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青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
師走のクソ忙しい時に2泊3日で無理やり東京に行ってきました。

というのも、12月17日、中高生の頃から一度生で聞いてみたいと思っていた、デンマーク人リコーダー奏者 ミカラ・ペトリ(Michala Petri 1958~)が来日してコンサートを開くと聞いたからです。

↓乗り換えのために降りた原宿駅では、明治神宮参拝用の臨時ホームの改札の点検?

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時期的なものなら、凄い偶然です。ちゃんとSuica用のタッチパネルがあるんですね。

中高生の時は、彼女が第1リコーダーパートを演奏する、J.S.Bachの「ブランデンブルグ協奏曲第4番」(BWV1049)の録音を聴いたんですが、
「学校で吹いている(吹かされている)リコーダーにプロがいるのか!?」
と衝撃を受けました。で、簡単な部分だけ、その当時はそんなことばはありませんでしたが、今でいう「耳コピ」をして自分のリコーダーで真似してみたりしていたんです。

YouTubeに、ちょうど彼女が演奏している同曲の動画がありました↓
[師走の旅]の続きを読む
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前回に続き、唐崎です。

山手にある湖西線の唐崎駅と違い、湖側にあって、本来の「唐崎」の中の「唐崎」、行政地名としての唐崎というよりは、古来からの「唐崎」をイメージした、ズバッとした停留所名です。

↓南行きバス停

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1985(昭和60)年時点とバス停位置は変わっていません。びわ湖放送でリバイバル放送された、『近江風土記』第41回「近江八景今昔」で、1970(昭和45)年頃と思われるこの南行きのバス停がちらっと映るのですが、向きが違う(標柱が南を向いている)だけで、位置はほぼ同じ、Y字路の合流地点の島のようなこの独特な形状も変わっていません。「江若・京阪バスのりば」と書かれているようでした。

↓あれ?ちょっと時間をおいてから撮影したら、ヘッド部分が変わっていました。最近どんどん新しいものに置き換えられていて寂しい限りです。
[唐崎 【京都今津線64-2】]の続きを読む

舟が唐崎まで着くと、人々はそこで降りて、今はなくなつた老松の枝の下を繞(めぐ)り歩いてから、また汽船に乗つて帰つて来る。日は忘れたが、何んでもそれは盆の日ではなからうか。  (横光利一『琵琶湖』より)



唐崎 からさき
所在地:大津市唐崎一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1986年前後?
付近:唐崎神社・唐崎の松 ノートルダム教育修道女会唐崎修道院 湖岸緑地唐崎苑(旧同志社唐崎ハウス) メリノールハウス  (現在ないもの)隣松園
キロ程:北唐崎(びわこヘルスセンター前)から0.4キロ




『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』によると、奈良時代より前から見られる古い地名です。

何と言っても、

楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎幸(さき)くあれど大宮人の舟待ちかねつ(柿本人麻呂「万葉集」巻1-30)

が有名です。「ささなみ(さざなみ)の」は、「志賀」を導く枕詞です。唐崎は大津京の外港としてにぎわっていたのではなかろうか、という説があります(大津市教育委員会博物館建設室『大津の名勝』1989 P65)

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唐崎の「崎」と「幸」の畳語がリズムを作り出しています。英語の詩なら、韻を踏むのに相当するのでしょう。
上の歌でも「唐崎」が「辛崎」と書かれていますが、しばしば、「韓崎」「辛崎」などと書かれる例もあったようです。ここには「辛うじて」という意味が重ねられていると吉田金彦は指摘しています。
「唐崎は戦乱の災害からは免れたが、もはやここから天皇や大宮人が船にお乗りになることはない」という発想だそうです(『京都滋賀古代地名を歩く』P188-189)。

何とあの『枕草子』でも「崎は唐崎、三保が崎」と紹介された他、松尾芭蕉の『野ざらし紀行』、私が高校時代に難渋して匙を投げた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の『蜻蛉日記』など、びっくりするような有名な古典文学にも登場する名所です。
[唐崎 【京都今津線64-1】]の続きを読む
北唐崎 きたからさき
所在地:大津市唐崎一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1985(昭和60)年前後 京都今津線は1974(昭和49)年7月20日?
改称年月日:(不明) (?)→ビワコヘルスセンター前→旅行会館前→北唐崎
付近:旧びわ湖ヘルスセンター 大塚製薬藤井記念研究所 大塚食品琵琶湖研究所
キロ程:四ツ谷から0.3キロ




北唐崎は、今でこそ四ツ谷や石川町とともに、目立たない地味なバス停の1つになっていますが、ここにはかつて京都から京阪の直通バスも運行された「びわ湖ヘルスセンター」があり、少なくともセンターがある間は「びわこヘルスセンター」(『江若鉄道廃止申請書類』による。京阪バスの1964年現在の路線図では「ビワコヘルスセンター前」)というバス停名でした。

リンクさせて頂いているyume様の - yume_cafe - (京都ひとり歩き)の、2011(平成23)年7月30日付滋賀B級グルメバトルにコメントさせて頂き、ひょんなことから琵琶湖ヘルスセンターの話題が出ました。

なかっちょ様のブログピンぼけブログ館の、2006(平成18)年10月29日付記事【江若】浜大津駅の今昔にも、同センターの話題が取り上げられていました。

私は、古い新聞記事を見る中で初めてその存在を知りました。

1960(昭和35)年6月25日付京都新聞掲載の全面広告↓

ssS35.6.25K 琵琶湖ヘルスセンター (2)

この下の方にも、協賛企業の名前などが載っていました。

絵なので、どのくらい実態と合っているか分かりませんが、この通りの建物なら、現在であってもそう古めかしい印象ではありません。
温泉、プールと、水泳場、休憩のできる大広間があったようです。「ヘルスボート」というのが何なのかはよく分かりません。ヨットの絵は描かれていますが…。因みに「ヘルスボード health board」なら、イボイボがたくさんあって、踏むとつぼを刺激して気持ちいい、木製やプラスチック製の健康器具のことのようです。

三条京阪からバスが出ていたんですね。京阪バスと江若バスの便で、京阪バスの9:00、9:30は特に「直通バス」と書かれています。他の便は何なのでしょうか?

↓こんなのも見つけました。

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1961(昭和36)年8月 京阪電鉄発行の「京阪ニュース」の裏表紙です。
ヘルスセンター発20:30最終、この当時としては結構遅い時間まで営業していたのだろうということが伺えます。

一見すると写真のようですが、手前の建物が奇妙に歪んでいて、これが実際に建っていたのだとしたら怖いです。やっぱり絵なのでしょう。もうちょっと上手に描けるイラストレーターはいくらでもいるでしょうに。

古い住宅地図を調査したところ、位置は現在の「大塚食品琵琶湖研究所」↓の辺りだと分かりました。
[北唐崎(びわこヘルスセンター) 【京都今津線63】]の続きを読む
本題に入る前に…クリスマスが近づいてきましたので、最近気に入っているキャロル"Coventry Carol"(コヴェントリー・キャロル)を。



J-POPなども聴くのですが、やはり本当の意味でクリスマスらしい感じがするのはこういうキャロルですね。
『マタイによる福音書』の「幼児虐殺」の話が元になっているため、暗い雰囲気です。
lully lullayというたゆたうような繰り返しは、普通の英和・英英辞典には載っていないのですが、日本語の「ねんね」の雰囲気が近いようです。
1:39で、ガラッと雰囲気が変わって"Herod the king, in his raging,"というフレーズから荒々しくなりますが、「ヘロデ王は恐ろしい、眼に入る子どもを全て切り捨てろと兵隊たちに命じたの」という意味のことを言っています(Wikipediaより)。

日本の北原白秋の「砂山」の詞に、山田耕筰と中山晋平が全く別の曲をつけて、どちらも歌い継がれているように、この曲も同じ歌詞の別のアレンジがあり、そちらの方が検索でヒットしやすいのですが、私はこちらのアレンジが好きです。

ソロの少年の歌唱力と声量がすごいですね。コーラスはソロをかき消さないよう、多少声を抑えるのだろうと思いますが、それにしても何十人もの声の中でミスもないように突き出した声を出すというのは並大抵のことではないでしょう。

四ツ谷 よつや
所在地:大津市下阪本一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:
付近:KKRホテルびわこ 寺田自治会館
キロ程:石川町から0.5キロ




四ツ谷というと、東京の四谷(JRは「四谷駅」)、そして、その四谷を舞台とする「四谷怪談」がまずイメージされますが、大津市内にも「四ツ谷」があることは多分、ほとんど知られていないことでしょう。私もこのブログ取材をするまでは知りませんでした。

近畿圏では珍しい、「谷」を「や」と読む地名でもあります。

↓北から走ってくると、この四ツ谷交差点を通り過ぎることになります。北に向かう場合はバス停に停車してから、この交差点を通過することになります。

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左に分かれている旧道の方を路線バスが経由していたこともあったようなのですが、はっきりしたことは分かりません。
[四ツ谷 【京都今津線62】]の続きを読む
滋賀大学 しがだいがく
所在地:大津市平津二丁目
開設年月日:2005(平成17)年12月12日
付近:滋賀大学平津キャンパス(教育学部・教育学研究科) 社会福祉法人湘南学園
キロ程:石山駅から4.5キロ




10年前の今日、石山駅のバスターミナルが現在の位置になったその日、滋賀大学教育学部キャンパス構内に「滋賀大学」バス停が設置され、滋賀大学直通便が運行を開始しました。
滋賀大直通便は、関西外大摂南大学などと並んで、経路番号の設定がない通学用の直通系統として誕生しました。表示の「直通 non-stop」は、大阪のものと共通仕様です。
滋賀大構内以外は全て免許がある区間ですが、既存系統の増発ということではないので番号が割り当てられなかったのでしょう。

今はどうか分かりませんが、少なくとも2010(平成22)年頃の段階では、7:05内畑発曽束経由大石小学校行きに使用される車両が、約1時間後にこの便になるという仕業です。発車時刻は当時も今も8:10で変わっていません。

教育学部しかなくて、私立の大規模大学と比べれば学生数が少ないので、1日1本しかありませんが、行列ができる人気ぶりで、1人乗るかどうかの静まり返った内畑とのギャップに圧倒されます。
[滋賀大学直通バス運行開始10周年]の続きを読む
石川町 いしかわちょう
所在地:大津市下阪本一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:1985(昭和60)年前後?
付近:七本柳乗船所(下阪本港跡)
キロ程:下阪本から0.5キロ




「石川町」は下阪本の一部で、現行の正式な行政地名ではありませんが、交差点の名前としては生きています。

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『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(1979)の「下阪本村」の項に、万治元年の記録として「石川町」の他、現在もバス停名として残っている「太間町」や「四ツ谷」に関係すると思われる「北太間町」「内太間町」「四屋」という地名が載っている、とのことです。ただ同書P1053からの「小字一覧」にはどの地名も載っていません。

[石川町【京都今津線61】]の続きを読む
前回に続き、下阪本です。

前回も書きましたように、下阪本バス停は、江若鉄道の叡山駅の代替バス停でした。
DRFC-OB デジタル青信号内の、今でも気になる江若鉄道(2)という記事にUPされている、廃止直前の同駅の写真には、このバス停を案内する地図や江若バスの時刻表が掲示されているのが写っています。

叡山駅の跡を見に行ってみましょう。

バス停近くの路地から奥に入ると、旧北国街道とクロスします。

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こちらをバスが通っていた時もあるようなのですが詳しいことは未調査です。

更に歩くと、神社と神社が向かい合っている変わった場所に行き当たります↓
[下阪本【京都今津線60-2】]の続きを読む
下阪本 しもさかもと
所在地:大津市下阪本三丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:1985(昭和60)年前後?
付近:大津市立下阪本小学校 下阪本市民センター(大津市役所下阪本支所・大津市立下阪本公民館)
キロ程:比叡辻から1.0キロ(太間町からの京阪バスとしてのキロ程は不明 江若交通においては0.4キロ)




比叡山の門前港として繁栄した地で、天保期に広く開発が行われたということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(P377、761)。

「大津市役所下阪本支所・日吉中学校・唐崎中学校・下阪本小学校・自衛隊演習地・消防学校・京都大学附属臨湖実験所のほか会社の保養施設やレジャー施設などがある」(P761)
とあるので、範囲が広すぎないか?と思いましたが、この辞典の編集時(1979年以前)は、まだ「唐崎」という町名は成立しておらず、「下阪本」というと、今の唐崎や際川の一部まで含む、かなり広い範囲だったようです。
織田信長が、比叡山の焼き討ち後に明智光秀に築かせた「坂本城」は「坂本」ではなく「下阪本」にあったようです。
来迎寺や西教寺の門は、この城の門を移したと言われています(同書P761)。

↓城跡を示す石碑と…

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↓明智光秀の像が湖岸の公園にあります。
[下阪本 【京都今津線60-1】]の続きを読む