青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
京阪バス大津営業所の路線の歴史を調べる上では、並行するライバル他社の歴史も必然的に絡んでくるわけですが、本数は少ないながらも異彩を放っていた、石山駅-信楽駅間の国鉄バス(JRバス)は印象的です。2002(平成14)年9月30日に廃止され、現在は「信楽高原バス」が京阪石山寺まで乗り入れています。

京阪バスのバス停はほぼ1つ飛ばしにしか停まらず、運賃こそ京阪バスとの並行区間では京阪バスに合わせているものの、京阪宇治交通(京阪宇治バス)と違って、京阪バスの回数券が使えず、現金でしか支払えなかったため、私も長い間住んでいるのに、2,3回しか乗った記憶がありません。

11月12日付の拙稿「京阪宇治交通石山線 生誕48周年」でご紹介した、宇治交通の車両写真をご提供頂いた、まんたろう様が、ありし日のJRバスの写真を撮影されていました。1989(平成元)年10月22日撮影ですから、西日本JRバス発足約1年半後ですね(西日本JRバスの発足は、JR西日本発足より11カ月後です)。
改めまして、まんたろう様、ご協力ありがとうございます。

京22か2198

今の京阪石山駅の少し広場寄り、駅舎の向かって左手、京阪電車の線路との間に、国鉄バスだけの回転場がありました。ここでもバスに乗れますが、他社のバス同様、広場の方でも客扱いしていました。

この路線は正式には近城線(きんじょうせん)といい、メインはあくまでも奈良駅-加茂駅-信楽駅-貴生川駅間だったようです。つまり、「江」と「山」を結ぶ路線ということです。これは私も最近知りました。奈良ナンバーの車両が使われていることがあって、驚いたことがありましたが、そう考えれば納得ですね。

55年前の昨日、1955(昭和30)年12月18日付の読売新聞滋賀版で、12月21日付での、国鉄バス新路線の開通が報じられます↓
S30.12.18 読 国鉄バス信楽‐鹿跳開設、京阪接続b

ご覧頂くと分かるように、この時は、石山駅には直通しておらず、鹿跳橋(ししとびばし)で、京阪バスと連絡するという形を取っています。また、「京阪バスはなぜ大石小学校行きではないのか?」と思われる方がたくさんいらっしゃると思いますし、私もそう思っているのですが、この当時は、鹿跳橋発着だったようで、今の、大石小学校のロータリーがいつできたのか?という、実に基本的なことが全く分からなかったりします。

私が作った昭和39年以前の年表にも書きましたが、社史には、開通の翌年1951(昭和31)年1月9日には、鹿跳橋での両社の連絡運輸協定も結ばれたことが分かります。つまり、連絡乗車券が発行されていた、ということなのでしょう。

近城線については、私がざっと調べた限り、1952(昭和27)年12月3日の段階で、既に大津市の助役と、朝宮村長(現在の甲賀市信楽町朝宮)が大阪鉄道管理局に、加茂-信楽間の路線を石山に延長するよう陳情したことが分かっています。(12月5日付の滋賀新聞)
同紙によれば、

甲賀郡山間部から大津へ出るには貴生川から回り道せなければならない(ママ)こと、産物輸送に便である(ママ)ことなどを擧げている



のが陳情の理由。陳情は効果があったのか、1955(昭和30)年8月24日の滋賀新聞、8月27日の朝日新聞では、10月には開通、と報じられていましたが、結局年の瀬になってしまったようです。

帝産湖南交通の前身である「湖南交通株式会社」の石山駅-信楽系統は、開通年月日はよく分かりませんが、1951(昭和26)年3月10日の滋賀新聞で「湖南交通信楽線時刻改正」が報じられていることから、既にこの時点では開通していたことが分かります。しかし、朝宮、宮尻など、後に信楽町となる山間の集落は、この路線からも外れていたため、大石富川町など、交通に恵まれない山間の集落を抱える大津市側の助役も一緒になって陳情したのでしょう。

因みに、石山駅まで延伸したのは約10年後、1965(昭和40)年5月20日のことです。
何と、京阪バスが「既得権」を理由に国鉄バスが鹿跳橋以北で並走することを拒否した(!)のだそうです。

この辺りの事情は、大阪の守口市や門真市の約3倍(!)、交野市や寝屋川市よりも広い約37㎢もあって、何かというと足に困る、大石学区の通学問題も絡んできて、いろいろ大変なので、おいおい書いていくことにします。
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この記事へのコメント
大石小学校のロータリー
以前、とある京阪バス掲示板で書き込んでいた者です。

> 大石小学校のロータリーがいつできたのか?

思わず気になって、航空写真を閲覧してみたら、昭和49年の段階では既にあったんですね。それより前の航空写真はネットで見れる解像度ではよく分かりませんでしたが。
2013/05/03(金) 00:15:58 | じゅうしまつ | #-[ 編集]
Re: 大石小学校のロータリー
じゅうしまつ様、初めまして、コメントありがとうございます。
航空写真、という手がありましたね。国土地理院が公開しているものでしょうか?
なぜと言われると難しいのですが、確かに昭和49年なら、古いと言ってもそう極端に昔でもなく、ある程度今につながるインフラの基本が整備されていそうなので、もうありそうですね。

1971(昭和46)年版の住宅地図でははっきりとその存在は確かめられず、今と違って郵便局より北に支所(市民センター)があり、その前にバス停の印があり、小学校は支所と道を挟んで反対側にあります。

『京阪バス五十年史』によると、大石小学校まで路線が伸びたのは、1962(昭和37)年5月4日に「鹿跳橋-大石小学校間0.2キロ」の路線延長免許が認可されて以降のことです。「鹿跳橋」と「大石小学校」の間が0.2キロ!?と思われると思いますが、これについては、鹿跳橋、宮前橋、大石小学校のいずれかの項で詳しく取り上げます。

こないだロータリーのどこかに、いつ作られたものかを物語るような何かがないか探しましたが、全く分かりませんでした。ただ、南側の縁(へり)の桜の木は整然と並んでいるので、もともとあったものではなく、ロータリーができるにあたって植樹されたもののように思われ、その樹齢が分かると、ロータリーの形成時期も自ずとわかると思います。
2013/05/03(金) 00:55:03 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
早速のコメントありがとうございます。

国土地理院系の航空写真閲覧サービスと、国土交通省系の航空写真閲覧サービスがあるのですが、前者は米軍撮影時代からのものが掲載されているものの解像度が低く、今回閲覧したのは後者の方です。

国土地理院系
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.jsp

国土交通省系
http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

大石付近は昭和49年度、昭和57年度、昭和62年度の3つが閲覧可能で、昭和49年の高解像度がこちらです。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckk-74-7/c9/ckk-74-7_c9_20.jpg

ちょうどバスと思われるものが、停車しています。ご参考までに。
2013/05/03(金) 03:12:24 | じゅうしまつ | #-[ 編集]
もう少し心当たりを調べてみました。

ローカルな航空写真の閲覧システムとして、国土交通省琵琶湖河川事務所のB-SKYというのがあるのですが、

http://www.bbox.biwakokasen.go.jp/mzBBOX/btop.html

こちらで昭和45年の地図が閲覧でき、先程の49年のものと見比べてみたところ、既にこの時にはあったように見えます。

http://www.bbox.biwakokasen.go.jp/mzbbox/ImagesBBox/ImgOrg/P02002B00086/C34-03.jpg

併せてご参考までに
2013/05/03(金) 10:38:58 | じゅうしまつ | #-[ 編集]
Re: タイトルなし
じゅうしまつ様、いろいろな情報ありがとうございます。
琵琶湖事務所のB-BOXは私も見ていたのですが、B-SKYは気づきませんでした。
昭和45年の写真はもうちょっと低空で見てみたいですね。何かはあるような気はするのですが…。一度きれいにプリントアウトして、当時の住宅地図と引き比べても面白いかもしれませんが、住宅地図は古い時代のものであればあるほど歪んでいたり不正確なことが多いので、あまりあてにできません。

また何か発見がありましたら、ぜひお知らせ下さい。
2013/05/03(金) 19:02:44 | 喜撰猿丸 | #HdXTMQ3I[ 編集]
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