青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
前回に続き、鏡山循環バスの話題です。

地元の力の入れようはなかなかすごいです。住民の取り組みが表彰されるはずです。
私も仕事やプライベートでよく車で通りかかる地域なのですが、目立つところにこんな看板が↓

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車を降りてゆっくり見て、地元、京都市立花山中学校美術部の作品だと分かりました。背後の橋はどこなのかよく分かりませんが、バスは大人顔負けの正確な描写で、立体感もうまく出ています。

この辺りでは有名な「六兵衛池」跡の公園にはこんな幟も↓

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↓看板には増発された日中の便の時刻も

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せめて1時間1回は欲しいところでしょうね。この辺りは、山科駅はもちろん、御陵駅からも歩くには遠くタクシーを使うには近くて贅沢、という中途半端な地域で、絶対潜在的な需要があるはずです。

この路線の単独バス停は以下の3カ所です。

↓西今屋敷

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↓岸ノ下町

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↓中道町

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この辺りは駅があるわけでもないのですが、恐らく昔からの宿場か何かの名残で、商店街になっていて、商店の協力を得ているのか、軒先にバス停があります。

お気づきのように、1994年の路線図にあるバス停とは、名称も位置も異なっています。

↓これを過ぎると大石道とクロスする北花山交差点です。

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この付近に「寺内町」のバス停があったようです。

鏡山循環バスはここで右折して、17号経路と暫く並走して、北花山、石塚町のバス停を共用した後、日ノ岡交差点で再度右折して三条通に入ります。

この渋谷街道の路線免許の歴史は古く、同じく1990年代末まで存在した小栗栖団地発阪急東向日行きなどと共に、1963(昭和38)年開通の浜大津向日町線にその源流をたどることができるのではなかろうかと思われます。この時代、まだ東山バイパスがなく、渋谷街道も大津・山科と京都市街を結ぶ重要な交通路でした。今も山科区内と四条河原町などを結ぶ路線の多くが、清閑寺山内町から馬町に入って行くのは、この当時の名残と思われます。

浜大津向日町線は、恐らくこれを直進してそのまま東山を越えていたのでしょう。
残念ながら、同路線に関する資料はほぼ存在しません。

次回は、鏡山循環バスの遠い祖先ともいえる、寺内町系統を走っていたボンネットバス写真を取り上げます。
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