病院、今は近江バスしかありませんが、そもそも京阪バスが開拓した路線です。

緑色のあの塗装が懐かしいですね。あのころの近江バスなら、興味がありますが、今は走っていても、振り向きもしなくなってしまいました。

三保ヶ崎!もはや誰が乗るのか分からないようなバス停ですね。京阪バスは1日数回、浜大津-比叡平間のバスが止まるだけになってしまいましたが、以前は、京津国道線のびわこホテル発着便は、市役所ではなく、そちらを経由していましたし、161経由のバスも多かったようですね。近江バスの西大津駅行きも、市役所を通る免許が出なかったため、結果的に三保ヶ崎経由で京阪バスの西大津駅行きとすみ分けができていました。
2011/01/30(日) 10:16:16 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
三保ヶ崎
おゃ?と思い京阪バスの路線図を見てみました。
そうですね。あの頃は、三保ヶ崎から二本松は「びわこホテル」行に乗る事が出来たのです。だから、京阪の三井寺駅近くの国道161号線沿ではないほうのバス停から乗り大門通、円満院前、市役所。。近江神宮前、二本松。。という具合でした。
びわこホテル行が大石から直通で出ていた時はとても便利で、子供が小さいときでもこの地から直通で西武に行けていましたし、国道経由は市民病院へ行くのも便利でした。

近江鉄道の車庫ですが、土地の関係でしょうねぇ。
あのあたりにはアヤハ会館や近江鉄道系列のボウリング場もありましたし、あのあたりいったいが西武系列だったからでしょうね。
2011/01/30(日) 10:55:49 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
記憶の危うさ
木津川です。

コメントをずっと拝見させていただいて、yume様の

「西武の南側あたりに近江鉄道バスの車庫」

でやっと理解できました。昔、湖岸道路を走ってて、まさに今の西武あたりの琵琶湖側から何台も回送車が出てくるのを見て、ここにバスの車庫があるなとわかった思い出があるのですが、記憶ではバスの色は赤いのです(笑)。そのため「交流広場」さんへの小生の昔の書き込みでは、大津営業所の場所を完全に湖岸と国道とを誤解しておりました。
史実(市民病院に隣接している車庫の写真)をしった後も、「確かに湖岸にバスの車庫があったはず」と納得できなかったのですが、そうですか。近江バスでしたか。
しかしここまで明らかになっても、私の頭の中では、まだ色が赤いままです(大笑)。 記憶も危ういですねー。

さらに記憶の中では、滋賀交通水口行きも湖岸を走っているのですが、実際は国道だけですよね。
名神大津ICから親戚宅の唐橋前まで、車を運転していた父は渋滞
の国道を嫌って、ほとんど湖岸しか走りませんでしたから、小生の記憶も混乱したのでしょう。

ちなみに私が運転する際は名神大津ICを出るとまっすぐ新しい側道を進み国分へ抜け、晴嵐小学校手前、名神を渡ってすぐを右折し、細い1車線で田辺町とおって晴嵐幼稚園へ抜けてます。
(この名神側道経由で国分方面から復活直通浜大津行きを走らせたいなあ。)
2011/01/30(日) 13:05:43 | 木津川 | #-[ 編集]
Re: 記憶の危うさ
木津川様 いつもありがとうございます。

>昔、湖岸道路を走ってて、まさに今の西武あたりの琵琶湖側から何台も回送車が出てくるのを見て、ここにバスの車庫があるなとわかった思い出があるのですが、記憶ではバスの色は赤いのです(笑)。そのため「交流広場」さんへの小生の昔の書き込みでは、大津営業所の場所を完全に湖岸と国道とを誤解しておりました。
> 史実(市民病院に隣接している車庫の写真)をしった後も、「確かに湖岸にバスの車庫があったはず」と納得できなかったのですが、そうですか。近江バスでしたか。

ええ、京阪バス大津営業所は昭和38年4月20日、追分から市民病院前に移転してきます。だから、市民病院への通院者の便を図るだけでなく、旧6号経路(石山駅-国道-浜大津)の早朝・深夜の一部便に、石山駅方向にも浜大津方向にも、国道市民病院発着の区間運転便があったんです。
近江バスの車庫がいつできたのかよく分かりませんが、確かに大津プリンスホテル前にありました。プリンスホテルができる時に、ホテルの駐車場を確保するために移転したんだと思います。近江には、京阪のような区間運転はなく、全部回送で対応していたと思います。

> さらに記憶の中では、滋賀交通水口行きも湖岸を走っているのですが、実際は国道だけですよね。

多分そうだと思います。バイパス経由(大学病院経由)はあったようで、今も国道沿いのバス停などに残る古い路線図などでその存在が確かめられます。

> 名神大津ICから親戚宅の唐橋前まで、車を運転していた父は渋滞
> の国道を嫌って、ほとんど湖岸しか走りませんでしたから、小生の記憶も混乱したのでしょう。

名神大津から湖岸というと、だいぶ大回りに見えますが、京滋バイパスも山手幹線もない時代は、それでも「バイパス効果」で早かったんでしょうね。

> ちなみに私が運転する際は名神大津ICを出るとまっすぐ新しい側道を進み国分へ抜け、晴嵐小学校手前、名神を渡ってすぐを右折し、細い1車線で田辺町とおって晴嵐幼稚園へ抜けてます。
> (この名神側道経由で国分方面から復活直通浜大津行きを走らせたいなあ。)

137号経路の山手幹線版ですか? 難しいでしょうけど、でもせっかく開発が進んでいるのに、需要を掘り起こさないのはもったいない気もしますね。帝産、近江と、2社も他社が絡むのも難点ですが、本来京阪バスのエリアなので、堂々として欲しいですね。
2011/01/30(日) 22:20:11 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
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