青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
奥出 おくで
所在地:大津市大石龍門六丁目字大奥
開設年月日:(京阪宇治交通として)1975(昭和50)年6月3日
      (京阪バス9・4A号経路として)1985(昭和60)年3月4日
      (京阪バス4G号経路として)2008(平成20)年11月1日 
廃止年月日:(京阪バス9・4A号経路として)不明
      (京阪宇治バスとして)2008(平成20)年11月1日
付近:寿長生の郷
キロ程:竜門から0.5キロ(石山駅から10.5キロ)


※『地域とともに60年』(京阪宇治交通株式会社編 1983)の年表により、当バス停の設置日が確認できましたので、訂正しました。



「奥出」は、大石小学校以南開拓村までの他の大津市内の各バス停と違って、大字やはっきりした地点名が由来ではないためか、名前を覚えにくい目立たないバス停です。

いつも使っている『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』には掲載がなく、そればかりか巻末の「小字一覧」に、なぜか大石の小字の一覧は全く掲載されていないため、検索のしようがありませんでした。

ただ、公図を見ると、バス停の位置はその名も何と「大奥」という字で、その北が「中奥」、更に北の山寄りが「南出」、その北隣が「中出」となっているので、これらを合わせて「奥出」という言い方が地元では古くから用いられていたのかもしれません。

ここは思っていたより多くの宇治バス時代のバス停を撮影していました。

↓小田原・宇治田原方面 2008(平成20)年10月12日撮影 以下宇治バスのバス停は全て同じ日に撮影しています。

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↓現在
[奥出 【宇交石山線24】]の続きを読む
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拙ブログで何度か触れておりました、琵琶湖河川事務所の公式サイト内「B-BOX」に所収されております写真をUPする許可を頂きましたので、文中で触れた約20枚を紹介させて頂きたいと思います。

南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】で私が言及したのはこの写真です。

「瀬田川洗堰竣工時の周辺の様子(A04009B00001)」より

A04009B00001C00004[1]

圧縮その他の加工は何もしていないのですが、残念ながらこれ以上大きくならないので、もっと大きいサイズでご覧になりたい方は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所の公式サイト内B-BOXをご覧下さい。他の写真についても、一部を除いてサイズは大きくなりませんのでご了承願います。

なお、立て看板の内容は、南郷洗堰【石山外畑線・宇交石山線13‐1】でも書きましたように、道路橋ではないから工事関係車両以外は原則通行禁止、やむを得ず通る時は最徐行、荷重は7トンまでなどという内容です。

↓浜大津行きがやってきました。

A04009B00001C00002[1]

南郷洗堰 【石山外畑線・宇交石山線13‐2】で私が言及したのは以下の写真です。

[B-BOXより]の続きを読む
竜門 りゅうもん
所在地:大津市大石龍門一丁目字吉ノ田
開設年月日:(京阪宇治交通として)1963(昭和38)年3月19日
      (京阪バス9・4A号経路として)1985(昭和60)年3月4日
      (京阪バス4G号経路として)2008(平成20)年11月1日 
廃止年月日:(京阪バス9・4A号経路として)不明
      (京阪宇治バスとして)2008(平成20)年11月1日
キロ程:大石中から0.5キロ(石山駅から10.0キロ)
    (※京阪バスは大石中から0.4キロ 石山駅から10.0キロ)




大石の各字の中でも一番豪壮で個性的な地名は「龍門」だと思います。大石川とこれに沿うバス通りを境に東龍門と西龍門に大きく分かれています。『滋賀県の地名 日本歴史地名体系25』によると、寛政期の旱魃(1789-1801)を機に、一時別の村として分離しましたが、1841(天保12)年に再統合されました。

↓東龍門

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↓バス停付近から眺める西龍門

[竜門 【宇交石山線23】]の続きを読む
20年前の今日、1993(平成5)年6月20日、京阪バス大津営業所が、本宮町の大津市民病院前から現在地に移転オープンします。

↓車庫正門の情景

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↓地図には律儀なことに、上の写真にも写っている、大津車庫止まりのバス専用の降り場バス停ポールもちゃんと記載されています。




※大津に関しては、「支所」という方が正式だとして「大津支所」と書いている方がいらっしゃいますが、京阪バス株式会社自体が、車内掲示やバス停はおろか、当の大津車庫の門柱の表示にもわざわざ「大津営業所」と表記していて、会社が表向きに使っていることばを使って何の問題があるとも思えませんので、私は特別な必要がない限り全て「大津営業所」で統一します。

移転には騒音を巡って地元の反対があったり(1989(平成元)年5月30日付毎日新聞滋賀版)、紆余曲折がありましたが、この場所に落ち着きました。

「伽藍山風致地区」「石山寺歴史的風土特別保存地区」の指定を受けている石山寺の裏山の縁ですが、この一角だけはとってつけたように都市計画法上の「用途地域」の中で「工業地域」とされています。
何もそこまで緩くしなくても、「準工業地域」などでも車庫は作れるはずなので、どういう意図があるのか不思議です。

京阪バスの営業所・支所11か所のうち、滋賀県に所在するのが大津営業所だけであることは改めて言うまでもありません。

所属台数は50台弱で京阪バス全体の1割もありません。滋賀ナンバーの京阪バスは希少種です。1つの会社でナンバープレートが3種類以上あるのは、パッと思いつく限りあとは阪急(京都、大阪、神戸)、東京都営(品川、練馬、足立、八王子)、東急(品川、川崎、横浜)くらいです。まだいくつかあるでしょうか。

台数は微減傾向ですが、2010(平成22)年9月3日付拙稿懐かしの8号経路 上千町行き ①運転開始時期の謎で引用した、1961(昭和36)年4月14日付読売新聞滋賀版でも、所属台数は52台と書かれていて、50年ほどあまり大きく変わってはいないものと思われます。

この当時は石山団地もまだなくて、特に石山駅以南は路線の系統数に対して本数が少なかったのではないかと思います。

↓数年前の、敷地外から見た情景

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今回は、移転20周年を記念してというわけでもないのですが、せっかくのタイミングなので、だいぶ前に作った「系統番号対照表」をUPしたいと思います。
[大津営業所移転20周年]の続きを読む
大石中 おおいしなか
所在地:大津市大石中七丁目
開設年月日:(京阪宇治交通として)1963(昭和38)年3月19日
      (京阪バス9・4A号経路として)1985(昭和60)年3月4日
      (京阪バス4G号経路として)2008(平成20)年11月1日 
廃止年月日:(京阪宇治バスとして)2008(平成20)年11月1日
      (京阪バス9・4A号経路として)?
付近:若王寺 佐久奈度神社御旅所 大石家邸宅跡 故千代警部補殉職之碑 べんずり淵?
キロ程:大石小学校から0.7キロ(石山駅から9.5キロ)
    (※京阪バスは大石小学校から0.6キロ 石山駅から9.4キロ)




大石中は、古代の大石荘の中心であったことに由来する地名です。大石のほかの各地区と同様、大津宿の助郷とされています。(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県 P502)。現在も、大石市民センター、大石郵便局などが所在する行政上の中心です。

ただ、大石中のバス停自体は、すぐ南にある大石橋を渡ればもうそこは龍門という外れにあります。石山駅に直接行けるバスもなく、大石小学校まで十分歩ける範囲なので、利用者はほぼ皆無だと思われます。

ここと「龍門」「奥出」の三か所のバス停は、京阪バスとしては一旦廃止となって復活した稀有な例です。

バス停のポールは大石小学校方面の片側しかありません↓

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泉福寺や下千町など、明らかに道幅が狭いところは分からなくもありませんが、ここは道幅が広いのになぜなのか不思議です。恐らくかつてはこれほど広い道ではなかったのでしょう。
[大石中 【宇交石山線22】]の続きを読む
大石小学校 おおいししょうがっこう
所在地:大津市大石中一丁目
開設年月日:(京阪バス)?
      (京阪宇治交通)1963(昭和38)年3月19日
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:大津市立大石小学校 大津大石郵便局 大石市民センター(大津市役所大石支所・大津市立大石公民館) 大津市立大石幼稚園 大津警察署大石駐在所 大津市消防局南消防署大石分団 佐久奈度神社 医療法人緑生会 介護老人福祉施設リバプール 大石緑地 大石中町自治会館 滋賀銀行南郷支店大石出張所
 



大石学区の表玄関であり各種行政機関などが集まる中枢、大石小学校に着きました。回転場だけとはいえ南の一大拠点です。今もごくまれにネットオークションで出品されることがある、10数年前の「京阪バスすごろく」では、ここがゴールとされています。

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↓そういえばここを裏側から撮影したことがあまりなかったな、と思って撮った写真。

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2010(平成22)年12月19日付拙稿ありし日のJR(国鉄)バス近城線 信楽‐鹿跳橋開通55周年「今の、大石小学校のロータリーがいつできたのか?という、実に基本的なことが全く分からなかったりします」と書きましたら、最近、じゅうしまつ様が国土地理院などの航空写真で少なくとも1974(昭和49)年頃には存在が確認できる、などの貴重な情報を下さいました。
[大石小学校【石山外畑線・宇交石山線21】]の続きを読む
宮前橋 みやまえばし
所在地:大津市大石東六丁目
開設年月日:(京阪バス)?
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:宮前橋 大津市立大石小学校
 

鹿跳橋を渡って、大石に入りました。

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北行きと南行きの位置が大きくずれていますが、バス停の所在地はいずれも大石東六丁目です。



大石で〇丁目というのが、私にはまだ違和感があり、「大石〇町」に地番が続くというイメージがあるのですが、さすがに特に大石東など住宅が密集しているところでは、地番では不便だったのか、1999(平成11)年に住居表示が施行されています。

終点の大石小学校バス停より、実は大石小学校に近かったりする宮前橋…。実際、小学校の公式サイトでは、両方のバス停を案内しています。橋の向こうに、大石小学校の校舎が見えます。

[宮前橋【石山外畑線・宇治交通石山線20】]の続きを読む

鹿跳澗※ 勢多川の下流即ち滋賀、栗太兩郡の間に在る。兩崖相接して山峽を形成し、其幅約二十八間川底の岩まで六間餘に過ぎざるを以て、鹿一躍すれば之を跳越するを得るが故に此名があると云ふ。夏は水底の巌石處々に現出し、奇狀萬態言ふべからざるものがある。石山からいくらも隔つてゐない。
(※引用者注 ししとびたに 原文では澗はさんずいに"閒”)


(田山花袋「二十四 琵琶湖」『田山花袋の日本一周 前編 【近畿・東海】』415-416 東洋書院 2007(復刻版))


南郷から二十町ほど下つたところに立木観音堂がある。川の岸から西に眞直に百米ほどのぼつたところにその堂がある。此處(ここ)までは、參詣者が常に多くやつて來た。
鹿跳橋はそれから五六町先にある。そこから橋をわたると、澤野の方へ行く路がわかれて行つてゐる。このあたりはいかにも景色が好い。潭(ふち)もかなりに見事である。これから岸について川は西に曲がる。山と山とがすぐそのその(原文ママ)裾を溪の上に落してゐる。(田山花袋「宇治川の上流」『京阪一日の行樂』P488 博文舘 1923)



「景色が好い」「見事」ということばを使わないでそれを表現できる方が本当は作家らしい、という考え方もありますが、でも引き締まったいい文章だと思います。さすがです。「澤野」はご存じの通り、国鉄バス時代から、現在の信楽高原バスに至るまでバス停名となっている大石東町の小字です。

鹿跳橋 ししとびばし
所在地:大津市石山南郷町字奥山
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:鹿跳橋
キロ程:立木観音前から0.4キロ(石山駅から8.3キロ)


鹿跳橋は南郷と大石、ひいては大津市街と大石、更には宇治や奈良を結ぶ重要な交通路で、「南大津大橋」ができるまでは、ここを渡らなければ直接の行き来はできませんでした。

↓橋から見た大石の町

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岡の平、新浜辺りからずっと、谷底を走ってきて、急に視界が開けて、町らしい町が見えてホッとします。



橋の歴史は古く、1895(明治28)年5月28日に木造の初代鹿跳橋が架かり(『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』P360)、1964(昭和39)年3月、天ケ瀬ダム建設による水没の補償として現在のコンクリート橋が架けられました。

架け替え以前の旧鹿跳橋の写真が、古い新聞記事に載っていました。1951(昭和26)年4月18日付京都新聞滋賀版↓
[鹿跳橋【石山外畑線・宇交石山線19】]の続きを読む
宇治でバスといえば、京阪宇治バス…と若干の京阪シティバス、というのがもはや今の常識だと思いますし、私もそれを毫も疑いませんでしたが、60年前の今日、1953(昭和28)年6月7日付京都新聞山城版に、驚くべき記事を見つけました↓

S28.6.7KY 宇治市営バス営業許可申請b

宇治市営バス?

信じられません。

宇治の地理は詳しくないのですが、「一号線」は、今の宇治車庫の前を通って、木幡、黄檗辺りに向かって、今の東宇治図書館や宇治病院のある辺りまで行くということでしょうか。

二号線は、今もメインルートである、宇治淀線(淀宇治線)の辺りだと思われます。

三号線は、この春廃止になった310系統と近いような気もしますが、神明を通っていて、二号線との違いが分かったような分からないような感じです。小倉の次に何が書かれているのかもよく分かりません。

戦後の京都新聞の市内版、滋賀版、山城版、洛西版はほぼ全て目を通しましたが、私が見落としていない限り、宇治市営バスに関する記述はこの記事だけで、その後何も報じられておらず、もちろん、現在もそのようなバスはありませんから、何かの理由で頓挫したのでしょう。

「米かし、鹿飛びなどゝいふところが、この瀨多川にあるさうですが、それはこゝからまだ餘程(引用者注 =余程)下ですか?」
「いゝえ、そんなに遠くはありません。鹿飛の方は、もうすぐそこです」
「行くのに、かなりに嶮しいですか?」
「いゝえ、そんなことはありません。立派な路がつゞいてをります。水力電氣の工事で、一時は歩きにくくなつてゐましたけれども、此頃はもうすつかり元の通りになつたでせう」
(田山花袋『京阪一日の行樂』P611 博文社 1923)



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立木観音前 たちきかんのんまえ
所在地:(石山駅方面)大津市石山南郷町字中道
    (大石小学校・宇治方面)大津市石山南郷町字奥山
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
旧称:立木南口?
付近:立木観音(高野山安養寺) 鹿跳(ししとび)渓谷
キロ程:蛙岩から0.5キロ(石山駅から7.9キロ)


京滋地域を中心に、広く「立木観音」「立木さん」として親しまれている高野山安養寺の表参道である石段の下にあるバス停です。

琵琶湖のあるところは平らな盆地で、瀬田川が流れる先はやはり平らな大阪平野で、なぜその間に山が屹立するこのようなところがあるのか?よく考えるとおかしい地形です。これは「先行谷」といって、川の浸食のスピードの方が、土地が隆起するスピードより速いために生じる地形です。

田山花袋は「瀬田川」を「瀨多川」と書いていて、単に誤植かもしれませんが、これは「流れが速い瀬が多い川」という意味で語源的には合っているかもしれず、実際こう書く説もあるようです。

「鹿跳渓谷」と呼ぶことがありますが、「鹿跳」は、『與地志略』では狭いところは幅が約7mで鹿も飛び越える川幅だったためこの名があると記されているそうです(同地名辞典P360)。
しかし、南郷、大石の人間なら恐らく誰でも知っているであろう、弘法大師伝説では――
立木山に光を放つ霊木を見つけた弘法大師が、そこに近づきたくても瀬田川の激流に阻まれて渡ることができずに困っていた時に、どこからともなく白い雄鹿が現れ、その背に乗って川を渡ることができた。鹿は弘法大師を渡し終えるとたちまち観音菩薩に姿を変えて光を放ちながら虚空に消えた。これに感嘆した弘法大師が、霊木を立木のまま彫刻して安置した――
というのが立木観音の由来であり、鹿跳の地名の由来です(『大津の伝説』1987 P121-122)。



↓石山駅方面のポールは本当に石段の真下です。

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まだ昨年8月の豪雨被害の爪痕が残っています。振り返ると石段のバス停側の登り口は、4月頃に撮影した時点でまだこんな状態です↓
[立木観音前【石山外畑線・宇交石山線18】]の続きを読む