青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。

墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさき続いていました。と、村の方から、カーン、カーンと、そう式の出る合図です。
やがて、白い着物を着たそう列の者たちがやってくるのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。そう列は、墓地へ入ってきました。人々が通ったあとには、ひがん花がふみ折られていました。

新美南吉「ごんぎつね」より



彼岸花の季節は過ぎてしまいましたが、秋を告げるこの花を見ると、私は決まって、ごんぎつねの話を思い出します。小学校の確か4年生だったと思いますが、国語の教科書に取り上げられていて、私のクラスでも、みんないろいろな意見を出し合って、侃侃諤諤の大議論だったことを今も思い出します。

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一方で彼岸花は、ここでも墓地に咲いていることになっていますが、毒があることもあってか、縁起のよくない花とされ、「死人花」などの別称すらあります。

最近、堅田に行ったとき『堅田時報』という、今でいう「広報」に当たるものがあることを知りました。大津市立の各図書館のうち、和邇(わに)にあるものは貸出可とのことでしたので、参考になる情報があるかもしれない、と思い、取り寄せて借りたところ、こんな記事がありました。
ちょうど今から70年前の今日、1942(昭和17)年11月30日付の記事です↓
[彼岸花]の続きを読む
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前々回11月19日付拙稿近江神宮前【大津比叡平線開通30周年記念特集4‐1】に続き、「近江神宮前」です。

読者の皆さんでお気に入りの百人一首の歌があるという方はいらっしゃるでしょうか?私は幼稚園の頃から祖父母に仕込まれた、というか、遊んでいるうちに自然にリズムで覚えてしまい、思い出しやすい歌とそうでもない歌など、多少のムラはあるものの、だいたい暗唱できるのは、貴重な財産だと思っています。高校の古文の勉強の基礎固めとなり、モチベーションも高まります。

↓境内では、奉納されたカルタが展示されている他…

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イメージ写真をバックにした百人一首全首のパネルが展示されています。

もともと暗い性格?だけど、今年は憂鬱な気分に陥ることが多くて、お気に入りの喜撰法師の
「わが庵(いほ)は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」
が身に染みて感じられました。(中央)↓

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奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき(猿丸太夫 『古今集』秋上・215)(中央)↓
[近江神宮前【大津比叡平線開通30周年記念特集4‐2】]の続きを読む
京阪宇治駅 けいはんうじえき
所在地:宇治市宇治乙方
開設年月日:1952(昭和27)年2月1日(京阪バスとして)
廃止年月日:?(京阪シティバス・京阪宇治バスにて存続)
付近:京阪宇治駅 宇治橋 朝日山平等院 橋寺放生院 宇治市源氏物語ミュージアム 興聖寺 関西電力宇治発電所 宇治神社 宇治上神社 宇治カトリック教会 三室戸保育園


宇治に着きました!月1回の「連載」をして参りました、宇治川ライン線生誕35周年の企画も今回が最後、毎年今日、勤労感謝の日が最終運転日でした。

1995(平成7)年に移設し、翌年に駅ビルが新築された京阪宇治駅は、決して大きくはないながらもさっぱりとしたきれいな作りで、駅前の広場も路線バスの方向転換がしやすく、機能的です。

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私は昔の京阪宇治駅を知らないのですが、1980(昭和55)年版の「吉田地図」の住宅地図を確認して、2012年現在の住宅地図と比較すると、以前の宇治駅は今のバスターミナルの辺りまであり、駅舎は今のバスターミナルの入口辺りだったようです。はっきり分かりませんが、宇治車庫、黄檗駅方面のバス停のポールがあったのは恐らく上の写真でいうと、駅前を横切るバスターミナル入口の横断歩道上だったのではなかろうかと思われます。
ここまで景観が変わってしまうと、もはや正確な測量記録か何かなければ、定点撮影はほとんど不可能になってしまいます。



「宇治駅 改築前」などをキーワードにして検索すると、数は決して多くないものの、以前の宇治駅舎と、その前に京阪バスのバス停ポールがある様子が写った写真が何枚かヒットします。

駅前が狭い、いわば「通過型のターミナル」だったので、京阪宇治バスについては入出庫のみならず、方向転換を意図して1つ先の宇治車庫発着が多く、意外と京阪宇治行きというのは少なかったと思います。

[京阪宇治駅 【宇治川ライン線生誕35周年企画9】]の続きを読む
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近江神宮前 おうみじんぐうまえ
所在地:大津市神宮町
開設年月日:1940(昭和15)年11月7日?
付近:近江神宮 近江神宮附属近江時計眼鏡宝飾専門学校 柳川一丁目自治会館 大津自動車教習所




近江神宮そのものの歴史は意外に新しく、1940(昭和15)年11月7日の鎮座です。
ご神体は大津京への遷都を実行、庚午年籍の作成、班田収授などを行った天智天皇です。時計を作られた天皇、そして百人一首第一首として、恐らく日本人ならほとんど知らないひとのいない、

秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ(『後撰集』秋中・302)

を作られた天皇として有名です。後でも書きますが、その縁で「かるた祭―かるた開きの儀―」や「名人位クイーン位決定戦」が行われる神社であることでも広く知られています。

驚いたことに大津比叡平線・京都比叡平線の開通と同じ日です。両路線は鎮座42年目の日に開通したことになり、わざわざ合わせたかのようです。
[近江神宮前【大津比叡平線開通30周年記念特集4‐1】]の続きを読む
錦織町 にしこおりちょう
所在地:(北行き)大津市皇子が丘一丁目 (南行き)大津市錦織二丁目
開設年月日:?
付近:京阪近江神宮前駅 京阪電鉄大津列車区・錦織(にしごおり)車庫 大津錦織郵便局 錦織遺跡
 

ずっと、京阪電車の近江神宮前駅の最寄りのバス停は、「近江神宮前」だと思っていましたが、実際は地図を確認すると錦織町の方が近いことがわかりました。近江神宮前駅のウィキペディアでも、最寄りのバス停として紹介されているのは、この錦織町のバス停です。



車庫名について、敢えてしっかり読み方を書きましたが、現在、地名としては公式には「にしこおり」と読むようです。平安時代には既にあった由緒ある地名のようで、錦織氏など渡来系氏族が居住していた、ということです(『角川地名大辞典 26 滋賀県』P533)

近江神宮前からスタートします。

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↓駅を出て県道伊香立浜大津線に出る角に、大津京の錦織遺跡があるのですが、思わず「レーベかよ!」と内心笑ってしまった、丸い石。こんなこと言うと歳が分かるな…(汗。でも石を動かして、何のイベントがあるのかまでは忘れてしまいました。

[錦織町【大津比叡平線開通30周年記念特集3】]の続きを読む
皇子ヶ丘 おうじがおか
所在地:(北行き)大津市皇子が丘一丁目 (南行き)大津市桜野町一丁目
開設年月日:?
付近:皇子が丘市民会館 皇子が丘会館 関西アーバン銀行皇子山支店


皇子が丘、皇子山というと、大津市民は公園、体育館、球場、スポーツをイメージします。大津市内の中高生で運動部に入っていて、ここにお世話にならない生徒はいないでしょう。米軍キャンプの跡の広大な敷地を利用して、この近辺に球場や陸上競技場、体育館などが集中的に建てられたのは昭和35年頃のことです。



因みに、「皇子山」「皇子が丘」の「皇子」とは、天智天皇の第一皇子・大友皇子(おおとものおうじ)のことで、壬申の乱(672年)において叔父である大海人皇子、のちの天武天皇に敗北し、この地で自害したことによる地名です。明治になって「弘文天皇」の名を追号され、大津市役所の西側に陵(みささぎ)があります↓

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大津京駅から皇子ヶ丘バス停に向かう道沿いには、大津市立皇子が丘公園と大津市立皇子が丘体育館があります。

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お気づきになったかもしれませんが、バス停は「皇子丘」、地名は「皇子丘」でこれに基づいている施設名も基本的に「皇子が丘」を名乗っていて、パソコンの漢字変換も「皇子が丘」なら一発で出ます。

↓私が行ったときは、前庭が美しく紅葉し始めていました。
[皇子ヶ丘【大津比叡平線30周年記念特集2】]の続きを読む
大津京駅(西大津駅) おおつきょうえき(にしおおつえき)
所在地:大津市皇子が丘二丁目
開設年月日:1974(昭和49)年7月20日(大津比叡平線としては1982(昭和57)年11月7日)
改称年月日:(バス停の)2008(平成20)年4月21日 西大津駅→大津京駅
付近:JR大津京駅 京阪皇子山駅 イオンシティ西大津 大津市立皇子山中学校 皇子山球場 皇子山総合運動公園




大津側から比叡平への道は、大津京駅から始まります。

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何だか見ようによっては、新幹線でも停まっているのかと思うような大層立派な雰囲気です。
実際、『国鉄全駅ものしりガイド 西日本編』(鉄道友の会東京支部監修 1983 小学館)では、「西大津駅」について、
「新幹線と見まちがうほどの立派な駅舎である。大津市の玄関駅と呼んでもおかしくない駅である」
と紹介されています(P34)。

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1974(昭和49)年5月24日の湖西線開通直前の滋賀日日新聞では、地元の農家の反対で、駅前の開発が進まず、文化財発掘調査の都合もあって、今バスターミナルがある「西広場」も地肌のままという有様、更に先述の『国鉄全駅ものしりガイド』で既に「大津市の玄関駅といってもおかしくない」と書かれた後である、10年後の1984(昭和59)年6月21日付の新聞でも、まだ地主たちの反対があり、区画整理がままならず雑然としている、と報じられています。

[大津京駅(西大津駅) 【大津比叡平線30周年記念特集1】]の続きを読む
今から30年前の今日、1982(昭和57)年11月7日、京阪バス大津比叡平線と京都比叡平線がそれぞれ開通します。意外な新しさに驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、もともとは、比叡平を開発した東南商事㈱が京阪バスをチャーターする形の貸切バスがあり、それを一般路線化したのが30年前の今日でした。
京都側の貸切バスはこの時点で既に1970(昭和45)年12月2日からの約12年の、大津側は1972(昭和47)年9月1日から約10年の歴史があったことになります。

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(2012年1月2日 比叡平にて)

奇しくも、大津側の貸切バスが運行を開始してきっちり40年目の今年9月1日、大津比叡平線の管轄が約20年ぶりに大津営業所に戻され(但し一部の便は現在も山科営業所)、日中は比叡平口を回る新ルートに変更されるという、大変革のダイヤ改正が行われました。

↓あとで詳しいことは書きますが、夏からリンクさせて頂いている山中比叡平自治連合会「みっけ隊」隊員日記の管理人001号様から頂戴した図です。参考にご覧下さい。

ss京阪バス運行図

十年ひと昔といいますが、40年前の9月1日、或いは30年前の今日、誰がこんな日が来ることを予想したでしょう。

なお、貸切バスについては2010(平成22)年9月1日付拙稿1972(昭和47)年9月1日 比叡平チャーター便運行開始、開通当時の報道等については、2010(平成22)年11月7日付拙稿1982(昭和57)年11月7日 京都・大津比叡平線開通もご覧下さい。
[大津比叡平線・京都比叡平線30周年]の続きを読む
前回に続き、近江木戸です。



9月に通りかかった時、春にはあった待合所が、何とごっそりなくなってしまっていました↓

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[近江木戸(木戸) 【京都今津線35-2】]の続きを読む
近江木戸(木戸) おうみきど(きど)
所在地:大津市(旧志賀町)木戸 
開設年月日:?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:JR志賀駅 木戸会館 木戸デイサービスセンター
キロ程:荒川から1.1キロ(近江今津から29.2キロ 浜大津から23.6キロ)


江若鉄道廃止申請書類一式の中では、「木戸」とされていますが、昭和48年現在の路線図では「近江木戸」となっていて、現在もその名称です。

旧志賀町内のバス路線は、本当にこれで大丈夫なのかと思うほど、いつの間にかごっそりと廃止され、特に旧国道161号線沿いはほぼ全滅ですが、その中にあって、数少ない現役のバス停が近江木戸です。



現在は、飛地のように他の路線から離れている、土日祝日のみ運行の志賀駅-びわ湖バレイ系統だけが停車します。

起点・志賀駅の次の停留所ですが、地図をよく見ると、歩いて裏通りを通った方が距離は短いです。

スキーシーズンは毎日運転されるようですが、途中の停留所は止まらないようです。

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尤も、乗降扱いするということになっていても、志賀駅からは1つ目の停留所ですので、まず誰も乗降しないだろうと思われます。

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北を向いて撮影しているので、向かって左の待合所のある方が近江今津方面、右の、屋根だけがある方が浜大津方面です↓
[近江木戸(木戸) 【京都今津線35-1】]の続きを読む