青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
石山駅以南、特に南郷、大石方面で朝にバスを利用される方は、ここ何日か、天気がいいのに異様にバスが遅れていることに気づかれていることでしょう。

ある日、南郷付近で、7:30頃には通過しているはずの京阪石山寺行きが石山駅行きの後ろに続いて7:40過ぎに走行しているのを見て、何か起きているのかな?と思って一応バス停に向かって小走りしたのですが、その時は、
「無理に乗らなくても、バスは遅れながら次々来るだろうから、乗れないなら乗れないでまあいいか」
と軽く考えて本気を出さなかったから、やっぱり間に合いませんでした。

しかし、その判断が間違っていたことにすぐ気づかされました…。
5分経っても、10分経ってもバスが来ない!名神が工事の時は、一般道に車が流れて、石山、南郷近辺でもいつもより車が多くなることはあるのですが、そんなことも聞いていないし、おかしいな…大きな事故?

結局日中並みに15分近くバスが来ない空白の時間帯が生じ、やっとぎゅうぎゅうのバスに乗り込んだ状態。

でも、唐橋前の踏切では目立った渋滞もなくて、「道路渋滞のため」という運転手さんのアナウンスも、無線の慌ただしさからするとウソではないのだろうけどピンと来ないし、「関津(せきのつ)の工事が…」「水道が…」などという断片的にしか聞こえない乗客の話し声も何のことか分からず、仕事に間に合うギリギリの電車にあたふたと乗り込んで、そのまますっかり忘れていました。

後になって、知人からの連絡で関津峠で下水道管が破裂して、道路に空洞ができて通行止めらしい、ということを知って、乗客の話の意味がやっと分かりました。

あんな細くて危ない道が通行止めになったからって、そんな渋滞なんて起きるものか?と思うのですが、大石から石山・瀬田に向かう車が全部国道422号線に集中すると、ただでさえ混みやすい洗堰の交差点が、混乱するようです。

↓昨年5月17日付拙稿新浜 【石山外畑線・宇治交通石山線16‐1】で使用した写真ですが、川の向こう、山に沿って家並みが少しずつ上っているところが関津峠です。

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[関津峠 通行止めの思わぬ影響]の続きを読む
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前回に続き、菩提寺です。

京都、大阪方面の乗り場が先になりましたので、今回は名古屋方面の乗り場↓

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↓滋賀交通の「ハイウェイサイドタウン」バス停の案内があります。
[菩提寺【八日市特急線補遺2-2】]の続きを読む
予定を変更して、先に江若交通の「日本天台三総本山」連絡バスを取り上げます。

江若交通の公式サイトに、今月4日から12月7日までの土日祝日に、「日本天台三総本山」連絡バスが運行される旨、記載されているのをご覧になった方もいらっしゃることでしょう。

三井寺、延暦寺、西教寺において、この秋通常は非公開の文化財が公開されるため、この三ケ寺(延暦寺はケーブル連絡)と延暦寺にゆかりのある日吉大社と、大津駅、比叡山坂本駅、大津京駅を結んでいます。

大津駅-比叡山坂本駅間の運行は2往復しかなく、三井寺-ケーブル坂本駅口(京阪バスの旧「坂本ケーブル乗場」に相当)間は停車しないという奇抜さですが、8年前に廃止された京阪バスの29号経路を彷彿とさせるものなので、運行初日、早速乗りに行ってきました。

↓10月4日、大津駅前には乗場案内の看板が。

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↓1日9本のうち2本が比叡山坂本駅行、残りは大津京駅行きです。
[「日本天台三総本山」連絡バス]の続きを読む
菩提寺 ぼだいじ
所在地:湖南市(旧甲賀郡甲西町)菩提寺
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:名神高速道路菩提寺PA ハイウェイサイドタウン自治会館 フレンドマート菩提寺店
キロ程:不明


1973(昭和48)年現在の路線図には記載がなく、1976(昭和51)年の路線図には記載があることから、この間に設置されたのか、それともミスなのかは不明です。

なお、1966(昭和41)年3月1日付『広報 こうせい』には、

「将来名神高速道路にバスストップでも出来るようになれば、その距離(引用者注 京都方面への距離)も一段と短縮されることになるわけで(略)」


とあることから、この時点ではまだバス停は存在しなかったということでしょう。パーキングエリア自体は、開通当初から存在しました。



地名は、この地にある「少菩提寺」に由来するとのことですが、残念ながら戦国時代に織田信長軍と佐々木六角軍の戦乱により焼かれてしまい、その後再興することはなかったそうです。現在の栗東市金勝(こんぜ)にある金勝寺(こんしょうじ)を大菩提寺と呼ぶのに対して、「少菩提寺」なのだそうです。「少」は「小」の間違いでなく、本当にこのように書いたようです。

↓今も麓の菩提寺の旧集落にはこの少菩提寺跡の石仏や石塔が見られます。

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↓地蔵菩薩三体。中央と、脇侍2体とは時代が違うのではなかろうか、ということです。

[菩提寺【八日市特急線補遺2-1】]の続きを読む
妙法寺東口 みょうほうじひがしぐち
所在地:東近江市妙法寺町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:八日市ロイヤルホテル 光林寺 妙法寺会館




もともと「妙法寺」という寺があったために、地名も「妙法寺」となったようですが、現在その寺は「光林寺」となっているということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P679)。光林寺はバス停の北にあるようです。

↓現在も、近江鉄道バス御園神崎線が1つ手前の奥山からわざわざこの旧道に入って、停車しています。
[妙法寺東口【八日市特急線補遺1】]の続きを読む
今からちょうど50年前、1964(昭和39)年10月8日「八日市特急線」(名神高速道路経由の京都八日市線)が開通します。これについては、既に特集しましたが、その後、1973(昭和48)年の路線図には記載のない、「妙法寺東口」「菩提寺」について、1976(昭和51)年の路線図には記載があることが判明しましたので、50周年のこの機に補足します。

更に、1964(昭和39)年1月現在の路線図において、八日市特急線開通以前の、国道8号線経由の京都八日市線についても、新たに「小篠原」に停車していることが分かりましたので、これも補足致します。

編集の都合上、小篠原から取り上げます。

小篠原 こしのはら
所在地:野洲市小篠原
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:野洲市立野洲中学校 野洲市営小篠原団地 稲荷神社 小篠原公園
キロ程:東草津から8.7キロ、大篠原まで3.1キロ




新たに発見した1964(昭和39)年1月6日現在の路線図で、停車していたことが判明したため、追記致します。

その路線図上のキロ程から計算して、ほぼ現在の近江鉄道バスの『野洲中学校前』バス停がこれに相当するものと考えられましたので、現地に行きました。

「小篠原」という恐らく国道8号線では比較的有名な交差点↓がすぐそばで、「大篠原」に対して、「小篠原」というバス停がありそうなのにありません。

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滋賀県立図書館所蔵の住宅地図を全て確認しても、バス停そのものの記載がないか、あっても「野洲中学校前」ばかりで「小篠原」というバス停は、どうしても見つかりません。
中学校が、町の中心から考えればかなり山手の方なので、生徒の増加で移転してきて、バス停名が変わったのだろうかと思ったのですが、1948(昭和23)年というかなり古い時期に既に現在地にあったので、バス停名が変わったのだとしても、住宅地図では確認ができない、1970年代以前のことなのだろうと思います。

因みに、中学校は国道の山手にあります↓
[小篠原【京都八日市線補遺】]の続きを読む
前回に続き「石山平津町」です。

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前回取り上げた水汲み場近くからバイパスの向こうを見ると「水畝宮」という大きな看板が見えます。

京滋バイパスからはもっとよく見えるので、一体これは何なのだ?とちょっとした話題になっていますが、住宅地図を見ると、鳥居の記号があるので、神社なのでしょう。
「みずうねみや」「すいせぐう」?…読み方が分からないですね。

↓昔からここには「井上長石鉱山」があります。
[「石山平津町」の謎②]の続きを読む
「膳所」や「瀬田」は行政上の町名として存在しますが、「石山」はありません。石山駅前が住居表示制を施行する時に「石山○丁目」とまとめられてしまってもおかしくなかったのに、「松原町」「粟津町」などの細かい町名が残ったのは不思議ですが、運がよかったともいえるかもしれません。

代わりに「石山」のつく現行行政地名は「石山寺」「石山寺辺町」「石山千町」「石山南郷町」「石山外畑町」「石山内畑町」の6つで、このうち独自の郵便番号があるのは「石山南郷町」以外の5つです。石山学区、南郷学区の町名は全てもともと「石山○○町」でした。昭和8年に旧滋賀郡石山町が大津市と合併する時に、「石山」を冠したようで、全国的にもよくある住所の変更の仕方です。

一方で、地図や資料によっては、「石山平津町」という町名も出てきます。これは一体どこなのでしょう?

『角川日本地名大辞典 25滋賀県』(1979)には、「平津」とは別に「石山平津町」の項があって、
「〔世帯〕5〔人口〕7▷市の南部。ほとんどが山地。(中略)滋賀大学グラウンド裏に「左 いし山」がある」(P753)
とあります。
滋賀大のグラウンド裏なら、石山平津町ではなくてこの当時でも平津だったはずで、場所を特定する情報とは言えません。

上記は「地誌編」の記述で、これとは別に「地名編」というのがあって、そちらの「石山平津町」の項では、「昭和51年一部が現行の平津1~2丁目・南郷1~6丁目の一部となる」とあります(P99)。

一方同辞典の「南郷」の項は、直前の町名として、
「石山千町・石山南郷町・石山赤尾町・石山平津町の各一部」
を挙げており(P765)、「平津」は、
「石山平津町の一部」
としています(P767)。

つまり、住居表示制を施行する時に、その必要がなくて山間部に残存している「石山千町」「石山南郷町」などとともに、「石山平津町」も残存している、ということなのでしょう。しかし、昭文社の都市地図など、掲載がない地図も多く、謎の地名です。

ヤフー地図で検索すると、以下のような範囲とされています↓



(お使いのパソコン、スマホの環境により正しく表示されないことがあります)

ところがこれを、「石山平津町488番地」とすると、以下のようになります↓
[「石山平津町」の謎①]の続きを読む