青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今年は、大津市内の中学校のいじめ自殺事件とこれに対する大津市教委の対応に関する問題など、実に不名誉なことで大津市が有名になってしまいました。
また、8月には宇治を中心に、大津市南部から北河内にかけて水害に見舞われ、大津市内では大石方面のフィーダー路線を中心に、長期間の運休が続いたことが記憶に新しいです。いや、内畑はいまだに通行止めで運休が続いているのです↓

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いやに重大な交通事故が目立つ年でもあったように思います。
祇園の暴走事故(4月12日)、その捜査もまだ進んでいる最中に亀岡をはじめ全国で通学中の子どもが巻き込まれる事故(亀岡 4月23日)が発生し、また関越自動車道の高速バス事故(4月29日)などなど、本当にどこに危険が潜んでいるか分からず、他人事(ひとごと)と思えません。
このまま事故がないことを願っていたのに、23日には静岡でしずてつジャストラインのバスが信号に衝突するという事故が起きてしまいました。

日本人選手が大活躍のロンドンオリンピックなどの明るい話題があったのがせめてもの救いですが、年末の土壇場のクソ忙しい時に衆院選で、最後の最後まで落ち着かない気分でした。

今年の第79回NHK全国音楽コンクール中学生の部の課題曲は、ファンの方も多いかもしれませんが(私は知らなかった 汗)YUI作詞・作曲の「fight」でした↓

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比叡平(比叡平団地) ひえいだいら(ひえいだいらだんち)
所在地:大津市比叡平二丁目
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
改称年月日:1998(平成10)年3月21日 比叡平団地→比叡平
付近:


記事内容とは別に関係ありませんが、せっかくのクリスマスイブイブなので、宜しければ私が最近気に入っているキャロルを聴きながらお読み頂ければと思います。日本ではあまり有名ではありませんが、英語圏ではポピュラーな、“God Rest You Merry, Gentlemen”直訳すると「善き者よ、神は汝を幸いにせむ」くらいかな、と思いますが、一般的な日本語タイトルは「世の人忘るな」です。



画像はこれが一番きれいだと思いましたし、歌詞も聴き取りやすいですが、歌声はキングス・カレッジ合唱団King's College Cambridge 2010 #10 God Rest You Merry, Gentlemen .の右に出るものはないと思いますし、2007(平成19)年の東宝映画『エクスクロス 魔境伝説』(2007 東宝)の主題歌を歌ったカリフォルニアの姉妹デュオAly & AjのバージョンGod Rest ye Merry Gentlemen w/ lyricsも不思議な魅力があります。

さて前回比叡平(比叡平団地)【大津比叡平線開通30周年記念特集11】まで大津比叡平線の開通30周年記念特集を続けて、終点比叡平に到着しましたので、今回から京都に向かって再出発します。京都側から取り上げることも考えましたが、取材、編集の都合で比叡平からスタートします。

ここではみっけ隊ブログ管理人様から頂戴した、比叡平月報のアンケート報告をUPさせて頂きたいと思います。興味深い貴重な資料です↓

ss月報 アンケート報告_001

[比叡平(比叡平団地)【京都比叡平線開通30周年記念特集1】]の続きを読む
比叡平(比叡平団地) ひえいだいら(ひえいだいらだんち)
所在地:大津市比叡平二丁目
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
改称年月日:1998(平成10)年3月21日 比叡平団地→比叡平
付近:


終点、比叡平に着きました。はっきりとした資料がないのですが、確か97年の京都市営地下鉄東西線開通に伴う、大規模なダイヤ改正の時に、「比叡平団地」から「比叡平」に改称されたと記憶しています。どなたか資料等おありの方、お知らせ下さい。
(と書いていましたが、後日、地下鉄開通の翌年の3月だということがはっきり分かる資料が見つかりました)



比叡平、というのはもちろんもともとあった地名ではありません。
『角川 日本地名大辞典 25滋賀県』によると1975(昭和50)年3月1日に正式に成立した地名で、もともとは山中町と山上町のそれぞれ一部分でした。比叡山の主峰である四明嶽(848m)と如意が岳(477m)の間に開発された平坦面であることに由来する、とあります(P766)。同書編集時点ではバスがまだ路線化されていなかったのか、「交通の便は開発業者のチャーターしたバスが1日9便程度、大津~京都間を結ぶ以外は余りなく」とあります。また、「住民は京都市からの移転者が多く、通勤・買物などは京都市側にかなり依存する」ともあり、この時点で既に大津市側より京都に頼った生活であることが窺えます。大げさに言えば大津比叡平線を存亡の危機に晒す芽はもう出ていたとも見えます。チャーターバスの運行も、京都が先で、奇しくもちょうど42年前の今日、1970(昭和45)年12月20日が開通日でした。

↓終点の光景、分かりにくいですが、道路右手の黄色い幟が立っている辺りに、「おりば」専用ポールがあります。

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[比叡平(比叡平団地)【大津比叡平線開通30周年記念特集11】]の続きを読む
比叡平二丁目 ひえいだいらにちょうめ
所在地:大津市比叡平二丁目
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:大津比叡平簡易郵便局 東南商事株式会社比叡平案内所跡 木下美術館




終点1つ手前の何の変哲もないバス停ですが、ここには、比叡平を開発した東南商事の比叡平案内所がありました。

1966(昭和41)年東南商事社長の林以徳氏がアメリカの宅地造成を参考に、広々とした庭やプールのある美しい街を目指して開発したのが、比叡平の始まりだそうです(比叡平小学校PTA編『わたしたちの山中比叡平』(1988))から、ここは比叡平の原点といってもいいかもしれません。しかし、1970(昭和45)年に新都市計画法が制定されると、大津市は比叡平の一丁目、二丁目に別荘用の家屋を建てることを認めなくなり、やむなく通常の住宅地として売り出すことになります。

↓事務所は現在は使われていません。

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はっきりした年代が分からないのが残念ですが、割と最近まで、京阪バスの定期券販売を受託していました。

比叡平方面のバス停は、案内所のすぐそばです↓
[比叡平二丁目【大津比叡平線開通30周年記念特集10】]の続きを読む
三丁目東 さんちょうめひがし
所在地:大津市比叡平三丁目
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:山中比叡平市民センター(大津市役所山中比叡平支所 大津市立山中比叡平公民館)


バス停の名前は、「どこの三丁目の東なのか?」と思われるような中途半端なものですが、位置は比叡平の真ん中で、市民センターもすぐそばにあります。私もそんなにしょっちゅう行くわけではありませんが、行くたびにバスの時間が近づくとたくさんのひとが待っています。

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↓市民センター近くで…。

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こんな山の上でクラゲ?そして怪獣!素晴らしいアートだ!こういうの大好きです。
「とびだしちゅうい」の字が躍っていて既に飛び出していますが、裏側のクラゲの「とまれ」が怖くてピタッと止まってしまいます。

↓このバス停にはポールが3カ所あります。こちらは大津比叡平線大津京駅行きと京都比叡平線比叡平行きが停車するポールです。(以下、今年9月1日のダイヤ改正以前の停まり方を前提に書きます)

[三丁目東【大津比叡平線開通30周年記念特集9】]の続きを読む
比叡平一丁目 ひえいだいらいっちょうめ
所在地:大津市比叡平一丁目
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:大津市立比叡平小学校 大津市立比叡平幼稚園 大津市立ひえい平保育園 大塚製薬大塚比叡山荘




大津比叡平線のバスが田ノ谷峠の比叡山ドライブウェーのゲート前で、ゲートに背を向けるように左折して、大塚製薬の「大塚比叡山荘」前で右折、比叡平の住宅街が見えてすぐのところにあるのが、このバス停です。
京都比叡平線については、「一丁目南」から走って来て、大塚製薬の「大塚比叡山荘」前で左折し、大津比叡平線と合流します。

従って、大津比叡平線の比叡平方面と、京都比叡平線の三条京阪方面のバス停は共用です。↓

[比叡平一丁目【大津比叡平線開通30周年記念特集8】]の続きを読む
田ノ谷峠 たのたにとうげ
所在地:大津市山上町
開設年月日:1958(昭和33)年4月19日
付近:比叡山ドライブウェイ田の谷峠ゲート 大津市営放牧場・ふれあいのもり


言わずと知れた比叡山ドライブウェイの入口であり、また比叡平の大津側の入口ともいうべき田ノ谷峠につきました。なぜここを田ノ谷峠というのか、何を調べてもよく分かりませんでした。

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厳しい上りでした。標高366mもあります。展望台前からでも70mほど登っていることになります。南郷の袴腰山で384mですから、それに匹敵する高さです。

京都寄りに大津市営放牧場があり、1958(昭和33)年に比叡山ドライブウェイが開通する更に10年前、1948(昭和23)年に、「自然の土地を生かし、経済性の高い優良雌牛の育成と増殖を推進し、市内の酪農振興の支えと」するために開設されています(大津市公式HPより)。大津市のどこで酪農なんてするねん!と思いますが、千町の千寿の郷近くでも未だに牛を飼っている家がありますし、探すとまだそういうところがあるのかもしれません。
それにしても昭和33年でもこんなところに道を作るなんてよくできたものだと思うのに、23年の当時なんて、どんな状態だったのでしょう?
[田ノ谷峠【大津比叡平線30周年記念特集7】]の続きを読む
展望台前 てんぼうだいまえ
所在地:大津市山上町
開設年月日:?
付近:馬ヶ背展望台
 

Googleの標高表示によると、296mまで上ってきたことになります。大津京駅では90mですから、200m以上登っています。



ここも「ゴルフ場前」「郵便局前」と並ぶ漠然としたバス停名ですが、1970(昭和45)年「大阪人文社」発行の『奈良県・滋賀県市街地図集』には既に記載があり、意外にその歴史は古いらしいことが分かります。

バス停のポールは大津京駅方面にしかありません↓

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比叡平方面に乗る時は、バス停の向かいに立っていればいいのでしょうけれど、かなり危ないです。

[展望台前 【大津比叡平線30周年記念特集6】]の続きを読む

大都市圏研究の多くは、通勤発生の要因を郊外住宅地の発達に求めて来た。近世から近代の「通い」と現代的なそれの違いは往来の量的差異であるが、それらの研究でも郊外住宅地の成立と通勤の量的拡大の因果関係を十分に実証してはいない。

三木理史「『通い』の成立」『都市交通の成立』P124 日本経済評論社 2010



三木氏は奈良大学教授、交通地理学の分野では有名で、この本、ちょっと専門的で難しいんですが、すごい面白いです。大阪の方なので関西を例に挙げて説明されているケースが多いので、私程度でもついていけます。

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(大阪歴史博物館にて 戦前の御堂筋線)

専業主婦や、自由業・自営業でない限り、私たちの多くが行っている「通う(通勤・通学する)」という行動がいつ、どのようにして、なぜ成立したのか、という問いは「交通とは何か」という根源の問いに準じて、交通を理解する上で、大切なことではないかと思います。三木氏はそこに注目しています。

「通う」必要があるから、通勤するし、通学するし、朝夕のラッシュも生まれるし、鉄道やバスの会社の経営が成り立つのです。

昨年8月2日付拙稿押し照る難波(なにわ)の市電とバスで「他の展示も興味深かったので、どこかのタイミングでもう一度取り上げます」と書いたまま放っていたので、その展示と絡めながら進めたいと思います。

特別に歴史に詳しくない私たちでも、よく考えると、江戸時代、或いはそれ以前に「通勤」「通学」というのはほとんどなかったであろうことは想像に難くありません。
日本人のほとんどを占めていて、私たちの大部分の先祖であったであろう農民は、定期的な市(湖東の「八日市」などという地名は正に市そのものを表していますね)は別にして、いわゆる「通勤」を毎日するようなことはありません。出作りをするケースもありますが、普通は近くの田畑に通う程度です。
職人や商人も、親方の家に住み込んで徒弟修業をして独立するのが普通でしょう。商人は行商することもありますが、それは「通勤」というのとは違います。

↓こんなふうに、家そのものがお店、というのがほぼ常識であったと考えられます。

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最近の子どもたちは「八百屋」と言ってイメージできるのでしょうかね…。天井の梁から下げたザルに釣銭が入っているなんて分からないだろうな。

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↓東大阪とは特に書いていなかったと思いますが、東大阪っぽい雰囲気ですね。

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[「通い」の成立と「大大阪市」]の続きを読む
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榧尾 かやお
所在地:大津市南滋賀町字榧尾
開設年月日:1982(昭和57)年11月7日
付近:琵琶湖大霊園


京阪バスの数あるバス停の中でも指折りの難読バス停で、他のバス停名にはルビがなくても、ここだけはルビがある路線図もあります。



「榧」とは、イチイ科の常緑樹「カヤ」のことで、実は食用になるそうですが、特にこの辺りにそのカヤの木が多いのかどうか分かりません。「榧尾」は小字ですが、こんな何もないところにまで律儀に地名をつける日本人はすごいです。

↓比叡平方面を望む

[榧尾【大津比叡平線30周年記念特集5】]の続きを読む