青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
銀閣寺道 ぎんかくじみち
所在地:(比叡平方面)京都市左京区北白川久保田町
    (三条京阪方面)京都市左京区浄土寺西田町
開設年月日:1958(昭和33)年9月13日以前
付近:銀閣寺(東山慈照寺=とうざんじしょうじ) 京都銀行銀閣寺支店 メルシーマルギン 大国屋白川店 京都信用金庫銀閣寺支店 京都北白川郵便局 橋本関雪記念館


1958(昭和33)年に開通した、大津銀閣寺線の終点でもあった銀閣寺道。こんなところでどう折り返していたのか、或いは、京津国道線などほかの路線の運用とつながっていたのか…。



「道」というのは関西、特に京都に特徴的な停留所名で、名称となっている寺社や施設が少し停留所から離れている場合に用いられます。関東には私が知る限り存在しません。

市電は時期によっても違うようですが1961(昭和36)年時点では4系統乗り入れていて、ここが起終点だった系統もありました。今は中途半端に見えますが、曾てはそれなりに重要な交通の拠点だったのでしょうか。

大津銀閣寺線と同じ年に開業し、北白川の住民に古くから親しまれてきたメルシーマルギン(旧丸銀百貨店市場)や、1951(昭和26)年6月1日から営業している京都銀行銀閣寺支店など、観光客相手というより地元の生活に密着した商店や銀行が多少集まっています。三条京阪方面のバス停↓

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背後に写っている特徴的な建物は、知るひとぞ知る私設図書館です↓

[銀閣寺道【京都比叡平線開通30周年記念特集16】]の続きを読む
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別当町 べっとうちょう
所在地:京都市左京区北白川上別当町
開設年月日:
付近:京都市立北白川小学校


北白川仕伏町を出て、「上池田町」という市バスだけが止まるバス停を通過↓

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御蔭通が東大路通にぶつかったところが、「北白川別当」交差点です。

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↓御蔭通は細くて見落としやすいので南寄りに大きな標識があります。

[別当町【京都比叡平線開通30周年記念特集15】]の続きを読む
北白川仕伏町 きたしらかわしぶせちょう
所在地:(比叡平方面)京都市左京区北白川山ノ元町
    (三条京阪方面)京都市左京区北白川上池田町
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:日本バプテスト病院 北白川バプテスト教会 霊芝山乘願院(旧北白川小学校)


↓市バス3系統のポールと並ぶ、三条京阪方面のポール

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ここまで来て、やっと山を下りきったという感じです。山間部も町名は「北白川」ですが、「北白川」と言って普通イメージされるのは、この辺りから銀閣寺の北辺りまでだと思います。

バス停は「仕伏町」ですが、実は所在地は仕伏町ではありません。比叡平方面の乗り場、そして市バスの降り場の、御蔭(みかげ)通を挟んで向かいが仕伏町です。三条京阪方面はまた別の町になります。



今は京都市街から連担してしまっていて、割と高級な住宅街のイメージですが、1918(大正7)までは京都市ではなく、「愛宕(おたぎ)郡白川村」という近郊の農村でした。花や野菜を洛中に売り歩く白川女(しらかわめ)が、同じく左京区のずっと北方の大原女(おはらめ)とともに有名です。

大原女は野菜や花よりは主に薪を扱っている点、装束の違いで区別ができるようです。

北白川仕伏町と言えば、何をおいても市バス3系統のT字路を利用しての難しい方向転換が有名です↓
[北白川仕伏町【京都比叡平線開通30周年記念特集14】]の続きを読む
↓補助席があるB車の車内。比叡平で撮影。山科B-190×だったと思います。

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B車でも最近は、不必要と判断されると補助席を撤去しているケースがままありますが、貸切運用等を考えてか、山科管内の比叡山線、山科急行用のB車各車や、大津のB車はそのままになっていて、場合によっては勝手に使えないように補助席を覆うカバーが取り付けられていることもあるようです。

いつか、秋の比叡山に行った時、僅かな本数のバスに乗客が殺到し、何人かの客が補助席を勝手に使い始めたものだから、乗務員やバス停にいた係員が、「補助席に座らないで下さい」と宣(のたま)うなんていう場面がありました。ちゃんと臨時を出す手はずを整えておかないと、商機を逸してしまうばかりでなく、あんな急坂で立ち客満載で、万一ブレーキが利かないだの、車内で転倒しただの、事故が起きたらどうするつもりなのか、と思いながら見ておりました。

しかし補助席に関するトラブルは、今に始まったことではありません。

↓今から52年前の今日、1961(昭和36)年2月16日付朝日新聞滋賀版の読者投稿記事

[座れない補助席]の続きを読む
私みたいなモテて困る男には、「なつかしいバレンタイン」もかもくそもないのですが(?????)、ギロック(1917-1993)に「なつかしいバレンタイン」といういい感じの曲があったので、ご紹介まで。練習初期段階の時の録音ですが、新しいのを撮っている暇がないので恥を忍んでUPします。



音が多い曲はもちろん難しいんですが、少ない曲は少ない曲なりに難しいです。ピアニスト顔負けにピアノの腕前が素晴らしかったと言われる、日本を代表するバリトン歌手・中山悌一(1920-2009)は、ピアノ科の学生が、音の少ない曲が下手クソで話にならないと怒っています(『ショパン』1984年6月号P28-29)が、そういう曲はタッチの能力が如実に出て、変なことばですが、スピードでごまかせないからだと思います。

「なつかしいバレンタイン」でもないのですが、ちょうど2年前の今日は雪がひどくて、夜、ダイヤが乱れていて、なぜかB車が次々と一般運用に現れました。

↓20:40発の南郷二丁目東行き。B-1904。チョコレートの入った大きな紙袋を2つも3つも提げながら撮影するのは大変だった……なんて述懐してみたい…。

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もうこの車もないんですね。

↓B-3969
[なつかしいバレンタイン]の続きを読む
北白川琵琶町 きたしらかわびわちょう
所在地:京都市左京区北白川琵琶町
開設年月日:1958(昭和33)年4月19日?
付近:日天寺 北白川芸術村


比叡平側から来ると、ここまでが「山間部」という感じがする区間で、逆に京都側からだと、急に山に入ってきたという印象を覚えるバス停です。

「北白川琵琶町」は、1918(大正7)年4月1日の京都市合併時から続く町名で、その点が「岩坂」や「地蔵谷」とは違っています。その前は何と「京都府愛宕(おたぎ)郡白川村字琵琶街道」という地名でした。字名が「琵琶街道」とはすごいです。地名辞典でもよく分かりませんでしたが、琵琶湖に続く街道という意味でしょうか。

江戸時代、元禄期に白川の水力を利用した水車工場ができ、最盛期の明治末の頃には、ここから下流の仕伏町にかけて、30ほどの水車場が稼働し、食品用、或いは染料用の糊の粉や、金箔などを作っていたということです。今となっては信じられませんが、1968(昭和43)年に最後の水車が廃止されるまでは「水車の村」として知られるほどだったそうです(『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』1982 P495)。



町域は白川沿いに何と8か所に分散しています。どれが本体でどれが飛地か分からないほどですが、バス停があるのはその中心です。もっと下流の大きなカーブの南側にも比較的大きなパーツがある他、かなり上流にも小さな「北白川琵琶町」があります。このため意外に人口が多く、辞典編集時点で60世帯162人が生活しています(『角川日本地名大辞典 26 京都府下巻』1982 P249)。何でこんなことになっているのか、そもそもこの町の範囲というのがどうやって決まったのか不思議です。

↓別にバスポケットというわけでもないのだと思いますが、道が広くなっているところに、ポールが2本並んでいます。比叡平から来た時は進行方向の側です。

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↓右側が比叡山・比叡平方面、左側が京都方面となっています。
[北白川琵琶町【京都比叡平線開通30周年記念特集13】]の続きを読む
地蔵谷 じぞうだに
所在地:京都市左京区北白川中山町
開設年月日:1958(昭和33)年4月19日?
付近:北白川ラジウム温泉 不動温泉 身代不動尊


北白川地蔵谷町と北白川中山町の境界線ですが、マピオンの地図より、バス停は中山町側にあるものと判断しています。地図により若干の異同があるかもしれません。

北白川地蔵谷町は、岩坂と同じく昭和40年から現在の地名となり、それ以前は左京区北白川字地蔵谷でした(『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』P494)。こんな山の中ですが、辞典編集時(1982)で6世帯16人が生活していることになっています。
ただ、町域は白川の北側のうち、北白川琵琶町の細かい飛地を除くかなり広い範囲で、北白川仕伏町-北白川琵琶町間の北側の車窓から見える「京都北白川アーバンコンフォート」(1998)というマンション↓も住所は北白川地蔵谷町なので、恐らく現在は、この時とは比べ物にならない世帯数と人口になっていると思います。

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よくこんなところで建築許可が出たものですね。



地蔵谷といえば、何と言っても「北白川天然ラジウム温泉」ですね。興味がなくはなかったのですが、結構入湯料がいい値段なのと、限られた時間での取材だったのとで入るのはやめておきました。
ラジウムは放射性物質ですが、いわゆる「ホルミシス効果」(低線量の放射線はかえって体に良い)により、体にいい影響があるのだそうです。尤も「ホルミシス効果」もどの程度正しいのか分からない部分があり、ひとによって効果の表れ方も様々のようです。 

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[地蔵谷【京都比叡平線開通30周年記念特集12】]の続きを読む
岩坂 いわさか
所在地:(京都方面)京都市左京区北白川中山町 (比叡平方面)京都市左京区北白川岩坂町
開設年月日:1958(昭和33)年4月19日?
付近:


比叡平から来るとここからが京都市で、三条京阪から来るとここが京都市の外れです。昭和40年から続く町名で、それ以前は左京区北白川字岩坂でした(『角川日本地名大辞典 26 京都府上巻』P494)。北白川の中でも平野部は1918(大正7)年の京都市合併時から「北白川〇〇町」の今のような住所ですが、山間部はこんな古めかしい住所だったんですね。



1989(平成元)年の『奈良大学紀要』第17号に「志賀の山越えの『いはえ』考」(森本茂)という論文を見つけました。
大和物語第百三十七段に、
「志賀の山越のみちに、いはえといふ所 に、故兵部卿の宮、家をいとをかしうつくりたまうて、時々おはしましけり」
とあり、この「いはえ」とはどこかという命題を、他の文献とも照らし合わせながら検証するというものです。

故兵部卿の宮とは、百人一首第二十「わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ」(『後選集』恋・961)を作った元良親王のことです。

森本氏は、「いはえ」はこの「岩坂」なのだと結論づけています。
「坂」を崩して書くと「江」のように見えるので、コピーはおろか印刷もない時代のこと、全部手写しなので写し間違いが定着したのだろうということです(P26-33)。

こんなところに皇族の屋敷があったとはとても思えませんが、今と違い、岩坂は現在の北白川琵琶町辺りまでのもっと広い範囲を指す呼び方だったので、琵琶町の辺りなら建てるだけの土地があったのではなかろうかと言っています(P33)。
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山中 やまなか
所在地:大津市山中町
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:


山中町を出て、紅葉を見ながら京都方面に歩きます。

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↓途中には、懐かしいホーローの町名板もあります。(プライバシー保護のため画像を一部加工しています)

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山中町集落の大津市側の出入口であった「山中上」に対して、こちらは京都側の出入口です。集落の外れですが、「山中上」と違って、若干の民家が見えます。



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「山中上」と同様、通行止めの標識があります。

↓並んで立つバス停ポール。
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