青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
今日・明日は楽しみにしていたラ・フォル・ジュルネびわ湖

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今年の無料送迎バスは……?

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( ̄□ ̄;)!!近江鉄道バス

実は正直なところ内心、こういうこともあり得るかと思ってはいました。理屈の上では京阪バスのエリアではあるものの、並行する正規の路線「なぎさ公園線」は京阪と近江の共同運行、それも今は圧倒的に近江が多く、公共施設のイベントである以上、公平を保たねばならない、ということがあるのかもしれません。なら、来年は京阪???

80年代には当たり前だった、MR470や、B805L、或いはブルドッグなど、昔のカラーの時代の近江鉄道バスには、京阪バスに負けず劣らず関心を持っていますが、今の近江鉄道バスは、誰が何と言おうと、車両のことが分からない私には、大型と中型、ポンチョの区別ができる以外は全て同じにしか見えず、ピンときません。

気を取り直して、コンサートを楽しむことにします。今年は去年に比べ雲が多く、肌寒かったものの、たくさんのひとが訪れていました。

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私は2つのコンサートを聴きました。

1回目が、本当ならエル=バシャが来るはずだった公演、代わりにNHKの『スーパーピアノレッスン』に出演していたというミシェル・ダルベルトが演奏します。特にピアノ・ソナタ第8番『悲愴』op.13の生演奏に痺れました!ベートーヴェンの三大ピアノソナタの中で、私は多分、これが一番調和がとれていて、完成度が高いと思いますし、それだけに3楽章とも、恐らく誰もが「あ、この曲のことか」と思うような有名曲ばかり。

西洋音楽で、1つの曲の中に独立性の高い曲が何曲か含まれている時、それを「楽章」と呼び、ふつうは3楽章か4楽章まであるのですが、ベートーヴェンの時代(クラシックの中でも「古典派」と呼ばれる時代 18C半ばから19C初め)において、3楽章ある場合、そのリズムは、「急-緩-急」の順番になるのが普通です。このことが、こんなに絶妙な聞きごたえになるとは今まであまり意識していませんでした。第1楽章の緊張感が、第2楽章の緩やかな美しいメロディラインでほぐされ、第3楽章でまたわーっと盛り上がって引き締まって終わる、ベートーヴェンは、実は正直苦手なんですが、新たな魅力を発見しましたw

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エル=バシャや、ダルベルトの演奏のyou tubeは見つからなかったので、エル=バシャを見出した、クラウディオ・アラウ(1903-1991)の演奏(第1楽章)↓。ご興味がおありの方は、第2楽章などもyou tubeでご覧下さい。圧倒的にバッハのイメージが強く、かなり変わり者の印象があるグレン・グールド(Glenn Herbert Gould 1932-1982)が弾く『悲愴』なんていう珍しい録音もありました。




ただ、ダルベルトがたまに念を押すように、鍵盤を指先でグリグリっとするのが、私のような者が言うのは僭越ですが、気になりました。私の気のせいかな?と思いましたが、あとで彼の演奏のyou tubeを見たら、残念ながら『悲愴』はありませんが、他の曲で同じようなことをしている場面があったので、見間違いではありませんでした。
これ、私も先生に注意されたんです(爆)。ピアノはその構造上、キーを押し下げてからはどんなに力を入れても、絶対に音は出ないから、ああしてももうそれ以上は何も起きないばかりか、余計な力が入っています、と宣言しているようなものじゃないかな、と思ったりするのですが……。一度先生に聞いてみようかな。

何日付か忘れたけど、比較的最近の朝日新聞の連載マンガ「ののちゃん」に、一本指で演奏するピアニストが現れましたが、私の大好きなJ.S.バッハのオルガン曲「前奏曲とフーガ BWV545」の「フーガ」のピアノ編曲版の出だしなど、特別に意味があって、わざと一本指で演奏するなんていう場合も実際に見たことがあるので、実は彼のこの打鍵も、何か特別な事情があるのかもしれません…。

[なぎさの「幽霊」]の続きを読む
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昨日(4月25日)は、朝はひょうが屋根を叩きつけるし、晴れたと思ったら、また急に掻き曇って風が荒れ、雷が鳴りだし、雨がやんで汗ばむくらい暖かくなったと思ったらまた雨…という不安を絵に描いたような落ち着かない空模様でした。

福知山線(宝塚線)脱線事故からもう6年、早いですね。仕事で外出した先で、テレビのニュースを見て、恐ろしい光景に息を呑んだのを、今も昨日のことのように思い出します。

新聞やネットニュースで、現場で手を合わせるひとの写真や記事を見る度、交通は、何をさておいても安全でなくてはならない、改めて感じます。

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びわ湖ホールから突然届いた封書…。ネット購入したチケットはもう届いているのにおかしいな…。

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開けて見ると、29、30日の2日間、びわ湖ホールで開かれる予定の「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」の出演者や演奏曲目が変更になるとのお知らせ。

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東京国際フォーラム本会場の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」も、会場の電気系統の不具合や、海外アーティストの来日見送りなどで、当初の予定を大幅に変更せざるを得なくなったらしく、「東日本大震災復興支援 とどけ!音楽の力 広がれ!音楽の輪」というサブタイトルで開かれることになったと書かれています。

びわ湖ホールは、もともと東京ほどの大掛かりなものではなかったものの、楽しみにしていた、レバノン人の超有名ピアニスト、エル=バシャ(1958-)が来ないことが分かって、ちょっとがっかり。エル=バシャを地元で聴ける!!!と喜んでいたのですが、仕方ありません。20世紀を代表する巨匠と言われるチリ人ピアニストクラウディオ・アラウ(1903-1991)に、10歳の時に見出されたというのだから、ちょっとやそっとのひとじゃないんだろうな、と思っていたんです。

でも、代わりのアーティストも素晴らしい方のようですし、楽しみですw

京阪バスには、去年同様、恐らく10台以上に広告が取り付けられ、湖国の一大イベントをアピールしています。

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震災その他大きな災害の直後では、「音楽の力でひとびとを元気に!」なんて言っても絵空事にしか聞こえず、そんなことより食料を、水を、と思ってしまいますが、1カ月を経過して、芸術やスポーツがひとびとに与える力も必要なものと感じられてきます。

四明後日のイベント(と昨年同様運行される無料バス?)を楽しみにしながら、正に「とどけ!音楽の力」と願わずにいられません。
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今年の写真でないのが申し訳ないのですが、京阪バス「国分町」バス停の桜。停まっているのはS-1071です。と言えば、京阪バス沿線では、「枚方カントリー」がダントツで有名ですが、私は、この国分町の桜が好きです。大阪より心持遅く見頃を迎えます。

46年前の今日、1965(昭和40)年4月22日、京阪バスの石山駅-国分町間が延長されます。



「国分町?」と思われる方が多いと思いますが、現在の終点、「国分団地」まで路線が延びるのは更に3年先の1968(昭和43)年10月18日のことです。「国分団地」まで路線が延びた時は、あまり注目されなかったのか、私が調べた限り、新聞では全く取り上げられていませんでしたが、「国分町」延伸時は、その周辺に公共交通機関が全くなかったせいか、注目度が高く、私が見た限り、3紙で取り上げられていました。

開通当日付の京都新聞第一滋賀版の見出しは、
「今日から延長運行 京阪バスの三井寺系統」
とあり、三井寺に延長するのかと思ってしまうような見出しで、あまり親切とは思えません。

滋賀日日新聞は開通前日にこのニュースを報じているのですが、その見出しは、
「あすから延長運転 京阪バス三井寺-石山駅行路線」
というもので、これまた最初見た時は、何のことか分かりませんでした。国分町に延びたということがポイントであるのに、なぜそれを書かなかったのか不思議です。

しかしその一方、『京阪バス五十年史』の年表にも載っている、申請の許可が下りた「三月十七日」の日付が記事中に明記されており、同書と対照させると、史的資料としては新聞ながら一級の値打ちがあると思われます。

[1965(昭和40)年4月22日 石山駅-国分町延長]の続きを読む
4月15日付拙稿の続きです。

53年前の今日、1958(昭和33)年4月19日付京都新聞掲載の広告↓

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貸切バスの料金1,300円は、この当時としては結構な金額でしょう。バス運賃は、今の5分の1程度です。
京都比叡山線については、四条大宮始発があって、これが約1時間間隔、ご存知の方も多いと思いますが、阪急京都線が河原町まで延伸したのは1963(昭和38)年のことで、それまでは大宮が京都側のターミナルだったため、その便を図ったのでしょう。
この他、現在もある京都駅発と京阪三条発が30分間隔となっています。京都駅発は、烏丸通、今出川通を経由しているので、今の京都バスのルートであることが分かります。
川端通は恐らくなかったはずで、今の京都比叡平線同様、東山通を経由していることも分かります。

[京都・大津比叡山線開通②]の続きを読む
昭和33年と言うと、今は多くの方が、映画『Always 三丁目の夕日』を思い浮かべることでしょう。日本人の4人に1人が栄養不足、という今思えば信じられないような時代ですが、岩戸景気が始まった年であり、後にノーベル文学賞を受賞する大江健三郎が、『飼育』で芥川賞を受賞したり、長嶋茂雄が巨人軍に入団したり、最近の社会の第一線で活躍してきたひとが、華々しいスタートを切った時代でもあります。東京タワーができたのもこの年です。

「テントウムシ」の愛称で知られる、スバル360が登場したのもこの年で、大衆車時代の到来を予感させますが、庶民にはまだまだ高嶺の花で、路線バスの役割は、今では想像がつかないほどだったのではないかと思われます。

1958(昭和33)年4月18日、田ノ谷峠から四明嶽(しめいがたけ)まで比叡山ドライブウェイが開通、翌日から、京阪バス大津比叡山線、京都比叡山線が運行を開始します。



3月17日付拙稿「昭和33年 比叡山DW開通直前バス路線獲得競争!」で、比叡山ドライブウェイへのバス路線申請が盛んに行われたことは既に書かせて頂きましたが、結局その後どうなったのかも含めて、53年目の開通記念日を前に見てみたいと思います。

下は、同日付の読売新聞滋賀版。

S33.4.18Y 比叡山DW開通b

田ノ谷峠では、延暦寺の座主や京阪電鉄社長も兼ねている当時の比叡山自動車会社の社長による開通式が執り行われるとのことです。記事によれば、一般への開放は翌19日のようです。
バスについては、大津駅からは京阪バス、京都市内からは京都市営と京都、と書かれています。実際は、京都市内からはもちろん、京阪バスもあります。

続いて、翌日付の京都新聞滋賀版↓

[京都・大津比叡山線開通①]の続きを読む
震災から1カ月が経過しました。何とも言えず、ジリジリ長い1カ月だったと思います。原発は、そしてそこで働いている方たちの体は、どうなってしまうんだろう?近くに住んでいた人たちは帰れるんだろうか? また、どうしてこんなにも被災地に食料やガソリンや灯油がなかなか届かないんだろう?私は何をしたらいいんだろう?と思いながら、家族全員行方不明の小学生が、たった1人、近所のひとに面倒を見てもらいながら、涙もこぼさず、毎日避難所を回って家族を探している、なんていう新聞記事を読んで、こっちが思わず泣いてしまったり…。

関東方面の友人、知人に聞くと、関西では想像がつかないほど、生活上いろいろ困難があるようで、最近は「地震酔い」するひとも多いそうです。震度2、3程度の余震がしょっちゅう来るので、いつも揺れているような感じがするのだとか。長距離を車で移動した後、降りてもまだ揺れているような感じが続くことがありますが、軽い場合はあれと似ているようです。もともと目まいの持病があるひとは、更にそれがひどく感じるようです。私も、目まいや頭痛が起きやすい体質なので、あの嫌な感じは分かります。

西日本では、おおむね普通に生活できているのが何だか申し訳ないくらいですが、不必要に買い溜めしたりしない程度に、そこそこはお金を使って、経済を活性化させるというのも大事かなとは思っております。
もっとも、私に使えるお金があんまりないんですけど(汗

しかし、大きなものになると、材料や製品の輸送がままならなかったり、もはや生産拠点が失われてしまっているなんていうこともあるようです。

西日本への思いがけない影響として、最近取りざたされたのは、電車の保守備品が調達できないことによる、JRの減便でしょうか。
減便1週間くらい前になると、山科駅にも、具体的にどの電車が運休するのか、という案内が掲示されましたが、数日後の6日には「お詫びとお礼」という張り紙に差し替えられました↓

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「湖西線が減便」との情報を受けて、先日、慌てて近江今津まで京阪バスの京都今津線の「取材」に出掛けて、あとで「取材漏れ」が分かってガックリした、なんていうこともありました。減便されないなら、慌てなくてもよかったかな、と思うのですが、まずは一安心です。

もちろん、被災者の方や、計画停電で毎日不便な思いをしている首都圏の方を思えば、こんなことは何でもないと思わないといけませんが、減便の前に、6両も8両もガラガラの車両を走らせるのでなく、2、3両に編成を短くするとかできないのかな、と思ったりします。
平成22年3月のダイヤ改正で、平日の日中の堅田往復はなくなりましたが、なくさなくても、トイレなしの207系や321系2両編成で、ワンマン運転すればいいのに、と思われてなりません。本数を減らすと、利用者がますます減る悪循環に陥ることは、国鉄時代からの経験で分かっているでしょうに。

もっとも、クハ、クモハといった「運転台のある車両」は当然絶対数が少ないので、編成を短くというのも、私のような素人が思うほどすぐに簡単にできることではないのかもしれません。


話が全く違うんですが、最近you tubeで見つけてはまっている、「空も飛べるはず」の合唱版↓

[空も飛べるはず]の続きを読む
24年前の今日、1987(昭和62)年4月8日、大津市赤尾町に、現・大津市立南郷中学校が開校しました。

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それまで、大津市立石山、南郷、大石の3小学校区が通学域だった南郷中学校は、マンモス化したため、石山中学校と名前を改め、石山小学校の通学域だけが学区となり、新・南郷中学校は、南郷・大石の2小学校の卒業生を受け入れるのが基本となりました。

現・南郷中学校は「第2南郷中学校」を名乗るという話もあったのですが、大津市立の学校に「第○」という数字を使う学校は1つもなく、つり合いがとれないと思われたのか、結局もともとの南郷中学校の方が名前を変えるという異例の事態になりました。
これに合わせて、京阪バスは通学向けの路線を開設します。52・53・54号経路、及び無番号の南郷中学校-石山団地系統の開通です。南郷中学校区の外が起点となる石山団地系統を別にすると、その役割はもちろん、「大石小学校区の中学生の通学輸送」です。

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戦後は、合併による通学区域の変更、更にはバス会社のエリアや競合の話まで絡んで、特に大石学区の通学は時折新聞でも取り上げられる問題だったのですが、調べだすと大津市立瀬田中学校など、全く関係ないと思っていた地域まで絡んで、かなり大変だったので、今回は割愛します。

開通から間もない頃の貴重な写真は、リンクさせて頂いている京阪バス情報局内の「特別企画」にございますので、そちらをご覧下さい。

今回私は、読者の匿名希望さん(HNはなく、付けることも希望されなかったので、このようにさせて頂きます)に見せて頂いた、貴重な資料の写真をUPしたいと思います。

昭和62年4月8日、南郷中学校系統開通当初の、「赤尾町」の時刻表です。

[南郷中学校系統開通24周年]の続きを読む
1960(昭和35)年4月5日付産経新聞↓

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「近鉄バス、京阪バスの住宅地乗り入れ陳情合戦が始まった」とあります。

↓現在の周辺地図

[京阪VS近江 「神領団地」路線獲得競争]の続きを読む
帝産湖南交通のバス停の路線図を見て目立つのは、何といっても、「日電前」「都築紡」「大津署前」と書かれた石山駅より北の点線部分。休止路線でしょうか?特定輸送でしょうか?

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当該部分拡大↓

[日電前 都築紡 大津署前]の続きを読む