青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
来迎寺鐘化前 らいこうじかねかまえ
所在地:大津市比叡辻二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1974(昭和49)年7月20日
付近:聖衆来迎寺 株式会社カネカ(旧鐘淵化学工業株式会社)滋賀工場
キロ程:木の岡団地前から0.5キロ




『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』の「下阪本比叡辻町」の項には、伝教大師が地蔵教院を建て、のちに恵心僧都がここで弥陀聖衆の来迎を感得して、「聖衆来迎寺」と改めたという記述があります(P761)

来迎寺は、旧国道161号線の東側、北行きバス停の左手にあり、北行きのバス停のすぐそばに大きな標柱があります↓

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何なら、運転手さんはバス停より、来迎寺の標柱の方を目印にしていそうです。

このバス停は少なくとも1985(昭和60)年時点では現在の位置にバス停がありますが、1983(昭和58)年版の住宅地図では、北行きのバス停は交差点より南側にあったことになっています。
下の写真では、右手に写っている現在の北行きのバス停の、奥に見える道を挟んで向こう側の角、黒いワンボックスカーがいるあたりだろうと思います↓
[来迎寺鐘化前【京都今津線57】]の続きを読む
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(今日は交通関係の話題はありませんので、ご興味がない方は申し訳ありませんが別の記事をお待ちください)

知らなかったよ 空がこんなに青いとは…

有名な歌なので、小学校の時に歌ったという方も多いと思います。

風は強いですが、抜けるような青空の今日は、『空がこんなに青いとは』の作詞者、岩谷時子(いわたにときこ)(1916-2013)が亡くなってちょうど2年目です。
どちらかというと、シャンソン歌手・女優の越路吹雪(1924-1980)の付き人であったことや、『男の子女の子』(郷ひろみ)『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)などの作詞が有名で、新聞の訃報記事にも、そちらのことばかりが書かれていましたが、私の中では断然、『空がこんなに青いとは』の作詞者であり、本当はそれについてももっと知られてもよいのに、と思っています。(作曲は野田暉行)

ピアノ伴奏はたいていは歌のメロディとは全く別もので、この曲も例外にもれずほとんど和音だけなのですが、歌詞をつけたので、前奏とともに思い出して頂ける方も多いのではないかと思います↓



左手のオクターブ開いて動かすところが強すぎて、まっすぐ上から腕を落としているだけに聞こえるとか、上手なひとからいろいろ言われたのですが、まあ目をつぶってやって下さいw

第37回(昭和45年度)のNHK全国学校音楽コンクールの小学校の部の課題曲ですが、この時代の課題曲で今も普通に歌い継がれているものはそうはありません。第51回(昭和59年度)にも再び課題曲として選定されています。同じ曲が2度も課題曲に選ばれることは非常に珍しいことで、この歌の力を感じさせられます。

実は、その1970(昭和45)年7月10日、NHKでこの曲と同じタイトルの、大阪市大正区を舞台にした番組が放送されています(環境アーカイブスをご参照願います)。
[空がこんなに青いとは]の続きを読む
さて、木の岡町の「レイクサイドビル」いわゆる「幽霊ホテル」の話題でした。

昭和43年の建築ということは前にも書きましたが、これは江若鉄道廃線の1年前です。1年間は共存していたことになり、実際、大津市歴史博物館などで見ることができる、廃線前をとらえた動画の中には、この「幽霊ホテル」が映り込んでいるものがあります。

↓解体前の姿をとらえた動画も



今も、関連するキーワードを入力すると当時の写真を見ることができます。
建物の爆破解体というのは、法規制が厳しく、国土が狭い日本では非常に稀で、後にも先にもこのビルの爆破以外はほとんど行われていないため、現在もこのビルの爆破が代表的な例とされているようです。

↓こういうアングルで撮影すると、濃い灰色のコンクリートの塊のような建物が、画面左奥の白いカネカの建物を覆い隠すように聳えている様子が写ったことでしょう。

[木の岡団地前【京都今津線56-2】]の続きを読む
木の岡団地前 このおかだんちまえ
所在地:大津市木の岡町
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)不明  
付近:比叡辻臨水公園
キロ程:苗鹿から0.8キロ




「木の岡町」は、もともと下阪本比叡辻町の一部だったのが分離したようです。ディベロッパーが勝手につけた地名かと思ったら、天智天皇の皇后倭姫王(やまとひめのおほきみ)が眠る木岡陵を中心とする木ノ岡古墳群に因んでいるということです(『角川地名大辞典 25滋賀県』759)。

調べてみるものですね。確かに言われてみれば「木」を「こ」と読むことは、なくはないですが少しひねっていて、ディベロッパーがつけたにしては、わざわざという感じもします。

↓団地内のところどころに、不規則に木立が残っています。

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普通の町にはないような、道路が丸く取り囲んでいる団地のてっぺんの上の方の区画もやはり古墳のようでした↓
[木の岡団地前【京都今津線56-1】]の続きを読む
1955(昭和30)年10月15日、江若バスの浜大津線が大津駅まで延伸して今日がちょうど60周年です。

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↓1955(昭和30)年10月10日付京都新聞滋賀版

S30.10.10KS 大津‐堅田間に江若バスb
[江若交通浜大津線 大津駅延長60年]の続きを読む
苗鹿 のうか
所在地:(堅田・近江今津方面)大津市苗鹿一丁目 (浜大津方面)大津市苗鹿三丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1974(昭和49)年7月21日?
付近:那波加神社 那波加荒縄神社 湖西浄化センター 苗鹿会館
キロ程:雄琴温泉ホテル前から0.8キロ


大津市内でも指折りの難読地名です。「のうか」と読みます。



いつも使っている『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』によると、鹿が稲の苗を背負って手伝いをしたとか、那波加(なわか)神社↓によると言われています。

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那波加神社による、と言われても、それなら那波加とは何かという疑問が出ますが。

「苗鹿荘」として雄琴と別扱いされることもある一方で、「雄琴荘」の一部とされることもあるようで、雄琴を開いた同じ小槻氏が管掌していたという名残もあるのか、明治期から雄琴村の一部とされ、1951(昭和26)年の大津市との合併時には「雄琴苗鹿町」という町名でした(P546-547)。今は「大津市苗鹿」で、雄琴学区の一部です。

↓北行きのバス停
[苗鹿 【京都今津線55】]の続きを読む
雄琴温泉ホテル前 おごとおんせんほてるまえ
所在地:(浜大津方面)大津市雄琴六丁目 (近江今津方面)大津市苗鹿二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1974(昭和49)年7月20日?
付近:雄琴温泉港 びわこ緑水亭 大津市立おごと温泉観光公園
キロ程:雄琴温泉から0.3キロ


一つ北の「雄琴温泉」と紛らわしく、何か別のネーミングがないのかと思いますが、そちらはもともと『雄琴温泉駅』だったので、一応今よりは区別がつきやすかったのでしょうか。それでもまだ紛らわしいです。

バス停名の由来ははっきり分かりませんが、目の前にあるのは「びわこ緑水亭」です。特定のホテルを指しているというよりは、ホテルが多い地域だから、このネーミングなのかもしれません。



↓浜大津方面の乗り場 北向きに撮影

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↓逆に南向きに撮影

[雄琴温泉ホテル前【京都今津線54】]の続きを読む
雄琴まで来たところで、雄琴に関係する面白い新聞記事をご紹介したいと思います。1962(昭和37)年10月14日付朝日新聞滋賀版↓

.S37.10.14A 雄琴 きたないことば追放b

関西弁、江州弁どころか、「雄琴弁」です。

「そち」(きみ、あなた)
「きらる」(来る)
「わんら」(きみたち、あなたたち)
「おとろしい」(恐ろしい)
「となだ」(戸棚)
「ようよう」(ありがとう)
[雄琴弁?]の続きを読む
雄琴温泉 おごとおんせん
開設年月日:不明
廃止年月日:(京阪バスとして)1974(昭和49)年7月20日?
付近:雄琴市民センター(大津市役所雄琴支所・大津市立雄琴公民館)  大津警察署雄琴交番 JAレーク大津雄琴出張所 琵琶湖グランドホテル (現在ないもの)江若鉄道雄琴温泉駅
改称年月日:雄琴温泉駅前→雄琴温泉 1969(昭和44)年11月1日?
キロ程:北雄琴から0.6キロ


雄琴とは、思えば雅な地名ですが、この地を開いた小槻氏今雄宿禰(いまおすくね)に由来するとか、雄琴、雌琴の伝承による、とも言われていますが、肝心のその伝承が何なのかはよく分かりませんでした。南北朝時代には既にみられる地名だということです。
「伝教大師の開湯」などという伝説もありますが、実際には雄琴温泉そのものの歴史はそれほど古くはありません。吉田金彦によると「近江名所図会」などでも雄琴については簡単に「雄琴里、衣川と云ふ有りて船着なり」としか書かれていないそうです(『京都滋賀の古代地名を歩くⅡ』P177)。
それ以前から知られる隣の大字の苗鹿(のうか)の法光寺の霊泉がラジウム泉であることが大正8年頃に判明し、大正13年に「湯元館」という温泉旅館が開業したことが雄琴温泉の始まります。ただ、本格的な温泉街となるのは、1951(昭和26)年大津市と合併してから後のことだということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P194)。

吉田金彦は、恐らく「コト」はアイヌ語の「コタン」(村)で、水辺を表す「ウォ」と結びついて「雄琴」となったのではなかろうか、蝦夷の集落を接収した功績が認められて、先述の今雄宿禰が支配し、やがて神として祀られるようになったのでは、と説明しています(P180)。

雄琴温泉駅では京阪バスにも江若バスにも折り返し便があったため、「江若鉄道廃止申請書類」にはこのように、ターンの方法が書かれています↓

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これが一体どこなのか、ということなのですが、住宅地図で意外に簡単に見つけられました。
1971(昭和46)年版の住宅地図で、雄琴温泉の北、北雄琴バス停に近いところに、「江若バス駐車場」と書かれた土地があるのです。1968(昭和43)年版には記載がありませんが、何らかの土地があったことは間違いなく、国土地理院の公式サイトからアクセスできる、MKK676という1967(昭和42)年8月2日に撮影された航空写真を、高解像度で見ると、ここが白くなっているのではっきりとわかります。回りが全て田圃なので、よく目立ちます。

↓Yahoo!地図で見ると、この位置です。



今は逆に、ここが周辺では少なくなった田圃です↓

[雄琴温泉(雄琴温泉駅前)【京都今津線53】]の続きを読む