青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
※本来、前回の末尾に書きました通り、雲雀ケ丘を先に取り上げるべきでしたが、記事の投稿設定を誤っており、湖城が丘が先になってしまいました。 記事UPから10時間以上経って気づき、今更取り下げて順序を変えられないので、雲雀ケ丘は次回改めて取り上げることに致します。
 悪しからずご了承のほどお願い申し上げます。申し訳ありませんでした。

湖城が丘 こじょうがおか
所在地:(浜大津方面)大津市湖城が丘
    (石山方面)大津市相模町
開設年月日:不明
改称年月日:不明(大津市立病院⇒膳所平尾町⇒湖城が丘)
付近:滋賀県接骨会館 (現在ないもの)大津市立病院(大津市民病院)
キロ程:雲雀ケ丘から0.6キロ




「湖城が丘」の地名は比較的新しいもので、1967(昭和42)年4月1日に、膳所池ノ内町の一部を住居表示制の施行時に分離させ、「湖城」(=琵琶湖文化館)を望む丘に位置する丘、という意味合いで「湖城が丘」と命名されたことに始まります(『角川日本地名大辞典 25滋賀県』P758)。

IMG_5768_20141206220810608.jpg

この点、元を辿ると古代史にまでルーツが遡れる隣の雲雀ケ丘とは一味違います。しかし、現在正式な行政地名となっているのは「湖城が丘」の方です。

昭和40年代の地図で、このバス停は「膳所平尾町」と記載されております。現在の膳所平尾町は、名神高速道路より山手のほんの小さな一角にすぎませんが、この当時は国道付近まで膳所平尾町でした。

[湖城が丘【大津市内総合線 国道系統6】]の続きを読む
スポンサーサイト
滋賀病院 しがびょういん
所在地:大津市富士見台
開設年月日:1962(昭和37)年12月30日
廃止年月日:不明
付近:地域医療機能推進機構滋賀病院 滋賀病院附属介護老人保健施設サンビューしが 富士見台一区自治会館 大津酒販協同組合 
キロ程:国道滋賀病院から0.3キロ




滋賀病院は、1953(昭和28)年5月1日に開院し、2014(平成26)年4月1日から、「地域医療機能推進機構滋賀病院」となりました。
大津日赤病院、大津市民病院、滋賀医大附属病院とともに、大津市を代表する総合病院の1つです。

IMG_5708.jpg

県立でも市立でもないし、経営母体は一体何なのかよく分からない病院ですが、もともと社会保険庁が設置し、財団法人滋賀県社会保険協会が経営を受託していたようです。現在は独立行政法人の運営です。
[滋賀病院 【大津市内総合線 国道経由系統 番外1】]の続きを読む

古いアルバムをめくるときに、湧きあがってくるような感覚をこの本から味わっていただくとともにそこにみなさんの思い出を重ね合わせていただければ幸いです。
(大津市歴史博物館編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』P3、2015)



先週末、大津市歴史博物館の「江若鉄道の思い出展」に行ってきました。

IMG_6700.jpg

2006(平成18)年の「ありし日の江若鉄道」展から、もう9年も経つんですね!早いなあ…。
「ありし日の江若鉄道」展の図録は、図録としては異例の売れ行きで、後に増刷されたと聞きました。

↓今回は図録というより、普通の本として出版されていて、Amazonなどから取り寄せができます。

江若鉄道の思い出: ありし日の沿線風景江若鉄道の思い出: ありし日の沿線風景
(2015/02/20)
大津市歴史博物館

商品詳細を見る


↓入館するとまず、三井寺下駅のジオラマがお出迎え
[江若鉄道の思い出展~bringing back me good memories]の続きを読む
滋賀病院前 しがびょういんまえ
所在地:(浜大津方面)大津市富士見台 (石山駅方面)大津市別保三丁目
開設年月日:不明
改称年月日:不明(保険病院前→国道滋賀病院→滋賀病院前)
付近:地域医療機能推進機構滋賀病院
キロ程:上別保から0.2キロ




以前は、滋賀病院の構内のバス停に対し、国道側のバス停を「国道滋賀病院」と呼んでいたと思うのですが、いつの間にか「滋賀病院前」になりました。
1964(昭和39)年現在の路線図では「保険病院前」とされていて、「滋賀病院前」という停留所はまた別に、病院の前に設置されていることになっています。

このバス停の浜大津方面行用のポールは、1968(昭和43)年3月10日付京都新聞滋賀版で、京阪バスではなかろうかと思われるバスの写真とともに、「立地条件の悪い危険なバス停」の代表のように扱われています。

ここでは横断歩道のわずか一メートル手前にバス停があり、交通量も多いので、歩行者は非常に危険な状態。また、定期バスが止まるたびに、交通停滞を起こしている。このためバス業者も以前から停留所の移転を検討しているが、適当な移転先がみつからないので困っているという。



[滋賀病院前(国道滋賀病院) 【大津市内総合線 国道系統4】]の続きを読む
今からちょうど60年前、1955(昭和30)年3月16日付朝日新聞滋賀版より↓

S30.3.16A 救急車も兼ねる葛川村営バスb

今は大津市となっている、市最北端の葛川(かつらがわ)学区、この当時は滋賀郡葛川村という独立した村でした。
この年の4月1日に堅田町と合併するので、この時は村がなくなる直前です。しかし、合併に関わるようなことは何一つ書かれていません。
[葛川村営バス]の続きを読む
上別保 かみべっぽ
所在地:(浜大津方面)大津市富士見台 (石山駅方面)大津市別保三丁目
開設年月日:1950(昭和25)年前後?
付近:大津富士見台郵便局 大津給食センター 関西電力膳所変電所
キロ程:東レ北門前から0.6キロ




木ノ下町、西ノ庄などとともに、膳所城下町5ヵ村の1つとされる別保は、中世「粟津別保(あわづのべっぽ)」があったために「別保」と呼ばれるようになったということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』 P623)。ではこの「別保」とは何かというのが分かりません。そこが知りたいのに、何だかこの地名辞典はそういう由来には弱くて、歴史的な事実や地理的な特質についての記述ばかり目立ちます。

仕方ないので辞書を見ると「保」は「荘園」を表す「荘」と共に中世の行政単位です。大津市には他にも、大津百町の中に「北保町」「南保町」があります。

その別保の中でもここは1933(昭和8)年の膳所町・大津市合併時から1964(昭和39)年まで「膳所上別保町」の範囲だった地域のため、「上別保」の停留所名となったようです。

余談ですが、東レの敷地が大半を占める「大津市園山一~二丁目」の「園山」や、帝産バスの「焼野」はもともと別保の中の小字だということです(同書P623)。

別保には国分の幻住庵を1705(宝永2)年に移築したその名も「幻住庵」があり、同書では芭蕉門弟の菅沼曲翠(曲水 1659-1717)が移築し、芭蕉の肖像画、古額などが秘蔵されている尼寺と紹介しています(P767)。

IMG_1020.jpg

IMG_1021.jpg

東レから歩くのも結構遠いです。途中、「ユーポス」でみたキティちゃんと…仲間たち?↓
[上別保【大津市内総合線 国道系統3】]の続きを読む
東レ北門前 とうれきたもんまえ
所在地:(石山駅方面)大津市別保二丁目 (浜大津方面)大津市園山一丁目
開設年月日:不明
付近:東レ滋賀事業所北門
キロ程:石山駅から0.7キロ




旧大津市内線の東レ前でも触れた、国立公文書館所蔵の、1954(昭和29)年10月3日付の「滋賀県大津市関清水町27番地-滋賀県大津市膳所別保町字林崎206-2番地」の5.1キロ区間の路線延長申請書類の添付図面です↓

東レ前

その時も書きましたが、国道を渡っている橋のようなものは、何と東レ北門前バス停の真上のこの歩道橋のことです↓
[東レ北門前【大津市内総合線 国道系統2】]の続きを読む
石山駅 いしやまえき
所在地:大津市粟津町
開設年月日:(京阪バスとして)?
付近:JR石山駅 京阪石山駅 京阪バス石山駅前案内所 大津署石山駅前交番 石山駅前郵便局 平和堂石山店 滋賀銀行石山支店
キロ程:NEC前から0.5キロ
 

石山駅に着きました。



湖岸道路上で取り上げるタイミングを失ってしまったので、今回取り上げさせて頂きます。

1962(昭和37)年5月17日付滋賀日日新聞↓

S37.5.17S 湖岸道路にバスをb

当時は「観光道路」と認識されていたんですね。におの浜の埋め立て地もまだなかったので、本当に「湖岸」を走っていて、今より眺めがよかったのでしょう。

かつて石山乗船場方面のバスが通っていたと思われる、この道路が、都市計画道路として拡幅が完成すると、湖岸道路方面だけでなく、南郷・大石方面も含め、バス路線が大きく変化することも考えられますね。

[石山駅【大津市内総合線 湖岸系統20・国道系統1】]の続きを読む
石山乗船場前 いしやまじょうせんじょうまえ
所在地:大津市松原町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明(1980年前後?)
付近:瀬田川新港(旧石山乗船場)
キロ程:湖岸住宅前から0.2キロ




少なくとも昭和40年代には存在していたバス停のようです。1982(昭和57)年の住宅地図に記載されているのが、確認できる最後の年です。

1970(昭和45)年の都市地図や1976(昭和51)年の路線図にも記載があり、どうも、現在都市計画道路として工事中の石山駅から湖岸まで抜ける通りが東行き一方通行、国道ガード下が西行き一方通行なので、これを使って、湖岸道路経由のバスが通っていたようです。
ただ、既に衛生環境センター前などのバス停はこの時点で存在していたので、こちら側とどのように役割を分担していたのか不明です。1979(昭和54)年当時の地区定期券範囲図には両方のルートがちゃんと掲載されていて、どちらも「大津中央地区」「大津南地区」に含まれていました。

↓工事中の都市計画道路、現在は東行き一方通行です。

IMG_5693.jpg

↓バス停のポールは、現在残っている記録を見る限りは、浜大津方面の片側しかありませんでした。想像図を描き込みました。
[石山乗船場前 【大津市内総合線 湖岸系統旧線3】]の続きを読む