青いバス停

There have been buses for more than 90 years in Otsu City. 「専攻?」である大津営業所管内の京阪バスの歴史を主体とした交通関係の記事をはじめ、雑記を記しております。
知る人ぞ知るアニメ、『スケアクロウマン』
私は、タテタカコという好きなアーティストの、『あした、僕は』という曲を、辛い時(私だってそういう時もあります…)に聴くと妙に心にしみて、それがこのアニメのエンディングであることを知る、という普通と逆のルートでこのアニメを知り、最近DVDを取り寄せて見始めました。




スケアクロウマン SCARECROWMAN THE ANIMATION(1) [DVD]スケアクロウマン SCARECROWMAN THE ANIMATION(1) [DVD]
(2008/10/22)
野島裕史、荻野晴朗 他

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scarecrow…「カラスを驚かせる=かかし」 正にその名の通り、かかしであったスケアクロウマンが、20年目にふとしたことで命を与えられ、動くことができるようになって、器用な手先を生かして、ものを作ったり、修理したりしながら、さまざまなひとと出会うというストーリーです。
スケアクロウマンが、修理したピアノをリアカーで運ぶなんていう、何重にもツッコミどころのある、???な場面もしばしばありますが、全体的には心温まる話の数々です。

彼の朴訥とした「人柄」は、声優・野島裕史の声によく表れています。

第4話「遠い日のノクターン」には、路線バスが登場します。
[遠い日のノクターン]の続きを読む
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1980(昭和55)年に高槻営業所管内で、京阪バス最初のバスロケーションシステムが導入されて今日で31周年です。
大阪方面は専門ではありませんが、いつもお世話になっている読者のT.F.様より、当時の貴重なパンフレットのコピーをご提供頂きましたので、公開させて頂きます↓

ss高槻ロケーションシステム導入

写っている車両は昭和54年式 A-1467。枚方市駅前と思われます。大型幕導入最初期、当時最新鋭の車両だったのでしょう。

高槻営業所はPiTaPaの導入も早かったですし、京阪バスの中で新しい取り組みを行う時のモデルケースとされることが多いようですね。

パンフレットはまだありますので、続きに掲出させて頂きます。
[1980(昭和55)年3月28日 枚方高槻線バス接近表示システム導入]の続きを読む
瀬田の帝産バス、近江鉄道バスの「文化ゾーン前」バス停

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その向かって右、近江鉄道バスのバス停ポールの裏…

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[斃(たお)れたバス停 文化ゾーン前]の続きを読む
34年前の今日、1977(昭和52)年3月21日 石山駅-京阪宇治間に、京阪バスの10号経路 宇治川ライン線が、春分の日から勤労感謝の日までの土日祝日限定で走り始めました。

1977(昭和52)年10月1日付京都新聞山城版によると、その年の春に、宇治川汽船が30年の歴史に幕を閉じて運行を中止した、とあります。もともと冬期のオフシーズンは運休していたようなので、実際の運行はその前年、昭和51年の11月いっぱいだったということになります。

このほぼ13年前の1964(昭和39)年3月23日に天ケ瀬ダムの貯水が始まり、それまでより景観がやや単調になったこと、マイカーのレジャー客が増えたことで、利用者が減ったことが大きな原因のようです。

バス開通前日3月20日付滋賀日日新聞によると、京阪バスの宇治川ライン線の運行は、その宇治川汽船の休業に伴う措置で、1970(昭和45)年8月2日に先に運行を開始している京阪宇治交通と合わせると、4、5、10、11月の休日が1日6往復(京阪バスが3)、その他の月が5往復(京阪バスが2)、運賃は大人460円ということです。

リンクさせて頂いている撮影劇場様にUPされている写真が、恐らくインターネット上で最初に公開された、10号経路の写真と思われますが、私の手元にも数枚の写真がありますので、紹介させて頂きます。

T.F様撮影、開通から間もないころと思われる写真、京阪宇治交通の宇治車庫です。この路線の乗務員は、宇治車庫で休憩してターンしていたようです。滋22か628 B-1380、昭和52年式三菱MR470です。

滋22か628

それにしても……
[1977(昭和52)年3月21日 宇治川ライン線開通]の続きを読む

改めて、東北太平洋沖地震の被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
その瞬間まで営まれていた普通の生活が突然失われる恐ろしさに、ことばもありません。原発では大きなトラブルが起きているし、どうなってしまうのだろうかと、何をしていても落ち着きません。

滋賀県でも、米原の尚江千軒(なおえせんげん)遺跡は、江戸時代の大地震で湖底に沈んだ村の跡ではないかと言われており、他人事(ひとごと)ではありません。琵琶湖西岸断層、花折断層などの活断層も知られています。

ブログの「取材」で歩き回ると、もともと運動不足のうえ、冬の間引きこもりがちだったせいか、情けないくらいすぐに足が痛くなるのですが、私くらいの年齢だと、非常時は自分だけでなく、お年寄りの1人くらい「せたろうて」(背負って)避難するくらいの元気がないとダメだなとも感じました。

1人でも多くの方が助かって、早く日常が戻ってくることを願うばかりです。



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1958(昭和33)年4月に比叡山ドライブウェイが開通して早53年、最初は「比叡山の静寂を破る」として、反対もあったそうですが、今や、その8年後に開通した奥比叡ドライブウェイとともに、京滋の観光を語る上で欠かせない道路になりました。

昭和30-40年代の路線バス全盛期のこと、各バス会社とも、新しい道路の開通をぼんやり見守っているなんていうことはありません。

53年前の今日、3月17日付の滋賀日日新聞↓

S33.3.17S 比叡山DWバス路線競願2
[昭和33年 比叡山DW開通直前バス路線獲得競争!]の続きを読む
以前、ROMの同級生が、家で思いがけないものを見つけた、と言って私のところにこんなものを持ってきてくれました。
1988(昭和63)年3月13日現在の、石山駅の時刻表↓

ssS63 時刻表1


たまりませんね!
気がつくことを挙げて行けばもうキリがないですが、この時のダイヤ改正は、その前年4月8日に運行を開始した、52・53号経路(南郷中学校経由の系統)が、日中も1本/hのペースで運行を開始したのが、大きな動きだったのだろうと思われます。

南郷方面は、基本的に、大石、外畑、大石、新浜の順の15分サイクルですが、7号経路・曽束行きはそうしたサイクルに関係なく、不規則に入り込んでいます。所要時間、車両のやりくりの関係で、大石行きの代わりにうまく挟み込むようなことができなかったのでしょう。また、2月20日付拙稿見よこの狭さ!? 8号経路「千町バス」の写真発見!などに皆様からお寄せ頂いたコメントでも分かりますように、車両が固定運用だった時代の名残、というのもあるのかもしれません。
こうしたことも、フィーダー路線化されてしまった大きな要因の1つかと思われます。思っていた以上に本数が少ないですね。

もちろん、10号経路・宇治川ライン線も健在です♪

石山駅以北は、私がなじんでいる、国道経由が偶数湖岸道路経由が奇数という規則で統一されています。

裏が白いのかと思いきや、ちゃんとまた別の情報が隠されておりました。

[1988(昭和63)年3月13日 京阪バスダイヤ改正]の続きを読む
今年1月11日付拙稿石山に205系で、書かせて頂いた「201系の堅田行き」の写真が出てきました。私が本格的に写真を撮ったりするより前の1998(平成10)年12月11日撮影です。裏に、私としては律儀に、「比叡山坂本駅 新三田発堅田行き1506M 201系普通電車」と書いていました。

ss98.12.11 201系


現在、これに相当する電車はなさそうです。

明後日12日はJRダイヤ改正日。九州新幹線の開通が目玉ですが、皆さんが思っているほど行動力があるわけでもなく、そういう遠いところのことは専門の方にお任せで、毎年気にしているのは…
[201系の堅田行き]の続きを読む
2月6日付拙稿完全撤去間近?東レ滋賀事業場専用線にて「実は、この付近で、路線バス関係で思いがけない発見をしたのですが、それはまた今度書かせて頂きます」と書いてそれきりになっておりました。




「大型貨物自動車・大型乗用自動車進入禁止」の標識なのですが、「路線バスを除く」!もちろん、国道1号線を指して建てられているのではありません。右手の、JRの本線の踏切から、膳所の旧市街に続く道の方を指しているのです。これはすごい!!!

昭和37年1月の「京阪神市街地図集」に、この道にバス路線があったことが示されていて、私もずっと気になっていました。「レーヨン前」から「粟津」に続く赤い線です。

S37.1 京阪神市街地図集 東レ付近

[道路標識だけに残る、バス路線の「亡霊」]の続きを読む


「寿長生の郷」と書いて、「すないのさと」

当て字なので、恐らく京阪バスの行き先としては唯一、朱墨のような色でルビが振られていて、「外畑」「石山団地」とか、あっさりした地名だけの行き先に対しては、「お前らなんかとは別格なんやぞ!」とでも言っているかのような、一種凛とした雰囲気が漂っていて、大好きでした。ある意味おとぎ話のように現実感がなく見えて、でも、「郵便局前」だの「ゴルフ場前」だのに比べると、ものすごい具体的でリアルな停留所名。1日2回しかないのが残念である半面、その少なさにまた「カリスマ性」を感じてしまう―――。 

同社作成の寿長生の郷公式HPによると、

「すない」とは井戸のつるべ(桶)を引き上げる縄を意味する豊国の言葉(古代の言葉)。
郷を訪れることにより、活力を汲み上げて欲しいという思いから名付けたもの。水引きと同じ意味です。



なるほど、そんな由来があるとは近くに住んでいても知りませんでした。

この「寿長生の郷」とは何なのか?「千寿の郷」のような特別養護老人ホームなどの福祉施設なのかという質問を、ずいぶん前に頂きましたが、大津に本店がある「叶匠寿庵(かのうしょうじゅあん)」という和菓子店の本社工場で、1985(昭和60)年3月にできました。
(「叶匠寿庵」てやっぱりすごいんですね。一発で変換された(汗)。)
同時に、京阪バスの9号経路が開通しました。朝夕2往復なので、観光客が乗るというよりは、従業員用だったのだろうと思います。

1993(平成5)年6月20日、大津営業所の移転に伴う大規模なダイヤ改正で、経路番号をそれまでの9から4Aに改めましたが、その幕位置に、今は53号経路(石山駅-千寿の郷-南郷二丁目東)が入っているので、冒頭の写真の幕も貴重です。


9号経路時代の写真は、リンクさせて頂いている「撮影劇場」様以外、見たことがありませんでしたが、今回、たびたび写真をご提供くださっている読者のまんたろう様から、貴重な写真を提供して頂きました。

新浜-蛙岩

1990(平成2)年5月9日 新浜-蛙岩間で撮影、車両はA-1680です。

1989(平成元)年8月2日の運賃改定時のものと思われる路線図↓


[1985(昭和60)年3月4日 石山駅-寿長生の郷開通]の続きを読む