青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
私の理数系・技術系の不得意さについては、時々このブログでも書いている通りひどいものなのですが、英語もできなくて(というか、そもそも得意教科がない…)、少しでもできるようになりたい、と毎日英語のフレーズやイディオムが届くメルマガ、アメリカ英語中心のと、イギリス英語中心のと2種類登録しているのですが、生来の怠け癖でたまる一方。こういう性格が一番語学に不向きなんですね。
ある日意を決して通勤のバスの中でスマホでメルマガを読んでいたら、"bus"という単語を使った、ちょっと目を引くイディオムがありましたので、ご紹介いたします。

"throw someone under the bus"

someoneのところには基本的に人称代名詞の目的格や、人名がきます。受け身の方が私なりに例文を作りやすいので、メルマガと違う例文を作ってみます。

John was thrown under the bus by his wife.

直訳すると、「ジョンは奥さんに、バスの下に投げられた」なのですが、これでは何のことやら分かりません。「バスの下に投げる」…バスの下?最近、低床のバスが多いので、狭いですよ。こんなんですよ。怖いですね。

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実はこれはアメリカ英語で「裏切る」の慣用句的表現なので、

「ジョンは、奥さんに裏切られた」

と訳すのが正解ということになります。

迫力が違いますね。読みながら震え上がっている男性諸君、大丈夫ですか?

今のがどちらかというとアメリカ式の言い回しだったので、次はイギリス英語でよく用いられる表現。
Mary looks like the back end of a bus.

直訳すると、「メアリーはバスのリアみたいだ」。これもこのままでは何のことやらわかりません。ここで問題です。メアリーは一体、どんな風だという例えなのでしょうか?以下の1から3の中から1つ選んでください。

1.beautiful (メアリーは美人だ!)
2.intelligent(メアリーは知的だ!)
3.ugly    (メアリーは不細工だ!)


答えは…
[磁器のバスを運転する]の続きを読む
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別保 べっぽ
所在地:大津市杉浦町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:若宮八幡神社 京阪瓦ヶ浜駅 膳所焼美術館


「五百羅漢前」から比較的長い距離を走って辿り着くのが、「別保」です。



木ノ下町、西ノ庄などとともに、膳所城下町5ヵ村の1つとされる別保は、中世「粟津別保(あわづのべっぽ)」があったために「別保」と呼ばれるようになったということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』 P623)。ではこの「別保」とは何かというのが分かりません。そこが知りたいのに、何だかこの地名辞典はそういう由来には弱くて、歴史的な事実や地理的な特質についての記述ばかり目立ちます。

仕方ないので辞書を見ると「保」は「荘園」を表す「荘」と共に中世の行政単位だと分かりました。大津市には他にも、大津百町の中に「北保町」「南保町」があります。

「五百羅漢前」と「別保」のほぼ中間地点、どちらからも300-400mの、普通ならバス停を設置するような位置で京阪瓦ヶ浜駅を通過します。

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駅を目の前にしながら、バス停を作らないなどということはふつう考えにくく、それが親会社の鉄道駅ならなおさらですが、ここには新聞記事や地図を確かめても、バス停はなかったようです。
[別保(宮町)【旧大津市内線27】]の続きを読む
前回に続き、「五百羅漢前」です。

肝心の「五百羅漢」(圓福院)がどこに行ってしまったのか、ですが、結論から言うと中ノ庄を見下ろす遥か山手、富士見台に移転しています。



「大津のかんきょう宝箱」圓福院(五百羅漢堂)(富士見台)によると、「近年」移転したことになっていますが、実際には近年どころか、1970(昭和45)年頃のようです。
中には1960(昭和35)年と書いているサイトさんもありましたが、1966(昭和41)年版の弘報社の住宅地図では、まだ中ノ庄の「フォレストヒル」の位置にちゃんと圓福院がありますし、富士見台などというところは大津市火葬場が1933(昭和8)年の膳所町・石山町合併の翌年にできた以外に昭和40年代までほとんど何も開発されていないはずで、不自然だと思われます。

↓逆光になってしまいましたが、現在の圓福院。

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この建物の中に、極彩色の美しい五百羅漢像が収められています。特別に事前に申し込まないと拝観することはできません。大津市の観光データベース円福院/五百羅漢[えんぷくいん/ごひゃくらかん]に写真が掲載されている他、検索すると幾つかのサイトさんで写真がUPされています。手抜きで申し訳ないのですが、ご興味がおありの方はそちらもご覧下さい。

[五百羅漢前【旧大津市内線26-2】]の続きを読む
五百羅漢前 ごひゃくらかんまえ
所在地:大津市中庄一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:中ノ庄会館 篠津神社 光源寺 (現在ないもの)五百羅漢〔圓福院〕


旧東海道が、岬のように大きく湖側にせり出した網町からまた大きな屈曲を右に曲がったところが、五百羅漢前です。

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その角にあるマンションには、ATMコーナーが設置されています。
[五百羅漢前【旧大津市内線26-1】]の続きを読む
今回は、京阪宇治交通(宇治バス)の廃止された路線の写真をいくつか取り上げたいと思います。

まず、T.F.様からご提供頂いた、貴重な写真、39系統京都駅発天ヶ瀬ダム行き↓

京22か895

京22か895 横に市バスが写っていることや、背景から京都駅だろうと思われます。

ひとが乗っている気配がありません。昭和50年前後の撮影だと思われますが、この当時から既に苦戦でしょうか?
1970(昭和45)年3月24日に開通しました。

↓こちらはまんたろう様が提供して下さった、茶屋村の写真。
[懐かしの廃止路線【さようなら京阪宇治バス・京阪シティバス6】]の続きを読む
中ノ庄 なかのしょう
所在地:大津市中庄一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:京阪中ノ庄駅 篠津神社 聖愛幼稚園


↓膳所浜田町(刑務所前)を出て古い街並みを歩くこと数分。左に曲がると旧東海道であることが右の電柱の案内標識で分かります。

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右手の商店は、旧大津市内線があった当時には既にあった…どころか、それよりずっと前の建築のようにも見えます。

昭和37、38年の地図では、この信号が点滅している交差点の辺りにバス停があったことになっています。



↓この交差点を旧東海道とは反対に右に曲がると中ノ庄駅
[中ノ庄【旧大津市内線25】]の続きを読む
膳所浜田町 ぜぜはまだちょう
所在地:大津市本丸町(旧膳所浜田町)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:不明(刑務所前→膳所浜田町)
付近:膳所公園団地 大津市科学館 大津警察署ぜぜ寮 (現在ないもの)滋賀刑務所




江戸期から続く地名で、膳所城築城以前からここが陪膳(おもの)の浜田であったことに由来するということです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P569)。つまり、皇室に献上する魚を獲っていた場所、ということなのでしょう。

一方で吉田金彦は「浜田」という言葉を素直に、
「浜で稲田を作って天皇の御料に献上した、その祭儀の行われた場所が膳所神社だった。だからこの神社は『膳所』の発祥を物語る存在だ、と考えてよい」
と解釈しています。
「膳所の浜田は今、本丸町という行政名である。膳所城をイメージアップした市民センターや浄水場の建物のある辺から団地にかけてが、かつての膳所の浜田であった」
(『京都滋賀古代地名を歩くⅡ』P170)
ということなので、市民センターや浄水場の辺りは良質なコメが穫れたのでしょう。

↓今も自治会は「浜田町」を名乗っています。

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この消火器は、クリーニング店の前にあるのですが…

[膳所浜田町(刑務所前)【旧大津市内線24】]の続きを読む
膳所神社前 ぜぜじんじゃまえ
所在地:大津市丸の内町
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:不明 (1963年ころまで膳所神社前→1964年1月6日付路線図上 膳所公園前)
付近:膳所神社 大津膳所本町郵便局


屋根注意 屋根注意…

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……屋根注意 屋根注意

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大型車に屋根を削り取られることが、膳所の住民の大きな悩みでした。

湖岸道路が全通して長い年月が経過し、大型車の通行が少なくなった今も、狭い道にこんな掲示が残っています。



『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』にも「膳所神社」の独立した項が設けられているのですが、天正年間に兵火に遭って記録がなく、詳しい由緒は分からないそうです(P419)。もともと湖岸にあったのを、膳所城を整備する時に現在の場所に移したのだそうです。表門は、明治3年に膳所城を壊した時に、城門を移築したものだと言います↓
[膳所神社前(膳所公園前)【旧大津市内線23】]の続きを読む