青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
下北国町 しもほっこくまち
所在地:大津市長等三丁目?
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:大津長等郵便局 大津市立長等幼稚園


上北国町と由来は同じです。上、中、下の3つの北国町がありましたが、全て1965(昭和40)年に住居表示制の施行とともに大きな町域にまとめられました。



空き地と古い家屋が入り混じった、区画整理が近い町独特の雰囲気の中を通っていきます。

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バス停はこの交差点付近にあったようです。
[下北国町【旧大津市内線5】]の続きを読む
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(今日は交通関係の話題はありませんので、ご興味のない方はスルーして下さい)

散髪屋さんで漫才のテレビやラジオは勘弁してほしい、と思うのは私だけでしょうか。顔を剃ってもらうのに、笑いそうになるのを堪えるのが大変!聴かないでおこうとすればするほど、面白さのツボにはまる。

…いったいこれは誰の漫才だろう?懐かしいだみ声、京都弁ではないけれど、柔らかい関西弁。ああそうか、いとし・こいし師匠の追悼特番だ。それともDVD?
やっぱりおもろいですね。機関銃のようにしゃべくるわけではないけど、日常会話の「おかしみ」を見事に表していました。

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一昨年1月24日付朝日新聞の、桂米朝師匠のコメント

いとこいさんの漫才には品がありましたな。一切お客さんをいらわずに、2人の会話だけで進めて行く。呼称は常に「君」と「僕」。決して「おまえ」、「どついたろか」といったドぎつい言葉は使いません。今の漫才さんの
中に、このスタイルを受け継いでくれる人がおるかしらん。



[散髪屋さんで聴く漫才]の続きを読む
上北国町 かみほっこくまち
所在地:大津市長等二丁目?
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:大津長等郵便局


「きたぐにまち」と読んでしまいそうですが、そもそも「北国(ほっこく)街道」沿いの町ということでつけられた名前なので「ほっこくまち」です。旧大津市街の西端にあたる町です。1965(昭和40)年に三井寺町、長等一、二丁目の各一部となります(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P241-242)。



出発した長等神社の前から東に直進すると、このバス停の位置になるため、なぜわざわざ南側の長等公園を大回りしたのか不思議です↓

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長等神社がよく見えます。

↓長等公園の方向を眺めます。
[上北国町【旧大津市内線4】]の続きを読む
真町 しんちょう
所在地:大津市長等一丁目?
開設年月日:不明
廃止年月日:不明
付近:西友大津店 大津赤十字病院




この町名を『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』で調べるのは少し苦労しました。
「まことまち」「まことちょう」だと思い込んでいて、音読みするという発想が全くなかったためです。「まさ」と読むのかな、といろいろ考えながら、「真町 大津市」をキーワードにネットで検索して、どこかのサイトさんで「しんちょう」という正しい読み方が書かれているのを見て、やっと発想の転換ができました。一人の目で見てドツボにはまるとこういうことになるんですね。私のような郊外の住人でなく、旧大津市街のひとには当たり前の知識なんでしょうか。
確かに、「しんちょう」を変換するとこの町名が出てきます。今もどこかに「しんちょう」があるのでしょう。

江戸期には「新町」(しんちょう)だったようです。なぜ文字が変えられたのか分かりませんが、明治から「新町」となり、1950(昭和25)年、隣の「西町」と合併して「真西町(しんにしちょう)」となりました。現在は長等一丁目、三井寺町の各一部分になっています(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P401-402)が、自治会の名前としては残っています↓

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もともとは柴屋町と共に花街として有名で、もともとは今の県庁付近にあったものを、ここに移したのだそうです。

[真町【旧大津市内線3】]の続きを読む
今からちょうど60年前、1954(昭和29)年1月12日付の滋賀日日新聞↓

S29.1.12S 国電を膳所まで延長b

実に興味深い記事です。
1956(昭和31)11月19日に、東海道本線 東京―神戸間の中で最後まで非電化で取り残されていた、米原―京都間が電化されたわけですが、その前に、膳所―京都間だけを暫定的に電化開業させようとしていたことなど、今誰が知っているでしょうか?

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膳所は今でも貨物の側線がありますが、以前は更に複雑な配線を持っていて、今コンクリート工場の下の駐車場になっている辺りにも側線が伸びていたのをはっきり覚えています。
それだけ広い構内を持っていて、しかももともとスイッチバックをしていたような駅ですから、特別に構造を変えなくても、当時はちゃんと折り返すことができたのかもしれません。

実現していたら、「普通・膳所行き」が存在したことになり、ひょっとすると緩行電車(各駅停車)の標準的な運転区間は、現在の京都・高槻-西明石・新三田間でなく、膳所-西明石間となっていて、列車の運転体系が大きく変わっていたかもしれません。膳所が緩急接続の拠点となり、車両基地が設けられたりして、石山駅や大津駅より、大きく発展していた、などという可能性もあります。

しかし、これが実現した形跡は全くありません。

駅の石山寄りには、下りは内側線から外側線に転線できる渡り線が、上りは逆に外側線から内側線に転線できる渡り線がありますが、ここ10年以上ほとんど毎日のように京都まで通っている私も、ダイヤが乱れた時に外側を走っていた草津行きの新快速が内側に移った1回しかここを通った覚えがありません。

まして、折り返しができるような線路など存在しません。

今、膳所駅は全ての歴史を飲み込んで、生まれ変わろうとしています。

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年明け早々、今話題沸騰中(???)の西山天王山駅に行ってきましたので、簡単に見聞録をまとめました。



出しなの石山駅で、何とポンチョの教習車!

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これは幸先の良いスタート???石山駅にポンチョなんてほとんど来ることがないのに、果たして練習になるのか…?何も新年早々教習なんかしなくても、という思いをよそに、どこかに走り去っていきました。

↓大津営業所管内でも、淀長岡京線の前掛けをつけている車両が見られます。

[西山天王山駅見物記]の続きを読む
長等公園下 ながらこうえんした
所在地:大津市小関町
開設年月日:
廃止年月日:
付近:長等公園 大津大神宮 滋賀県神社廳(庁) 三橋節子美術館 〔現在ないもの〕大津市立乳児院(小鳩乳児院) 滋賀保護院




「長等」はこの近辺の広域を指す地名ですが、戦前はむしろ「神出」という方が普通だったようで、江戸時代から続く園城寺領の「神出村」が、明治22年から旧大津町、31年から大津市の「大字神出」となり、1951(昭和26)年から、「神出町」「神出車路(くるまみち)町」「神出小関町」「神出開町」「長等町」の5つに分割されました。「長等」が正式な行政上の地名となったのはどうもこの時が最初のようで、あくまでも「神出」の一部だったようです。

「神出」は園城寺山内にあった長等神社を勧請したことによる地名だということです。神様を出したから神出、ということでしょうか。

しかし、1965(昭和40)年、神出と長等の立場は逆転し、「神出〇〇」という町名だった範囲の大半が、「三井寺町」や「長等〇丁目」の範囲に取り込まれてしまい、現在も残っているのは、明治のころから県令によって開墾されて「神出」を「開いた」ことに由来する「神出開」から町名になった「神出開町(かみでひらきちょう)」しか残っていません(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P237-238)。今これを書きながら、子どもの頃から地図を見て、「神出開町」なんて変な町名だなと思っていた(お住まいの方、ご出身の方、大変申し訳ありません)のが、謎が解けました。

[長等公園下【旧大津市内線2】]の続きを読む
あけましておめでとうございます。読者の方々やご協力下さる皆様のおかげで無事に新年を迎えることができました。本年も宜しくお願い致します。

さて、早速ですが、今日は60年前の正月の新聞記事から。

↓1954(昭和29)年1月1日付朝日新聞滋賀版

S29.1.1A 三が日バス大増発b1

[60年前の正月]の続きを読む