青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

袴腰山の麓をたどるやうにして外畑といふ集落に着く。こゝらに來ると、最早全く山の中である。(田山花袋「宇治川の上流」『京阪一日の行樂』P488 博文舘 1923)



外畑ボート乗り場 そとはたぼーとのりば
所在地:大津市石山外畑町
開設年月日:1924(大正13)年12月15日?
廃止年月日:1976(昭和51)年11月?
付近:外畑ボート乗り場(現在はない)
キロ程:不明




田山花袋(たやまかたい)をして「全く山の中」と言わしめた外畑。内畑の方が「山の中」という感じがするのではないかと思いますが、山の岨(そば)を縫うようにして歩くしかなかったであろうこの当時、外畑は山深い村、と思われても仕方なかったのでしょう。いや、今もここから先は、内畑や笠取、二尾のように少し山に入ったところは別にして、川沿いには宇治まで集落らしい集落がなく、本当に「果て」という感じがします。

何で読んだのか忘れてしまって、原典を探すのに困っているのですが、昔、外畑のひとは、腰に魚籠(びく)をつけて、空気が溶けやすいように、腰を回すようにして水をかきまわして内畑から桜峠を越え、平津辺りで水を入れ替え、大津方面に魚を売りに行ったそうです。女性も、バスがない時代は炭や薪(たきぎ)を背負って石山や大津に歩いて売りに出て、逆に生活用品などを買って歩いて帰るのが普通だったそうです。トライアスロン選手でも音(ね)を上げそうな、激しい労働をしていたということに驚かされると同時に、同じ日本人として尊敬してしまいます。

村々の境界線争いはどこでも見られますが、外畑では無駄な争いを避けようとしてか、1727(享保12)年、庄屋以下村人42名の連署による村の掟が作られていて、二尾(現・宇治市二尾)、内畑、千町、南郷、曽束、淀の6村との境界線付近の山を荒らした者は、田畑家財没収の上、村から追放するという実に厳しい処分を定めていたということです(『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』P256)。

耕地が少なく、炭を焼くことや薪を売ることが主たる生業であったせいか、この11条の掟のうち、9か条が山の使い方に関することなのだそうで、やはり「山の中」というのがふさわしいのでしょう。
[外畑ボート乗り場【石山外畑線24】]の続きを読む
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外畑 そとはた
所在地:大津市石山外畑町
開設年月日:不明
旧称:大平
付近:石山外畑町自治会館 立木音楽堂
キロ程:白洲不動尊前から0.6キロ(石山駅から9.9キロ)




1993(平成5)年6月の大津営業所移転前はこのように、石山駅から外畑に直通するバスが日中1時間1回程度は運行されていました↓

滋22か1120②

T.F.様の撮影です。中型車による運行はあまり見たことがないので、貴重な写真だと思います。

外畑は、中世から「波多荘(はたのしょう)」と呼ばれ、『輿地志略』には、
「北は桜峯、東は白砂境、谷筋通、西は山城の国界なり」
と書かれているそうです(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P428)。

「桜峯」は現在の「桜峠」のことでしょう。東の「白砂境」が、今の外畑の集落のある位置だと思います。

「今の」というのは、1964(昭和39)年の天ケ瀬ダム建設による水位上昇によって、もともとの集落が水没し、移転してできたのが今の集落であるためです。
この移転の騒動は大変なものだったようで、時々新聞を賑わしています。

江戸時代には内畑とともに「畑村」とされていましたが、その後内陸を「内畑」、瀬田川沿いのこちらを「外畑」と分けたようです。しかし、両者の関係は深く、現在も名残なのか、同じ氏神を奉(たてまつ)り、両町で「畑町自治会」を形成しています。

[外畑/大平【石山外畑線23】]の続きを読む
白州不動尊前 しらすふどうそんまえ
所在地:大津市石山外畑町
開設年月日:不明
付近:白州不動尊 石山瀬田川浄苑
キロ程:鹿跳橋から1キロ(石山駅から9.3キロ)




1日に、いや1年に何人の利用者があるのだろうか?何なら設置されてからの累積利用者数は、10人に届くのだろうかと思われるような、大津営業所管内でも屈指の存在感のない停留所だと思います。

↓バス停のポールは石山駅・大石小学校方面にしかありません。

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↓瀬田川の向こうに見えるのは淀の集落です。
[白州不動尊前【石山外畑線22】]の続きを読む
宇治車庫 うじしゃこ
所在地:宇治市莵道荒槙
開設年月日:1963(昭和37)年7月11日?
改称年月日:1968(昭和43)年3月29日 (「三室戸車庫前」を改称)
付近:京阪宇治バス宇治営業所 京都翔英高校 源氏物語ミュージアム
キロ程:京阪宇治から0.3キロ


終点、宇治車庫に着きました。



もともと京阪宇治が通過型のターミナルで、ゆっくりバスを留置できるようなスペースがないというのが京阪宇治行きというバスが比較的少なかった大きな理由かと思ったりします。また、久御山方面と太陽が丘など、駅を挟んで両端が住宅街や郊外の公園という路線が多いのも京阪宇治交通の特徴だと思います。

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宇治車庫の雰囲気は昔からあまり変わりません。建物も、ここに車庫が移った1962(昭和37)年7月11日から同じもののようです。

ここで終点となるバスは、バス停で降車扱いせず、営業所の建物の前で客扱いし、乗車は起点となるバスもそうでないバスも、全て下の写真に写っているバス停で扱います。
[宇治車庫【宇交石山線53】/京阪宇治交通石山線廃止5年]の続きを読む