青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1947(昭和22)年12月28日、63年前の今日の京都新聞の記事↓京津国道線に、大型トレーラーバスを導入する、とあり、時刻表も示されています。トレーラーバスには○印がつけられ、運用が固定されていたことが分かります。時刻を見る限り、大津単独では運行が難しそうなので、京都と共管だったのかもしれません。

S22.12.28KS

私は、沿線住民の方やファンの方など、多くの方が思っている以上に、京津国道線は歴史的に重要な路線だと考えています。昭和3年、京滋地区の京阪バスの前身の核となった、「京津自動車株式会社」によって運行を開始し、以後、京阪電鉄の京津線と並行しながらも、多くの通勤、通学客を運び、また、時期によっては運賃がプール制だったこともあります。

そして、何より、戦後復興の象徴であるところは、京阪バス自ら社史に書き記しているところであります。

京阪バスに限らず、終戦直後はどこのバス会社も、戦争によって運転手や車掌が不足したり、燃料がなかったりで、休車や路線休廃止が続き、満身創痍、交通はマヒして大混乱の状態でした。京阪バスは、101台の車両を抱えていたものの動かせるのは58台、しかも老朽化していて、休んでいる他の車から部品を取って使いまわしているような状態だったそうです(『京阪バス五十年史』P70)。そんな中、くしくもこの記事が出るちょうど2年前、1945(昭和20)年12月27日、滋賀県知事から、路線復活に関する通牒が出されました↓

現在、浜大津の輻輳を緩和する一助として、来る一月一日より浜大津-三条大橋間を復活実施され度し。之が為当所よりバス二両を貸与す。なお本件は差当たり日曜祭日にのみ運行するものとする。



これを受けて京阪バスは、運行再開の申請、運賃変更申請などを行い、2月22日より、京津国道線を1時間ごとに走らせました。

この京津国道線こそは、戦後再開路線の第一号となったのである。(『京阪バス五十年史』P71)



これを皮切りに、燃料事情が少し良くなってきた、この昭和22年以降を中心に、京滋地区も大阪地区も路線の復活が相次ぎます。

正に「新生日本の復興は輸送復興から!」ですね。

鉄道関係の趣味が認知されておらず、今よりもっと「オタク」のように言われていた時代、といってもついこないだ、私はまだまだ子どもながら、交通関係全般に関心を持っていました。しかし、親や友人からは「下らない」「そんなこと何になる」「暗い」と言われ続けてきました。しかし、経済を支えている交通や輸送に関心を持つことのどこが下らないのでしょう?日本の復興は、この広告のことばどおり、まずひとと、ものとが動き始める、輸送と交通の復興なくしてはありえなかったのではないでしょうか。

京津国道線の浜大津-山科駅間は残念ながら2006(平成18)年7月1日、廃止されてしまいましたが、今後も、現地調査や文献講読を通じて、この路線を追求し続けたいと思います。
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