青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
いつもお世話になっているT.F.様からまたまた貴重な画像を頂戴しました。
45年前の今日、1966(昭和41)年10月24日付の「新造車両計画のお知らせ」

ss京阪石坂線350ポスター②

ポスターの基本的なスタイルは、この当時からあまり変わっていませんが、文字は手書きを基にしているようです。こういう掲示は、車両の写真をしのぐ、有力な歴史的資料です。

私は、残念ながら京阪「バス」専門で、京阪「電車」のことはほとんど何一つ知らないと言っていいくらいなので、ここに載っている350型というのが、どんな車両なのかも知りませんでした。調べてみると、交野線で使われていた800型の機器を使って、石山坂本線専用に製作された車両で、1997年の昇圧時まで残っていたそうです。京津線用の勾配対策は施されていないので、営業では京津線を走ったことがないということです。

T.F.様が撮影された現役時代の写真です↓浜大津で1975(昭和50)年2月11日撮影です。

PICT0034.jpg

右手に伸びる線路は、京津線の浜大津駅に続く線路なのでしょう。左手角の店は、今は居酒屋だったと思います。パチンコ屋の辺りはラーメン店じゃないかと思います。
それにしても「浜大津 坂本」という行き先表示が気になります。石山坂本線に「浜大津」という行き先は、臨時でもなかったと言われているので、非常に興味深いです。

↓1981(昭和56)年1月23日浜大津で撮影。358-359の組み合わせだと思われるので、前の写真と同じ編成でしょう。
PICT0048.jpg


やはりよくお世話になっているまんたろう様も、カラーで現役時代の写真を撮影されていました。

↓1992(平成4)年8月20日撮影 場所はどこなのでしょう?356-357の編成だと思われます。

ssScan1489.jpg

今もありそうな車両に見えますが、ないんですね…。電車は40年くらいは普通に走っているので、97年時点で、30年少々しか経っていません。もっとも交野線の機器を流用したということなら、機器類はだいぶ老朽化していたのかもしれませんね。

↓1990(平成2)12月16日、錦織車庫にて。番号が361になっていますが、350型の一員で、ラストナンバーのようです。

ssH2.12.16 錦織車庫

末筆になりましたが、T.F.様、まんたろう様、貴重な画像をありがとうございました。

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コメント
この記事へのコメント
浜大津駅
こんにちは。

私の昔の記憶では、石山坂本線の「浜大津~坂本」の系統は
普通に見られたような気がするのですけど?

昭和40~50年代前半は、三条~浜大津~石山寺の系統と
坂本~石山寺の系統と坂本~浜大津の系統が交互に走ってた
ように思います。

単線区間の関係で、ラッシュ時は穴太折り返しもあったかも。

それと、浜大津の駅前は今よりもっともっと活気がありましたね。
バスも電車もばんばん走ってましたし、商店街もひとで溢れて
ました。今の寂びれよう(失礼)が逆にウソみたいです。
2011/10/24(月) 21:56:36 | なかっちょ | #4RB3NX36[ 編集]
写真の場所
こんばんわ。
三井寺→別所間じゃないかなぁ?先頭車付近にかかるのコンクリートは旧駅ホーム跡では?
2011/10/24(月) 22:43:22 | METEOR | #-[ 編集]
昔日の浜大津駅
石山寺~浜大津は私が物心がついた昭和40年代後半は日中15分ヘッド、半分は三条行き準急(朝夕は急行)半分は坂本行きでした。坂本発の電車も15分ヘッドで、半分は浜大津どまりで、現在の京津線のように石山寺よりの留置線で折り返していました。
確かに走っていた浜大津折り返しの運用ですが、私も浜大津止まりはなかったと主張するサイトは見たことがあります。
石山坂本線の浜大津駅は浜大津東口とアナウンスされていました。京津線の浜大津駅は西口とは言っていなかった思います。
小学生高学年の頃まで石山から大阪に行くの時、我が家では京阪が主流でしたが、帰宅時、三条で石山寺行きの準急か急行に乗れないと、浜大津で道路を走って渡り、乗り換える羽目になりました。皆、着席するため、東口まで信号が青に変わるとダッシュです。走っていると坂本方面から石山寺行きの電車が横を並んで進んでいることも多々ありました。
350型電車、本線の特急色だった260型と違いグリーンの塗装がスマートに見えました。両運転台、方開きが多かった260型よりも
当時は近代的に見えました。京津線に入ることがなかったものの、京津線の御陵~三条間廃止後、蹴上・日の岡間の「墓場」に自力で走行したと聞いています。
建設中の浜大津総合駅のそばを走る350型の写真、さりげなく滋賀交通バスが映っていますね。写真は西暦でいえば、1979年くらいでしょうか。写真の滋賀交通は90年代半ばでも走っていて大阪からきた友人に笑われたものです。さすが田舎や!古いバスが走っている!と。
長文駄文失礼しました。
2011/10/25(火) 00:27:51 | K2 | #-[ 編集]
Re: 写真の場所
こんばんは、いつも助けて下さってありがとうございます。コメントでは初めてですね。大歓迎です!

> 三井寺→別所間じゃないかなぁ?先頭車付近にかかるのコンクリートは旧駅ホーム跡では?

なるほど、そう言われてみればそんな気がしますね。背後の建物が湖岸道路沿いのビルかな?とも思ったのですが、あの辺にこんなカーブはなさそうだし、建物は大商(だいしょう=大津商業)だとすれば辻褄が合いますね。
2011/10/25(火) 00:29:08 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re:
なかっちょ様・K2様、いつもありがとうございます。
やはり浜大津止まりの電車は普通にあったようですね。また、坂本から三条方面の直通はなかったんですね。

> 確かに走っていた浜大津折り返しの運用ですが、私も浜大津止まりはなかったと主張するサイトは見たことがあります。

そうですね。私もいくつか見たので、臨時でもまずなかったのだと思い込んでいました。

> 石山坂本線の浜大津駅は浜大津東口とアナウンスされていました。京津線の浜大津駅は西口とは言っていなかった思います。

確かに「西口」と書かれている新聞記事や文献は、今のところ私も見たことがないですね。

> 当時は近代的に見えました。京津線に入ることがなかったものの、京津線の御陵~三条間廃止後、蹴上・日の岡間の「墓場」に自力で走行したと聞いています。

ええ、営業以外で京津線に入ったことはあるようで、ウィキペディアに書かれていることなので、どの程度正しいか分かりませんが、錦織車庫の工事の際に、車両部車両課員添乗で四宮まで入線したとのことです。

> 建設中の浜大津総合駅のそばを走る350型の写真、さりげなく滋賀交通バスが映っていますね。写真は西暦でいえば、1979年くらいでしょうか。写真の滋賀交通は90年代半ばでも走っていて大阪からきた友人に笑われたものです。さすが田舎や!古いバスが走っている!と。

写真は、上の説明通り、昭和57年ですので西暦なら1982年です。
田舎だから古いバス、というのは実は、だてにそうしているのでなく、採算性が低い地域で経費を圧縮するそれなりの意味があって、新車は全く新しく部品を取り寄せないといけないのに対し、古いバスは部品のストックがあるので、それを使って修繕費をなるべく安くあげる、また減価償却も終わっているので、減価償却費が計上されないといったメリットがあるようです。またその辺は一度調べてみます。

なかっちょ様の仰る寂れ方もひどいですね。浜大津は、昔は自然と通るべきところでしたが、今は、「わざわざ」行くところになってしまっているので、「わざわざ」来てもらえるようなことをしないと、ダメですね。
2011/10/25(火) 00:44:45 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
失礼しました
昭和57年の記述を見おとしていました。申し訳ありません。
古いバスと言えば、父の故郷、高知も古いバスがかなり走っていて子供の頃、帰省時にカルチャーショックを受けたものです。近年ではバスの雑誌でよく高知県のバスの特集が組まれていましたね。
子供の頃、身近な京阪バス、近江バスは最新のバスが走っていたものですが、最近の大津のバスは大阪や東京のお古が多いようで
残念です。
坂本方面から三条へ行く電車はありませんでした。石山寺からの近江神宮前折り返しは朝、深夜はありました。そして昔は穴太折り返しもあったようです。近江神宮前行きの黄色の方向板の裏は白色の「穴太」でした。石山寺駅の構内や、260型、350型の運転席でみたことがあります。
京阪の方向板をCG?で作って公開しているサイトはよく見ますが
穴太はみたことがありません。私の記憶が間違っているのでしょうか。
ウキペデイアは浜大津~三条に臨時の特急(びわこ号ではなく)が260型によって走ったと書かれていましたがこれは写真でも資料でもみたことがありません。これは本当でしょうか。
2011/10/25(火) 01:39:09 | K2 | #-[ 編集]
No title
ご無沙汰しております。
懐かしい350型の話題でついコメントしてしまいました。
浜大津駅統合までに利用していた世代なら、坂本~浜大津の列車は当たり前だったです。K2様のご体験のように、石山から三条に行くときに、「30分ヘッドの直通準急を逃すと、浜大津乗換ダッシュが待っている」は懐かしいです。一度信号無視して轢かれかけたことがあります。私も穴太折り返しは記憶がありません。

結局、体験できずに残念だったのは、
①ラッシュ時直通急行に乗車して大谷・追分を通過してみる
②早朝・深夜の80型で四宮~浜大津を乗車する
(番外1)深夜の3両編成京阪本線特急に乗車する
(番外2)三条宇治直通列車に乗車し、中書島では降りない

「混雑緩和」というこの駅貼りポスターが、高度成長期を支えていたローカル公共交通の輝かしい姿があったことを伝えていますね。
しかし山科~三条間については、都営と東京メトロの目黒~白金高輪間のように、双方の通し運賃を適用するべきですね。
三条駅分離前の昔は石山から本線の四条まで同額運賃でしたので、そのまま河原町で阪急へ出て神戸方面から往復しておりました。さらに途中下車制度があり、近鉄と違って同額運賃内も途中下車可能だったので、三条から四条を歩いて切符を手許に残していました。


2011/10/26(水) 11:04:22 | 木津川 | #-[ 編集]
京津線、石坂線のダイヤ
京津線、石坂線のダイヤの件ですが、記憶の世界ですが、概ね次のような感じであったと思います。京津線は昭和43年12月のダイ改まで昼間の急行と普通が各15分間隔で浜大津行が山科で、三条行が四宮で急行が普通を追い抜いていました。この時急行はすべて石山寺行でした。浜大津~石山寺間は坂本~石山寺間の15分間隔の普通を合わせて7.5分間隔でした。

昭和43年12月のダイ改で三条~石山寺間の急行と三条~浜大津間の普通が20分間隔になった代わりに、四宮~三条間に20分間隔の普通が増発され、三条~浜大津間の普通の追い抜きがなくなり、実質増発になりました。この時石坂線も坂本~石山寺間の電車が20分間隔になり、浜大津~坂本間が不便になるため、浜大津~穴太間の電車が20分間隔で運転されるようになり、この区間も10分間隔になりました。

昭和46年8月のダイ改で、また15分サイクルにもどったのですが、急行が御陵~浜大津間各駅停車の準急に変更され、三条~浜大津間の普通が廃止になりました。三条~石山寺間と浜大津止まりが交互に運転され、石山寺直通準急は30分間隔になりました。この時に石坂線は坂本~石山寺間が30分間隔、三条~浜大津間の準急に連絡する坂本~浜大津間の電車が30分間隔で全線にわたり15分間隔となりました。

以上が昼間のダイヤの概略ですが、先にも述べたように記憶の世界ですので、思い違いがあるかも知れません。

京津線の特急の件ですが、メチャメチャ古いスキー特急は別にして、夏季の水泳シーズンに江若鉄道に接続する形で運転されました。浜大津~三条間ノンストップで、車両は260形の他、2両連結に改造される前の80形が2連もありました。80形2連の特急の写真は、29日から浜大津文化センターで開催される「江若模型展」の主催者が撮影していますので、興味のある方は、見学方々主催者にお聞きください。
2011/10/26(水) 21:22:38 | T.F | #-[ 編集]
Re: 京津線、石坂線のダイヤ
T.F.様、いつもお世話になり、ありがとうございます。ダイヤの解説、ありがとうございます。
『京阪時刻表』も出版されていない時代ですし、専門(バス)に忙殺されがちですが、それでも鉄道は何かしら文献が残っていそうなので、一度何か資料がないか調べてみます。


> 昭和46年8月のダイ改で、また15分サイクルにもどったのですが、急行が御陵~浜大津間各駅停車の準急に変更され、三条~浜大津間の普通が廃止になりました。三条~石山寺間と浜大津止まりが交互に運転され、石山寺直通準急は30分間隔になりました。この時に石坂線は坂本~石山寺間が30分間隔、三条~浜大津間の準急に連絡する坂本~浜大津間の電車が30分間隔で全線にわたり15分間隔となりました。

これは上関寺駅廃止時のダイヤ改正ですね。このダイヤ改正は確か、新聞に「不便になった」と書かれていた気がします。広告に、時刻表が載っていたはずですが、今ファイルを見たら、コピーを取っていないようなので、今度再確認します。

浜大津文化センターというのは「スカイプラザ浜大津」のことでしょうか?ご紹介頂いた江若模型展は、私も行ってみたいです。

2011/10/27(木) 00:17:44 | 喜撰猿丸 | #-[ 編集]
Re: 失礼しました
K2様、再度ありがとうございます。

> 古いバスと言えば、父の故郷、高知も古いバスがかなり走っていて子供の頃、帰省時にカルチャーショックを受けたものです。近年ではバスの雑誌でよく高知県のバスの特集が組まれていましたね。

そういえばそうですね。高知県や沖縄県は、古い車両がよく残っているということで注目されていましたね。私は「地縛霊」で、車体ではなく、その車両が走っている地元に興味があるので、そんな遠くに出掛けることはなかなかなさそうですが、安全面で問題がなければ、そういう古い車両を大切に使う気持ちが素敵ですね。

> 子供の頃、身近な京阪バス、近江バスは最新のバスが走っていたものですが、最近の大津のバスは大阪や東京のお古が多いようで残念です。

古い車両でもいいのですが、生え抜きでなく、どこかで使われた後、というのは、何となく親しみがわきにくいですね。A(W)-37××のブルーリボンがゾロゾロ来ていますが、私にはどれも同じにしか見えません。

> 坂本方面から三条へ行く電車はありませんでした。石山寺からの近江神宮前折り返しは朝、深夜はありました。そして昔は穴太折り返しもあったようです。近江神宮前行きの黄色の方向板の裏は白色の「穴太」でした。

> 京阪の方向板をCG?で作って公開しているサイトはよく見ますが
> 穴太はみたことがありません。私の記憶が間違っているのでしょうか。

穴太折り返しの話は信じられませんでしたが、実際にあったようで、石山寺駅のフラップ式行き先案内表示に入っているのをとらえたyou tube動画を今日発見しました(http://www.youtube.com/watch?v=5obSdmS_Ltw)。今もこのフラップ式表示、あるのでしょうか?今度確かめます。
2011/10/27(木) 00:35:09 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: No title
木津川様 久しぶりのコメントありがとうございます。

> 結局、体験できずに残念だったのは、
> ①ラッシュ時直通急行に乗車して大谷・追分を通過してみる
> ②早朝・深夜の80型で四宮~浜大津を乗車する
> (番外1)深夜の3両編成京阪本線特急に乗車する
> (番外2)三条宇治直通列車に乗車し、中書島では降りない

①は時代的に私にはよく分かりませんが、②と番外2は、私も何とか分かります。三条宇治直通列車は、結局急行に追い越されるので、普通しか停まらない駅当時線各駅を行き来する場合はともかく、四条、三条と宇治線を行き来するひとはほとんど中書島や丹波橋で乗り換えてしまうためあまり意味がないと評価されていましたね。番外1は全く分かりません。3両の特急なんてあったんですか?

> 「混雑緩和」というこの駅貼りポスターが、高度成長期を支えていたローカル公共交通の輝かしい姿があったことを伝えていますね。

なるほど、そうですね。一部上場企業とはいえ、2両編成のローカル線で今どき「混雑緩和」は課題にならないでしょうね。

> しかし山科~三条間については、都営と東京メトロの目黒~白金高輪間のように、双方の通し運賃を適用するべきですね。

私もそれは思います。目黒-品川高輪と、構造が違うので、単純には比較できませんが、御陵-山科(京阪山科)はプール制にするとか、何とでもできると思います。もっといえば、そもそも御陵なんかを分岐点にしたのが間違いだと思いますが、山科を分岐点にするのは、工事の関係で大変難しかったと聞いております。

> 三条駅分離前の昔は石山から本線の四条まで同額運賃でしたので、そのまま河原町で阪急へ出て神戸方面から往復しておりました。さらに途中下車制度があり、近鉄と違って同額運賃内も途中下車可能だったので、三条から四条を歩いて切符を手許に残していました。

そんな短い距離で、途中下車できたんですね!今は「途中下車前途無効」の方が普通で、なんか世知辛いですね。
2011/10/27(木) 00:51:18 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
No title
もりあがって?きましたね。
「穴太」行きの方向板の記憶は間違いないと思ってましたが、
鉄道雑誌の京阪特集でもそれに関する記事はみたことがないので
あったとしても早朝深夜のごく一部か、ダイヤが乱れたときのみ設定されたのかとも思っていましたがやはり存在したのですね。穴太行き。長年のモヤモヤがすっきりしました。当時穴太~坂本は単線でしたね。
TF様ありがとうございます。
特急もやはり存在したのですね。80型も特急に使われたとは驚きです。
木津川さんが体験したかった急行による大谷・追分通過は覚えています。爽快でしたが、両駅の利用客は不便やろなあと複雑な気持ちでした。
80型普通で三条から浜大津まで乗りとおしたことはありませんが、
昭和46年、妹が大津赤十字病院で生まれた時、見舞いに行った帰り、上栄町から浜大津まで乗った記憶があります。3歳だったわたしは父か、祖父か分かりませんが抱きかかえられて80型に乗ったようです。
妹がまだ母のお腹にいた時、石山駅~国分~石山団地のツーマンの京阪バスによく乗りました。妹も大きくなって浜大津ダッシュを一緒にしたのですが、本人は記憶にないと言ってました。特急色の
京阪大津線(260型なんと言葉はしらないでしょう。)は記憶があるそうです。
2011/10/27(木) 01:10:10 | K2 | #-[ 編集]
三両編成京阪特急
旧3000系特急は3両+4両の7両編成で走っていましたが、乗客の少ない深夜は3両で走っていたのです。私も存在は知っていましたが実際に見たことはありませんでした。
元々京阪電車は駅での分割併合が多かったようで、昭和30年代前半、三条駅に着いた特急(1700系か1800系でしょうか)を、深草車庫から追いかけてきた車両が増結される、というシーンがあったそうです。鉄道雑誌P誌の京阪特集増刊号で記事と写真をみたことがあります。大阪方なら天満橋で同じようなことがあったでしょう。逆に切り離された1両の特急電車が深草や守口市の車庫にむかって走る姿も頻繁に見られたのではないでしょうか。
今では考えられませんが、3000系の3両特急もその名残でしょう。近鉄なんかよく、新田辺や西大寺で切り離しや増結をやっていますが、今の京阪では考えられませんね。
7両編成で4か所運転台があることで、後年の大井川鉄道、富山地方鉄道への移籍もスムーズにいったのでしょう。

350型電車は両開き、方運転台の近代的な姿ですが、初期の260型は方開き両運転台でした。2両編成が常態化してからも両運転台のまま走っていましたが程なく方運転台に改造されましたね。
260型も350型も原型では残っていません。遠い将来、(いや近い?)600型、700型が役目を終えたとき、元のオリジナルの260型スタイルに改造して博物館に展示してほしいです。
話は大幅に飛びますが、JR西日本の207系電車は分割併合がなくなってからも3両+4両で一編成に運転台を4か所も抱えて?走り続けています。3両を広島か岡山に、4両を阪和線に転属させたらいいのにと、毎日職場の窓から線路を眺めています。(ちゃんと仕事もしています。)
連投、長文失礼いたしました。
2011/10/27(木) 02:19:11 | K2 | #-[ 編集]
今更ですが。
たくさんのコメントがついているので驚きました。
下から二番目の写真の場所は ひと目見て「別所~三井寺」の間で、後ろの白い建物は大商だとわかりました。
自分の生まれ育った小学校区でもあり、大商に通っていたので懐かしい急カーブだなぁと思いました。

旧のホーム跡は今でも残っているのでしょうかね?
2年位前はまだ残っていました。
2011/10/27(木) 21:17:18 | yume | #/eG2YYas[ 編集]
Re: 今更ですが。
> たくさんのコメントがついているので驚きました。

私も驚いています。やっぱり電車の方がすそ野が広いんですね。

> 自分の生まれ育った小学校区でもあり、大商に通っていたので懐かしい急カーブだなぁと思いました。

大商のご出身なんですね。いつからあの場所なのかと思って調べたら昭和34年なので、大津市役所より前から、米軍キャンプ跡を活用していたんですね。
今年の春だったか、隣の大津市歴史博物館に行った時、野球部員がすれ違いしなに、全く見知らぬ私に「こんにちは」と挨拶してくるので、びっくりしながらも、観光客や来客にあいさつするなんて素晴らしいな、と思ったものです。
その時に、旧ホーム跡はまだあったと思います。
2011/10/27(木) 23:00:58 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: No title
> もりあがって?きましたね。

盛り上げて下さって、ありがとうございます。盛り上がりすぎて、京阪電車をよく知らない私は、ついて行くのが大変です(汗。80型の件など、ちょっと勉強します…(-_-;)
「OPAはあなたに作られる」じゃないですが、このブログも、ある意味で読者の皆さまに作られているのだと思っているので、今後もコメント、補足、宜しくお願いします。

> 「穴太」行きの方向板の記憶は間違いないと思ってましたが、
> 鉄道雑誌の京阪特集でもそれに関する記事はみたことがないので

古い鉄道雑誌を、国会図書館はじめ、あちこちで調べると、穴太行きだけでなく、ダイヤのこととか、何か出てくるかもしれないですね。国会図書館なんて、そうしょっちゅうは行けないから、行く前に、何なら図書館で過ごすのと変わらないくらいの時間を掛けて、周到に、何をコピーするのかなど下調べをするのですが、結局、新しく何か調べないといけないことができたり、ゆっくり資料に目を通すと、そこからまた別の派生資料に当たる必要が出てきたりで、何度も行かないといけなくなるのが常です。

> あったとしても早朝深夜のごく一部か、ダイヤが乱れたときのみ設定されたのかとも思っていましたがやはり存在したのですね。穴太行き。長年のモヤモヤがすっきりしました。当時穴太~坂本は単線でしたね。

そうですね、穴太-坂本間が伏線になったのは、1997(平成9)年と、割と最近ですね。
2011/10/27(木) 23:10:37 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
Re: 三両編成京阪特急
京阪の3両編成特急、ネットでざっと調べても、これという記事はないですね。3両で走る写真が見たいですね。

> 話は大幅に飛びますが、JR西日本の207系電車は分割併合がなくなってからも3両+4両で一編成に運転台を4か所も抱えて?走り続けています。3両を広島か岡山に、4両を阪和線に転属させたらいいのにと、毎日職場の窓から線路を眺めています。(ちゃんと仕事もしています。)

いや、広島や岡山に、トイレのないロングシート車は不向きだと思います。ああいうところは、京阪神間とは需要の量もさることながら、「質」が違うからです。広島、岡山といった中心駅が圧倒的に大きくて、そこに向かって、あるいはそこから、ある程度まとまった距離を移動するという動きが中心で、緩急接続も少なく、そういう中心駅に関係ない3,4駅間を小刻みに乗降するような動きは少ないと考えられるからです。京都以東とある意味近いと思います。滋賀県内も、県内で3,4駅乗るよりは、京都と行き来するためにある程度まとまった距離を乗る方が多いことでしょう。

それなら、湖西線の、せいぜい近江舞子以南、できたら堅田以南を、本数を維持するために都市型ワンマン運転するか、昨日の京都新聞夕刊に書かれていた、奈良線103系の運転室の劣悪な環境を改善するために置き換えるかする方がより有効だと思います。
2011/10/27(木) 23:31:59 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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