青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
熊野本 くまのもと
所在地:高島市新旭町熊野本
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月19日?
付近:




ここは既にコミュニティバスのバス停もなく(少し離れたところに、辻沢今市というバス停がある)、現地を見てもよく分からなかったバス停の一つです。

国立公文書館所蔵の「江若鉄道廃止申請書」(1969)には、代行バスのキロ程があるので、それである程度分かるかと思って調べましたが、このバス停は運賃区界ではなかったようで、バス停名自体抜けていました。

↓これは確か北から南を望んで撮ったはずです。縁石の形を見て下さい。ガレージも何もないのに低くなっているでしょう?こういう縁石や、ガードレールが不自然に切れているところなどをいつも探しているんです。

IMG_4015.jpg

[熊野本【京都今津線9】]の続きを読む
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先日はとんだ間違いで失礼を致しました。なかっちょ様のコメントにレスしようとしてもう一度資料を確かめた時に気づいて、ひっくり返るかと思いました。

元記事をどうしようかと思いましたが、「やっちまったなあ!ザマア見ろ」とキツい冗談を言いながらも、「数えで90年やん」と慰めてくれた友人や、別の読者の方からの「前倒し周年でよいのでは」などの意見を踏まえ、新しい内容を付け加え、一部改編し、お届けします。

今後ももちろん、正確さは期しますが、万一お気づきの点がありましたら、ご遠慮なくお知らせ下さい。改めて宜しくお願いします。免責事項等は、2010(平成22)年8月5日付初回拙稿present perfectをご確認願います。

今年は「廃線跡探訪型の記事」は、京都今津線や宇治川ライン線などが中心になると思いますが、来年は本当に90周年ですので、これを記念して、石山南郷方面を中心に扱いたいと思います。

『京阪自動車五十年史』(1972)によると、1923(大正12)年1月25日、大石自動車商会に、石山(蛍谷)-南郷間の乗合自動車免許が与えられます。

これが、今でいう京阪バス大津営業所の2号経路、4号経路の始祖であることは改めて言うまでもありません。
資料ではっきりと確かめられる、現在の大津市域内で最初の乗合路線バスであります。また、意外に思われるかもしれませんが、大阪や京都も含め、現存する京阪バスの路線としては最も長い歴史のある路線です

なかっちょ様がコメントして下さった桃山付近の路線は、その前年大正11年開業ですが、現存していませんので、「現存する」という点で見れば、石山-南郷間の路線が最古です。京阪宇治交通を含めて、グループとして考えると、『地域とともに60年』(1983 京阪宇治交通株式会社)に、「大正11年10月1日 岩山-宇治間(青谷経由)乗合自動車営業開始」とあるので、これが最古と思われます。

↓1990(平成2)年5月18日 まんたろう様撮影

H2.5.18 南郷一丁目‐赤川

螢谷発着ということは、この9年前に開通していた京阪石山坂本線の前身、「大津電車」との接続が考えられていた、ということだと思われます。現在も、京阪石山寺止まりは2号経路で学休期以外の平日1本だけ設定されています。上のまんたろう様が撮影された頃は、今より石山駅周辺の渋滞がひどかったことや、京阪電車に乗り継ぐ高校生が多かったことなどから、京阪石山寺行きがもっとたくさんありました。京阪石山寺で運転を打ち切るという発想こそ、正に直接に大正にルーツがあるのではないか?と思われてきます。

この、「大石自動車商会」が、1928(昭和3)年2月2日湖南汽船株式会社に合併し、翌年4月17日、京滋地区の京阪バスの直接の祖先である「京津自動車株式会社」に継承され、更に同社は1930(昭和5)年6月1日、「京阪自動車株式会社」に合併され、京滋、大阪が大統合し、今の『京阪バス株式会社』の基本的な形が出来上がります。


↓戦前の路線図

[新大津市長も乗っていた? 石山-南郷間路線バス89周年]の続きを読む
25日付でUPしておりました、「石山-南郷間 路線バス90周年」の記事について、重大なミスがありましたのでご報告申し上げます。

「90年前の今日、1922(大正15)年1月25日、大石自動車商会に、石山(蛍谷)-南郷間の乗合自動車免許が与えられます」

と書きましたが、1922年は大正11年で、京阪バスの直系の桃山自動車商会が発足した創業年であります。
大石自動車商会への免許授与は翌年の1923(大正12)年であり、今年は90周年ではなく、89周年でした。

私が作成した年表でも、「1922(大正12)年」という誤った記載があり、これをうのみにして、原資料やいつも使っている年号対照表を十分確認していなかったことが原因です。

25日付の記事は、一旦公開を停止させて頂きます。また年表については、来月に新しい情報を付け加えて訂正し、公開致します。

とんでもない恥ずかしい失態を深くお詫び申し上げます。
曲名が分からず、メロディラインしか分からない音楽を探したことのある方、いらっしゃいますでしょうか?大変ですよね~(>_<)インターネットがある今でも、歌詞がない(分からない)曲は、メロディを録音したり楽譜に起こしたりしてネットの質問サイトやyou tubeで公開するとか、あとは口ずさんだり、ピアノで弾いたりして、詳しそうなひとに聞いてみるとかしかないですね。それも、記憶が古くなると、だんだん不正確になります。

今は、CMで聴いたりして気に入った曲は、何のCMか控えて、すぐにネットで検索するようにしていますが、昔はそういう意識を持っていなかったので、その方法が通用せず、本当に困ります。

ほとんど奇跡と言っていい巡り合い方をしたのは、小学校の頃に、サントリーのCMで聴いた『誕生の歌』。私の記憶にあるのとは違いますが、当時のCM動画が残っていました↓



[メロディしか分からない曲①]の続きを読む
いつも大変貴重な写真を惜しげもなくご提供下さるT.F.様から、37年前の今日、1975(昭和50)年1月18日に撮影された草津駅前の写真を頂きました。
松の内はとうに過ぎましたが、37年前からのお年玉ということで、5枚の写真を特別UPさせて頂きます。

昨年8月25日付拙稿東草津(京都八日市線④)で触れましたように、T.F.様によると、1980(昭和55)年前後まで、草津-八日市間を近江鉄道バスが走っていたということでしたが、何とそのバスの写真がありました↓

PICT0008.jpg

東口のLty932(エルティくさつ)の前でしょうか?左後方に見えるのが、くさつ平和堂(平和堂草津店)ではないかと思います。
「名物」の文字があるのは、うばがもちの店か何かなのかもしれませんが、今もその名残なのか、草津駅からペデストリアンデッキでエルティくさつに入るところ、つまりこの建物の2階くらいの高さのところに、「うばがもちや」があります。

「希望ヶ丘口経由」なんですね…。今はこの名前の停留所はないようです。要するに国道8号線…と思ったら、いやいや調べてみるもので、御上(みかみ)神社から石部方向に少し走ったところが、「希望ヶ丘口」交差点でした。竜王や蒲生などの鉄道空白地帯を通っていたのかもしれません。


[37年前の1月からのお年玉]の続きを読む
今日は古い新聞記事でなく、新しい新聞記事から。今年1月5日付朝日新聞夕刊に、2つの交通関係の記事が載りました。

まず、一面に載ったのは「清盛 街おこし 難関は在来線」という記事。暫くの間はこちらから読むことができます。→http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201201050065.html

何のことだろう、と思ったら小見出しに「神戸・JR和田岬線 廃線論議」とあります。予てからちょくちょく話が出ますね。

平成22年12月に行って撮った写真がありました↓ 分岐点の兵庫駅です。

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分岐点といっても、ここではJR神戸線(山陽本線)と直接線路がつながっているのではなく、鷹取駅まで別線があり、それを利用して入出庫しています。

神戸市や地域住民でつくる「兵庫運河活性化会議」は、「線路で地域が分断されている」として、廃線の検討を求める要望書を提出したそうです。

「存続を求める」というのはよくありますが、「廃止を求める」というのは私は聞いたことがありません。存続を望まれながら、惜しまれつつ廃止となった数多の鉄道路線のことを思うと、何という不幸な路線なのでしょう!

[廃止が望まれている鉄道]の続きを読む
今も昔も、立木観音(安養寺 滋賀県大津市石山南郷町)には参拝客が引きも切らず押し寄せています。だいたい昭和40年代くらいまでの新聞には、毎年、立木観音をはじめ、有名社寺に向かう初詣臨時電車、バスの案内が掲載されていますし、昭和天皇のご病状から、自粛ムードがあった1989(昭和64)年1月2日も、下の写真のような臨時バスが出ていました(まんたろう様撮影)↓

S64.1.2 蛙岩‐新浜

↓立木観音の位置



↓61年前の今日、1951(昭和26)年1月13日付の京都新聞には、こんな賑々しい広告も。16日、17日は、三条京阪から立木観音まで朝9時と午後1時に数台の臨時バスを出すとある他、石山駅-立木観音間も大増発とあります。

S26.1.13KY 宇治バス初立木臨時バスb2

京阪バスと書かれているから、話が分かるのですが、しかし、これとは別に、宇治交通の臨時バスも出ていたことが分かりました。
[京阪宇治交通の立木観音臨時バス]の続きを読む
米井 よない
所在地:高島市新旭町饗庭(字米井?)
開設年月日:1962(昭和37)年5月19日?
廃止年月日:1974(昭和49)年7月19日?
付近:高島市立新旭北小学校




IMG_3998 (2)

よない、というとJR山田線の「上米内(かみよない)駅」(盛岡市)を思い出しますが、ここは、「米井」と書いて「よない」。ずっと「よねい」だと思っていました。木津といい、五十川といい、漢字は簡単でも少しひねくれた読み方の地名が続きます。素直でないから地名は面白いんですよね。日本語ならではです。

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↓南行きのバス停
[米井 【京都今津線8】]の続きを読む
あけましておめでとうございます!旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願い致します。

数日前からテンプレート(背景)を変えました。今は廃線跡「取材」が多くて割と写真が載せられる記事が多いですが、もともと写真中心にしにくい内容のブログなので、テキストが多くても見やすいもの、ということで選びました。雰囲気が全然違うので、以前の記事も、全く違うものに見えます。文字の色が見にくいなど、何かありましたら、できる限り対応しますので、お知らせ下さい。

さて、早速ですが、30年前の今日、1982(昭和57)年1月8日、南郷洗堰と赤川の間に「南郷一丁目」バス停が開設されました。



南郷一丁目 なんごういっちょうめ
所在地:大津市南郷一丁目
開設年月日:1982(昭和57)年1月8日
付近:南郷市民センター(大津市役所南郷支所、大津市立南郷公民館)、大津市立南老人福祉センター、大津市立南郷小学校、南消防署南郷分遣所、滋賀県職業開発能力協会、関西電力宇治発電所導水路石山制水門、南郷プラザ、フレンドマート南郷店


↓石山駅方面のバス停

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↓南郷・大石方面を望む

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↓車両の入れ替えや乗務員の休憩のための運行かと思われる、平日のみの新浜発石山団地行き。

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バス停の真ん前には南郷市民センターがある他、周辺に学校や行政機関が集中していて、旧集落の「南郷」バス停をしのぐ、南郷学区の表玄関となっています。

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バス停の名前が「南郷市民センター(前)」でもいいのに、と思うような位置ですが、市民センターの方が1年後輩で、バス停ができた時にはありませんでした。

因みに、1982(昭和57)年2月1日付毎日新聞によると、市民センターのすぐ南隣の南消防署南郷分遣所↓は2月4日に「再開」とあるので、こちらはバス停と同じく30周年です。

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「再開」というのは、昭和45年に一度設置されたものの、消防体制の変更で昭和50年に一旦閉じられたものが、人口の増加で再度設置することになったためです。

この南郷市民センターには、大津市内原則として1小学校区に1カ所、計36カ所ある市民センターの中で唯一、南郷にしかないある施設があります。

[「南郷一丁目」バス停30周年]の続きを読む