青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
私は、わざわざ寒い時に寒いところに行くことあらへんわ、という実に拗ねた若々しくない性格で、スノボなんてほとんど行かないので、最近の滋賀県のスキー場の情報にも疎いのですが、地球温暖化の影響もあるのか、特に12月などという早い段階では、人工雪が多いようですね。

しかし、63年前の今日、1947(昭和22)年12月26日の京都新聞の広告↓によれば、人工雪などもちろん存在しませんが、翌27日からスキー場開場と書かれています。

S22.12.26KY マキノ臨時バス広告b

広告主は「京阪神急行」となっており、今の京阪と阪急が、まだ戦時統合下の状況だった時ですね。分離はこの2年後、1949(昭和24)年のことです。

京阪バスは、「四条大宮より濱大津まで特別運轉スキー船連絡」と書いてあります(筆者注 濱=浜 轉=転)。今、「京阪バス五十年史」などをもとに自分で作った年表を確認したら、何と広告が出たこの日に「スキー旅客輸送のため四条大宮-浜大津間運行認可」されたということですので、それのことですね。「京阪神急行」傘下の会社としてスキー輸送に協力しているということでしょうか。

江若鉄道のことも載っていますが、この時は、まだ京阪系列ではありません。江若の乗車券は、スキー船にも通用すると書かれているので、プール制だったと思われます。

しかし、終戦直後のこの頃、いったいどれほどのひとがスキーを楽しめたのだろう?と思います。京阪バスの戦後復興の象徴である「京津国道線」(浜大津-京阪三条)でさえ、使用できる車両をかき集めて、1946(昭和21)年4月5日に毎日運行を再開したばかりの状態です。

この広告のすぐそばには、「引揚者に對する絹蒲團特別配給の予約を承ります」(筆者注 對=対、團=団)との「京都府海外引揚同胞聯盟」の公告。スキーが悪いとか、そういうことじゃないのですが、とてもそれどころではなく、明日寝る布団をどうしたものだろう、というひとも少なくなかったのでしょう。

この年は、日本国憲法をはじめ、学校教育法、労働基準法、児童福祉法など、今の日本を形作る、基本的で重要な法律がたくさん公布・施行された年でもありました。
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