青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
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風は全くない。東の空に入道雲が、高く日に輝やいて、つくりつけたように動かない。ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かかった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。

三浦綾子『氷点』(上)1964 冒頭



氷点 上 (朝日文庫 み 1-1)氷点 上 (朝日文庫 み 1-1)
(1978/05)
三浦 綾子

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これから数回にわたり、断続的に『氷点』編をお送りします。文学にご興味のない方はスルーして頂いても結構ですが、作品に登場する交通関係、地理関係の話も織り込めたらと思います。

『氷点』は、8月28日付拙稿塩狩峠でも触れましたように、作家・三浦綾子のデビュー作としてあまりにも有名ですが、旭川を主な舞台にした数少ない小説の1つでもあります。

出だしのあらすじだけ簡単に…。

小説は、主人公・夏枝が、夫・辻口啓造が院長を務める病院の眼科医・村井に、夫の留守中の自宅でよろめきそうになるという生々しい場面から始まる。その間に、幼い長女・ルリ子は佐石土雄という全く見知らぬ男に誘拐され、自宅近くの「外国樹種見本林」の奥、美瑛川のほとりで殺される。啓造はそれが夏枝のせいだと思われてどうしても許せず、夏枝が「ルリ子の代わりになる女の子が欲しい」というのをいいことに、親友の高木が携わっている乳児院にいるという佐石の娘を引き取って、夏枝にはそれと知らせずに育てさせる、という仕打ちを思いついた。その女の子は「陽子」と名付けられ、何も知らない夏枝に大事に育てられるが……

という展開です。

今なら、「個人情報保護法」等で、絶対にあり得ないことですし、あったらそちらが大問題で、小説の展開も全く違うものになるでしょうけれど、この小説の出だしは終戦直後が舞台なので、「事実は小説より奇なり」で、こんなこともあり得たのかもしれません。

一見すると昼ドラのように見えるストーリー展開ですし、実際文壇で「通俗的」と低い評価をするひともいたそうですが、それは読み方が表面的なのだと思います。独特の緊張感と、人間というものの心の奥深さに鋭く迫る、もはや古典といってよい名作ですので、ぜひ原作をお読み下さい。

↓改築中の旭川駅に降り立ったのは8月のある日でした。三浦綾子が、懸賞小説の授賞式に旅立った約45年前とは、ガラッと変わってしまったことでしょうけれど、木のぬくもりに溢れる美しい駅です。
12:00の列車の案内がまだ表示されている時点で、何と13:41の普通・岩見沢行きの案内が…。そう、函館本線の旭川付近は、普通列車が極端に少ない、青春18きっぷユーザー泣かせの区間です。

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[風は全くない-氷点Ⅰ]の続きを読む
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間もなく、大津市域共通回数券制度が、誕生から20周年を迎えます。共通乗車はバス停でも案内されています↓

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20年前の今日、1991(平成3)年9月27日付の京都新聞には、「バス7社が共通乗車券」という記事が載っています。

大津市中央部の西大津-唐橋前間で路線が競合しているバス七社は、来月一日から回数券でどのバスにも乗れる「共通乗車」をスタートさせる。
近江鉄道、京阪バス、江若交通、滋賀交通、帝産湖南交通、西日本ジェイアールバス、京阪宇治交通の七社で、路線は、各社同額の特殊区間運賃制(来月一日から一区百九十円、二区二百十円)を取っている西大津-浜大津-大津駅-石山駅-唐橋前間。近江鉄道と京阪バスがほぼ同ルートで運行、他五社も一部路線が競合しており、来月からの運賃値上げを機に「利用者の利便性を考慮」(県バス協会)して実施することにした。



早いものですね…。この共通乗車は、割とすぐによく知られるようになり、特に、石山駅浜大津の間では、京阪バスで近江の、近江鉄道バスで京阪の回数券を使う、というのは、今でもそれほど珍しいことではないだろうと思います。しかし、他の会社の回数券がどれほど利用実績があるのか見当もつきません。

京阪宇治交通なんて、この時点で、独自の紙式の回数券なんてあったのかな?割と早くに京阪バスとの共通回数券以外の紙の回数券がなくなったと思うのですが…。

滋賀交通も、この当時走っていたのだということが驚きですね。私の記憶では、滋賀交通の路線がなくなってからも、かなり長い間使えたはずですが、どこかのタイミングで削除されました。もっとも、実績なんてあったのかどうか…。滋賀交通の回数券、というのがどんなものなのか、見たこともありません。

リンクさせて頂いている『京阪バス情報局』内の「特別企画」の写真を撮影された、るうパパ様が、共通回数券制度ができる直前の頃と思われる、滋賀交通のバスを撮影した貴重な写真がありました。

滋22・か・・19 滋交 (2)
[大津市域共通回数券制度20周年]の続きを読む
最近知人から、湖南市とか東近江市とか、いつの間にかできていて、漠然としていて、旧地名でないとよく分からない、というメールが来ました。確かに、圧倒的に人口が多かったり、経済的に優位な都市が周りの町村を吸収する「吸収合併」なら、自治体名が知名度のあるその都市の名前になることで、やむを得ないという判断になるでしょうし、1つの郡が1つの市になる、滋賀県で言えば野洲市や高島市のようなケースなら、それほど問題はないと思うのですが、力が拮抗している時や、複数の郡が関わる場合などは困りますね。

「平成の大合併」の前に合併が多かったのは、いわゆる「昭和の大合併」の時代ですが、この時から時間が経ち、ますます以前からの市町村の枠組みが強固になったり、ある程度独立して経済的に発展していたりすることが多いから、ますます名前に苦慮する、という状況なのだろうと思われます。

ところで、「合併」の対義語は何かご存知でしょうか?
1つの自治体を2つ以上に分け、元の自治体の法人格が残らない場合は「分割」という案外普通のことばで、いわば「対等合併」や、大津市が行った「解消合併」の対義語ともいえます。
元の自治体の法人格が残り、そこから別の自治体が分裂する場合は、「分立(ぶんりつ・ぶんりゅう)」というそうです。

合併と比べると、非常に少ないのですが、その多くは、戦時中に国策で半ば強制的に合併させられたような地域が、元の状態に復する、というケースで、神奈川県逗子市(横須賀市から分立)などのケースが有名です。

しかし、別に国策で合併させられたような歴史はないのに、何と我らが大津市が、「昭和の大合併」の時代、その流れに逆行するかのように、分立の危機を迎えていたことが、分かりました。インターネットで検索しても何も出てこない、58年前の今日の新聞に載った、幻の情報です。

↓1953(昭和28)年9月23日付滋賀新聞(のちの滋賀日日新聞)
[幻の「湖南市」]の続きを読む
「新浜」と書いて、「しんはま」

石山南郷方面の方はもちろん、京阪バスのマニア、ファンの方なら、京都や大阪の方でも必ず知っているであろう、京阪バスのターニングポイントの1つです。

現在は、日中の52号経路(石山駅-南郷中学校-新浜)や、朝夕の2号経路(石山駅-平津-新浜)などが、大石小学校まで南下せずに、ここで折り返しています。
↓早咲きのコスモスの咲くロータリーとW-1951。4年前の写真ですみません(汗

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↓私も2回しか見たことのない、恐らく極めて稀な夜間走行のB-3969 2・新浜行き。
※他の大半の車と違って、貸切兼用で、吊革なし、補助席あり、最前列以外全て2人掛けなので、一般路線には滅多に使われない。

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よその方は最初は結構「にいはま」と読んでしまっていますが、日本語の原則から言うと、その方が「訓読み+訓読み」で自然です。「しんはま」は「まいばら」と同じく、「重箱読み」ですね。

「新浜」は、所在地は「大津市南郷六丁目字岡の平」なのに何が「新浜」なのか?とか、昔は「落穂寮前」というバス停名だったらしいとか、実は非常に奥が深いバス停で、調べだすと面白くて止まらないのですが、その辺はまた別途。

瀬田川沿いに、南郷の旧集落から飛んで、ポツンと島のように団地があるだけのこの地に、いつの間にかうどん屋さんができたと友人から聞きつけ、8月のある暑い日、早速行ってきました。各サイトさんの記事を見ていると、少なくとも1年ほどは経っているようです。



(朝から先ほどまで、なぜかずっと東京六本木の地図が出ていたようで、読者の方にご連絡を頂きました。訂正させて頂きました。申し訳ありません)

↓駐車場は常に車が入れ替わり立ち替わりという感じで、それなりにはやっているようでした。

[新浜にうどん屋さん?]の続きを読む
9月8日付拙稿南笠駅? 狼川駅?で取り上げた、南草津-瀬田間新駅に続き、更に驚くべき発表がなされたのは8月25日。

琵琶湖線瀬田-石山間に新駅!?

新聞に掲載された地図を見ると、位置は、瀬田から見ると瀬田川鉄橋を渡るすぐ手前です↓



行政上は、「大津市玉野浦」です↓が、「大津市瀬田」との境であり、位置によっては「大津市大江」も絡んできます。

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宅地開発が進んでいるのは確かですが、駅間距離もかなり短く、正直、強引な気がしました。
↓南の三洋電機側。東の方で国道1号線につながる道路沿い。ここでは国道が瀬田川大橋から続く高架のため、直接はつながっていません。
工場はかなり縮小され、更地になっているところもあるので、この発表を聞いて、もっと早く駅ができていたら、どんなに通勤が便利だったか!と思った社員やOBもいるかもしれません。

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↓JR 瀬田川鉄橋のたもと、石山方面を望む。向かって左が下り、右が上りですが、恐らく複々線化の前にどちらか一方の橋が先に架かっていて、複々線化の時に増設して、方向別複々線としたのでしょう。複々線化は1970(昭和45)年、まだまだ貨物輸送重視の時代に、首都圏のほとんどの複々線区間のように、乗り換えが不便な線路別複々線とならなくて、本当に大正解です。

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↓玉の浦バス停 「玉野浦」ではなく「玉の浦」なんですね。

[玉野浦駅?大江駅?]の続きを読む

お母さんが小さな女の子だった頃の写真
帰らない遠い夏の日の
届かない あこがれ

「お母さんの写真」上條恒彦 歌/宮崎駿 作詞/久石譲 作曲



この歌がジブリのアニメを使った、ハウス食品のCMで使われて、もう7、8年は経つんですね。覚えていらっしゃる方も多いと思います。

お母さんの写真お母さんの写真
(2003/07/30)
上條恒彦

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リンクさせて頂いている- yume_cafe - (京都ひとり歩き)の管理人で、よくコメントを寄せて下さっているyume様が、昭和36-38年頃の幼少期の思い出の写真を提供して下さいました。ありがとうございます。この「お母さんの写真」がぴったりで、いつも使っているオーディオコンポで流しながら、この記事を書いています。you tubeで検索しても出てこなくて、皆様にお聞き頂けないのが残念です。

↓お母さんの婦人会の行事で、長浜に行った時ではなかろうかとのことです。
バスの車体の側面に滋賀県の県章がありますが、拡大すると後ろの方に書かれている社名は確かに「滋賀交通株式会社」と見えます。
因みにこちらを向いて立っている小さな女の子がyume様なのだそうです。

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↓次の写真は、浜大津港です。
[「お母さんが小さな女の子だった頃の写真」]の続きを読む
1948(昭和23)年9月12日付京都新聞山城版↓

S23.9.12KY 八幡宮まつりで京阪バス臨時便b

14日、15日と、石清水八幡宮の秋祭りで京阪バスが臨時便を出す、とあります。この時代は、当然自家用車なんてほとんどありませんから、何かあるととりあえず、「臨時バス」です。今度またUPしようと思いますが、中学校の運動会でも臨時バスが出るんですよ!

八幡田辺線そのものについては、8月31日付拙稿で簡単に書きましたので、よかったらご覧下さい。

今も9月15日に「勅祭(ちょくさい)」という大きなお祭りがあるようですが、公式HPを見ると、「秋祭り」というような庶民的な感じでなく、何だかすごい由緒ある大変なお祭りのように見えます。
[バスも「サンマータイム」?]の続きを読む
54年前の今日、1957(昭和32)年9月10日付の読売新聞に掲載された広告↓

S32.9.10Y 伸びゆく滋賀県の交通産業(広告)b

この広告の周りには、自動車メーカー、ディーラーや、観光バス会社の広告が並んでいました。
特に、トヨタがまだバスを作っていた時代のようで、大型のボンネットバスの車体のイラストが乗っていて興味深かったです。

なぜ特に「交通産業」と取り出してこのような広告が出たのかはよく分かりませんが、バスの路線図も乗っていてなかなか面白いです。

印刷技術が未発達なせいか、京阪 点線、近江 実線、江若 二重線という、分かりにくい形ですが、近江がやはり一番幅を利かせていることはよく分かります。

[伸びゆく滋賀県の交通産業]の続きを読む
6月6日付拙稿京都今津線� 幻の「京阪バス今津営業所」に対する、8月10日付のコメントでyume様が、8月9日付朝日新聞滋賀版の、琵琶湖疏水の特集のことに触れられていましたが、その記事の隣のページに、

「南草津-瀬田 JR新駅意向」

の見出し。

私もこれはさすがにびっくりです!新快速の停車で、良くも悪くもかなり話題になった南草津、そのほとぼりが冷めたところに、この新駅の話題がまたドカン!

↓記事の地図を見る限り、だいたいこの辺でしょうか?



ネット上でも朝日新聞の他、産経新聞、京都新聞が記事にしていますので、ご興味のある方はご覧頂ければと思いますが、当日からもう早速各ブログ、サイトさんで賛否(どちらかというと私が見たのは「否」が多いかな…)。

瀬田南草津の間なんてそんなに距離があったかな?と思って調べたら、2.7キロしかないんですね。石山膳所間が2.8キロですから、それより短いことになります。

駅間距離の平均は、国鉄時代はよく4キロ、と言われたものですが、JRになっていくら駅が増えたとはいえ、さすがに3キロは切っていないのではないかと思います。

そう考えると、膳所大津間は1.7キロなので、国鉄時代から続く駅で、しかもいわゆる「国電区間」でもないところとしては、非常に短いですね。これは駅や線路の移転の歴史的変遷が関係しているのでしょう。

草津市は、歓迎しながらも、自己負担が大きいので戸惑っているようです。南草津みたいな請願駅ではなく、JRの方から作ると言っているのだから、それはJRが負担するのが当たり前だと思うのですが…。乱暴に言えば、
「作ってやるから金を出せ」
てゆすられているように見えてしまって…。

早速、新駅設置が検討されていると思われる場所に行ってきました。
[南笠駅? 狼川駅?]の続きを読む
塩狩峠記念館に着きました。



↓え?お店をやっているの?観光客向けに「塩狩峠まんじゅう」とか「塩狩峠ソフトクリーム」とか売っていたら、何だか俗っぽいなあ、と思いましたが、あとで、三浦綾子がデビュー作「氷点」を執筆していた頃(1963年頃)、旭川市で営んでいた雑貨店を移築して、当時を再現したのだ、ということが分かりました。
中では絵ハガキなどちょっとしたお土産品を売っている程度です。

売り物ではありませんが、当時雑貨店で売られていたそのままか、同じ時代のものか分かりませんが、鉛筆やノート、駄菓子などが陳列されていました。さすがに砂糖は、当時そのままというわけにいかないのか、隣の比布町で売られているらしい「Aコープ 上白糖」と書かれた1キロ入りの袋が並んでいましたw


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↓入口右手の看板

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一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。
新約聖書『ヨハネによる福音書』第12章24節



「塩狩峠記念館」の前にある立て看板です。
このことばは、小説『塩狩峠』の冒頭に引用されています。

三浦綾子は、夫の光世(1924-)と結婚した時、家の前に聖書のことばなどを書いた看板を立てるのが夢だったそうなので、この看板も、物体として本当に当時現地にあったものかは分かりませんが、記念館だから、ということでなく、本当にこういう感じで立っていたのかもしれません。しかし、この雑貨店を開く前に住んでいた借家など場所によっては、
「こんな看板を勝手に立ててもらっては困る」
と追い立てられるようなこともあったそうです。

内部は撮影禁止ですが、生活スペースを再現している部分、三浦綾子の足跡や、塩狩峠の作品についての展示がいっぱいで、旭川市内の三浦綾子記念文学館とセットで見学するといいと思います。

三浦綾子は、幼いころから病弱で、脊椎カリエスで永く伏せっていたことは有名ですし、結核、帯状疱疹など、おかしな言い方かもしれませんが、ひとりの人間がこんなにたくさんの病気にかかることができるのか?と思うほどたくさんの病気にかかり、それでも作家活動や講演を続けていました。若い頃の写真は、そんな病気をしているのか?と思うほど元気そうです。

晩年は、厚生労働省が「特定疾患」いわゆる「難病」に指定している130の疾患のうちの1つ、「パーキンソン病」に苦しんでいました。
確かに晩年の彼女の写真を見ると、見るからに病気だということが分かって痛々しいですが、普通、パーキンソン病なら歩くのも困難なはずなのに、ひとの支えで階段を上る姿も写っていて、それだけでも胸を打つものがありました。

[一粒の麦 地に落ちて死なずば(塩狩峠③)]の続きを読む