青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
九条山の続きです。
途中にいろいろなものがありましたが、やっと峠の天辺に着きました。



それにしても、九条通よりずっと北を通っていて、三条通の延長と考えられるような位置なのに、どうして「三条山」でなく、「九条山」なのでしょう。

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『角川日本地名大辞典26』には何の記述もありませんでした。五条別れもなかったし、本当にこの辞典はやたら分厚いのに肝心な時に役に立たない。
『京都の地名由来辞典』(源城正好・下坂守 東京堂出版2005)によると、「峠の頂の北東の山地が九条家の土地であったために、大正頃から使われ始めた地名」だということです(P153)。

九条家とは、藤原家の末裔で、現在の当主は平安神宮の宮司です。今上天皇(きんじょうてんのう=現在の天皇陛下)の祖母に当たる貞明(ていめい)皇后はこの九条家の出身で、今上天皇と現当主ははとこに当たるのだそうです。


ここは京津線が廃止されたことによる変化が特に大きい場所です。
線路敷を利用して三条通が片側二車線になり、歩道も拡幅されました。

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駅があった当時の写真や住宅地図を見ると、西行のバス停は駅の南端の歩道上にあったようです。現在のバス停は、はっきりしたことは分かりませんが、ほぼ平行にスライドして現在の歩道の上に移動しただけなのではないかと思います。車道の真ん中にある青いポールの印が、推定位置です↓

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もちろん、正確なことは各種の地図や航空写真、その他駅があった当時の写真を分析した上で、測量でもしないと分からないことでしょう。

因みに、東行きの方はある程度はっきりしたことが分かる資料が残っている1973(昭和48)年から1999(平成11)年まで今のバス停より若干浜大津寄りにあり、それは反対側の歩道上に別の青いポールで示しています。

↓W-6244の三条京阪方面行きが乗降扱い中

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京津線の廃止で一番割を食い、地下鉄東西線の開通の恩恵を一番受けなかったのがこの九条山でしょう。

それどころか、採算性などの問題で代替駅が設けられないことになったため、民事訴訟まで起こされる大問題になりましたが、結局原告側が敗訴し、この1時間2往復程度のバスが唯一の公共交通機関となりました。
最寄りの蹴上駅まではバス停からでも0.9キロ、谷底から立ち上がる斜面に家が建ち並んでいるので、そういうところはもっと距離が伸び、場所によっては階段を使わないと行き来できないので、住民の負担は更に大きいことでしょう。

↓古び具合からすると、京津線があった当時既にあったポールを流用しているのでしょう。

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背景に写る「かにの山よし」も、今は配送センターのようなものだけが残っているようです。

↓一方こちらは東行きのポールを西向きに撮影

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こちらのポールは新しく見えます。
今更気づいたのですが、よく考えたら、他社と調整しているところなど特殊なところは別にして、京阪バスのバス停ってヘッド部分が単純に上に載っているだけのところと、ここの西行きみたいに、支柱が伸びてヘッド部分が上から下がる形になっているところとがありますね。恐らく前者が新しい形なんでしょうね。

↓東向きに撮影

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青いポールの印が、元のバス停の位置と考えられる場所です。

↓階段の下、このポストの辺りが、元のバス停位置と思われます。

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↓京都市内とは思えません。

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↓西行のバス停から道の反対側を見ると、気になる廃墟のような建物があるのですが、そこにつながっているのがどうも上の写真の階段のようです。

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↓うわ~……想像はしていましたが、なかなか厳しいですね。

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後で調べたら全和凰美術館といって、韓国人画家全和凰(ぜんわこう チョン・ファハン)が自ら建てた美術館なのだそうですが…
崩れそうで怖いですね。窓ガラスが落ちて来たら大変です↓

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↓でも、付近の家々は結構普通に生活してはるんですよ。

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全和凰はネットでヒットする僅かな情報を総合すると、1909(明治42)年生まれ、1933年に一燈園に入園(この時は現在の四ノ宮ではなく、鹿ケ谷にあったらしい)、戦後、洋画家須田国太郎に師事、1994(平成6)年没。

須田国太郎なんて結構有名な画家だったなあ、と思って検索したら兵庫県立近代美術館で見て印象的だった「工場地帯」の絵がヒットして納得。

でも翻って、美術館が開館していたころの写真や資料を検索しても全くヒットせず、謎の建物です。

陸橋からの写真を撮っていたら、なぜか市バスの「臨時」バスがやってきました↓

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季節や曜日、時間帯に関係なく、たまにこの橋を渡って、蹴上の坂を上り下りする市バスを見ますが、一体どこに行くのでしょう?

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因みに去りゆく秋を惜しむ青蓮院・将軍塚②で書いた、青蓮院のシャトルバスもここを通っていました。
後に定期化されてからもここを通っています。

↓それにしてもこの陸橋、1958(昭和33)年竣工って…知ってしまうと渡るの怖い気がしますね。

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次は、蹴上です。
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