青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
石山駅前の、某バス会社の案内所に掲示されている英語の案内↓

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失礼なのですが、これはウケ狙いのジョークでなく、大真面目に訳したつもりなんでしょうか?
英語を先に見て、あとで日本語を見たのですが、「…どこにそんなことが書いてあるの?」と目が点になりました。

私でも何か所か明らかにおかしいと分かる、ということはネイティブが見たらもうボロボロで何が何やらさっぱりチンプンカンプンだということでしょう。

まず冒頭の回りくどい文章は、どんな難しい医学論文も真っ青の救いようのない超難解英作文です。
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東レ正門前 とうれせいもんまえ
所在地:大津市園山一丁目
開設年月日:2003(平成15)年6月21日
付近:東レ滋賀事業所正門
キロ程:石山駅まで0.3キロ


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この停留所は3A、3B号経路の石山駅方面行のみが停車する降車専用の停留所で、もちろん、路線開通当初には存在しませんでしたが、前回もお知らせしました通り、便宜上石山駅の次の停留所として扱います。

石山駅方面しか止まりませんので、もちろんバス停のポールは片側しかありません。
[東レ正門前【国分系統開通50周年記念特集2】]の続きを読む
石山駅 いしやまえき
所在地:大津市粟津町
開設年月日:(京阪バスとして)不明
付近:JR石山駅 京阪石山駅 京阪バス石山駅前案内所 大津署石山駅前交番 石山駅前郵便局 平和堂石山店 滋賀銀行石山支店


1965(昭和40)年4月22日、ちょうど50年前の今日、現在の大津市内総合線3・3A・3B号経路に相当する、国分系統の前身である、「三井寺下-石山駅-国分町」系統が開通しました。

もはや京阪バスの社内でも恐らく誰も覚えていないであろうこの佳き日を祝うべく、例によって特集を組みたいと思います。

本系統の簡単な歩みをまとめますと、以下のようになります。

1965(昭和40)年3月17日  宮ノ内-国分町間1.15キロ 路線延長免許
1965(昭和40)年4月22日  石山駅-国分町 旧大津市内線を延伸する形で開通
                  唐橋前、宮ノ内、晴嵐小学校前、石山高校前、泉福寺、国分町の各停留所新設※
1968(昭和43)年10月18日  国分町-国分団地0.7キロ路線延長免許(運行開始日不明)
1985(昭和60)年月日不明  石山駅基準7時過ぎ初発、22時前後終発、日中35分間隔という現在のダイヤの基盤がほぼ確立する。

2003(平成15)年6月21日  石山駅西側広場設置に伴うダイヤ改正により、3A号経路(国分団地-東レ正門-石山駅)と、3B号経路(国分団地→東レ正門→石山駅→唐橋前→国分団地)開設

2005(平成17)年4月1日   国分町-国分団地間に「幻住庵」バス停新設


『京阪バス五十年史』、各年度の『京阪時刻表』などによる。                 
※停留所については開通前日版朝日新聞滋賀版による 唐橋前は国分方面のポールを新設したという意味だと思われる。


特集に当たって、以下の各点、ご了承のほどお願い致します。

◇「東レ正門」の扱い

3A、3B号経路の、それも石山駅向きしか停車しないため、当初国分方面から石山駅に向かうという流れを考えたのですが、もともと交通機関がなかったところに路線が伸びていくというベクトルを考えると、やはり国分に向かっていく方が書きやすいので、「東レ正門」は次回取り上げさせて頂きます。

◇「幻住庵」「国分団地」の扱い

1965(昭和40)年に開通したのは国分町までで、そこから先国分団地まで開通したのは3年後の1968(昭和43)年のことで、幻住庵バス停に至ってはまだ設けられて10年ほどしか経っておりませんが、便宜上今回の特集で全て取り上げます。

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もともと、車体写真をやっている人間ではないので、国分団地関係の写真は、私も自分で驚くほど撮影していなくてがっかりしました。

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[京阪バス 国分系統開通50周年/石山駅【国分系統開通50周年特集1】]の続きを読む
本宮町 もとみやちょう
所在地:(石山駅方面)大津市本宮一丁目 (浜大津方面)大津市本宮二丁目
開設年月日:不明
付近:本宮町自治会館 社会福祉法人滋賀同仁会滋賀保護院・大津老人ホーム
キロ程:大津市民病院から0.4キロ


平野神社の元宮がこの地にあったことによる地名です(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P769)。



京津国道線で扱おうとしている四条大宮など、京都方面の未取材の一部のバス停は別として、大津市内の京阪バスの現役のバス停の中では、何とここが最後の「取材」となりました。
市民病院より1つ向こうというだけで特に印象もなく、まして乗降もしたことのない中途半端なバス停が最終地点になるとは思いませんでした。

ここで浜大津方面のバスは左折して、一旦山側に回り込むようにして立体交差で国道をくぐります。

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[本宮町【大津市内総合線 国道系統10】]の続きを読む
市民病院前 しみんびょういんまえ
所在地:大津市本宮二丁目
開設年月日:1964(昭和39)年4月15日  ※2001(平成13)年10月1日 「市民病院玄関前」として再開設
廃止年月日:1993(平成5)年6月20日 ※2006(平成18)年7月1日 「市民病院玄関前」再廃止
付近:大津市民病院 大津本宮郵便局
キロ程:国道市民病院(大津市民病院)から0.1キロ




国道上にある「国道市民病院」、現在の「大津市民病院」バス停とは別に、脇道に「市民病院前」バス停があったことをご記憶の方もいらっしゃることでしょう。

石山団地始発の22号経路もここを起終点としていましたが、だいぶ後でできた系統で比較的歴史が浅く、伝統的な系統で忘れてはならないのは、何と言っても8号経路でありましょう。

↓こちらは、T.F.様撮影、1975(昭和50)年前後です。

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素晴らしい!貴重なものをありがとうございます。
1964(昭和39)年発行の『全国バス路線便覧』には記載がないため、その発行時点ではまだ市民病院乗り入れが始まっていなかったか、編集が間に合わなかったのでしょう。
なので、私が分かるのは、8・22の両系統が発着していた、ということだけです。
[市民病院前【大津市内総合線 国道系統 番外2】]の続きを読む
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大津市民病院 おおつしみんびょういん
所在地:(浜大津方面)大津市本宮二丁目 (石山方面)大津市本宮一丁目
開設年月日:不明
改称年月日:1993(平成5)年6月20日 国道市民病院→大津市民病院
付近:大津市民病院 コープしが膳所店 大津市立やまびこ総合支援センター
キロ程:滋賀マツダ前から0.3キロ




大津市民病院は、言うまでもなく大津市内のみならず、滋賀県全体でも指折りの総合病院です。
英訳がOtsu Municipal Hospitalであることからも分かるように、大津市立の病院です。

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[大津市民病院【大津市内総合線 国道系統9】]の続きを読む
滋賀マツダ前 しがまつだまえ
所在地:(石山駅方面)大津市馬場二丁目 (浜大津方面)大津市竜が丘
開設年月日:不明
改称年月日:不明 (馬場⇒滋賀マツダ前?)
付近:京滋マツダ(旧滋賀マツダ)大津店 大津市立やまびこ総合支援センター セレマ大津シティホール 関西アーバン銀行竜が丘支店 コープしが膳所店(2014年10月21日~2015年春新築のため休業中) JR膳所駅 竜が丘俳人墓地
キロ程:国道膳所から0.3キロ
 



移転や名称変更が比較的少ない学校などの公的機関に比べ、いつ移転したりなくなったりするか分からない民間企業の名称をつけることがあまりない京阪バスの中で、ここは例外的に民間企業名、それも東レのような大規模な工場でもなく、ただの販売店なのにバス停名に採用されているのは極めて異例だろうと思います。全国レベルで見てもそうはないだろうと思います。
他にも国道沿いはディーラーがたくさんあるのになぜここだけがバス停名に採用されているのかはよく分かりません。何らかの広告料でも発生しているのでしょうか?

「滋賀マツダ」というのは実は旧称で、2003(平成15)年に㈱マツダアンフィニ京都と合併して、現在は「株式会社京滋マツダ」の大津店ということになっています。

↓取材を行った2014(平成26)年11月現在は工事中で、奥の仮店舗で営業しているようでした。

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同社の公式HPによると、1951(昭和26)年に前身である「㈱滋賀マツダモータース」が上百石町に開店、1961(昭和36)年、現在地である大津市竜が丘に本社工場を新築し、湖東マツダ販売など、別のマツダ系の販売会社と合併し、「滋賀マツダ」になったのは1982(昭和57)年と比較的最近です。
しかし、バス停名はそれ以前から「滋賀マツダ前」のようです。
1961(昭和36)年以前がどういう名称だったのか、そもそもバス停があったのかということもよく分かりませんが、ただ、1954(昭和29)年の路線申請時の図面で、このバス停と最も近い位置関係にあるのは「馬場」というバス停です。これについては後ほど触れます。

比較的ポールの移動などの変化が多い国道1号線にあって珍しく、少なくとも1983(昭和58)年頃からの約30年ほどはどうもほとんど位置が変わっていないらしいバス停です。

↓石山駅方面全景
[滋賀マツダ前 【大津市内総合線 国道系統8】]の続きを読む
国道膳所 こくどうぜぜ
所在地:(浜大津方面)大津市湖城が丘 (石山駅方面)大津市馬場三丁目
開設年月日:1950(昭和25)年頃?
付近:
キロ程:湖城が丘から0.5キロ




国道沿いで一番地味なバス停、というか、私の記憶から零れ落ちていたバス停です。
何年も前に、どのバス停もタイトル(バス停名)だけ入力していたのに、ここだけないことに気づいて、作り直しました。
付近に特に目立つ施設もありません。

旧東海道沿いにバスがあったことを思うと、この「国道膳所」と「国道」を冠する停留所名もより一層納得です。

↓浜大津方面のバス停は、少なくともここ30年ほどはこの位置で変わっていないようです。

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↓浜大津方面のバス停から浜大津方面を望むと、右手に「マツダオートザム」の大津店が見えますが、バス停の「滋賀マツダ前」の「滋賀マツダ」とは、「京滋マツダ販売」の大津店のことで、こことは別です。
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雲雀ケ丘 ひばりがおか
所在地:(浜大津方面)大津市秋葉台 (石山駅方面)大津市中庄二丁目
開設年月日:不明
付近:茶臼山公園・茶臼山古墳 公営住宅秋葉台団地 雲雀ケ丘自治会館 社会福祉法人美輪湖の家 更生保護法人滋賀好喜会光風寮 
キロ程:滋賀病院前から0.3キロ




この辺まで行くともう私にとってはかなり縁が薄く、精神的な距離も出てくるため、今も「大津市雲雀ケ丘」という町名があると思い込んで『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(1979)を調べてしまい、見つからなくて、困っていました。結局「膳所雲雀丘町」として記載を見つけました。
1967(昭和42)年まではバス停のある辺りを含む、中庄二丁目、秋葉台、富士見台も「膳所雲雀丘町」の一部だったようですが、住宅が増加したため住居表示制の施行によって、現在は山手の山林だけになっています。バス停だけが取り残された格好です。

もともとは膳所中ノ庄町小字西台雀ヶ谷町(にしだいすずめがやちょう)という長い地名でした。雀ヶ谷とは江戸時代から膳所城周辺で見られる地名で、壬申の乱で敗れた大友皇子が、味方に「進め進め」と命令した「進めヶ谷」が転じた、とされています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P420)。1951(昭和26)年に膳所雲雀丘町となっています。
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