青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
本ブログをよくお読み頂いている方なら、恐らく皆様ご存知の通り、来る4月1日、京阪宇治バスと京阪シティバスが合併し、社名が「京都京阪バス」になります。

今回から、これらの2社に別れを惜しんで、断続的に数回特集を組みたいと思いますので、宜しければおつきあい下さい。

存続会社は京阪宇治バスなので、宇治バスについては会社がなくなるわけではありませんが、「宇治」の名前がなくなることが残念な限りです。
この点、「京阪宇治交通株式会社」の法人格がなくなっても、「京阪宇治交サービス」「京阪宇治バス」として社名に「宇治」の文字が残った10数年前の複雑な離合集散の時とは決定的に違います。

↓準備真っ最中らしい新社屋

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ただでさえ消費税増税の準備があるのに、会社の合併まで重なって、決算、登記、陸運局関係の手続き、バス停、アナウンス、運賃表や路線図の準備と引っ越しと、事務系社員も上を下への大騒ぎなのではないでしょうか。

↓京阪淀駅で

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…このネーミング、何とかならなかったのでしょうか。
「『京阪京都交通』と紛らわしい」
「『京阪』の『京』は既に『京都』を表しているのに、そこにまた『京都』を重ねるのはくどい」
などの意見はなかったのでしょうか。田辺や城陽の住民が、「宇治じゃないのに宇治バス」と不満を言っていたというようなことも聞いたことがないので、「宇治バス」で良かったのではと思います。
[さようなら宇治車庫①【さようなら京阪宇治バス・京阪シティバス1】]の続きを読む
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1953(昭和28)年12月26日付読売新聞滋賀版、1953(昭和28)年12月17日の滋賀日日新聞と1953(昭和28)年12月29日付朝日新聞滋賀版においては、「有楽座前」の代わりに「平野神社前」というバス停名が載っています。もしそうだとすると、1本南の旧東海道を走っていて、1962(昭和37)年までのどこかのタイミングでルートをこちらに変更したのか、或いは平野神社からは少々距離がありますが、「有楽座前」の位置を「平野神社前」と呼んでいたのか、いずれかだと思われます。



ずいぶん長い間、大津市立平野小学校の「平野」とは何だろうか?と不思議に思っていましたが、「平野」は、この平野神社に由来しており、町名ではありません(上田上(かみたなかみ)の平野はもちろん全く別物)。平野神社は「蹴鞠(けまり)」の神様とされています。

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なぜ膳所小学校に呼応して、馬場小学校としなかったのか不思議です。

この平野神社の石段で明治の中頃、一人の少女が転びます。
[有楽座前【旧大津市内線 14-2】]の続きを読む
今日は、拙ブログとしては大変珍しく、今日撮った写真をすぐにUPさせて頂きます。

京阪バス公式HPなどでも既にUPされています通り、今日3月21日、山科営業所管内で大規模なダイヤ改正が実施されました。

中でも注目されるのは以下の3つの大きなポイントでありましょう。

1.山科急行の石田延長、臨時便だけだった香里園延長の定期化

2.土曜休日の「醍醐快速」(醍醐寺-三条京阪)運行開始

3.四条烏丸から大宅まで平日のみ85号経路の深夜バス運行開始


大阪だと地理が分からないのと、距離があるのとでなかなかフォローしきれないのですが、山科ならある程度のことが分かり、また比叡山や阪神高速京都線といった有料道路が絡んで、個人的にも興味深いため、深夜バスはさすがに難しいですが、早速駆けつけました。

まず、山科営業所前の「大宅」に。14:45発の23号経路大宅発醍醐寺行きは…。

[山科急行香里園延長定期化・醍醐快速初日]の続きを読む
有楽座前 ゆうらくざまえ
所在地:大津市松本二丁目(旧甚七町)
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
改称年月日:改称時期不明 帝国座前→有楽座前
      (「平野神社前」だった時期がある可能性あり)
付近:滋賀県立琵琶湖文化館 滋賀県警察本部 関西アーバン銀行びわこ営業部(旧びわこ銀行本店、旧滋賀相互銀行本店) 正徳寺 連合福祉会館 (現在ないもの)有楽座(旧帝国館)




松ヶ枝町を出たバスは、現在の湖岸道路経由のバスと同様、一旦琵琶湖の方向に向かいます。大津インターチェンジから市街に下りてくるこの道の、少なくとも前身となる道はこの当時既にあったようです。

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湖岸道路はまだありませんから、その手前、現在の「中央4丁目」交差点で右折します↓
[有楽座前【旧大津市内線14-1】]の続きを読む
松ヶ枝町 まつがえちょう
所在地:(現行バス停)
    (石山駅方面)大津市京町四丁目
    (大津駅・浜大津方面)大津市梅林一丁目
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:滋賀県庁東別館 滋賀県知事公舎 滋賀県庁前郵便局 滋賀県公館 滋賀県厚生会館本館 大津土木事務所(大津市立打出中学校跡) 滋賀県農業教育情報センター (現在ないもの)滋賀県警本部 大津市立打出中学校




現在の大津市に、「松ヶ枝町」という行政地名はありません。つまり、郵便物に書くような住所地名ではありません。1951(昭和26)年から1965(昭和40)年までは正式な町名で、大津市大字松本の一部とされていたのを、住宅の増加で東松ヶ枝町と西松ヶ枝町に分割した、とされています。後に前者が松本1-2丁目、後者が京町四丁目、梅林一丁目となりました。明治21年に付近に滋賀県庁が移転してきたことから発展した町です(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P643)。

私の中では「松本」は影が薄くて、急に「松本」と言われても信州かと思ってしまい、なかなかこの「松本」は思い出せません。「松ヶ枝町」の方が分かりやすいのですが、「松本」の地名も歴史は古く、また今の本宮町辺りまでを含むかなり広域を指す地名です。もともとは大津の一部とはされていなかったのが江戸時代にはもう何かにつけ大津と合同することが多く、明治期には既に連担していたことから明治21年の大津市制施行時も最初から市域でした。

ここは、少なくとも戦後、旧国道2号線、現在の1号線が開通してから後、浜大津から来ると国道方面と旧東海道方面のバスの分かれ道で、現在は、国道経由と湖岸道路経由の系統が分岐するポイントです。
付近は、皇族などの大切な来賓を迎えたり、表彰式などの重要な行事を行う「滋賀県公館」や、各種のビルが建つビジネス街、官庁街です↓

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公館↓は一般にはなじみが薄く、私も何をしているところなのか調べるまで知りませんでしたが、事前に申し込めば見学できるそうです。今年開館20周年です。
[松ヶ枝町【旧大津市内線13】]の続きを読む
昨年の今頃は、比叡平自治会のぽんた3号様のご協力を頂きながら、大津比叡平線・京都比叡平線の30周年記念特集を進めておりました。

こないだ、久しぶりに比叡平に行くと、普段予備車扱いでめったに見ることのないB-1939が動いていました。

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もう廃車になったのかと思っていましたが、エンジン音を聞く限り、御年16歳(!)とは思えない元気さでした。

年始にぽんた3号様にご挨拶したところ、その後のバス利用状況についてお知らせ下さいましたので、後日談として掲載させて頂きます。

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この表は、ぽんた3号様のご了解を頂いて掲載させて頂いております。ぽんた3号様のブログ「みっけ隊」隊員日記の1月4日付記事・新年月報1月号に詳細がUPされておりますので、ぜひご覧下さい。

なかなかおいそれとは見られない資料です。
皆さんはどうご覧になりますか?

[比叡平 後日談]の続きを読む
県庁前 けんちょうまえ
所在地:※現行停留所の所在地
    (東行き)大津市京町三丁目
    (西行き)大津市京町四丁目
開設年月日:不明
付近:滋賀県庁 滋賀会館 朝日新聞大津総局 滋賀合同ビル 天孫神社 (現在ないもの)滋賀県立図書館


↓大津駅に別れを告げます。今は江若交通しか通らなくなっているアルプラザ前から県庁新館に通じる道。以前はどのバスもここを通っていた気がします。

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そもそも旧大津市内線が開通したころは、中央大通りもありませんから、ここを通るしかなかったことでしょう。

現在、京阪バスが停車しているバス停に向かう途中、新館の脇に江若交通用のポールがあります↓

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このポールはもともと近江鉄道のもので、今も近くでよく見ると、青く塗りつぶされているところに「近江鉄道」と書かれていた跡が分かります。

背後に写っている建物は1965(昭和40)年に完成した県庁別館。
もう少しで竣工式という10月1日、ここで3人が亡くなる大きな火災があったことを覚えているひとが今どれほどいることでしょう。
今となっては考えられませんが、何とこの当時の大津市消防本部(現・大津市消防局)には、4階に届くはしご車がなかったのだそうです。現在、火災での死亡原因の8割は窒息だといわれていますが、この時亡くなった3人は救助が間に合わず、飛び降りた結果なのだそうです。
さすがに大津市もまずいと思ったのか、これ以後もっと高いはしご車を何台も配備しますが、いくら昭和40年でも、この程度の高さの建物は他にもまだまだあったはずで、3人も犠牲を出してからの配備はあまりに遅いと言わざるを得ません。

当時と、窓の形など全く変わらず、建物は基本的にそのまま使われています。

そこを過ぎると、滋賀会館と、京阪バスが停車する「県庁前」バス停の待合所が見えてきます。
[県庁前【旧大津市内線12】]の続きを読む
約1か月ぶりの「びわ湖島めぐり」のシリーズ記事です。
竹生島は、沖島に負けないくらいの比較的大きな建物もあって、いかにもひとが住んでいそうで、実際、物理的には住めなくはないだろうと思うのですが、無人島です。お土産物屋さんがたくさん軒を連ねていますが、そうした店の従業員や、島にある宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻(つくぶすま)神社の関係者は皆船で通っているということです。



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もともとびわ町の一部でしたが、同町が2006(平成18)年に長浜市と合併したため、現在は長浜市の一部です。

伊吹山の神・多多美比古命(たたみひこのみこと)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と背の高さを競ったらところ、負けてしまったために腹を立て、浅井姫命の首を切って、それが飛んでできたのが竹生島、という伝承があります。

竹生島はカワウの糞害が深刻だったことがよく知られており、2007(平成19)年には安倍首相が嘉田知事とともに現地を視察しています。今は逆にカワウはほとんどいなくなったそうです。

↓あの階段を上らないといけないのか、と思うと、食べていた時の元気はどこへやら…。
[ぐるっとびわ湖島めぐり④]の続きを読む