青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
明日からもう7月、早いですね。
今から54年前の今日、1958(昭和33)年6月30日付の朝日新聞滋賀版には、夏を先取りする記事が掲載されていました。

S33.6.30A 京阪バスの水泳バス・納涼バスb

(現在の目で見ると、差別的と考える方もいらっしゃりそうな表現がありますが、時代背景を考え、原文を保つことを優先し、そのままにしております)
[明日から7月~~もはや戦後ではない]の続きを読む
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湖西病院前 こせいびょういんまえ
所在地:高島市新旭町安井川
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:川原市コミュニティセンター 旧湖西産婦人科
キロ程:安井川から0.1キロ(近江今津から6.7キロ 浜大津から46.1キロ)


1973(昭和48)年の路線図には名前がなく、湖西方面を「取材」してからずっと後になって、新たに「江若鉄道廃止申請書類」の中で見つけた、全く謎のバス停です。もちろん、京阪バス京都今津線が停まっていたかどうかなど、到底分かりませんが、そこに拘泥すると書けなくなってしまうので、前にも書きましたように、江若バス浜大津線が停まっていた停留所には停まっていたのであろうという前提で話を進めます。

今、インターネットで「湖西病院」と検索しても、それらしいものは何もヒットしません。強いて言うなら、安井川にある「湖西クリニック」(↓写真)が何か関係があるのだろうか?という程度。1つ北の安井川バス停からたった0.1キロという、人口が希薄で普通に1キロ2キロバス停がない区間が続く湖西方面にあって、異例の短さで、今の京阪バスや江若交通にもちょっとないのではないかと思われるほどの距離です。

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『高島郡誌』(1972)内に納められた、1927(昭和2)年『高島郡誌』の復刻部分P1279に、

公立高島病院は新儀村大字安井川に在り。(中略)二十三年七月開設したる所なり。



とあります。この「二十三年」は中略した部分の文章から明治であることが明らかです。

これでは古すぎるので、もう少し時代を下って行きます。まず、『新旭町誌』に、案の定、「湖西病院」に関する記述がありました。
[湖西病院前 【京都今津線12】]の続きを読む
揚水発電所前 ようすいはつでんしょまえ
所在地:京都府綴喜(つづき)郡宇治田原町禅定寺(ぜんじょうじ)
開設年月日:1977(昭和52)年3月21日
廃止年月日:?
付近:喜撰山揚水発電所(喜撰山ダム)


曽束大橋を出て2.6キロほど、宇治川ライン線内でも1つのバス停間の距離としてはかなり長い部類だと思われます。



「揚水発電所」というのは、別に固有名詞ではなく、「揚水発電」という方法で発電している発電所、という意味なので、滋賀里にかつてあった「郵便局前」同様、バス停名として本来ふさわしいものではないと私は思います。発電所の正式な名前は「喜撰山発電所」です↓

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1991(平成3)年の住宅地図を見ると、バス停は宇治川沿いの片側にしかなかったようですが、何とも分かりません↓
[揚水発電所前 【宇治川ライン線生誕35年企画4】]の続きを読む
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(撮影劇場のmore6446様より提供 旧大津営業所)

京阪バス大津営業所が本宮町から現在の国分に移転して、今日で19年経ちました。早いものです。

これを機に、大津比叡平線の管轄が山科に移されたり、旧53号経路(石山駅-南郷中学校-大石小学校-内畑)が廃止されたり、国分回りの30・31号経路ができたり、大きな変化がもたらされました。

その中でも、私にとっては8号経路(市民病院前/国道市民病院-石山駅-赤川-上千町)の廃止はインパクトがあるものでした。

最近、拙ブログメールフォームに、何と80年代の上千町行きの車内アナウンスの録音を持っているというケンジ様という方からのご連絡を頂戴しました。
現在、ケンジ様は引っ越しされて大津市内にお住まいではありませんが、テープを大切に保管されていて、それを録音し直したものを提供して下さいました。

今日、移転記念の節目に、このアナウンスを拙ブログ及びYou Tubeにて公開させて頂きます。

上千町行きは2本ありますが、2本とも石山駅発上千町行きで、惜しいことに下千町で録音が終わっております。



You Tubeの説明でも書きましたが、どちらも、背後のエンジン音がどう考えても三菱ではないので、1984年から86年の初めに掛けての短期間在籍していた日野RC 滋22か1096(A-3463)ではなかろうかと思われます。ホイールベースが短い短尺車で、狭隘な上千町行きによく使われていたと聞いております。
[80年代の上千町行き、大石小学校前行きのアナウンス]の続きを読む
京都今津線に関する記事が長らくストップしておりましたが、最近、前回の現地調査時には調査が漏れていた「下辻川」(しもつじがわ)「湖西病院前」など、「江若鉄道廃止申請書類」の中で新たに見つけたバス停を中心に、拙ブログにリンクさせて頂いている雑のーと。改や、膳テツ運輸総合センターを管理されている膳テツ樣のご協力で調査を実施しましたので、UPを再開します。

但し、「下辻川」「今津中浜」「今津南浜」の、旧近江今津駅の次から昨年12月10日付拙稿で取り上げた木津【京都今津線5】までの間の3カ所のバス停については、古い地形図を使ってかなり複雑な説明を要しそうで、編集に手間がかかりますので、暫くの間保留させて頂き、今回の安井川から引き続き、南に進めていきます。悪しからずご了承のほどお願い申し上げます。

安井川 やすいがわ
所在地:高島市新旭町安井川
開設年月日:
廃止年月日:1974(昭和49)年7月20日?
付近:湖西クリニック
キロ程:安養寺(新旭)から0.4キロ(近江今津から6.6キロ、浜大津から46.2キロ)


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[安井川【京都今津線11】・熊野本補遺]の続きを読む
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最近JR各駅で見かける「トブ・クローズ」…トム・クルーズを意識しているとしか思えないネーミング……、私はまた「鷹の爪」の後釜の、何かのキャラクターかと思ったら、JR西日本公式HP内広報だより トレナビによると、JR西日本オリジナルなんですね。

同ページにも、戸袋の隙間に手を引きこまれるという事故が、特に子どもに多いと書かれていますが、確かに子どもは手が小さいから引きこまれやすいんでしょうね。扉で手を挟むのも怖いですが、戸袋はより大きなけがに結び付きそうです。

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「父(イギリス人)・母(日本人)」…何ですぐ白人を持ち出すんだろう?それも日本人と一番関わりが多いアメリカ人ではないというのが不思議。
でも、ドクターの表情、微妙でいい感じ…。
[トブ・クローズ]の続きを読む
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名神大津 めいしんおおつ
所在地:大津市朝日ヶ丘二丁目
開設年月日:?
廃止年月日:(京都八日市線として)1984(昭和59)年10月24日 
   (大津市内総合線としては不明 90年代後半?)
付近:名神高速道路大津インターチェンジ 大津サービスエリア 滋賀短期大学 滋賀短期大学附属高校 大津市立打出中学校




琵琶湖の眺めがよいと絶賛され、1963(昭和38)年の開通当時も観光客が後を絶たなかったと言われる大津サービスエリアにあるのが、今回取り上げる「名神大津」バス停です。
今は、ウィキペディアでも「大津インターチェンジ」の項を見ると、「大津サービスエリアを併設している」と書かれていますが、実は逆で、「大津サービスエリアに併設されている大津インターチェンジ」というのが正確です。

[名神大津 【八日市特急線12】]の続きを読む
瀬田 せた
所在地:大津市神領三丁目
開設年月日:?
廃止年月日:
付近:名神高速道路瀬田西インターチェンジ 滋賀県立瀬田工業高等学校 滋賀県立瀬田高等学校(定時制工業科) 建部大社 新緑苑団地 瀬田南市民センター(大津市役所瀬田南支所・大津市立瀬田南公民館)




名神瀬田西インターチェンジに併設されているような形のバス停ですが、実際には、瀬田西インターチェンジの方がバス停よりずっと後(1980(昭和55)年1月8日)開設です。

『名神高速道路建設誌(各論)』(名神高速道路建設誌編さん委員会編 1967)に、

瀬田バスストップは、ドルシュ勧告によって、将来インターチェンジにできるよう、(中略)計画がなされ、その一部としてバスストップが作られたが、全体の用地も同時に取得されている。(P278)



という実に興味深い記述があります。

「ドルシュ勧告」というのが「シャウプ勧告」(GHQの要請で1949(昭和24)年とその翌年の2回に渡って発表されたカール・シャウプらによる日本の税制に関する報告書で、戦後の日本の税制に大きな影響を与えた)みたいなものかと思って調べましたが、特に有名な用語ということではないようでした。ただ、ドイツのアウトバーン建設に大きな役割を果たしたらしい、ヘクサル・ドルシュ博士という人物が日本道路公団の世界銀行からの借款に関係して来日しているので、このドルシュ博士の意見があったのだろうと思われます。

関西で車を運転するひとはよくご存知の通り、瀬田東インターチェンジとワンセットのハーフインターチェンジで、京都・大阪方面しか出入りできません。因みに、瀬田東は更に新しい(1988(昭和63)年8月29日)のが意外でした。

インターチェンジの事務所と、新幹線の間に細い通路がありますが、下の写真のように、閉じられております。

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左手の道路を撮ってみましたが、公団の事業用の道路のようで、これも閉鎖されていました。

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入口にはこんな看板も…↓

[瀬田 【八日市特急線11】]の続きを読む
草津 くさつ
所在地:草津市岡本町
開設年月日:?
廃止(休止)年月日:1984(昭和59)年10月24日
付近:草津市立志津小学校 草津市立志津幼稚園 小槻神社 若宮神社




草津駅から上桐生(かみきりゅう)行きの帝産バスで15分ほど、郊外の山手の方に名神草津バス停跡があります。

↓最寄りの「志津小前」のバス停と校舎。学校のすぐそばでこれだけ大きなため池は危ないですね。近隣住民、PTA、学校の教職員も安全に相当気を使っていることでしょう。

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↓古い地図を見ていると、かつてはここで「草津バスストップ」という名神草津に隣接するバス停に分岐する支線があったようなのですが、今はもちろんありません。
[草津 【八日市特急線10】]の続きを読む
栗東 りっとう
所在地:栗東市小野
開設年月日:?
廃止(休止)年月日:1984(昭和59)年10月24日
付近:名神高速道路栗東インターチェンジ 滋賀県高速道路交通機動隊 栗東バスターミナル 栗東郵便局 滋賀県立栗東高等学校 栗東市立図書館 栗東歴史民俗博物館 なごやかセンター 栗東市保健センター 治田東児童館




栗東。1954(昭和29)年に周辺4村が集まって町制を敷く時に、「太(くりた)郡の」ということで名付けられた新しい地名です。

1963(昭和38)年7月16日、日本初の高速道路として開通した名神高速道路の起点として大きなインパクトを与え、恐らくそれまでは無名の小さな町だったのが一躍有名になり、今も関西人や長距離トラックドライバーには広く知られる道路交通の一大拠点です。
競馬ファンにとっても「栗東トレーニングセンター」は「聖地」の1つで、栗東の名を知らぬ者はまずいないことでしょう。

『角川地名大辞典 25滋賀県』によると、1970(昭和45)年にトレーニングセンターができた時は、一気に3,500人の人口が増えたそうです。

『名神高速道路建設誌(各論)』(名神高速道路建設誌編さん委員会 1967)によると、栗東について、「おもな後背都市はなく」とあるように、発展していたからインターチェンジができたのではありません。同書によると、「国道1号および8号を通じ、その沿線地域にサービスするために設けられたものである」(P278)とのことで、逆にインターチェンジができた結果として発展したのだということが分かります。

↓バス停跡。料金所を出たところにあります。一旦外に出なければならないので、料金は都度精算していたのか、路線バスは特例があったのでしょうか?また、反対方面のバス停が見当たらないというのも不思議でした。

[栗東 【八日市特急線9】]の続きを読む