青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
膳所本町 ぜぜほんまち
所在地:大津市膳所二丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:京阪膳所本町駅 滋賀県立膳所高等学校
 



膳所本町とは、もともと膳所町大字膳所だった地域のことで、JRの膳所駅とその前の京阪膳所駅がそもそも「馬場」地域であるのに対して、本当の意味での「膳所」なのだという意味であり、文字通りの「本町」、膳所の中の膳所と言えましょう。

↓膳所神社前の方向を望みます。

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今独立した町名となっている丸の内町や膳所平尾町も、当初は膳所本町の小字にすぎませんでした。それが、その他の小字とともに、1951(昭和26)年に整理されて、膳所を冠する膳所丸の内町、小姓町、坊主町、大工町、浜田町、上浜田町、上清水町、下清水町、北相模町、南相模町、平尾町、行啓町、山添町、北大手町の14町となりました(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P420)。このうち、小姓町、坊主町などは今も京阪電車の踏切の名前として残っています。
他にも「膳所」を冠する町名はたくさんありますが、これは膳所本町の小字とは別の起源ということになります。
[膳所本町【旧大津市内線37】]の続きを読む
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瓦ヶ浜 かわらがはま
所在地:大津市杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:旧大津北浦郵便局


杉浦重剛の生家から西に進みます。これといった目印がないので、後で写真を見返してもどこなのか思い出すのに苦労しますが、道が僅かに広くなるここが瓦ヶ浜です。

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バス停名は瓦ヶ浜ですが、京阪電車の瓦ヶ浜駅からは遠かったようです。



『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』によると、中ノ庄村の一部で、膳所城築城の時に、ここを流れる篠津川沿いで多数の瓦を焼いたことによる地名だということで、ずっと小字として存続し、1951(昭和26)年から1964(昭和39)年まで膳所瓦ヶ浜町となりました。私の手元の1962(昭和37)年現在の「京阪神市街地図集」には、このような地名は見られません。

バス停は、この古い建物の前辺りにあったのではないかと推測しました。もちろん、先述の「京阪神市街地図集」に書かれている、ということもありますが、ここは道が少し広くて、バスが止まっても、反対からくる車が割合スムーズに離合できそうなためです↓
[瓦ヶ浜【旧大津市内線33】]の続きを読む
旧大津市内線 往路に重なりますので、膳所神社前(膳所公園前)【旧大津市内線23】をご参照願います。

次は、膳所本町です。
旧大津市内線 往路に重なりますので、膳所浜田町(刑務所前)【旧大津市内線24】をご参照願います。

次は、膳所神社前(膳所公園前)です。
旧大津市内線 往路に重なりますので、中ノ庄【旧大津市内線25】をご参照願います。

次は、膳所浜田町(刑務所前)です。

粟津 あわづ
所在地:大津市別保一丁目または杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:別保一丁目自治会館 西念寺


粟津は、奈良時代以前から見える古い地名です。時代によって指し示す範囲は変わったようですが、概ね膳所から唐橋辺りを広く指す地名と考えられています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P79-80)

吉田金彦は「大津」という地名同様、「逢う津」から来ている可能性があるとしています(『京都滋賀古代地名を歩くⅡ』(P166-167)が、一方で坂本の日吉大社に粟飯を献上したから粟津というようになったという説も紹介しています(P172-173)。



ただ、現行の住所における「粟津町」からはだいぶ離れています。
[粟津【旧大津市内線32】]の続きを読む
東レ前 とうれまえ
所在地:大津市粟津町? (大津市膳所別保町字林崎206-2番地)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:東レ滋賀事業所


石山駅を越えて、最初の停留所は「東レ前」ですが、これは現在の「東レ北門前」ではありません。



1964(昭和39)年1月6日付の路線図、及び国立公文書館所蔵の、1954(昭和29)年10月3日付の「滋賀県大津市関清水町27番地-滋賀県大津市膳所別保町字林崎206-2番地」の5.1キロ区間の路線延長申請書類によると、「東レ前」というバス停は東レ北門前とは別に存在したことになっています。

これは申請書類に添付されていた図面です↓

東レ前

「煉瓦会社」というのが何なのかは、古い住宅地図を見てももはや何なのか分かりませんでしたが、東レ北門前より石山駅寄り、以前引き込み線の踏切があった辺りです。

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正にこの辺りの路上に「東レ前」という、今の「東レ北門前」とは別のバス停があったようです。ここで「東レ前」と言われても、門も何もなく、民家もないので利用するひとなどいたのだろうか、本当にこの位置なのだろうかと不思議です。

 
[東レ前【旧大津市内線31】]の続きを読む
ひょんなことで、バスを降りる猫の写真を見つけて、記事にアクセスしました。2011(平成23)年12月15日付の”The Telegraph"です。

新聞の記事は結構すぐ消されてしまうこともありますが、3年前からUPされ続けて、まだリンク切れになっていないところを見ると、当分は見ることができると思いますが、消されないうちにぜひご覧下さい。

写真がすごい可愛いです!!

Owner surprised to find cat regularly catches bus日本風にいうと、「飼い主も気づいてびっくり!毎日バスに乗るネコ」くらいでしょうか。

イギリスの記事なので、当たり前ですが英語はイギリス式です。
戦後の日本の英語教育はアメリカ英語ベースで行われていて、日本で普段目にしたり耳にしたりする英語は、アメリカ英語が多いので、この記事を見ると、学校で教わったり、各サイトで取り上げられたりしている「アメリカ英語とイギリス英語の違い」が、本当にしっかりあるんだな、と思ってちょっと感激します。

どうしても何が書いてあるのか知りたかったので、自分のメモ書き程度ですが、だいたいの意味を訳してみます。突貫工事でバタバタバタっと訳したので、あんまりこなれた日本語になっていませんし、正確さも保証できませんが、雰囲気、と思って下さい。

(写真の上)
ドジャーと名付けられたペットの猫が、その名の通りにバスをつかまえて自分の街から気まま旅。

[バスで旅するネコ]の続きを読む
石山駅 いしやまえき
所在地:大津市粟津町
開設年月日:(京阪バスとして)?
      (京阪宇治交通として)1962(昭和37)年11月1日
付近:JR石山駅 京阪石山駅 京阪バス石山駅前案内所 大津署石山駅前交番 石山駅前郵便局 平和堂石山店 滋賀銀行石山支店 


↓石山駅北側の工場街の末端でJRのガードをくぐります。

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旧大津市内線があった当時、このガードはなかったようです↓

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大津市歴史博物館のページで、石山駅東側の立体交差完成祝賀(昭和46年)と題するこの場所の写真があります。こんな何でもないガードにも歴史があって、みんなが完成を祝った時があるのですね。

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「晴嵐商店街」という看板はこの時既に設置されていて、40年以上も前ですから、全く同じものだとは思えませんが、看板の字体や形はほとんど変わっていません。

複々線化が立体交差化の大きなきっかけなのでしょう。踏切のままにしておかなかった当時の関係者の賢明さに感謝しなければなりません。こんなところが今踏切だったらどうなっていたことか…。ここの他にも、石山-膳所間上別保のバス停付近から北に抜ける道のガードなど、踏切を立体交差化したものと思われる場所があります。

そして、勝手知ったる我が庭???石山駅まで戻ってきて、ほっと一息。



石山駅の、というより石山駅前の歴史は、そのかなりの部分が狭さとの闘いだったと言って過言ではないと思われます。
[石山駅【旧大津市内線30】]の続きを読む
新日本電気前 しんにほんでんきまえ
所在地:大津市晴嵐一丁目
開設年月日:不明
改称年月日:2008(平成20)年4月21日 関西日本電気前→NEC前
      時期不明 新日本電気前→関西日本電気前
付近:新日本電気株式会社(本社・滋賀工場)(現・ルネサス関西セミコンダクタ株式会社) 日本精工大津工場




「県病院前」を出るとすぐに大津市立粟津中学校です。大津市内では粟中(あわちゅう)と通称されています。南郷中学校など、大津市南部の中学校の母体ともいえる学校です。2012(平成24)年8月16日付拙稿昭和27年 大津市立南郷中学校通学問題Ⅰで、学校の系統樹や年表をUPしておりますので、宜しければご覧下さい。

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粟中の正門は湖岸側なのか、こちら側なのかどちらなのでしょう。どちらもそれらしいしっかりした構えの門で、どこをどう見ても正門と呼べるものがはっきり1か所しかない南郷中学校や石山中学校とは違います。

↓沿道には「粟津の松原」の名残というにはあまりに僅かな松の木が植わっています。
[新日本電気前【旧大津市内線29】]の続きを読む