青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今回は、京津国道線を中心に、京都駅付近の懐かしい写真を取り上げて、京津国道線のフィナーレとしたいと思います。

↓B-1404 滋22か654 1978(昭和53)年式MP117M

滋22か654②

京都タワーの前ですね。京都タワーの1つ手前の建物の看板の「純喫茶」ということば、私もテレビなどで見て辛うじて知っている程度で、本当に目にすることは今ほとんどないですね。
後ろに続いて来ているのも京阪バスですが、経路番号が2なので、京都奈良線でしょう。

↓B-1380 滋22か628 1977(昭和52)年式MR470
[京都駅 【京津国道線26-2】]の続きを読む
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京都駅 きょうとえき
所在地:京都市下京区東塩小路町
開設年月日:不詳
付近:JR京都駅 近鉄京都駅 京都市営地下鉄京都駅 京都中央郵便局 ジェイアール京都伊勢丹 キャンパスプラザ京都 武田病院 ホテルグランヴィア京都 京都タワー 京都新阪急ホテル 下京区役所 京都七条公共職業安定所 ビックカメラ京都店 京都ヨドバシ (現在ないもの)国鉄京都自動車営業所 京都近鉄百貨店(旧丸物百貨店) 下京消防署 京都市交通局三哲操車場
キロ程:河原町五条から1.5キロ


停車場はしかしかなり大きな停車場だ。新橋の停車場に似てゐるやうな感じが何處かにある。通りへ出る。そこは七條通で、電車がすぐその前に來てゐる。
(中略)
電車は此頃ではもう非常に便利になつてゐる。少し地理を知つてさへすれば、電車で行つて、簡單に遊覽ができる
(田山花袋「東海道 畿内」『田山花袋の日本一周 前編【近畿・東海】』P424-425)





長らくの「ご乗車」お疲れ様でした。京都駅、終点です。いやあ、本当に長かった。京津国道線だけでなく、京都今津線としても末端です。近江今津からの通し距離は66.2キロです。

バス停の数は京津国道線として四条大宮方面の支線を含めて浜大津から数えて26カ所(国道山科を1か所としてカウント、山科駅、陵ヶ岡天智天皇陵、番外扱いの新唐崎・琵琶湖大橋を含まず)、京都今津線として数えると101カ所(近江舞子・日吉大社支線含まず、堅田町内含む)。足かけ5年(!!! 今自分で確認してびっくりした)に及ぶ長丁場でした。お付き合いありがとうございました。

京津国道線をはじめ、京都比叡山線、京都奈良線などが停車する京阪バスとしての京都駅の乗場は、記録がはっきりしている1972(昭和47)以降では、今の京都中央郵便局前にあったことが分かっています。

現在の京都駅ビルの建築が始まると、乗場が移動になり、建築後には完全に現在の場所になったようです。

↓住宅地図等の資料から分かっている乗場位置。
[京都駅 【京津国道線26-1】]の続きを読む
河原町五条 かわらまちごじょう
所在地:(浜大津方面新位置)京都市下京区安土町 (京都駅方面・浜大津方面旧位置)京都市下京区西橋詰町
開設年月日:不明
付近:京都リッチホテル五条河原町 京都銀行河原町支店 本覚寺 京阪本線清水五条駅
キロ程:四条河原町から0.9キロ




現在、京都比叡山線は河原町通経由ですが、京津国道線が走っていた頃は京都比叡山線が烏丸通経由で、京都駅を出ると四条烏丸で右折して四条通を走ってから三条京阪、銀閣寺道方面に向かっていて、京津国道線は逆に河原町通経由でした。

四条河原町以南で、京都駅までの間に唯一停車するのがここ、河原町五条でした。京都比叡山線は通過しています。

四条河原町の雑踏を抜けて、ここまで来るとだいぶ静かになり、店もあまりなくなり、会社などが多い地味な雰囲気になります。

現在、京阪バスが停車するのは五条通り沿いのポールだけで、山科営業所の四条山科醍醐線が停車しています。

↓東行き 五条坂、国道東野、西野山団地方面
[河原町五条【京津国道線25】]の続きを読む
大きな鉄道ジオラマがどこかにあるらしい、といううっすらした、微かに聞いた程度のほとんど思い出すこともない記憶が呼び覚まされたのは、つい最近の新聞やネットの記事で、それが平和堂近江八幡店だと分かり、10月16日、閉店当日に最初で最後の対面をしに行きました。

北海道には旅行に行ったくせに、実は近江八幡市というのは沖島は別にして行ったことがありません。近江八幡駅で降りたこともありません。テレビの旅行番組やパンフレットに出てくる八幡堀の美しい風景なんて一体どこにあるんだろう?と思うくらい。いつでも行けるところは案外行かないものです。

↓近江八幡店

IMG_1098_2016101621431522a.jpg

IMG_1097.jpg

くたびれていますね。

既に3階、4階が閉鎖されているので、階段が怖い…。
[平和堂近江八幡店 鉄道ジオラマ]の続きを読む
さて、四条大宮と言ってもう1つ忘れてはならないものがあります。京阪バスの本社跡地です。
1988(昭和63)年5月6日に現在地に移転するまで、京阪バスの本社は終戦直前の1945(昭和20)年8月12日から四条大宮にありました。因みに登記は終戦記念日のようですが、こんな時、法務局なんてまともに動いていたのかな?とか、引っ越しどころの騒動ではなかったのではないか?と不思議になります。なお、その更に前の暫くの間は京都駅前に本社があったようです。

本社跡は1991(平成3)年に「京阪バス四条大宮ビル」となり、アークホテルが入居しています。Wikipedia等の記述を見る限り、今も所有権を手放しているということでなく、賃貸借しているという形のようです。

IMG_7066.jpg

自社グループにホテル会社があるのに、なぜわざわざ競合するような他社を入居させたのが分かりませんが、何らかの考えがあってのことなのでしょう。

ここからは京津国道線や四条大宮の京阪バスに関わる新聞記事をいくつかご紹介して、四条大宮の回を終わりたいと思います。

↓1956(昭和31)年9月1日の読売新聞滋賀版
[四条大宮 【京津国道線24-3】]の続きを読む
ちょうど60年前の明日、1957(昭和32)年1月9日付京都新聞滋賀版に掲載された、「落穂寮」の記事から。

S32.1.9KS 落穂寮b

「落穂寮」については、新浜 【石山外畑線・宇治交通石山線16‐1】でも取り上げましたが、現在の湖南市に移転するまでは、新浜バス停の南、畑や駐車場などがある辺りにあったようで、バス停名も「落穂寮前」だったらしいことが分かりました。

1998(平成10)年、学校教育法が改正され、記事中にある「精神薄弱」その他の用語はなくなりましたが、それより遥か前の時代であり、現在の目で見ると差別的と思われるような表現もありますが、私の主観が現在の感覚を代表するとは言えませんから原文を保ち、そのままにしております。「火の用心を呼びかけ××る」とある部分は、なぜ伏字になっているのか、何が伏せられているのかも分かりませんが、これもそのままにしています。写真だけは一部加工しました。
[落穂寮と国道422号線バイパス 60年の変化]の続きを読む
前回、京津国道線は、「公園」の発着場から補助標識の例外規定に基づいて、右折していたのではなかろうか、というところまでお話ししておりました。

「公園」から、四条烏丸方面に走って行かなければならないのだとしたら右折せざるを得ないのです。

また浜大津行きの乗場は、「京都のりもの案内」において、現在四条通を東に向かうバスが停車しているこの乗場の東端だったと記載されていて、そこに止まりたければ「公園」から出るときの右折はほぼ確実です↓ 

IMG_8171.jpg

上の写真で、市バスが停車している辺りがその乗場だと思います。

道を渡って乗場を見に行きます。西を望んでいます↓
[四条大宮 【京津国道線24-2】]の続きを読む
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
年始1回目は京津国道線の続きで、一方の終点(書類上は恐らく起点)の「四条大宮」です。

四条大宮 しじょうおおみや
所在地:京都市下京区立中町(又は下り松町)
開設年月日:不明
付近:阪急大宮駅 京福四条大宮駅 京都市立洛友中学校 関西アーバン銀行四条大宮プラザ 京都銀行大宮支店 近畿産業信用組合京都支店 りそな銀行四条大宮支店 大宮阪急ビル 西方寺 光林寺 光林保育園 京都四条大宮郵便局 妙巌院 アークホテル京都 (現在ないもの)京阪バス株式会社本社
キロ程:四条烏丸から1.0キロ


四条烏丸から四条大宮までというのが意外に距離があります。「取材」の時は1日乗車カードがあるから、バスに乗ってしまおうと思って待っていました。西に向かうバスなら、どれに乗ってもいいのかな、と思っていたら、四条堀川で右折するバスに乗ったらダメなんですね。危なく12(立命館大学行き)に乗るところでした。京都なら分かっているつもりでが結構分かっていないことが…。

次を待っていると、降車扱いをした43系統が「四条大宮・みぶ」の表示に。

IMG_8156.jpg

ロケーションシステムにも出ていないし、ダイヤもどこに書かれているのか分からないけど、「四条大宮」って書かれているから乗っていいのかな、と思って乗ってしまいました。入庫のためなんだ、もしかしたらすごい珍しいものなのかもしれない!と思って、みぶまで乗り通してしまいました。

みぶって、交通局本局も移転してしまって、今どの程度の機能が残っているのかな、と思ったのですが、何かしらの建物と操車場は残っていました。この時は気づかなかったのですが、市電の起点がここだったということもあり、京都市交通局発祥の碑もあるそうです。

[四条大宮【京津国道線24-1】]の続きを読む