青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。ふもとに細き流れを渡りて、翠微に登ること三曲(さんきょく)二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。(松尾芭蕉『幻住庵記』(1690)



幻住庵 げんじゅうあん
所在地:大津市国分二丁目
開設年月日:2005(平成17)年4月1日
付近:幻住庵 近津尾神社 国分聖徳太子堂
キロ程:国分町から0.3キロ




「幻住庵」停留所は国分系統ではもちろんのこと、大津営業所管内全体で見ても本記事UP日時点で存在するバス停としては2番目に新しく、ついこないだの4月1日、10周年を迎えたばかりです。(一番新しいのは滋賀大構内の「滋賀大学」バス停)

しかし、バス停名の由来である「幻住庵」は、江戸時代に松尾芭蕉が暮らしていたころから300年を軽く超える歴史があります。滞在期間こそたった4か月という短さですが、『奥の細道』と並んで著名な『幻住庵記』を書いています。

1991(平成3)年9月、芭蕉没後300年記念事業で建物が復元されました↓

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しかし残念なことに、2013(平成25)年9月の台風18号により大きな被害を受け、1年半以上経った現在も復旧工事が続き、立入禁止となっています。上の写真は、災害の前に撮影したものです。
[幻住庵【国分系統開通50周年記念特集8】]の続きを読む
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本題に入る前に、バスの広告について、イギリスの面白いニュース記事を見つけたので、ちょっとご紹介します。5月11日付mail onlineより。

Anger at 'ride me' bus adverts(「私に乗って、という広告に苦情」)

A storm of complaints has followed a bus company's decision to advertise its fares with pictures of half-naked male and female models and the words: "Ride me all day for £3."



「半裸の男女の写真と、『3ポンドで私に1日乗り放題』という文言を使ったバス会社の運賃広告に、苦情の嵐」

という感じでしょうか。

話の本筋ではありませんが、ああ、イギリスの英語だなと思いますね。centreなんて序の口(アメリカ英語はcenter)。テレビのtellyはイギリス口語の代表格で、感動ものです!話には聞いていたけど、本当にそういう単語を今も実際に使っているんですね。

66歳の年金生活の女性は、「下品すぎる。テレビと違ってチャンネルを変えるわけに行かず、街を走り続ける」とか、34歳の2児の母は「性差別的で子どもに見せたくない」と批判しています。

一方で、「みんなが言うほど悪くないと思う。面白いよ。いずれにしろ、広告は役割を果たした。みんなの話題になったからね」(42歳店員)という意見も。

バス会社側は、
「コピーは舌足らずだったが、ひとを物扱いするような意図はなかった。率直にお詫び申し上げる」
として、すぐに広告を取り払うことを決めたようです。批判を受けてすぐにお詫び、すぐに撤去、というあたり、意外に日本と似ているなと思います。どうも若者を惹きつけたいという意図があったようです。

どんな広告か、是非記事の写真を見て頂きたいですが、皆様はどう思われますか?日本のバスでこれをやったらどうなるのでしょうか?

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国分町 こくぶちょう
所在地:大津市国分一丁目
開設年月日:1965(昭和40)年4月22日
付近:
キロ程:泉福寺から0.3キロ


1965(昭和40)年4月22日に開通したのは、ここまでです。当時は、旧大津市内線の延長として扱われていて、三井寺が起点でした。



国分は、奈良時代には瀬田にあった国分寺が、平安期からここに所在したことによる地名と言われています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P319)。
膳所藩領とされ、明治期までほとんど農家だったようです。

住居表示の施行は1丁目が1967(昭和42)年4月1日、2丁目が1974(昭和49)年4月1日と7年もずれていて、「国分一丁目」だけの状態が7年続いたことになります(同辞典P758)。
また、この直前の町名は「石山国分町と新開発地」とされているのが不思議です。よほど埋立地とか北海道の原生林か何かでない限り、何の町名もなく「新開発地」などということは普通あり得ないのではないでしょうか。

ここの石山駅方面のバス停は、桜の木が美しいです↓

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春はもちろん、秋の、カエデより一足早い桜紅葉も捨てがたいです。
[国分町【国分系統開通50周年記念特集7】]の続きを読む
泉福寺の続きです。

↓両方面のバス停を入れて、石山駅方面を望む。

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↓こちらは石山駅方面のバス停
[泉福寺【国分系統開通50周年記念特集6-2】]の続きを読む
涙をこえてゆこう
なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう
輝くあした見つめて


「涙をこえて」かぜ耕士作詞 中村八大作曲 1969





数年前のある日、何年かぶりで「涙をこえて」の合唱用ピアノ伴奏を弾こうとして楽譜をひろげたら、もう全くダメでした。大嫌いなシャープが4つもついてる!!!しかも転調を繰り返すのに、こんなのどうやって譜読みして、どうやって弾いていたんだろう???

涙をこえられない……

と言いながら、自分で書き込んだ指番号を頼りに何とかヨロヨロ復活。ちょこちょこ音を外したり、あらぬところに指が当たったりしていますが、お許しを…。

前半、ペダルを使うとギャンギャンした感じになるので、わざとペダル踏まずにパラパラっとさせてみましたが、踏まなさすぎかな…。

[涙をこえて~「鉄道がない湖西」の時代]の続きを読む
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泉福寺 せんぷくじ
所在地:大津市国分一丁目
開設年月日:1965(昭和40)年4月22日
付近:国分山泉福寺 大津国分簡易郵便局
キロ程:石山高校前から0.3キロ


国分系統の醍醐味で、京阪バス全体の中でも屈指の狭隘ぶりを楽しめる区間に入って、最初のバス停が泉福寺です。
この系統のみならず、大津管内でも一番好きなバス停の1つです。

↓バスが窮屈そうに角を曲がると、国分の古い街並みが目の前に広がります。

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[泉福寺【国分系統開通50周年記念特集6-1】]の続きを読む
石山高校前 いしやまこうこうまえ
所在地:大津市国分一丁目
開設年月日:(国分系統)1965(昭和40)年4月22日 (国分BP系統)1993(平成5)年6月20日
付近:滋賀県立石山高等学校 
キロ程:晴嵐小学校前から0.4キロ




大津営業所管内で恐らく過去にも現在にも、高校の名前が使われているバス停名はここだけだろうと思われます。

バス停名は「石山高校前」ですが、高校自体は国分バイパスから少し東に入ったところにあります。

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京阪石山寺駅に近い、東側にも門があって出入りが可能なため、石山寺駅で降りて坂道を登っていく高校生の姿をよくみますが、正門はこちら側です。

私が行った時はちょうど耐震工事中でした。
1963(昭和38)年の開校で、高校としては新しい方です。当初は滋賀大の旧校舎を利用していて、現在地に移転したのは1964(昭和39)年のことです。石山など、大津市南部の人口増加に対応するために設置されました。

↓1963(昭和38)年1月11日付朝日新聞滋賀版 

S38.1.11A 石高仮校舎 滋賀大旧校舎にb

滋賀大を仮校舎とすることが報じられていますが、何とまだどこに本校舎を建てるか決まっていません。順番があべこべな気がするのですが…。
興味深いのは、国分の他に、焼野や南郷が建設地の候補だったことです。焼野なんかになっていたら不便だっただろうな…。
最終的な候補は、焼野でも南郷でもなく、平津の滋賀大周辺と国分の2か所に絞られ、交通の便やガス、水道などのインフラの整備の都合から、国分に決まったそうです(同年3月5日付朝日新聞滋賀版)。

石高と言って滋賀県民の誰もが真っ先にイメージするのは、恐らく滋賀県唯一の「音楽科」でありましょう。普通科に遅れること5年、1968(昭和43)年に設置されます。普通科の校舎より奥、京阪石山寺寄りの東側に別棟の校舎があります。現在は学年全体で10クラスあるうちの「10組」が音楽科で、残り9クラスが普通科です。

普通教科の授業ももちろんあるのですが、芸大・音大や教育学部音楽科への進学を想定し、何を専攻するにしても不可欠な楽典・楽理ソルフェージュ(調音・視唱)、個々人の専攻に合わせた、ピアノ(専科・副科)声楽その他の楽器などの専門科目に多くの時間を割いています。
[石山高校前 【国分系統開通50周年記念特集5】]の続きを読む
晴嵐小学校前 せいらんしょうがっこうまえ
所在地:(石山駅方面)大津市北大路二丁目 (国分・石山団地方面)大津市光が丘町
開設年月日:1965(昭和40)年4月22日
付近:大津市立晴嵐小学校 大津市立晴嵐保育園 大津市消防局南消防署 
キロ程:宮ノ内から0.2キロ


ここから国分町までの各バス停が、1965(昭和40)年4月22日の国分町延長時に新規設置されたバス停です。
唐橋前や宮ノ内バス停も、当時の新聞記事で新設として名前が挙がっていましたが、恐らく、当路線用のポールが設置されたという意味で、特に唐橋前は確実に当時既に存在していたバス停です。

現在は石山駅からここまでと、ここから国分団地・石山団地までが「大津市内特殊区間制運賃」の「特区」を構成しています。



「晴嵐」はもちろん、「粟津の晴嵐」に因んだ校名です。
町名としての晴嵐は石山駅の北側に位置していますが、これはもともと膳所粟津町字晴嵐という字で1964(昭和39)年に現在の晴嵐一、二丁目となります。

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↓グランドは正門と反対の南側、よく日が当たりそうで、雨が降ってもすぐ乾きそうです。
[晴嵐小学校前 【国分系統開通50周年記念特集4】]の続きを読む
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ここ数年あまり興味のあるテーマでなかったので行っていなかった、「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」に久しぶりに行ってきました。交通関係の話はほとんどありませんので、ご興味のない方は次回の記事をお待ち下さい。

今年のシャトルバスは……近江でした。

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京阪、入札取れなかったか???

↓次のうち、ヘンデルはどれでしょう?
[ラ・フォル・ジュルネびわ湖2015]の続きを読む
宮ノ内 みやのうち
所在地:(南側 石山団地・国分団地方面)大津市北大路二丁目 (それ以外の乗り場)大津市北大路一丁目
開設年月日:不明
付近:西方寺 北大路会館
キロ程:唐橋前から0.4キロ 東レ正門前へ0.4キロ




現在は「宮ノ内」という正式な行政地名は存在しないため、何がどう宮ノ内なのか、多分地元のひとも毎日通る京阪バスの運転手さんもよく分からないひとが多いと思いますが、1951(昭和26)年から1963(昭和38)年までは「大津市石山北大路宮ノ内町」という町名で、更にその前は「大津市石山北大路町字北町」といったそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P266)
同辞典P1053からの小字一覧には「宮ノ内」の地名がありませんが、「北町」から何の脈絡もなくいきなり「宮ノ内」になることはないと思うので、何かその前から通称や一覧にもないような小字として存在していたのだろうと思います。

現在は全ての乗り場が「大津市北大路」に所在していますが、私でもただ単に「北大路」と聞くと、京都の北大路通、地下鉄北大路駅の北大路をイメージしてしまい、この北大路は、言われればそんなところがあったかな、というくらいでピンときません。
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