青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
北雄琴 きたおごと
所在地:(近江今津方面及び大津比叡山線用ポール)大津市雄琴二丁目 (浜大津方面)大津市雄琴五丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:滋賀ボート免許センター
キロ程:山ノ下から0.7キロ




北雄琴は、湖西線開通までは京都今津線が、それ以後は大津比叡山線が、また、少なくとも1976(昭和51)年頃までは京津国道線の延長である44号経路が停車していました。
本記事は京都今津線と大津比叡山線の記事を兼ねて、それぞれについて書いていきます。

大津比叡山線の両方向のバス停位置がはっきり分かる住宅地図として最も古いのは1986(昭和61)年版でした。

おごと温泉駅から下りてくると、まず堅田駅方面のバス停跡に行き当たります↓

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比叡山方向を眺めています。

↓こちらは堅田駅方面を眺めています。
[北雄琴【京都今津線52】]の続きを読む
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山ノ下 やまのした
所在地:大津市衣川1丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:衣川から1.2キロ




山ノ下という地名自体は、『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』を見ても、特に何も出てきませんでしたが、文字通り「山ノ下」で、「仰木の里」の「麓(ふもと)」に当たります↓

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↓ちょうど堅田駅行きがやってきました。私が見ていた時は、乗るひとが1人、降りたのは子ども含めて5,6人だったので、日中としてはかなり盛況だったのでは?と思います。駅から歩くにはちょっと遠いし、大津方面からだと乗り換えが必要ないので、一定の利用者がいるのかと思われます。
[山ノ下 【京都今津線51】]の続きを読む
衣川 きぬがわ
所在地:(浜大津方面)大津市堅田一丁目 (近江今津方面)大津市衣川一丁目
開設年月日:?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月19日?
付近:衣川自治会館 衣川廃寺遺跡 衣川寺
キロ程:仰木道から0.4キロ




西近江路(北国街道)の宿駅として古くから開けたと言われる「衣川」です。近くの衣川廃寺は、1975(昭和50)年に発掘調査が行われた結果、7C頃に建てられた、滋賀県最古の仏教寺院であるらしいことが確かめられています。湖畔に佇む伽藍は、どんなにか壮麗だったことでしょう。

北から来た時は、まず、天神川を渡ります。

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この川が別名「衣川」です(『角川地名大辞典 25 滋賀県』P484)。

↓堅田、近江今津方面
[衣川 【京都今津線50】]の続きを読む
本題に入る前に、今一番気になる動画。といっても、歌が聞こえるだけで画像は動かないんですが、ずっとこれと、同じ曲のア・カペラ版とを聴きながら記事を書いていました。



"The oak and the ash"(決まった和訳はないみたいですが、「樫と梣(トネリコ)」という意味です)という私の好きなイギリス民謡で、ロンドンに出てきたスコットランド人の少女の望郷の気持ちをうたっています。

3番"No doubt, did I please…"からのメロディは1、2番の出だしとは異なる録音の方が多いのですが、ここでは同じメロディです。

歌っているのはイギリス人ではなく、オーストラリア人の子どものようです。NSWというのが、ニューサウスウェールズ(シドニーなどを含む州)の略で、この人の他の動画がオーストラリアに関係するものが多いためです。オーストラリアの子どもに、遠い祖先の国、イギリスの歌はどんな印象なのでしょう。bonnyとか、スコットランド独自の単語が出てきますし、オーストラリアは動物が独自の進化を遂げているのと同じように植生も特殊なので、ピンと来ないのではないかという気もするのですが、それにしても1958(昭和33)年の録音がよく残っていたものです。


仰木道 おおぎみち
所在地:(北行)大津市衣川一丁目 (南行)大津市堅田二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:滋賀県立堅田高等学校 大津市立北図書館 北部地域文化センター 大津市立堅田小学校 東洋紡大津医薬工場・総合研究所 水資源機構琵琶湖開発総合管理所 
キロ程:堅田(旧堅田駅前)から0.3キロ 出町から0.6キロ




ここからは、暫くの間取り上げた町内を循環する系統も、堅田駅からストレートに南下する本線筋の系統と合流します。

この辺りは、堅田の中心市街の南端に当たります。バス停名、及び交差点名が示す通り、堅田から仰木に向かう交差点です。仰木のひとにとっては、ちょっと町に買物にと言うとたいてい堅田でしょうから、昔の仰木の住民は、ここまで来ると堅田の入口だな、と感じたのかもしれません。

江若交通のバス停のポールは、浜大津線、堅田町内循環線、仰木線それぞれに設置されていますが、少なくとも1983(昭和58)年頃からは位置に変化はないようです。恐らく京阪バスは主たる事業者である江若交通のポールに居候していたのでしょう。

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↓北行きのバス停です。ちょうどブルリシティが堅田駅に向かって走っていくところでした。
[仰木道 【京都今津線49】]の続きを読む
今回は交通関係の話題はありませんので、ご興味のない方は次回の記事をお待ち下さい。

7月30日付拙稿真野浜【京都今津線46】で書きましたように、京都市美術館のルネ・マグリット展が一時的に休止となり、ショックを受けておりましたが、何のことはなく結局その直後、8月1日から通常通り開館されることになりました。

仕事や他の用事の都合でなかなか行けなかったのですが、今月上旬、土曜出勤の代わりの平日休みでやっと行くことができました!少し早い芸術の秋を楽しんでまいりましたw

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ルネ・マグリット(ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット  René François Ghislain Magritte)(1898-1967)は、ベルギー生まれのシュールレアリストを代表する画家です。フランス語っぽい名前だな、と思われると思います。オランダ語系とフランス語系、大きく2つに分かれるベルギー人でもいわゆる「ワロン人」で、フランス語圏側の出身です。

同じくフランス語圏の出身で、シュールレアリストであるポール・デルヴォー(1897-1994)と作品に相通じるところもあります。

ファン・ダイク、ピーテル・ブリューゲル、ヴァン・ダイクなど、有名なベルギー出身の画家はたくさんいますが、たいていアントワープなどオランダ語圏出身者です。『フランダースの犬』で、ネロが一目見たいと願ったアントワープの聖母大聖堂の「キリストの昇架」を描いたルーベンスも地元アントワープの出身で、フランス語が通じてパリで勉強しやすいメリットがありそうなのに、意外にフランス系のひとは少ないです。

晩年のマグリットは、同じシュールレアリストでも奇矯な言動が多く、ある意味で一般人の「期待通り」の「芸術家」だったダリなどと違って、いつもスーツ姿で早寝早起き、サラリーマン以上に小市民的な雰囲気でつましく暮らしていたそうです。しかし、その心の中にいつも影を落としていたのは、恐らく彼が13歳の時の母の入水自殺でしょう。人生の中で、これ以上のショックもそうなかなかないでしょう。彼の絵に、しばしば布をかぶっていて顔が見えない人物が登場するのは、母の遺体に掛けられた布、或いは顔にまとわりついていた衣服の再現だという説があります。

では、不思議な絵の旅へ…

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今回、130点ほどの作品が出品されています。3時間くらいかけてたっぷり楽しみました。
[絶対の探求~~少し早い芸術の秋]の続きを読む
京阪宇治バスと京阪シティバスが合併して京都京阪バスになって早1年半、まだこの社名になじめません。
本当に何を考えてつけられたのかさっぱり分からない…と苦言を呈しつつ、古い新聞記事に目を通していたら、今からちょうど60年前の今日の京都新聞山城版に面白い記事が載っていましたのでご紹介致します。

↓1955(昭和30)年9月9日付京都新聞山城版の読者投稿記事。タイトルはずばり「宇治バスに苦言を呈す」

S30.9.9KY 宇治バスに苦言(投稿)b

2014(平成26)年2月21日付拙稿布施屋町【旧大津市内線10】でも似たようなことをご紹介しましたが、なかなか難しいです。
投稿された方は、宇治バスは宇治市内に他に競争相手がないから大きな顔をしているのだ、と言っています。

[宇治バスはサービスが良い?悪い?]の続きを読む

浮御堂とは、近江八景の一つで、眺めもよく由緒もある寺だという程度のこと。塩月にとっての浮御堂とは、むしろ、短艇訓練のゴールの名であった。(中略)
「琵琶湖はこの辺で一番狭くなっている。だから、船の航行安全と衆生済度(しゅじょうさいど)を祈って、千年前にこの寺が建てられたんだ」
「どっちも縁がないな。航行安全も衆生済度も、、おれたちにはどうでもいいことだ。どうせ死ぬ体だ。早いか、おそいかの差があるだけだからな」
(城山三郎『一歩の距離』より)



出町の続きです。

↓湖族の郷資料館

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堅田は、「殿原衆」といういわゆる地侍と「全人衆」という商工業者や農民からなる「堅田衆」による自治が行われ、琵琶湖が最も狭くなっているという地形の関係で、交通の要衝となり、大いに栄えたそうです。
司馬遼太郎などの小説による造語だという説もありますが、その「堅田衆」を「堅田湖族」とも呼んだそうです。
この資料館は、堅田観光協会など4団体が共同運営しており、1997(平成9)年に開館したということです。
[出町(堅田出町)【京都今津線 堅田町内系統3-2】]の続きを読む
出町(堅田出町) でまち(かたたでまち)
所在地:大津市堅田二丁目
開設年月日:1967(昭和37)年8月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:湖族の郷資料館 浮御堂 本福寺 大津市立堅田小学校 滋賀県立堅田高等学校 東洋紡㈱大津医薬工場
キロ程:堅田本町から0.3キロ ※現行の江若交通のキロ程と同一




『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』にはこの「出町」とは何なのかについて何の記事もありません。

時代により、資料により、「堅田出町」なのか「出町」なのか記述が安定しません。現在、江若交通としては「堅田出町」が正式な名称となっているようですが、本稿では1964(昭和39)年1月6日現在の京阪バス路線図に基づき、「出町」として扱います。

いつの頃からか、堅田町内線が土日祝日に限って浮御堂に近い、「湖族の郷資料館」前の広場にある「浮御堂前」に乗り入れるようになりましたが、平日と、乗り入れていない時代に浮御堂の最寄だったのは、この「出町」の停留所です↓
[出町(堅田出町)【京都今津線 堅田町内系統3-1】]の続きを読む