青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
昨年、旧大津市内線の特集を初めた時からちょうどまる1年経ちました。早いものです。
今年は皆さまにとってどんな1年でしたでしょうか?

私はこのブログに関わることで言うと、よく車内アナウンスの「録音」をしました。
京阪バス各営業所で、ロケーションシステムの導入が進み、徐々に、あの評判の悪い大嫌いなレシップ製の合成音声にすげ替えられていく有様を見て、これは大津もそろそろ危ない、と思って少しずつ録りためました。

アナウンスに運転手さん自身のアナウンスが被ってしまったり、学生が多くて賑やかでとても録音どころでなかったり、いろいろうまくいかないこともありましたが、中には事情を知って協力して下さる運転手さんもいて、本当に助かりました。

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従来、音声を残すということにそれほど重きを置いていませんでしたが、音というのは紙や写真ほどに安定した情報ではなく、一度失われると再現はほぼ不可能、しかもあの質の悪い合成音声になるのだと思うと怠け者の私も必死になりました。今思えば、唐崎、坂本などの北部路線など録っておけばよかったなと後悔しています。もうデータは残っていないそうです。

現在の音声を聞かれるなら、今のうちではないかと思います。
年に1、2回しか帰省されない方だと、この正月に帰省されて、次にGWや夏に帰省された時には、もう「ツゥギウィハ」(次は)なんて泣きそうなトレモロの入ったアナウンスや、明治時代かと思うような「イシヤマステイシオン」なんて英語にびっくりすることになるかもしれません。
整理するのに時間がかかりますが、いつかYouTubeででもご紹介できればと思います。



ブログ以外のことで言いますと、4月1日に消費税が8%に改定されて、どこからということもなく徐々に生活が苦しくなり、クレジットの請求を見ては資金ショートしやしないかと流行語じゃないけど、「ダメよ~ダメダメ」と、ドキドキハラハラの日々でした。

「日本エレキテル連合」が大ブレークする直前、いつもそんなもの見ないのに、奇抜なメイクが気になってYouTubeで見て、「納豆トースト」みたいに気持ち悪いのに変に癖になるなあと思っていたら、どんどん有名になりだして、ああやっぱりなあ…と思ったものです。

[理論と実践]の続きを読む
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西ノ庄 にしのしょう
所在地:(浜大津方面)大津市西ノ庄 (石山駅方面)大津市におの浜四丁目
開設年月日:1967(昭和42)年頃?
改称年月日:1970(昭和45)年8月頃? 労働会館前→西ノ庄
付近:西ノ庄会館 西網町集会所 大津プリンスホテル JT日本たばこ産業大津営業所(旧日本専売公社大津支局) (現在ないもの)近江鉄道大津営業所 膳所自動車教習所 滋賀県労働会館
キロ程:馬場一丁目から0.3キロ




1964(昭和39)年から現在の範囲が「大津市西の庄」とされています。もともと中世の「粟津荘」の西端に位置することに由来する地名で、江戸時代には、膳所城下町5ヵ村の1つとされました(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P537)。

ここははっきりした位置関係が分かる1985(昭和60)年の住宅地図発行時点では、少なくとも現在とほぼ同じ場所にあるようです。

↓石山駅方面のバス停 浜大津方面を望んでいます。

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↓こちらは逆に石山駅方面を望んでいます。
[西ノ庄【大津市内総合線 湖岸系統11】]の続きを読む
少し違う話題を挟みましたが、湖岸系統に戻ります。ついこないだの紅葉なのに、もう遠い昔に感じられる程雪で寒かったですね。

雪に見舞われた18日の木曜、あるバス停でバスを待っていたら7、8分ほど遅れてきたので、思ったほどじゃないな、と安心したのですが、経路番号から、その30分ほど前に通過していないとおかしいバスだということが分かってびっくり!その後も各交差点を通過するだけで15分とか20分とか普通にかかって、結局、石山駅まで20-30分ほどの道のりに1時間半ほどもかかってしまいました。

「京阪バスはすぐ止まる」「よく遅れる」
なんていう声を聞いたことがあります。私はファンじゃないから、会社をかばう気はありませんし、よその営業所のことや比叡平方面はよく分かりませんが、少なくとも浜大津、石山以南では、実際はそうじゃないんですよ。

ゆっくりしか走れない、ということや、高速道路が通行止めで下道が混む、ということももちろん渋滞の大きな原因ですが、それに拍車をかける無視できない要因は、みんな、バスが遅れる、止まる、と思って、安易に家族を車で送ろうとすることなんです。

県内で18日の午前0時から正午までの半日で県内で発生した事故件数は154件、乗っているバスの無線でも、実際、乗用車のスリップ事故で通行に注意を要する旨の報告が入っていました。雪道に慣れていないのでしょう。事故なんて起きたらそれでまた車線が塞がって渋滞することは言うまでもありません。

いろんな事情で車にせざるを得ないこともあると思いますし、延着証明をもらっても済まないような用事もありますが、悪天候の時こそ運転はプロに任せて、できるだけ公共交通機関を利用するのがよいと思います。
「急がば回れ」じゃありませんが、「遅れる」と思って車を使って、早く着くかと言ったら、そうでもないことが今回の雪でよく分かった気がします。


馬場一丁目 ばんばいっちょうめ
所在地:(石山駅方面)大津市におの浜三丁目 (浜大津方面)大津市馬場一丁目
開設年月日:1967(昭和42)年頃?
付近:滋賀県立体育館 京都銀行大津支店 イオンタウンアヤハプラザ 京都信用金庫滋賀支店 関西電力滋賀支店
キロ程:義仲寺から0.4キロ




『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(1979)によると、「大岡寺前の桜馬場があったことによる」という(P577)ことですが、「大岡越前」はともかく「大岡寺前」をキーワードにしても何もヒットしないので、誰のことか分かりません。ただ、隣の中庄には今も「桜馬場自治会」があります。

今は膳所駅があることから、私たち大津市民はこの辺りを広い意味で「膳所」と認識していますが、ここまでは旧大津市の範囲だったようで、明治22年に大津町が成立すると、大津町の大字となり、明治31年に大津市が成立した時にも大津市の一部とされました。1964(昭和39)年に現在のように馬場一丁目~三丁目となりましたが住居表示制が施行されたのは更に後の1967(昭和42)年です(同書P577-578、766)。

↓近くには「馬場東町」自治会館があり、旧大津市内線の「馬場東町」の代替バス停であろうことが窺えます。

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湖岸道路への載せ替えのタイミングで、住居表示制の新住所「馬場一丁目」に変更したのでしょう。

↓少なくとも1985(昭和60)年の段階から、浜大津方面のポール位置は変わっていません。
[馬場一丁目【大津市内総合線 湖岸系統10】]の続きを読む
将軍塚に行く時は、青蓮院の前庭で数台待機しているバスに乗り込みます。基本的に毎時0分、30分の発車ですが、30分間隔にしては台数が多く見えるので、すぐ続行便を出せるようにしているのでしょう。

青蓮院の前の道は狭く、南行き一方通行なので、将軍塚に向かう時は、知恩院⇒東大路通⇒仁王門通⇒蹴上⇒九条山⇒将軍塚、という結構複雑なルートを取ります。わざわざ仁王門通を通るのは、東山三条では日中、南から東に右折することが禁じられているためです。

久しぶりにA-1962と「再会」しましたが、わざわざ古い運賃箱に挿げ替えられてしかもガムテープで運賃投入口は封じられ、広告は全部取り払われ、運賃表も外され、床もいやに汚く見えて、ついこないだまでこれで通勤していたということが信じられないような無残な姿でした。恐らく教習用になっているのでしょう。

↓将軍塚の降り場は、大日堂の真ん前のロータリーです。乗っていたバスの写真はうまく撮れなかったので、こちらは駐車場との間のシャトルバス。山科のW-3019です。

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↓西側の展望台から見た青龍殿
[去りゆく秋を惜しむ青蓮院・将軍塚②]の続きを読む
ここ数年、ライトアップや青不動の公開などで何かと話題の青蓮院。

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比叡山延暦寺と同じく天台宗の寺院で、平安末期に比叡山中にあった寺院が現在の東山・粟田口に移ってきたのだろうと言われています。皇族や摂関家の子弟が入る、いわゆる「門跡寺院」の1つです。
今年は2年前から工事が行われていた将軍塚の飛び地境内の青龍殿が完成し、一般公開されています。

紅葉がピークを過ぎた某日、少し空いただろうか?と思って、青蓮院と将軍塚に行ってきました。

前庭には…おお、停まっている停まっている。将軍塚に向かう貸切バス。
[去りゆく秋を惜しむ青蓮院・将軍塚①]の続きを読む

義仲寺は大津の停車場から出て、少し右に行つたところにあつた。義仲の戰死したのは、此の邊(あたり)よりはもつとずつと東に寄つたところであらうと思はれるが―――(中略)少くとも昔は此處等も田圃で、塚がさびしく夕日を帶びて横(よこたわ)つてゐただけであつたであらうが、段々人家も出來、町らしい形も出來て、今の寺らしいものも段々出來るやうになつたらうと思はれた。
今はこゝに、芭蕉の墓があるので、一層意味深いものとなつた。『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』と詠んだ彼と、深田に陥って死んだ不運な武將と、何の緣故もなしに、こゝに、かうして墓を並べてゐるといふことが不思議な心を旅客に起こさせずには置かなかつた。
田山花袋「義仲寺」『京阪一日の行樂』(P621)



義仲寺 ぎちゅうじ
所在地:(石山駅方面)大津市におの浜二丁目 (浜大津方面)大津市馬場一丁目
開設年月日:1967(昭和42)年頃?
付近:朝日山義仲寺 西武百貨店大津店 パルコ大津店 大津市立平野幼稚園
キロ程:大津署前から0.3キロ




いわずとしれた「西武百貨店前」です。
義仲寺は、源義仲の塚を守るためにできた草庵が始まりとされています。巴御前が作ったのではないか、とも言われています。義仲は多くの方がご存じの通り、木曽から上洛して平家討伐をした人物ですが、やがて味方であったはずの従兄弟の源頼朝に疎まれて、粟津で義経らに追い詰められて、自害せざるを得なくなりました。

松尾芭蕉がこの寺を好んでいたこと、ここに葬られていることもよく知られております。

小学校の頃、「義仲寺、義仲寺、というけど、どこにお寺なんてあるのだろう?」と不思議に思っていましたが、湖岸道路から1本南の旧東海道沿いにあります。

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恐らく旧東海道の路線が廃止されて湖岸道路に載せ替えられた時に、バス停名が継承されたので少々分かりにくい位置関係になったものと思われます。
[義仲寺【大津市内総合線 湖岸系統9】]の続きを読む
10月20日付拙稿「日本天台三総本山」連絡バスで、「私も、紅葉の時期にもう一度ゆっくり訪れようと思います。その時は主に特別公開の重文等について取り上げられたらと思いますので、その節はまた宜しくお願い致します。」なんて書いて、ああしまったなあ、そんな難しいこと書けないだろう!?第一そういう肝心なところは写真が撮れないじゃないか!と自分の脳味噌に幻滅しながら、どっち道、坂本方面にかつて存在した京阪バスのバス停の「取材」をしないといけないので、ついでと言っては何ですが、やはり西教寺に行ってきました。

ずいぶん前に、友人とライトアップで来て以来ですが、その時は日吉大社から真っ暗な道をひたすら歩いて大変だったことと、今はわかりませんが当時は白熱灯のような照明だったので、紅葉がカビが生えたように不気味に見えて、ちっともきれいではなかったことを覚えています。

↓前と同じ写真で恐縮ですが、行った日もこういう感じで停まっていたのだと思います。

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↓あ、しまったもう紅葉はお終いか?

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いやいや、まだ大丈夫でした。


[西教寺詣で]の続きを読む
大津署前 おおつしょまえ
所在地:大津市打出浜
開設年月日:不明
付近:滋賀県警大津警察署 大津パルコ 国際経営情報専門学校 呼次松児童公園
キロ程:商工会議所前から0.3キロ




その名の通り、大津警察署の前のバス停で、湖岸道路がなかった時に、旧道を経由していたころから継承されているバス停名と思われます。湖岸道路ができてから玄関が湖岸道路側に移りましたが、以前は旧道側に玄関があったようです。

副停留所名は「大津パルコ」とされていて、寧ろ今はパルコの最寄りバス停と認識されているのではないかと思います。「大津パルコ」↓の前には、今は瀬田にある「大津市公設市場」がここにあったことを覚えている方も多いと思います。

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↓パルコのまん前にある石山方面の乗り場から、石山の方向を望むと、浜大津方面のバス停があるのが見えます。大津市公設市場の移転、大津署の改築など、周囲はいろいろな動きがあったはずなのですが、確認できる限り、80年代からこの位置で、「大津署前」と言いながら、特に浜大津方面のバス停はかなり離れています。
[大津署前【大津市内総合線 湖岸系統8】]の続きを読む