青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
1952(昭和27)年10月29日付滋賀日日新聞↓

S27.10.29S 京津国道線に100人乗り大型バスb

1954(昭和29)年10月30日付朝日新聞滋賀版↓

S29.10.30A 京津国道線に100人乗り大型バスb

ちょうど2年間の間をおいて、京津国道線に100人乗り大型バスが導入されるという同じような記事が掲載されています。どういうことなのかと思いますが、恐らく、27年が初めての導入で、29年は、更にこれに追加での導入ということなのだろうと思われます。


燃料は29年の方に記事によると、「重油」???船の燃料ならともかく、バスで本当に重油なんて使われていたのでしょうか?

それにしても、100人乗り、とか全長12mというのがどのくらい大きいのか、というのが私には今イチピンとこなかったのですが、現在普通に街で見る路線バスは、大型でも12m未満で、10-11.5m、車幅2.5mが普通なので、このバスがいかに大きかったのかが分かります。確かに、27年の記事の方の写真で見ると、今のバスより長く見えます。

今、この大きさだと、特別に許可を受け、決まった経路を通ることしかできないかもしれません。

京津国道線が全国で初めて、というのもすごいですが、こんなに賑わっていたなんて、今となっては全く考えられません。京津国道線は、やっぱり大事な路線だったんだな、というのが、こういう記事を見ると、改めて感じられます。
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陽子は神楽農協の前でバスに乗った。旭川に行くには、橋をひとつ渡らねばならなかった。バスがその橋の上をすぎるとき、陽子は生まれてはじめて「淋しい」ということを知った。今まで、一人で旭川に出たことはなかった。橋の下を流れる冬の川はくろかった。バスの窓に、ひたいを当てて陽子は外を見ていた。

三浦綾子『氷点』(上)朝日文庫 P236





三浦綾子記念館を見て、せっかく昔読んだ『氷点』なのに、筋立てがなかなか思い出せなくてもったいない、と思って、『氷点』を読み返して、この場面に行きあたりました。「神楽農協前」は、記念館に行く時に降りた、現在の「神楽4条8丁目」であり、辻口家の人々は、ここで何度もバスを乗り降りした、と展示にもあったので、写真を何枚か撮影しましたが、こんな場面があったことは、思い出せませんでした。この直前に、「母」夏枝に、物語のクライマックスの1つである恐ろしい思いをさせられた、小学校1年生の陽子――小説発表当時は、トウキビ畑がほとんどだったというこんなところで、小学校1年生の女の子が1人バスに乗る…どんなに寂しく、怖かったことでしょう。

写真に写る空は明るく碧くても、それを思いながら見返すと、私も寂しくなりました。

因みに、旧神楽町が旭川市と合併するのは、1968(昭和43)年3月1日のことなので、『氷点』の時代背景では、ここはまだ旭川市ではなかったため、「旭川に出たことはない」と、よそのような書き方がなされています。

また、お気づきのように、驚いたことに今も、農協(JA)関係の建物がちゃんとバス停前にあります↓

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バス停の名前が変わってしまっているので、中には、三浦綾子記念文学館に行こうとして、
『神楽農協前』というアナウンスが流れなかったから、乗り過ごしてしまった」
なんていうひともいるそうです。

陽子をはじめ、辻口一家は、何度このバス停で、バスを乗り降りしたのだろう?と思いながら、私も、旭川駅方面のバスを待ちました。
……世界にはシャーロック・ホームズは実在の人物だった、と考えているひとたち(シャーロキアン)がいますが、私も、辻口一家が実在した人間であるかのような錯覚を覚えました。

[神楽農協前-氷点Ⅲ]の続きを読む
いつもお世話になっているT.F.様からまたまた貴重な画像を頂戴しました。
45年前の今日、1966(昭和41)年10月24日付の「新造車両計画のお知らせ」

ss京阪石坂線350ポスター②

ポスターの基本的なスタイルは、この当時からあまり変わっていませんが、文字は手書きを基にしているようです。こういう掲示は、車両の写真をしのぐ、有力な歴史的資料です。

私は、残念ながら京阪「バス」専門で、京阪「電車」のことはほとんど何一つ知らないと言っていいくらいなので、ここに載っている350型というのが、どんな車両なのかも知りませんでした。調べてみると、交野線で使われていた800型の機器を使って、石山坂本線専用に製作された車両で、1997年の昇圧時まで残っていたそうです。京津線用の勾配対策は施されていないので、営業では京津線を走ったことがないということです。

T.F.様が撮影された現役時代の写真です↓浜大津で1975(昭和50)年2月11日撮影です。

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右手に伸びる線路は、京津線の浜大津駅に続く線路なのでしょう。左手角の店は、今は居酒屋だったと思います。パチンコ屋の辺りはラーメン店じゃないかと思います。
それにしても「浜大津 坂本」という行き先表示が気になります。石山坂本線に「浜大津」という行き先は、臨時でもなかったと言われているので、非常に興味深いです。

↓1981(昭和56)年1月23日浜大津で撮影。358-359の組み合わせだと思われるので、前の写真と同じ編成でしょう。
[京阪電鉄 350型導入 45年]の続きを読む
6月19日付拙稿幻の「京阪バス今津営業所」 に頂いた「通りすがり」様のコメントにより、「今津レストラン」の位置が分かり、住宅地図でもその存在が確認できましたので、9月某日、湖西方面で「取材」し損なったところを取材し直すのに合わせて、行ってきました。

事前に図書館で住宅地図を調べますと、日本住図出版(ゼンリン)の、1981年版までは「今津レストラン」の文字を確かに確認することができました。勤労者体育センターの真南です。



その後数年空白が続いています。今は、全く京阪グループに関係ない会社になっています。

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↓高島高校、今津駅方面を望む。春に取材したポイントから本当に目と鼻の先でした。
[今津レストラン]の続きを読む

高いストローブ松の梢が風に揺れていた。それは揺れているというよりも、幾本ものストローブ松が、ぐるりぐるりと小さく天をかきまわしているような感じだった。
三浦綾子『氷点』(上)P83



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9月29日付風は全くない-氷点Ⅰの続きです。

今回は、宜しければ1989(平成元)年4月放送の、テレビドラマ版『氷点』の主題歌、その名も『氷点』をお聴き下さい。歌は、最近ちょっとお騒がせもありましたが、私は結構好きな、玉置浩二です。
そう、彼も旭川出身なのです!



記念館には、三浦綾子の生い立ちや、各作品の年譜などが展示されている他、作品を集めた図書室もあります。

中でもデビュー作であり、地元・旭川が舞台の『氷点』は扱いが大きく、2階では、辻口啓三・夏枝夫婦を仲村トオル、飯島直子が、辻口陽子石原さとみが演じた2006(平成18)年放送のTVドラマ版が流されていました。あっさりサバサバしていて、物事を鋭く見抜く賢者のような独特な印象を与える、夏枝の親友で日本舞踊の師匠・辰子を演じる岸本加代子が、ものすごくぴったりで、主人公の辻口家一家以上に印象的でした。

また、見本林や、旭川の街で『氷点』を追体験する、という企画もあり、パンフレットが配られていました。
[天をかきまわすストローブ松-氷点Ⅱ]の続きを読む
京都八日市線、いよいよ終点に近づいてきました。終点・八日市に着く前に、武佐(むさ)、平田の風景が印象的でしたので、今回は、京都八日市線の京阪バスの車窓からも見えていたであろう風景を、皆様と一緒に見られたら、と思います。



六枚橋を出て、どこを通っていたのか、実は新聞記事その他の資料からも、何も分からないのですが、常識的に考えれば、この写真の「友定町」交差点で赤い矢印で示したような感じで右折して、八風街道に入っていたのだと思います。

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今はこの道には京阪バスはもちろん、近江鉄道バスも含め、定期バス路線はありません。
しかし、八日市に回送するのか、貸切なのか、私がいた時ちょうど「近江鉄道」表示のバスが通過して行きました。↓

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八日市方面を望む↓ 車が多くて、なるべく車がない状態で撮影したいと思っている私は途切れるのを結構待ちました。

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↓近江八幡市武佐町 

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↓ここは中山道第六十六宿・「武佐宿」があったところとして知られています。江戸寄りの隣は愛知川、京寄りは守山です。

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↓街の佇まい。後で調べるといろいろな名所があるようなのですが、この時は夕方かなり遅かったので、諦めました。また別の機会にゆっくり散策したいです。

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↓この、武佐・平田の田園風景と近江鉄道の写真を撮っている時、昨年10月30日付拙稿「滋賀県というのはこういうところだったのか」で引用させて頂いた、江若鉄道の動画のバックで流れていた、ピアニスト村松健作曲の「素直になれたら」が思い出されました。宜しければ、一緒にBGMとしてお聴き下さい。演奏は……


残念ですが、私です!すみませんm(__)m

私はCDよりもっとゆっくりと(しか弾けないこともありますが)弾きたかったし、この景色を見た印象、心境とその方が合うので、テンポ遅めです。
(友人から、動画に気付かなかった、と言われたので、こちらに引っ張り上げましたが、「続きを読む」をクリックすると、そこで一旦再生が停まってしまう難点がありますのでご了承願います)




[武佐・平田 【京都八日市線 番外】]の続きを読む
京阪バスの営業所・支所は、京都市交通局の受託を別にすると、現在11カ所あります。

ワンステップバスと磁気カードの導入は山科(それぞれ1998年、1999年)、バス接近表示システム導入とICカードの導入は高槻(それぞれ1980年と2007年)など、新しいことは大抵、山科のような比較的規模の大きい営業所や、ドル箱である高槻で先駆的に行われることが多く見えます。

一方大津はというと、何かを他の営業所に先んじて行ったとか、他より早く新しいタイプの車が入ったとかいうことは全部きっちり確かめたわけではありませんが、比較的少ないものと思われます。B-3969↓はその中にあって例外的に、京阪バス初のブルーリボンⅡのB車が転属でなく最初から大津に入ったという点で特筆すべきだと思われますが、だいたい、誰が見ても大阪のお古だと分かるような車が来てガッカリという方が圧倒的に多いです。

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最近では山科から何と10年遅れてのカードの導入と、その後の慌ただしい紙式回数券の廃止など、割を食っている印象が強いです。

しかし、大津が京阪バスで最初、という案件も、調べるとやはり出てきます。

↓T.F.様から以前頂いた、1981(昭和56)年10月14日、30年前の今日に実施された運賃改定のパンフレットコピーです。

下半分の「定期旅客運賃」の項の2をご覧下さい。持参人式通勤定期券の新設(滋賀県のみ)」
つまり、定期券の本来の所有者に関係なく、その時に持っている人間に有効、という制度で、当時としては非常に画期的なのではなかろうかと思われます。

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[大津が京阪バス初~持参人式定期券30周年]の続きを読む
近江八幡市で唯一、京阪バス京都八日市線が停まっていた、「六枚橋」バス停↓ 

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前のバス停、大篠原からここまで6キロほどです。もちろん、近江鉄道バスは、その間にある「鏡」「馬渕」など、私が昔から雰囲気的に大好きな各バス停に停まっていたはずです。



地図を見て気がついたのですが、京阪バス各サイト関係の方なら、門真・寝屋川の京阪バスが停まる「天辻工場前」でご存知であろう、天辻鋼球製作所の滋賀工場がすぐ近くにあることに気づきました。昔は、京阪バスで本社工場と滋賀工場がつながっていた…のでしょうか?工場が移転していたりしたらそうでもないですが、ちょっとだけ感心しました。

東行きのバス停を、京都方面を向いて撮っています↓

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ここは、近江鉄道バスの浜大津-長命寺、木之本、彦根、八日市、日野など、各中・長距離系統と、近江八幡と竜王・日野を結ぶ比較的短距離の路線との一大ジャンクションで、乗継停留所として非常に重要だった場所です。


↓今も「六枚橋」交差点は、国道8号線の中では有名な交差点で、私も昔から名前は知っていました。国道8号線から、近江八幡駅や、その向こうの旧市街に向かう時は、昔からここで曲がるのが最も一般的なルートだからなのでしょう。この写真は確か、彦根方面を望んで撮ったはずです。

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1962(昭和37)年10月23日付朝日新聞滋賀版に、このバス停に関する、読者の投稿記事が掲載されました↓

[六枚橋 【京都八日市線⑥】]の続きを読む
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東草津を出て、新聞記事通りなら、実に12キロも停車せずに「大篠原」に着きます。石山駅-大石小学校間でさえ8キロ強です。そんなに長い間通過して、採算が取れるのか不思議です。今なら、1本の路線どころか、2本の路線といってもおかしくない距離です。

※京都八日市線、京都今津線について、今まで①②…と数字を振ってきましたが、付け方を変えることを検討中ですので、今回は番号を振っていません。



↓近江鉄道バスの標柱と一緒に、コミュニティバスの標柱もあります。ここは野洲市ですね。

[大篠原 【京都八日市線⑤】]の続きを読む

皆様にご案内申し上げます。京阪バスと京阪電車が乗り降り自由の大変便利な、大津観光一日乗車券を、京阪バス案内所と、京阪電車主要駅で発売しておりますので、せいぜいご利用下さい。



「大津観光一日乗車券」のところが、いつの間にか「大津フリークルット」になったのですが、それがいつなのか確かめられる資料は未だに見つかっておらず、それどころか、「大津フリークルット」がいつ廃止になったのかさえよく分かりません。誕生は、26年前の今日でした。

私もとうになくしてしまっていたフリークルットの画像は、駅訪問記録紹介・全駅完了の管理人れんこん様が快く提供して頂きました。

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右上が欠けているのが分かりますでしょうか?最初の乗車の時、この部分を切り取って、電車なら駅員に渡し、バスは運賃箱に投入するということになっていました。

京阪電車には詳しくないのですが、350型でしょうか?バスは、社番までは分かりませんが、いわゆる「ブルドッグ」で、石山寺山門前の旧道であることは確かです。旧道から新道に路線が載せ替えられても、ブルドッグがとっくになくなっても、ずっとこのデザインだったと記憶しています。

↓もちろん気になる裏面の画像もあります。
[1985(昭和60)年10月1日 大津観光一日乗車券発売開始]の続きを読む