青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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前回に続き、新浜です。

前回は石山駅方面のことばかりでしたので、大石小学校方面↓

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新浜 しんはま
所在地:大津市南郷六丁目字岡の平
設置年月日:不明(大正末期~昭和初期?)
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
改称年月日:昭和40年代「落穂寮前」(おちほりょうまえ)→「新浜」
付近:南郷岡の平会館 旧社会福祉法人椎の木会落穂寮 旧滋賀県立近江学園(裏坂)
キロ程:岡の平から0.6キロ(石山駅から6.4キロ)


「新浜」と書いて、「しんはま」

石山南郷方面の方はもちろん、京阪バスの各サイトをよくご覧の方なら、京都や大阪の方でも必ず知っているであろう、京阪バスのターニングポイントの1つです。



ただ、ここが折り返し場となったのは比較的新しいことで、バス停の山側に、南郷の旧集落からポツンと離れて石山南郷団地↓ができた1983(昭和58)年頃に、団地と一緒にロータリーが整備されたようです。

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↓ロータリー

[新浜 【石山外畑線・宇治交通石山線16‐1】]の続きを読む

石山時代の近江学園は、東海道線石山駅でおりて、京阪バス大石行きまたは外畑行きに乗って15分ばかり、近江学園前でおりて、右手の丘の上をめざして200メートルほどのぼったところにあった。交通の便は割によかった。(矢野隆夫「南郷時代」『近江学園創立50周年記念誌 消シテハナラヌ世ノ光』30 「近江学園創立50周年記念誌」編集委員会編 1996)



前回に続いて、岡の平(近江学園前)です。

S47 大津・宇治市街図 近江学園前
(1972(昭和47)年9月 大津・宇治市街図より)

近江学園は、1946(昭和21)年、誰もが食うや食わずの時代の中、町にあふれる戦災孤児や見放された知的障害児(この当時公的な用語では「精神薄弱児」と呼ばれていた)を集めて教育し、世の中で働けるような知識技術、生活習慣を身につけさせ、この子たちも周囲のひとも少しでも幸せになれるようにして送り出そうと考えた糸賀一雄(1914-1968)らが中心となって作った施設です。

もともとは今の湘南学園(平津)のある場所で湘南学園も包括した形で運営しようとしていたようですが、うまくいかず、「雅楽園」という料亭の建物が残っていた岡の平のこの場所が選ばれました↓

雅楽園



糸賀一雄自身は鳥取県の出身で、もともと滋賀県に縁があったわけではありませんが、京大を出て1940(昭和15)年に滋賀県の職員となっていました。
1948(昭和23)年、児童福祉法の施行に伴い、近江学園は全国初の公立の障害児施設となります。

「この子らを世の光に」という誰もが一度は聞いたことがあるのではないか、と思われる糸賀のことばは、障害や病気、家庭環境のハンディを負った子どもたちに施しを与えるのでなく、この子たちこそ主体的に光って、世の中を明るくする役割を担っているのだ、という彼の思想のエッセンスなのだと思います。

『近江学園年報 第11号』(1965)に、近江学園の平面図がありました。そのままコピーしてここにUPすることは、著作権法上の問題があると思われましたので、その図を基に私が作成した図をUPさせて頂きます↓

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書き込み忘れてしまいましたが、左が北なので、上の、現在の国道422号線が走っている上側を瀬田川が左から右に流れているということになります。

バス停前から続く坂が、「表坂」と呼ばれています。

[岡の平【石山外畑線・宇交石山線15-2】]の続きを読む

現在此の学園の中で共に働きつつある全職員に対して、私は運命の必然を今感じるのである。一人ひとりはお互に偶然の手に導かれてこの南郷の丘に集まった。それはここに来るようになった子どもたちも同様である。広い世間の中でたまたま乗合バスにのり合わせたような偶然であるといってしまえばそれまでであるかも知れない。しかし、この南郷の丘の学園は全てその偶然を必然と化する不思議なものをもっている。一体それは何であろうか。
(糸賀一雄「Ⅲ 発展のなかの危機」『復刊 この子らを世の光に』191 NHK出版 2003)



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岡の平 おかのひら
所在地:大津市南郷六丁目字岡の平
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
旧称:立木北口? 近江学園前
付近:旧滋賀県立近江学園(1971(昭和46)年9月 石部に移転)
キロ程:南郷から0.4キロ(石山駅から5.8キロ)







「岡の平」は法務局で公図を見ると、小字として記載がある地名で、ほぼ今の南郷六丁目に相当します。自治会の名前としては生きていますが、『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』の「小字一覧」(P1053)には記載がありません。小字は時代により変動が大きいので、典拠となっている資料の時代や書き方によってはこんなことが起きてしまいます。

↓石山駅方面 

[岡の平【石山外畑線・宇交石山線15‐1】]の続きを読む

南郷は小さな山村だ。別にこれと言つて見るようなものもない。しかし、これから笠置山脈の山の中に入つて、屈曲して流れて行く細長い峡谷に添つて、路が縷(る)のごとく通じてゐる。南郷から宇治まで五六里、この山の中は餘(あま)り人が入つて行かない。(田山花袋「宇治川の上流」『京阪一日の行樂』P487 博文舘 1923)

  

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南郷 なんごう
所在地:大津市南郷五丁目
開設年月日:(京阪バス)不明 (大正末期?)
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:南郷公民館 南郷温泉
キロ程:南郷洗堰から0.5キロ(石山駅から5.4キロ)


小さな山村、見るようなものもない―――ずいぶんな書かれように南郷の住民としてショックですが、田山花袋が訪れたのは大正の頃でしょうから、まあこんな印象なのでしょう。続きで、

山はさう大して深いといふほどではない。嵐氣にもさう富んでゐない。しかし峽谷はかなり美しい谷である。



と褒め、しかしすぐまた、

水はさう綺麗ではないが、量が多いので、奔湍(ほんたん=引用者注 急流)、激流がそれからそれへとつづいて行つてゐる。



とぐさり。「水は綺麗ではない」(苦笑)。褒めてからまた落とすって、結構花袋は意地悪ですね(なんて読み方したら真面目な文学研究者に怒られるかもしれないけど…)。

でも、その「見るやうなものもない」何の変哲もない日本の昔の景色が、今何と貴重になってしまったことでしょう。

「南郷」バス停は、文字通り、大津市の南部に位置する南郷の旧集落の中心となるバス停です。



[南郷【石山外畑線・宇交石山線14】]の続きを読む

南郷近く來ると、あたりのさまが、石山を持つた丘陵よりも、ぐつと開けた丘陵で取卷かれてゐるのを私は發見した。いかにも靜かな、のんきな、落附いた心持を誘はれるやうなところであつた。やがて、その大きな南郷の洗堰―――これと淀の洗堰と大阪の閘門(こうもん)とで、この水を調整するやうに出來てゐる大きな洗堰を前にして、私逹の乘つて來た汽船は留つた。
私逹は岸に上つた。(田山花袋「南郷の洗堰」『京阪一日の行樂』P610 博文舘 1923)



まんたろう様がこの付近で宇治交通の写真を撮っていらっしゃいました。1989(平成元)年2月11日撮影です↓

H1.2.11 南郷洗堰‐南郷一丁目

この写真の右端にもちらっと写っていますが、南郷は観光船の乗り場でもありました。

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私が子どもの頃はまだ定期船があったようなうっすらした記憶があるのですが、現在定期船はなく、「南郷港」などという表現もめったに使われなくなりました。対岸の「“南郷港” 大津 ‐アクア琵琶」(大津の南郷港で、対岸の「アクア琵琶」に併設された「アクア琵琶南郷港」を除いた、つもりで)検索すると、たった20数件しかヒットせず、うち2件が私の記事でした。
時代により、南郷-外畑間の路線バスと組み合わせて定期船を利用するような観光ルートもあったようです。

ふとしたことで冒頭に引用した本を見つけ、作者が田山花袋(たやまかたい 1872-1930)となっていることに驚き、彼がこんな本を書くのだろうか?と半信半疑で手に取りました。この本が出版された年、大石自動車商会に南郷-螢谷間の免許が交付されました。
中高生の頃、彼の代表作『田舎教師』『蒲団』『重右衛門の最後』を夢中になって読んだのですが、実は紀行文の名手でもあるということを不覚にも知りませんでした。

当時そのままではないと思いますが、正にこの港で、花袋は南郷の土を踏んだのでしょうか?
一昨日、5月13日は奇しくも花袋の命日でした。

さて、前回、待合所の話で終わったのでしたね。

↓大石方面のポールと待合所

[南郷洗堰 【石山外畑線・宇交石山線13‐2】]の続きを読む
南郷洗堰 なんごうあらいぜき
所在地:大津市南郷一丁目
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:瀬田川洗堰 旧南郷洗堰跡 国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所 南郷公園 南郷公園プール 南郷水産センター 大津市立南郷小学校(旧大津市立南郷中学校)
キロ程:南郷一丁目から0.2キロ(石山駅から4.9キロ)




洗堰の現在の正式な名前は「瀬田川洗堰」ですが、バス停名は旧洗堰の名前そのままで「南郷洗堰」です。そのせいか否か、今も通称の「南郷洗堰」の方が通りがいいような気がします。
大津市内で洗堰を知らないひとはまずいないでしょうし、下流の京都、大阪といった琵琶湖淀川水系に住む人々にも広く知られています。

↓朝もやの洗堰。自分では勝手に、「モネの絵みたいな雰囲気だ!」と思っているのですが…。

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↓芸術性?より資料性を重視して?天気の良い日中にもう一度撮影。上の写真は上流側からですが、こちらは下流側からの撮影です。

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南郷一丁目 なんごういっちょうめ
所在地:大津市南郷一丁目
開設年月日:(京阪バス・京阪宇治交通)1982(昭和57)年1月8日
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日      
付近:南郷市民センター(大津市役所南郷支所、大津市立南郷公民館)、大津市立南老人福祉センター、大津市立南郷小学校、南消防署南郷分遣所、滋賀県職業開発能力協会、関西電力宇治発電所導水路石山制水門、南郷プラザ、フレンドマート南郷店
キロ程:赤川から0.4キロ(石山駅から4.7キロ) 


2012(平成24)年1月8日付拙稿「南郷一丁目」バス停30周年を以て本記事に読み替えますので、お手数ですがご参照下さい。

次は、南郷洗堰です。
赤川 あかがわ
所在地:大津市千町一丁目
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:関西アーバン銀行(旧びわこ銀行)南郷支店 フレンドマート南郷店
キロ程:平津から0.4キロ(石山駅から4.3キロ)


赤川は、この沿線、ひいては大津営業所管内のバス停ではトップクラスの乗降客数だろうと思われます。推測ですが、千町一丁目のうち中千町や北千町から遠い千丈川下流の住民、千町二丁目(第二グリーンハイツ)、赤尾町のうち比較的標高が低い東寄りの住民が集まっているようです。
平津と違って南中系統の沿線までの距離が長く、もともと住宅街、集落の層が厚いため、ひとの集まる範囲が広いのではないかと思いますが、それでも、南中系統ができてから、だいぶ分散するようになったと近所の古くからの住民や、この停留所を利用してきた同級生から聞いたことがあります。

石山寺山門前から続いた特区の末端で、ここから新たに新浜までが別の特殊区間制特区です。



1972(昭和47)年3月3日付読売新聞滋賀版「わが町再見」では、住居表示施行前の「石山千町」について、

田畑の間に松林が点在する純農村地帯の風景は、いまも変わらないが、古くは西国三十三か所巡礼のメーンルートがこの町を通っていた。(中略)
ほとんどが昔ながらの農家。カヤぶき屋根も多く、開発の波もまだここまではとどいてはいない。しかし、ところどころに建ちだした近代的住宅が、古い“巡礼道”のふん囲気をおかし始めている。



と書いています。南郷小学校開校7年前のこの段階で、まだこういう状態なのかと驚かされます。その頃の景色が見てみたいです。
千丈川沿いの茅葺屋根の家の写真も掲載されていますが、もはやどこなのか私でも見当がつきません。ただ確かに私が子どもの頃でも、まだ茅葺の家が何軒かは残っていました。

この記事が出た4年後の1976(昭和51)年に住居表示が施行されたということは、もうかなりまとまった住宅地となっていた、或いは都市計画上、市街化区域とされたということなのかもしれません。

↓乗降扱いするW-1202と石山駅方面のポール。
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平津 ひらつ
所在地:大津市平津一丁目
開設年月日:(京阪バス)不明
      (京阪宇治交通)1962(昭和37)年11月1日?
廃止年月日:(京阪宇治バス)2008(平成20)年11月1日
付近:大津市立石山中学校(旧大津市立南郷中学校) 洛和グループホーム石山寺(旧滋賀銀行石山保養所南郷荘)
キロ程:滋賀大前から0.3キロ(石山駅から3.9キロ)


平津という地名は、渡船場があったことに由来するそうです(『角川日本地名大辞典 25滋賀県』P603 1979)が、この辺りは、「稲津」「黒津」「関津」といった、「津」のつく地名が多いです。

南隣の千町とは、渇水の時に用水をめぐって争いが起きたと言いますが、一方で、イノシシの害を防ぐために共同で垣を設置したりもしています(『滋賀県の地名 日本歴史地名大系25』P254)

前にもちらっと書きましたが、大津市内で「××〇丁目」というときの「〇丁目」は、別保のようなよく分からない特別なケースもありますが、原則として大津駅に近い方から数えています。平津は、東西で一丁目と二丁目に分かれていて、山手の西側の方が直線距離で見れば大津駅に近いのですが、山手の県道が未整備だったころに住居表示制が施行されたこともあってか、道路の便を考えると瀬田川に近い東側の方が大津駅から近い、と判断されたようで、バス停がある瀬田川沿いの東半分が一丁目、山手が二丁目、とされています。

↓全景、大石方面を望む。

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大石小学校までほとんど平坦なこの路線にあって、ここ平津だけはアップダウンがあり、毎年3月の「びわ湖毎日マラソン」では仰々しく「平津峠」と呼ばれています。私たち住民の感覚では、「峠」はおかしい気がするのですが、同マラソンの現行コース内でも、目立つアップダウンがここだけであるため、選手たちを悩み苦しませる場所として知られています。

↓石山駅方面
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