青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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青冷寺 しょうれいじ
所在地:高島市永田
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:水尾から0.6キロ (近江今津から12.7キロ 浜大津から40.1キロ)


「せいれいじ」……いや、これは「しょうれいじ」かもしれないなあ…と思って調べたら、やはり「しょうれいじ」が正しいようでした。

青の「しょう」という読み方はちゃんと常用漢字表にも載せられていますが、「緑青(ろくしょう)」、連濁を含めても「群青(ぐんじょう)」「紺青(こんじょう)」など限られています。



地名の文字だけ見ると、寒々としていますが、実際に行くと全然そんなことはなく、寧ろ北から来た時には高島町の旧市街に入り、家が多くなってホッとするところです。

[青冷寺 【京都今津線18】]の続きを読む
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水尾(水尾駅前) みずお(みずおえきまえ)
所在地:高島市鴨
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:出鴨から0.5キロ (近江今津から12.1キロ 浜大津から40.7キロ)




鴨地区の南端に、「水尾」バス停があります。江若鉄道廃止申請書類においては「水尾駅前」となっていますが、昭和48年の路線図では「水尾」となっており、恐らく、駅がなくなってしまってから後「水尾」に改称されたのでしょう。

今は、正式な行政地名として「水尾」の名は残っていませんが、1943(昭和18)年までは「高島郡水尾村」という独立した村で、その中に本ブログでも触れている鴨などの大字がありました。同年、高島村、大溝村と合併して高島町となり、消滅したものの、駅名としては残り、今もバス停名として残存しています。

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「駅前」と言っても、上の資料の通り、駅まで200mあったことが分かります。

いつも使っている『角川大地名辞典 25滋賀県』には、「水尾停車場線」なる項があり…、

[水尾(水尾駅前)【京都今津線17】]の続きを読む
出鴨 でがも
所在地:高島市鴨
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:西万木から2.0キロ (近江今津から11.6キロ 浜大津から41.2キロ)




市町村の境界は、川や、山の稜線だったりすることが多いですが、ここは何の変哲もないところで、高島市高島と高島市安曇川の境、つまり旧高島町と安曇川町の境界があります↓

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反対から見ると、ちゃんと安曇川と書かれています↓

[出鴨 【京都今津線16】]の続きを読む
宵待橋 よいまちばし
所在地:京都府綴喜(つづき)郡宇治田原町郷之口
開設年月日:1977(昭和52)年3月21日
廃止年月日:?
付近:


前のバス停「揚水発電所前」から4キロほども走って、漸く宵待橋に着きます。これは石山駅から平津バス停の距離に相当します。



地図でご覧頂いても分かる通り、宵待橋のたもとは、宇治田原から宇治に向かう府道62号線と、府道3号大津南郷宇治線、つまり宇治川ラインの道とが合流するところです。かなり交通量がありますが、信号はありません。
道のつながり方は、宇治田原⇔宇治間の行き来が優先で、大津方面から走ってきた車が宇治に向かう時は、一旦停止して、宇治田原から来る車がないか確認して右折する、という形(もちろん、宇治田原に向かう時は一旦停止して左折)ですが、道路の番号は大津方面から通しになっています。

↓大津・宇治田原方面から宇治に向かう時は、交差点を少し北に行った、この辺りにポールがあったようです。

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[宵待橋 【宇治川ライン線生誕35年企画5】]の続きを読む
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(山科駅で撮影 数少ない207系の堅田行き)

1974(昭和49)年7月20日 国鉄湖西線が開通します。これは、駅1カ所しかなくて、通過するだけという印象の強い新幹線の開通より、ある意味では滋賀県民にとっては重要で、注目を集めたできごとだったのではなかろうかと思われます。

その影で、忘れてはいけない歴史があることを、最近堅田駅で知りました。

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[湖西線開通 38周年]の続きを読む
西万木 にしゆるぎ
所在地:高島市安曇川町西万木
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:
キロ程:安曇川高校前から0.6キロ (近江今津から9.6キロ 浜大津から43.2キロ)




旧安曇川町の中心部にある西万木バス停は、江若鉄道安曇川駅の代替バス停とされています↓

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北行きのポール↓

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↓引いて撮影するとこんな感じで、国道を走っていたら見落としそうです。
[西万木 【京都今津線15】]の続きを読む
前回に続き、安曇川高校前です。

行った時が祝日だったので、校舎の屋上に日の丸がはためいていました。

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↓折り返し方法を示した図面Xを再掲します。

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↓これを膳テツさんが見やすくして下さいました。この図を図Xとします。どうやってこんなきれいなの作らはるんでしょう?私は、あとあとの説明のために、A、B…と点を書きこむのが精いっぱいでした(汗汗
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今も同じように折り返しているのでは?折り返していたらすごい!と思って、バスを待ちましたが…。
[安曇川高校前(安曇川)【京都今津線14-2】]の続きを読む
安曇川高校前 あどがわこうこうまえ
所在地:高島市安曇川町西万木
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:滋賀県立安曇川高等学校(旧高島高校安曇川分校)
キロ程:新庄から1.2キロ (近江今津から9.0キロ 浜大津から43.8キロ)


ここもまた、謎が多い停留所です。昭和48年の路線図では「安曇川」と書かれていますが、江若鉄道廃止申請書類にそのようなバス停は存在せず、「安曇川高校前」だけ書かれています。

しかし、そもそも「安曇川高校」という高校は1973(昭和48)年まで存在せず、1966(昭和41)年の開校時には「高島高等学校安曇川分校」として家政科2クラスしか設けられていませんでした。つまり、1969(昭和44)年の江若鉄道の廃止前に出されているはずの申請書類で、「安曇川高校」ということばが載っていること自体、誤りなのです。
正式には「安曇川分校」だったものの、独立するまでの間も、地元では「安曇川高校」と呼ばれていたのでしょうか。



『歴史研究第13号 新旭町調査報告書』(滋賀県立高島高等学校歴史研究部 1973)には、新旭町の主要な交通網として、江若交通が以下のように紹介されています。

本地区唯一の旅客機関である江若バスには、次の路線がある。
○大津線……国道161号線の大津-今津間を往復するもので、安曇川バスセンターから今津方面へ36本、近江今津駅から大津方面へ43本出ている。なお京阪バスも京都-今津間を4往復している。(山川和徳 P39)



江若バスを「本地区唯一」と書いたすぐ後で「京阪バスも4往復」というところにツッコミたくなってしまいますが、4往復程度では実質的にほぼ全て江若バスだということなのでしょう。更にこの時代は国鉄バスもあったはずです。

安曇川バスセンター!また分からないものが出てきました。

1つ南の西万木の方が安曇川町の中心に近く、江若鉄道安曇川駅の代替バス停と位置付けられているのですが、西万木のバス停は昭和48年の路線図でも、江若鉄道の廃止申請書類でも、ちゃんと別に書かれているので、やはり、「安曇川高校前」=「安曇川」と考えるのが自然なようです。

どうも安曇川高校前は、少なくとも計画段階ではすべてのバスが一旦国道から外れて折り返すというルートだったようです↓

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↓折り返し方法を示した図面。

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[安曇川高校前(安曇川)【京都今津線14-1】]の続きを読む
新庄 しんじょう
所在地:高島市新旭町新庄
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:湖西地域障害者生活支援センター「わになろう」 安曇川大橋
キロ程:湖西病院前から1.1キロ (近江今津から7.8キロ 浜大津から45.0キロ)


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家並もとぎれ、こんな景色が続いて疲れたなあ、と思った頃、安曇川を渡る橋に向かう上り坂の途中に現れるバス停跡が新庄です↓

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[新庄 【京都今津線13】]の続きを読む
今から60年前の今日、戦後7年目のアメリカ独立記念日であった1952(昭和27)年7月4日の京都新聞では長距離バスの話題↓

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この時代にもう長距離バスというものが様々に企画され、運行されつつあったことに驚かされます。ウィキペディアの高速バスの項を見ると、戦前にまでその歴史を遡れる国鉄バス広浜線の他、戦後になって、いくつかの長距離路線が高速道路開通前に開通していたことが分かりますが、この新聞記事で取り上げられている路線に関する記述はありませんでした。

[世は長距離バス時代]の続きを読む