青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
御陵 みささぎ
所在地:(四条大宮・京都駅方面)京都市山科区御陵下御廟野町(みささぎしもごびょうのちょう) (浜大津方面)京都市山科区御陵上御廟野町
開設年月日:
付近:京都市営地下鉄・京阪京津線御陵駅 天智天皇陵(御廟野古墳) 京都山科御陵郵便局
キロ程:京都薬科大学から0.6キロ
 

やすみしし我ご大君の かしこきや御陵(みはか)仕ふる 山科の鏡山に 夜はも夜のことごと 昼は日のことごと 音(ね)のみを泣きつつありてや ももしきの大宮人は 行き別れなむ (額田王「万葉集」巻2-55)

天智天皇が崩御して、大宮人たちが昼も夜も嘆き悲しんでいると言っています。額田王は、
「茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20)」
の和歌で有名ですが、生没年は未詳です。ただ、天智天皇に深く愛されていたことは間違いないようです。大宮人だけでなく、彼女も昼夜問わず泣いて悲しんだのでしょう。

鏡山は、天智天皇陵の奥にある山です。「鏡王」(かがみのおほきみ)の娘と言われる彼女は鏡に縁が深く、吉田金彦は『京都の地名を歩く』で、もしかすると二つに分かれた鏡山の頂の一方を天智天皇に、もう一方を自分に置き換えているのではなかろうか、と言っています(P116)。

↓陵の向こうに見えるのが鏡山でしょうか。

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本当は「陵」の文字だけで「みささぎ」と読むことができ、めったに使われませんがちゃんと「常用漢字表」にも載せられています。ここでは更に、天皇の陵墓に対する敬意を表してか、接頭辞「御」をつけて「御陵」としています。つまり「御」は、「大和」の「大」などと同じく、いわゆる「黙字」で、発音していないことになります。
[御陵 【京津国道線13-1】]の続きを読む
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薬大前 やくだいまえ
所在地:(四条大宮・京都駅方面)京都市山科区御陵中筋町 (浜大津方面)京都市山科区御陵中内町
開設年月日:1933(昭和8)年9月3日「薬専前」として設置 同年10月8日営業開始
付近:京都薬科大学 カトリック山科教会・アヴェマリア幼稚園
キロ程:五条別から0.3キロ




1960(昭和35)年の住宅地図では、バス停は○印しかありませんが、斜めに通る京津国道に、南北の細い通りが交わるこの交差点に○が書かれており、もっときっちり書かれている1974(昭和49)年時点では既にほぼ現在と同じ位置にポールがあったことが示されているので、少なくともかれこれ50年以上位置は変わっていないものと思われます。

現在は「京都薬科大学」というバス停名ですが、ここでは嘗ての名称「薬大前」として取り上げます。

↓近くの地図

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新しそうなのに、「薬大前」時代のままの表記であるのみならず、市バスまで…。そういえば確かに市バスは「薬科大学前」だった気がします。

↓バス停名の由来となった京都薬科大学はすぐそばです。
[薬大前(京都薬科大学)【京津国道線12】]の続きを読む
↓今からちょうど60年前の今日、1956(昭和31)年7月22日付読売新聞滋賀版の記事。

S31.7.22Y 外畑キャンプ場にバンガロー付プールb

外畑にキャンプ場?そんなものあったかな、と思って今ネットで調べても、もう何もヒットしません。昭和31年ですから、天ケ瀬ダム工事で水没する前の外畑のことで、今の外畑しか分からない私たちの世代ではどうにもこうにもイメージが湧きません。
年配の方なら、何か覚えていらっしゃるのでしょうか?

高校生の修学旅行には物足らない気がしますし、中学生の修学旅行も隣の京都市で、今だったら何で隣町に!と大ブーイングでしょうが、まあ当時はこんな感じなのでしょう。
丸いプールだったようですね。直径20mに200人? 円周率×半径の二乗で、面積は約1,256㎥、一人当たり換算6.28㎥、つまりほぼ2坪。1坪はだいたい畳2帖ですから、畳4帖分に1人と考えると、広いとは思えません。深さも現在の小学校の標準的なプールより浅くて、本当にお遊びでちゃぽちゃぽという感じだったのではないでしょうか。

宇治川汽船と読売新聞共催のキャンプ場にプールを作った、ということで、キャンプ場はもっと前からあるんですね。

↓このパンフレットは、匿名希望さんから見せて頂いたのですが、上の新聞とほぼ同じ時期に発行されたのだろうと思われます。
[外畑キャンプ場]の続きを読む
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五条別 ごじょうわかれ
所在地:京都市山科区御陵大津畑町(みささぎおおつばたちょう)
開設年月日:1928(昭和3)年3月14日設置 同26日営業開始 1933(昭和8)年10月8日新国道上に移転
付近:京都薬科大学 洛和会みささぎ病院
キロ程:国道山科(外環三条)から0.4キロ




いわくありげな名前ですが、これは、五条通方面への分岐点という意味です。
京都では他に京産大近くの「柊野別れ」、大原の「野村別れ」など多数の「別れ」と名の付く交差点があります。
交差点の地名の分布(鏡味明克(かがみあきかつ)『愛知学院大学文学部紀要』2006)という面白い論文のPDFを見つけました。
首都圏で、「別れ」なんてそんな交差点名あるかな?と思っていたのですが、案の定、「別れ」という交差点名は会津など一部を除いて東日本には非常に少ないということがこれを見て分かりました。近畿地方でも京都市にしかないというのが非常に特徴的で、あとは広島県にやたらと集中しているのが目立ちます。

この論文に引用されている、同じ方の 「地方都市における通称地名の研究」『三重大学教育学部研究紀 要 (人文 ・社会科学 〉』 47 巻や、外山正恭 「バスの停留所名に残る方言一 「十文字」「四つ角」 と 「十字路」 一 」『言語生活』 317 号1978が面白そうですね。こういう研究があるんですね!

旧三条には、今も五条別れを示す道標が残っています↓

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[五条別 【京津国道線11】]の続きを読む
山科駅 やましなえき
所在地:山科区安朱桟敷町 (旧バスターミナルは安朱中小路町)
開設年月日:
付近:JR山科駅 京阪山科駅 京都市営地下鉄東西線山科駅 京阪バス山科駅前案内所 ラクト山科・大丸山科店 山科警察署山科駅前交番 京都府立洛東高等学校 安朱保育園 其枝幼稚園 安朱学区自治会館 日本基督教団京都復興教会
キロ程:




本来の京津国道線の筋には存在しないバス停なので、取り上げることに迷いもありましたが、大津側からの半分が残った時、終点となった場所で、私も最初で最後の乗車を終えたところなので、番外として取り上げたいと思います。

↓最後の1往復は、A-3675でした。3番乗場に発着していました。

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↓運賃表そのものも、もう新しいものになってしまいましたね。
[山科駅 【京津国道線 番外3】]の続きを読む
国道山科の最終回は、京津国道線の一部の便が起点・終点としていた時期がある「国道山科南詰」です。1996(平成8)年9月現在の路線図↓では、浜大津、西大津駅から来た46・47号の各系統、つまり京津国道線と西大津バイパス線が、現在の外環三条交差点で四条大宮方面の本線から分岐して、外環状線に僅かに入って、「国道山科南詰」で終点だったことが分かります。

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現在の、「外環三条」の、外環状線上の乗場に相当します。



↓現在の南行きの乗場。W-3948が来ました。こういう感じで京津国道線も停まっていたのでしょうか。
[国道山科 【京津国道線10-3】]の続きを読む
前回に続き、国道山科です。今回はまず、「西詰」の東行き浜大津方面↓を取り上げます。

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変遷が激しく、ポールの数も複数あった時代があるとみられる西行きに比べ、東行きは単純で、少なくとも1980(昭和55)年頃から、現在まで位置が変わっていないようです。
[国道山科 【京津国道線10-2】]の続きを読む
国道山科(外環三条) こくどうやましな(そとかんさんじょう)
所在地:国道山科東詰
開設年月日:不明
改称年月日:山科駅口→外環三条 2005(平成17)年4月4日(その他の改称年月日は不明)
付近:大丸山科店 京都銀行山科支店 関西アーバン銀行(旧びわこ銀行)山科支店 京都市山科生涯学習総合センター 京都中央信用金庫山科支店 西念寺 愛生会山科病院 護国寺 (現在ないもの)京都山科竹鼻郵便局
キロ程:四ノ宮から0.6キロ、又は0.7キロ


京津国道線の記事を再開します。

現在の山科は随心院領だった小野、勧修寺・醍醐寺領の勧修寺村、毘沙門堂領の安朱村以外はほとんどが「禁裏御料」つまり、皇室の料地でした(『京都市の地名 日本歴史地名体系27』P330-331)。

山科を古くは「山階」と書くこともあった(今はこう書いても、京阪バスの「山階校前」バス停の由来となっている京都市立山階小学校のように「サンカイ」と読むのがふつう)ことから、「山が階段状になったところ」という解釈もあるようですが、吉田金彦は「シナ」は古代南方語で「光」を表し、「東雲」の「シノ」や、草津市志那の「シナ」も同じ語源、としています。より歴史が古い草津の志那に対して、山のある「シナ」だから「山科」で、「山に光が射すところ」くらいの意味合いでしょう(『京都の地名を歩く』P117)。



京津国道線を取り上げる上で、一番難儀し、一番面倒臭かったのがここです。

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ここはバス停名の変遷と移動が複雑で、時期によっては「国道山科西詰」「国道山科南詰」「国道山科東詰」と乗場ごとに呼称が異なったり、ここを発着点としていた時期もあって、どう書けばよいかを考えること自体に時間がかかったためです。

拙ブログにおいては、「●詰」は関係なく、全ての乗場を「国道山科(外環三条)」という1つの停留所として扱い、UP日時点ではっきりしている変遷だけ都度記載致します。

まず、現行の「外環三条」バス停を取り上げます。

↓京津国道線の末裔、19号経路の四条河原町方面行きは外環三条交差点西のこのポールを使用しています。
[国道山科 【京津国道線10-1】]の続きを読む