青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
蓬萊(蓬萊駅前) ほうらい(ほうらいえきまえ)
所在地:大津市(旧志賀町)八屋戸
開設年月日:1951(昭和26)年7月8日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:JR蓬萊駅(旧江若鉄道蓬萊駅) 八所神社 蓬萊浜 大津市立志賀中学校 
キロ程:八屋戸から0.8キロ


蓬萊駅は、珍しく湖西線と江若鉄道とで、位置も名前もほぼぴったりしている駅です。



蓬萊の「萊」の字は機種依存文字(くさかんむりに「来」の旧字体「來」)で、しばしば「蓬莱」と新しい字体で書かれることがありますが、正式な駅名はあくまで「蓬萊」であり、バスについては「和邇(和迩)」と違ってはっきりとどちらかにしていたという証拠がないので、本ブログ内では原則として全て旧字体を使います。悪しからずご了承願います。

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駅名はもちろん、比良山系第2の高峰、蓬萊山(標高1,174m)に因んでいます。「蓬萊」は簡単に言ってしまえば、中国の伝説の東方の仙境です。

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関西で「蓬萊」と言うとつい、「551の豚まん(アイスキャンデー)」「あるとき!」「ないとき!」のあの超有名CMを思い出してしまいますが、何も関係はなく、もちろん、551の売店どころか、コンビニ1軒キオスク1つない、静かな駅です↓

[蓬萊(蓬萊駅前) 【京都今津線38】]の続きを読む
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八屋戸 はちやど
所在地:大津市(旧志賀町)八屋戸
開設年月日:1951(昭和26)年7月8日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月19日?
付近:守山公民館 西福寺
キロ程:近江木戸から1.5キロ(近江今津から30.7キロ 浜大津から22.1キロ)


ここもまた、漢字は簡単でも、何と読んでよいのか迷う地名で、私も京都今津線を調べるまで全く知りませんでしたが、素直に「はちやど」です。小字はなぜか琵琶湖の対岸の守山市と同じ、「守山」です。
『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』を見ても直接この地名の由来と考えられるようなことは書かれていませんでした。



↓北から歩いてきましたので、先に見えてくるのは北側にある北行き(近江今津方面)のバス停跡です。

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↓ゴミ置き場となっている待合所も多い中、ここの待合所はずいぶんきれいでした。時計も正確な時間を刻んでいて、これで時刻表や運賃表があったら、誰かがバスを待っていてもおかしくない雰囲気があります。
[八屋戸 【京都今津線37】]の続きを読む
びわ湖バレイ口 びわこばれいぐち
所在地:大津市(旧志賀町)木戸
開設年月日:?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:びわ湖バレイ 清林パーク 志賀聖苑
キロ程:不明


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ここは江若鉄道廃止申請書類の中には出てこないバス停なので、あとで設置されたものと思われます。

スキー場、びわ湖バレイそのものは、もともと「サンケイバレイ」として1965(昭和40)年に産業経済新聞社※が開業し、1968(昭和43)年から名鉄が引き継ぎ、「びわ湖バレイ」となったので、びわ湖バレイ自体は存在しているはずなのですが、バス停は、びわ湖バレイのリフトの真下の「びわ湖バレイ前」だけだったのでしょう。

※「東洋レーヨン」→「東レ」、「鐘淵化学工業」→「カネカ」など、略称が結局正式社名となるケースがよくあるため、これも「産経新聞」の旧称かと思ったら、現在も正式な社名は、滅多に聞くことがありませんが、「産業経済新聞社」のようです。



↓北行きのバス停

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↓一応現役なのですが、待つひとなどないだろう、という想定なのか、もともとあったのであろう屋根はなくなっています。

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↓志賀駅行きが通り過ぎました。一応それなりに乗っているひとがいました。スキーシーズンでもあるまいに何をしに行ったひとなのだろう?と思いましたが、オフシーズンは公園となっている他、比良山の登山ルートの1つとなっているので、行楽客なのでしょう。
[びわ湖バレイ口 【京都今津線36】]の続きを読む
今津南浜 いまづみなみはま
所在地:高島市今津町今津
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:西日本JRバス近江今津営業所 高島保健所 高島市役所今津支所南浜分室 高島市カンガルー教室 琵琶湖汽船今津営業所・今津港 西福寺 琵琶湖周航の歌資料館 滋賀県警高島警察署(旧今津警察署)
キロ程:今津中浜から0.4キロ




中浜とともに、戦国時代には既に見られた地名ですが、今の南浜と同じ位置かどうかまでは分からないようです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P668)。
因みに「今津」は、「新しい港」という意味です。これに対して古い港を表すのが、このバス停の1つ南の木津(こうづ)で、「古津」(こうづ)と書かれることもあったようです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P121・311)

下辻川 【京都今津線2】でも書きましたように、キロ程や地形図などを確認していない、表面だけしか見ていなかった時は、住宅地図などに記載がある、今津保健所(現・高島保健所)、JRバス近江今津営業所近くの、「高島保健所」バス停↓がほぼこれに相当するのだろうと思っていましたが、どうも京阪バス京都今津線があった時代には、この道路がなかったらしいことが分かり、再度調査しました。



下辻川の回でも取り上げた1957(昭和32)年国土地理院発行の1:25000地形図「今津」の一部です↓
[今津南浜 【京都今津線4】]の続きを読む
今津中浜 いまづなかはま
所在地:高島市今津町今津
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:北浜会館 法慶寺 今津ヴォーリズ資料館 高島市商工会北部センター 日本基督教団今津教会会堂・今津幼稚園
キロ程:下辻川から0.3キロ


現行の行政地名としては存在しませんが、戦国時代には既に「中浜」という地名が見えるそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P516)。

江若鉄道の旧今津駅前から0.6キロという距離は、調べてみると現在の県道333号線と、通称『ヴォーリズ通』という旧道がクロスする辺りのようなのですが、今だからクロスするところでそれらしくても、京都今津線が走っていた当時は何もない通りに過ぎませんから、私は少しずれて、湖岸の旧道、通称「浜通り」とクロスするところではないかと思っております。

下辻川 【京都今津線2】の回でも取り上げた1957(昭和32)年国土地理院発行の1:25000地形図「今津」の一部です↓

S32発行 今津

今津駅から数えて2番目、湖岸に2つあるのうち、北にある方が、今回取り上げる今津中浜の位置ではなかろうかと思っております。
[今津中浜 【京都今津線3】]の続きを読む
大変お待たせいたしました。本日から京都今津線の特集を再開します。
5月19日付拙稿涙をこえて~「鉄道がない湖西」の時代でお知らせしました通り、木津(こうづ)以北で未収載の下辻川、今津中浜、今津南浜を先に取り上げます。

下辻川 しもつじがわ
所在地:高島市今津町今津
開設年月日:?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:NTT西日本今津別館 朝日新聞今津支局 関西電力今津技術サービスセンター 今津東保育所 旧今津女子専修学校
キロ程:近江今津から0.3キロ(浜大津からキロ)


最近入手した、1964(昭和39)年1月6日現在の京阪バスの路線図には記載がなく、京都今津線は停車していなかった可能性が高いですが、ひょっとするとそれ以後に停車するようになったかもしれませんので、取り上げたいと思います。
しかし、江若バス浜大津線のバス停、として見た場合でも、最も謎のバス停です。

いつも使っている『角川地名大辞典 25滋賀県』にも、辛うじて小字一覧に「辻川」(ツジガハ)と載っているだけですが、地元ではよく使われている地名のようです。

しかし、このバス停がどこにあったのかは、残念ながら全く分かりません。今津近辺の住宅地図は、最も古いものでも、1981(昭和56)年しかなく、そこにもこのバス停は掲載がありません。

ただ、国立公文書館所蔵の『江若鉄道廃止申請書類』掲載の各バス停間のキロ程や、古い地形図を確認すると、およそこの辺りだろうかと思われる地点はありました。



まず、江若鉄道が走っていた1957(昭和32)年国土地理院発行の1:25000地形図「今津」の一部です↓

S32発行 今津

そして、こちらは1980(昭和55)年の同じく1:25000地形図「今津」の一部です↓

[下辻川 【京都今津線2】]の続きを読む
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国分団地 こくぶだんち
所在地:大津市国分二丁目
開設年月日:1968(昭和43)年10月18日(免許日) 営業開始日不明
付近:滋賀県バスケットボール協会 国分二丁目自治会館
キロ程:幻住庵から0.4キロ




終点、国分団地に着きました。
「団地」と言っても石山団地の公団(UR)や県営・市営住宅のような集合住宅は、個人が建てたアパートを除いて存在せず、一戸建てばかりの団地です。

国土地理院の公式HPから見ることができる1967(昭和42)年5月15日撮影の空中写真MKK673X-C8-10を見ると、現在のこのバス停からほぼ真南に下ろした直線から西側、つまり奥側にだけ家が建っていて、東半分は更地です。
これが、翌年の5月24日撮影のMKK682-C10-4になると、東側の更地だったところにも家が建てこみ、前年からあった家と合わせて100軒ほどになっていて、既にバスロータリーの原形のようなものもあります。

バスが開通するのは、その約5か月後なので、開発当初からここをロータリーとしてバスを乗入れさせるつもりだったのでしょう。

1966(昭和41)年11月16日付滋賀日日新聞には、「国分団地分譲受付」の記事が掲載されています。

石山国分団地は市が三十九年度から開発している分譲住宅団地で、すでに三十九年度十戸、四十年度二十戸の分譲を終わり、四十二年度には五十戸を計画している。
(中略)
木造かわらぶき、平屋建て、ガス、水道、フロ、ステンレス流し台、水洗便所付き



大津市の下水道普及率は1969(昭和44)年時点で何とたった7.6%!それ以前は0%なのに、どう水洗便所を作ったのでしょうか?浄化槽など、この当時既にあったのでしょうか?

新聞の写真に写っている団地は、今の私たちの目で見ると、仮設住宅のようにしか見えませんが、当時としては画期的だったのでしょう。

住宅の増加を反映し、この前年、1967(昭和42)年4月1日付でそれまでの「石山国分町」が現在の「国分一丁目」になり、住居表示制が施行されます。

↓南側の高台から見た、現在の国分団地。
[国分団地【国分系統開通50周年記念特集9】]の続きを読む