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いつも貴重な資料や写真を提供して下さっているまんたろう様が25年前に撮影した近鉄電車の写真をご紹介したところですが、行動力のある方で、同じ25年前の8月に北海道に行かれていて、その時の写真も多数頂きましたので、取り上げさせて頂きたいと思います。
私も北海道が好きで何度も旅行に行っていますが、最近のことなので、列車の顔ぶれも変わっています。私の方でここ数年の写真はまた別な時にUPしようと思いますので、その折には雰囲気の違いも感じて頂ければと思います。 全て札幌駅での撮影です。 ↓10年前(2007年)に廃車になった781系 ![]() 国鉄時代に開発された唯一の交流専用特急電車です。九州や北陸と違い、直流区間は遠く離れているので、直通はまずあり得ないという判断だったのでしょう。 ↓国鉄色とライラックカラーの並びです。国鉄色の方がすずらんで、左は分かりにくいですが、快速エアポートのようです。 ![]()
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今回は25年前の今日、1992(平成4)年8月21日に近鉄大阪線 長谷寺-榛原間でまんたろう様が撮影された写真をUPさせて頂きます。何のタイミングで出させて頂こうかと思っていたのですが、ちょうどいい節目ですので、25年前の夏休みを是非皆様もお楽しみ下さい。
近鉄電車に関する知識はほとんどないので、宜しければコメントやメールでフォローして頂ければと思います。 なお、もう25年も前のことで、現在も同じ場所で同じアングルで安全に撮影できるのかは分かりませんのでご注意下さい。 まず普通電車用の車両から…。 ↓2400系 2429 ![]() 昭和40年代に製作されたようですが、今も現役の車両のようで、原則として青山町以東の大阪線で走っているようです。電車の寿命は長いです。 ![]()
今日はいきなり何の話だ、と思われるかと思いますが、交通関係の話題はないので、興味のない方はまた別の記事をお待ち下さい。 ![]() 因みに正解は、以下の通りです。 ![]() 先日、大津市歴史博物館の「田上(たなかみ)手ぬぐい」展に行ってきました。
![]() 仏像、古文書など、別に嫌いとは言いませんがかなりコアな歴史ファンでないと厳しいかなという展示や、大津百町など中心部に関する企画展が多く、田上のような郊外の、それも近現代の民俗的資料にスポットが当たるというのは珍しいのではないかと思います。 大津百町もいいのですが、ずっと市南部で暮らす私にとって、やっぱり(大津百町付近の狭義の)大津は本当の地元という意識はないので、こういう郊外地域の歴史も取り上げられると面白いです。 細かく調べたらもちろんいろいろあるのでしょうけれど、人口が少ないということはそれだけ書き残されたものも少ないし、近代以降は写された写真もどうしても少ないし、研究されたり展示されたりする資料があまりないのかもしれませんが。 古文書など、禁じられている部分以外は撮影自由だったので、一部撮影しました↓ ![]() 長らくお待たせ致しました。本日から更新を再開したいと思います。以前と同じような間隔にきっちりできるか分かりませんが、旅行記等、今まで相対的に少なかったタイプの記事も多くできればと考えています。よかったら宜しくお願いします。
さて、今回はちょうど60年前の今日、1957(昭和32)年8月10日付の京都新聞市民版に載った記事から。 ↓京都市民も大津市民も、知っているようで知らない陀羅谷についてまとめられている珍しいものです。 ![]() (クリックすると大きくなります。現在は一般的と言えない表現が含まれていますが、時代背景を考えそのままにしております。個人名は消しています) 陀羅谷(だらだに)…南郷辺りに住んでいると、「千寿の郷の奥にもひとが住んでいるらしい」「少し行くともう京都市」などと何かの折に聞くことはある地名ですが、正式には京都市伏見区醍醐一ノ切、醍醐二ノ切、醍醐三ノ切の3つに分かれています。 ![]() |